13

 どおん、という轟音と共に、少女は屋敷の壁に穴を開け、脱出した。冷たい空気が肺を満たしていく。木枯らしを多く含んだポンチョが、音を立てて舞い踊る。背後で人の声が聞こえたが、今の彼女には関係ない。屋敷の塀をよじ登り、大通りに降り立った。


 この広いカリフォルニア中を、走り、飛び、くぐり抜ける。そんな開放的な気分だった。


 少女は駅馬車に乗り、コンコードのアップルトン邸を目指した。知った道筋をなぞり、その街でいちばん豪勢な屋敷の門の前まで辿り着く。クルス家過ぎ去りしあとのアップルトン邸は、ざわめきに満ちていた。

 侵入しようとする少女を、アップルトン邸の番人が止めた。そこで彼女は、”度胸”を使った。


「……わたしはソフィア。話があるの」


 短く告げると、並々ならぬ風格に圧倒された門番がそのげきを開く。少女は笑い、その間を通る。

 アップルトン邸は、やはり広くて壮大だった。庭を埋め尽くす柊の低木が、どこまでも続いていた。

 少女はその中央を行き、屋敷のノッカーまで辿り着く。それを三回壁に叩きつけると、白髪の老メイドがドアを開け、誰何してきた。


 そこで彼女はまた告げる。


「ソフィアよ。話があるわ」


 メイドは目を見開き、すぐさま彼女を奥に通した。屋敷の中に入ると、彼女は脇目も振らずウェスト・アップルトン社社長へ謁見をしに向かう。


「アップルトン社長を出してちょうだい」


 臆面もなく、側仕えと見られるメイドに要請する。メイドは言葉を濁しながらその願い出を拒否しようとするが、


「わたしは、クルス家の使いよ。馬鹿げたフェイクニュースをひっくり返しに来た、ね」


 という言葉ひとつで、周りの対応が一変する。メイドは目を見開いて、すぐさま社長室を案内した。

 メイドは「ご面会です」と言って四回ドアを叩き、そして開く。その先は暖かく、光で満ちた空間だった。


 少女は立ちすくんだ。だが、社長らしき男が奥のソファで手招いているのを認めると、一歩、また一歩と足を進めた。

 ソファの脇に至ると、社長らしき男が笑いかけてきた。裕福で、優しそうな顔の、ウィリアム・アップルトンによく似た初老の男だった。


「僕はウォルト・アップルトン。さあ、どうぞ掛けて」


 少女は肩を緊張に強ばらせて、ゆっくりとソファに腰掛けた。ウォルトは微笑みでこちらの発言を促す。


「わたしはソフィア。クルス家の真実を伝えに来たものよ」


 そう、これこそが少女に与えられた使命。クルス家から受けた理不尽を、すべて暴露しなさい、という、”ソフィア”からの指令だ。


「今日、あなたの息子さんがクルス家の屋敷に来た──というのは、もう聞かされているかしら?」


 ウォルトは、重々しく頷いた。今この屋敷が混乱しているのも、間接的ではあるがそれが理由だ。


「クルス家は、あなたたちウェスト・アップルトン社の功績を羨ましがっていた」


 大前提はそこから始まる。クルス家は常にウェスト・アップルトンを嫉妬し、業績が上手く上がらないのも全て彼らのせいにしていた。こうなったのは、カルヴァリー商会前社長であり、マーガレット・クルスの夫が結核で死んだ時からだ。


「そこで思いついたのが、ウェスト・アップルトン社の息子に罪を背負わせて、慰謝料を分捕ることだったのよ」


 本当は違うが、話が拗れるので作り話を余儀なくされた。ここにいる時間が長くなればなるほど、ソフィアという少女の印象は強くなる。その分偽物だと気づかれる確率も高くなるため、なるべく手短に済ませる必要があった。


