第48話  次から次に 10

 大介は会場のリビングから出て長い廊下の先のドアを眺めた。時貞夫婦の寝室の向かいには使われていない子息の部屋がある。


 そして向かって正面には大介が寝泊まりしている客室のそのドアの向こうになにやら気配を感じて歩みを進めた。


 ドアノブを握りゆっくりと開けて中を覗くと蓮池学の背中とベッドの向こう側によっ子の心配そうな表情が見える。


「ここでなにしてる」


「あっ!登板さん」 


 ドアの横に立っている真由子が大袈裟に巨体をのけぞり顔を見上げた。


「舎弟頭……」


 哲也は真由子の傍で気遣わしげな様子で大介を見やる。


「マッサンや」


 無使用のベッドに腰掛けていた一輝は案じ顔し大介を見上げる。


「登板さんのお知り合いで?一文字さんにここへ案内されて診させてもらったんですけど、過呼吸を起こしたようです。少し安静にしていた方がいいですね」


 ゆっくりと立ち上がりながら症状を見極め脳内で心的外傷の背景を想像する。大介を見上げるその蓮池学の視線に、


「申し訳ない」


 と頭を下げた。


「いやいや、全然……よっ子ちゃんが言うには突然こんな症状になったみたいで」

と言いながら益子に視線を向けたのち、

「なにかトラウマ的な……」

と大介の耳元で囁いた。


 前頭頭頂皮質を操って現在と過去を比較検討し脳内シミュレーションで導き出した答えを瞳の中に映し出す。

 そんな蓮池学の眼差しに大介は微かではあるが動揺をみせ視線を逸らした。


「益子……おまえ、どうして来た」


 よっ子はベッドサイドからベッドに倒れ込むように突っ伏し身動きがとれず上目遣いに大介を見上げている。


「大介くん……」


 弱々しい益子の声に引き寄せられるように大介はベッドに腰を下ろした。


 よっ子は益子に握られている左手首を見つめた。


『益子さん、指を緩めてください』


 益子の指先をつまんで無理矢理にでも離しここらかのがれることを考える。


 大介の様子を見ていると二人の世界に今ここにいる自分は邪魔でしかない。


 一樹たち四人が揃って部屋を出て行く姿を見て一層焦り始めた『早くこの部屋から出ていかないと』そう思うとお腹がムズムズし鼻息が荒くなる。けれど益子が握る手は一向に緩まる気配がない。


『ちょっと……先輩、助けて』


 ベッドに顔を埋めるよっ子はそこに存在しないかのように息をひそめた『私、どうすればいいの』声にできない思いはベッドのマットへと吸収されていく。


「あいつがいることをわかっていて、なぜ来たんだ」


 益子に語りかける声はいつも泰然たいぜんとしている大介の口調とは違った。


「ごめんなさい」


 心地のよい声に耳を傾けた。心に寄り添う温かみのある物言いをこの大介の口から聞けるなんて思ってもいなかった。


 そんな大介の横顔をちらりと見た。見てはいけない気もしたけれど、どうしても見たい気持ちを抑えられなかった。その時、大介の横顔が不意に涼平の顔に見えた。


 忘れていた涼平の姿が浮かび上がる『どうして、涼平くんの事なんて思い出すんだろう。涼平くん……涼平くんって今どうしてるのかな』


 慣れない実務の日々に追われ、いつしか、気づくといつも傍にいる一樹いっきの存在が心を占めていた。


 涼平への思いはすっかり過去の思い出に変わっていたはずなのに大介の厚意こういが益子を通してよっ子の心を揺り動かした。


『涼平くんの事、忘れてたはずなのに』


 あの頃、さり気なくそばにいてくれた。気づくといつでも視線が交わり自分を見てくれていた。今の大介はあの頃の涼平のようだ。


 四葉のクローバーを双葉に分けて作ってくた心のこもった栞はいつも単行本に挟んでトートバッグの中にある。


「母さんが風邪をひいてしまって、折角のお誘いだからって……」


「だからって、お前が来ることはないだろう」


「でも、……あれから随分と時が過ぎてるし本当に大丈夫って思ったの……思ったんだけど、でも駄目だった。あの人の顔を見たら急に胸が痛くなって息ができなくなって」


『あの人って……誰の事』よっ子は我に帰り二人の会話に耳をすました。


『あの人ってまさか大葉さんの事?アイツ?アイツは益子さんに何をしたの?三角関係、まさか……まさかそれは絶対にない。女の人100人いたら100人全員間違いなく大介さんを選ぶ。そんなの決まってる。益子さんは美人だから一方的にあの男が片想いをしてた。アイツにストーカされてたのかも知れない。アイツならありうる。でもアイツは益子さんに気づいてなかったと思う。となると過呼吸になってしまう程のトラウマってなんだろう』


 息を殺す。いったい益子に何があったのか、想像すればする程、過呼吸を起こした原因を知りたくなる。


「もう苦しくないか」


「うん。大介君の顔見たから大丈夫。ありがとう。パーティーの幹事なんでしょ。もう行って」


 益子は微笑んでみせた。そんな益子を見つめる視線や頬に添える大介の手を見てよっ子は自分がされているような感覚になり耳まで真っ赤に染めた。


「気にするな。哲っさんがいるから任せとけばいい。そういえば、お前、その……子供はどうしたんだ」


「子供?」


「おばさんに預けて来たのか」


「父さんから訊いたの?」


「いや……以前どこかで見かけた」


「声をかけてくれれば良かったのに」


「俺らが声かけるわけにはいかないだろ。金さん一緒だったから」


「ふふ……金さんって見るから怖いって感じよね」


「ああ、だろう。それに旦那と一緒だったから声なんてかけられねえよ」


 落ち着き払い隙のない大人の男の大介の雰囲気が違って見えた。

 世の女たちは彼を振り向かせようと必死に頑張る。どこへ行っても群がって来ては我が物にしようと奮闘していた。自分に自信のある女たちは激しかった。


 そんな女たちに目もくれなかったのは大介の心奥しんおうに益子への秘めた想いがあるんだとよっ子は大介の心の空白を見た気がした。






 


 


 





 

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いつか君と 〜この想いがあなたに届くとき 心が繋がる その日まで〜                 久路市恵 @hisa051

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