土産と詫びと貸しと

 エルドランド社交界を牽引する女性と言われるレッツェトーレ伯爵夫人のサロン。そこは招待を受けるだけでも大変な栄誉だとされている。


 ある日の昼下がり、この国で今最も注目されている貴人を迎えて、賑わっていた。


「あら、素敵なネックレスですね公女様。でもあまり見かけないデザインのようですが……殿下の贈り物でしょうか?」

「えぇ、伯爵夫人。ときには故郷を思い出すのも良いだろう、と取り寄せて下さったのです。何でも水の都ヴェレントラで今最も人気だった職人の作品だそうですわ」

「まあ! でしたらさぞ手に入れがたい一品なはず。流石、愛されていらっしゃいますわね」

「ふふふ、そうかも知れませんわ」


 愛されている、と言う言葉に彼女は素直に頷き、頬を染める。その姿は年相応の少女らしいものだが、一方でこの国の社交界を代表する面々から一心に注目されても全く動揺を見せない豪胆さもある。


 彼女こそ亡国の公女で、この国の未来の王太子妃、シャーロット。

 たった1週間で市井の花売りから王妹に化け、他国の王子を見事に騙し通した演技力と大胆さはここでも健在だった。


「水の都ヴェレントラねぇ……私も一度は訪れてみたいのだけど。今は難しいものね」

「えぇ、私も新婚旅行で訪れる筈がお流れになってしまいましたわ」


 シャーロットを囲む婦人たちの話題は彼女のネックレスの故郷へと移る。水の都と称される観光都市はつい十年ほど前まで独立した国だったが、今はシャーロットの故郷、ルジェリア公国同様にアリア共和国の一部となっている。

 そして今、共和国ではあちこちで小競り合いが頻発し、気軽に観光できる空気ではなくなっているのだった。


「えぇ……残念ですが。このネックレスの職人も今はロンド帝国へ亡命してそこで制作に励んでいるのだとか」


 そんな公女の言葉に周囲の婦人達は「あら、まぁ」とか「故郷を出ないと行けないなんてお可哀想に」などと口々に告げる。


 シャーロットが革命によって消えたルジェリア公国の姫であり、故に苦労をした身の上であることは、公にはなっていないが周知の事実。

 そのためこういった話題では基本的に皆、シャーロットに同情的な立場をとる。


 もっとも空気の読めない、いや、あえて空気を読まない人がいるのも社交界の常だった。


「亡命、といえば公女様? 「優しい革命家」はご覧になられましたか? 今まさに王立劇場で上演中だとか。まさか陛下がお許しになるとは思いませんでしたが」


 ふだんから議会や社交界で王家に懐疑的な立場を示すことで知られている公爵の妻が発した言葉にサロンはざわざわとざわめいた。


「優しい革命家」はロンド帝国の著名な戯曲家と作曲家が組んで生んだ人気の歌曲だ。


 とある小国で、国王の圧政に抗議したことで処刑されかけた将軍が、辛くも刑を逃れ、亡命した先で仲間を集めて王家への復讐を誓う。

 しかしいざ王城へ攻め入ってみると、肝心の王家は逃亡した後。そのことに呆れた将軍は戦いを止め、血を流さずに革命を成し遂げ、そして人民のための新たな国を作ることを高らかに宣言する、という筋書きだ。


 固有名詞こそ変えられては要るもののそのモデルはあまりにもルジェリア公国。しかも王族達は史実以上に悪者として描かれているため、そういった意味でも反響を呼んだ作品だ。


 エルドランドの国王は特にこの作品の上演に対して何か言うことはなかった。だが、当のルジェリアの公女がいる前で選ぶ話題ではないことは明白。


 しかしその意地悪な話題にシャーロットは気を悪くした風でもなくさらりと返した。


「えぇ、先日殿下と見て参りました。なかなか素敵な劇でしたね」


 その答えに周りはさらに動揺が広がるが、シャーロットは何事もない様子で続ける。


「特に主演のロイド・メールが素晴らしかったですね。歌も演技も光る物がありました。なんでも彼は歌劇団の入団試験を受けた苦労人だとか。芸術家を支援するのも我々の使命ですが、そうではない道を通った者が花開くのも、街での生活を経験した私としては嬉しいことですわ」


 王立劇場の舞台で主演を張ろうと思えば、一般的には有力な貴族や資本家の後援がいる。しかし演目もあってか「優しい革命家」の主演、将軍の役を掴んだのは入団試験を経て入団した、後援を持たない男だった。