「そこで殺されたのが、わたし」


 そう言って、少女は骨ばった胸を叩いた。ウォルトは、その手の中に握った珈琲の水面を揺らす。


「平気よ、本当は死んでないから。何とか死んだフリで済ませてくれた」


 そういうとウォルトは、強ばっていた笑みを緩めた。息子同様、こういった恐怖には弱いらしい。

 でもね、と逆接を入れる。ここから先は、指示を貰っていない。


 本物の、”キーヴァ・オコネル”の言葉だ。


「マーガレット・クルスはそんなふうに、自らの利益のためなら人殺しも厭わない人なの」


 わたしも抵抗しなかったら死んでいた、と付け加え、次々に言葉を並べ立てる。こんな感覚は、初めてだった。


「倒産直前で、彼女は住まいをサクラメントに移した。その理由、教えてあげましょうか」


 答えを待たずに、少女は言った。


「前の家には──そうして殺した使用人の死体が沢山あるの」


 ウォルトは瞳孔を揺らして、肩を銷鑠縮栗しょうしゃくしゅくりつさせた。殺し文句とばかりに、少女は告げる。


「今、市警に調べさせれば──彼女は、どうなってしまうでしょうね?」


 キーヴァ・オコネルには透けていた、敵側・ウェスト・アップルトン社の狙い。彼らはカルヴァリーが考えるような、戦いに無関心な人間ではなかったのだ。


 常にカルヴァリー商会を敵視し、隙があれば叩き落とし、不得手とされた製紙産業にも手を出す。ウィリアムが赤いシクラメンを捨てたのも、きっとカルヴァリー商会の象徴を嫌がってのことだろう。


 クルス家が没落したわけは、その可能性──憎みあっている可能性を、見落としていたからだ。ただの不届きで、キーヴァは工場労働者の身を追われた。はた迷惑な話だ。


 敵に不利な情報を得たウォルトは、言葉にこそ出さなかったが、嬉しそうにしていた。


「そうかそうか。


 ……あ、そうだ、今ウィリアムはどこに?」


 情報を与えたことにより、ウォルトからの信頼度は目に見えて上がっていた。


「ああ……お友達が巻き込まれたから、病院に連れていったわ」


 想定外の質問に、不自然なアドリブで返す。お友達? と、ウォルトはさらなる詳細を求めた。


「ええ。アーネスト、っていう、金髪の男の人」


 その瞬間、ウォルトの表情は一変した。視線は少女を向いているはずなのに、彼は違う誰かを見ていた。


「それはそれは。あのベネディクト家の」


 少女には、──いや、

 キーヴァには、確かにそう聞こえた。


「え、と、すみません、もう一度──」


 思わず素の口調が出た。少女は青と白のポンチョを握り、”キーヴァ”を抑え込む。


「ん? ああ、ベネディクト家だよね、ウィリアムの学友のアーネスト君って」


 胸の中で、その言葉を何度も何度も反芻する。アーネストが、シクラメンに二百倍の値をつけた金髪の青年が、


 ──「あの」ベネディクト家?


 キーヴァは、演技をやめて考え込んだ。ベネディクト、その言葉を探して自らの歴史を遡る。自分を祖国から追い出したのも、自分を資本家に売ったのも、──自分を絶望から救い出したのも、全部、全部。


 ベネディクト家の者だった、と?


 あの青年が歪な笑みを向けてくる幻影が見えた。自分の手元にあるこのドル札は、罠なのだろうか。

 いや、でも、と、少女は知恵を振り絞った。あたかも今彼女が演じている少女のように。結論は、すぐに出た。


 罠なら罠で、それでいい。自由になったわたしには、お金という味方がついているんだから。

 目には目を、歯には歯を、力には力を──ルクス・タリオニスに従い、わたしは今から動きだそう、と。


「ミス・ソフィア?」


 ウォルトの声で、ようやく”キーヴァ”は鎮まった。なんでもありません、と言うのを抑えつつ、席を立ち、扉へと向かう。


「それじゃ、わたしは忙しいから」


 思わぬところで、自分の天敵の情報が得られた。廊下をリズミカルに進んでいく。キーヴァの脳内は、したいことでいっぱいだった。

 アップルトン邸を出て、街を駆ける。サクラメント行きの駅馬車を探し、建物のあいだを抜ける。ソフィアのふりをするために塗られた煤を、汗ばんだ両手で触れ、頬から落とす。


「ありがとう、アーネスト・ベネディクト! あなたのくれたお金で、わたし──」


 襤褸ぼろの色も、冷えた足の裏も、もはや気にならなかった。ワンピースのポケットに入れたドルを取り出し、握りしめた。


「ベネディクト家に、復讐できそう!」


 キーヴァ・オコネルは、サクラメントから出る大陸横断鉄道へ向かった。彼女の主が言う「神」に、復讐を願うため。


 ◇◇◇


 部屋の主が寝静まった部屋。ソフィアは窓枠に手を掛けて、身を乗り出す。ガラス瓶を持った右手を、できる限り遠く、月陰の方まで伸ばす。ほのかな月の明かりに、砂糖の粒子がささやかに揺らいだ。


「トリカブトの花言葉って、本当に色々あるのね」


 瓶を傾けると、夜空に星を撒いたように砂糖が輝く。


「厭世家、人嫌い、ですって。……ねぇ、そういう人たちって、」


 彼女は、その場にいない者に向けて問うた。


「どうやったら人を好きになれるの? ──お父さん」


 答えは、返ってこなかった。

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ユナイテッド 夜船 @citrusjunos

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