第29話 夜明け

 あさひが、どういう人間か。意外と分かっていない。否。私もあさひも、向き合おうとしてこなかった。だから、こうなっている。何の話だ。目の前にある現実が答えだ。


「私は、あさひはまともな人間だともう思わないことにした」

「なに、それ。女の子が好きだから? 自分の欲望も制御できない気色の悪い糞野郎だから?」

「野郎じゃないんでしょ、あさひは」

「そんな話はしてないし」


 それはそうである。


「私はさぁ。自分がどうしようもない人でなしだと思ってたんだよね」


 返事はない。


「私のことを大事にしてくれるかもしれなかった人は、みーんな死んじゃったからね。まぁ、お母さんが生きてたとして目の上のたん瘤だったかもだけど」


 返事は、ない。


「だから、あさひの私への関心は、お情けだと思ってたんだけど」

「そんなことはない」

「みたいだね」


 私は、自分の手をあさひに向ける。空っぽのてのひら。


「私という存在は、あさひの人生におけるオプションパーツで、あさひは私なんていなくても素敵な人生で、友達に満ち満ちていて、恋人もいて――。なんて。普通に生きていける人間なんだって。勘違いしていた」

「――っ、ゆかりは、私の人生の――」

「そう、まさにそれ」


 ぴし、っと指をさす。自分の言いたいことが、自分でもわかってきた。そうだ。あさひへの怒り。ちゅーされた嫌悪。それ自体は嫌だけど。許してあげる理由が、そこにある。


「あさひさんさぁ、私の事好きすぎるでしょ」


 自分自身に、クソデカ感情が向けられている。その事実を、私は正しく認識できていなかった。そう。釣り合っていないと思っていた。

 私にとっての世界は、あさひ四割、まつり三割、いさりさん一割くらい。いさりさんのことはまだ、ちょっと先輩だと思っていて。友達と言える距離感はないかもしれない。嘘。話は合うし、仲は良くなれると思うけど。お互いがお互いに「めちゃくちゃ大事な人」として思いあう未来は見えない。

 あさひの世界におけるゆかりは、私としては一割未満だと思っていたけど。想像以上に割合がでかい。だから、あさひの気持ちがあふれ出たのだ。


「こんなにうれしい気持ちになったのは、初めてだよ」


 あさひは、私抜きでは生きていけない。依存女なのだ。実は、私が心底大事なのである。私が原動力なのである。

 それを突き詰めていけば――。あさひが私に向けるそれは、きしょくの悪い正体不明のものではなくなっている。


「あさひが私のこと好きなら、私が好きにならない理由がない」

「なに、それ」


 物は試しだ。ふぅ、と息をついて。


「ちゅー、してみてよ。今度は蹴らないかもしれないからさ」


 げろ味がほんのりするかもしれないけど。汚い私を愛してください。なんて。


「かもしれない、で罪を重ねろと?」

「違います。――愛の証明です」


 私からするのでは意味がない。だから、あさひの手をとって、私の胸にあてる。手が、ピクリと跳ねる。跳ねるのは、私を大事にしてくれているから。

 戸惑っているのは、私を大切にしているから。


「――っ」


 あさひの体温が、私に移るように。柔らかな温度が、口の中に割り込んでくる。満たされる。そうだ。私は価値がない人間じゃない。私は、自嘲に、自己嫌悪に、自分の価値のデフレの前にへらへら笑う必要はない。誰かの負債じゃない。

 そう思えるのは、あさひの心が尊いものだと気付いたからで。


 その尊さは。あさひの心は、守らなければならないと思う。


 だから、この感情を。あさひへの返礼は。愛で、恋で。私のすべてだと思う。


 夜が明けて。それでも、あさひからもらった体温は。きっと冷めない。――これから先の話は、私とあさひだけのものにしておく。

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熱帯夜に焦げる。 まきまき @seek_shikshik

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