 素敵だったと言いつつ、上手く俳優の話に話題をすり替えたシャーロットに周囲の婦人たちは素早く乗り、


「えぇ、おっしゃる通りですわ」

「素晴らしい役者ですわよね」


 と口々に話し始める。

 なんとなく安堵の空気が流れる中でこっそりと奥歯を噛みしめるのは目論見が外れた公爵夫人だけだった。






「はぁ、やっと戻ってこれたわ」


 ブランメリア城の私室でドレスを脱がせてもらいながらシャーロットは軽くため息を吐く。その彼女らしからぬ様子に「あらあら」と彼女より一回り歳上の侍女は苦笑した。


「ご苦労様でした。珍しいですね、そんなにお疲れなのも」

「やっぱり社交界の華、と呼ばれている方のサロンだもの。緊張もするわ」

「おっしゃる割には堂々とされてましたが。意地悪にも完璧に対応されていらっしゃいましたし」


 公爵夫人の件だろう。侍女はそう言って笑う。


「あの歌劇の件? 意地悪なら亡命中に言われ慣れたもの。あのくらいどうってことないわ」


 そう笑って見せる主に微妙な顔を見せた侍女は少し強引に話題転換を図る。


「ですが、他の方も仰ってましたが、アリア共和国の件は少々心配ですね。公女様の故郷がこれ以上荒れなければよいのですが……」

「えぇ、そうよね。まあ私がいたころから、暴動は頻発していたし……なかなか難しいのだけど」


 魔法や科学を用いて、新たな産業を生み出した大陸の北部に対し、もともと豊かな土地が広がっていた大陸の南部はその流れに出遅れ、近年では経済的に困窮している地域が多い。


 それは公女の故郷ルジェリア公国も同じ。その経済的な困窮が革命を呼んだとも言えるだろう。


 新たな国として再出発したアリア共和国だが、荒れた国をすぐに立て直すことは難しい。結局、今もあちこちで争いが絶えず、周辺の国をやきもきとさせているのだった。


「何か出来ることがあるならしたいけど、そう簡単にはね……。さて、そろそろ休むわ。あなたも早いのでしょう?」


 明日はある意味でシャーロットにとって因縁の国。シェリル王国の王太子がこの国を訪問する予定になっている。


 表向きは弟の蛮行を謝罪するためだが、彼はシャーロットの婚約者をして、「なかなかの曲者」と表現させる切れ者らしい。


 うっかり足をすくわれないためにも早く休んで体力を回復しなければ。


 そう考えたシャーロットは普段より少し早めに寝台に入るのだった。






「いやぁ、本っ当に我が愚弟が迷惑かけて悪かったね、テイラー」

「全くだよ、ブルーム」


 王族の謝罪に対する王太子の言葉にシャーロットはギョッとして目を剥くが、テーブルの向こうのブルーム王太子は長い脚を組んだまま笑っている。


 もちろんここは晩餐会もその後の歓談の時間も終わった後に移動してきたごくごく私的な空間。使用人も護衛も最小限だ。


 そしてお互いが敬称抜きで呼び合っていることから分かる通り、二人はただ王族同士、という関係を超えた友人だ。一応そのことは聞いていたシャーロットだが、先程までの公の場での二人とあまりに違うようには少し戸惑い気味だった。


「それで……君の出来の悪い弟はどうする予定なんだい? さっきは『我が国で然るべき対応を』としか言っていなかったが無論、とっくに処遇が決まっているのだろう?』

「あぁ、勿論。あとは議会待ちだ。愚弟は他にもポロポロと悪事が見つかってね。王位継承権は剥奪、北の辺境にある離宮で生涯穏やかに暮らしてもらうことになった」

「まぁ……王位継承権剥奪ですか」


 仕方がないとはいえ、自身が関わった人物が思い罰を受ける、という現実にそう呟いたシャーロットだが、テイラー王太子は少し別の受け取り方をしたようだった。


「おや、シャーロット、どうしたんだい? 物憂げな顔をして。 あぁそうだよね、あんなに怖い思いをしたんだ。生涯幽閉くらいじゃ不安……」

「ち、違いますわ、殿下。ブルーム殿下も『それもそうか』などとおっしゃらずに」


 二人の思い違いにシャーロットは慌てて声を上げた。


「なるほど、我が愚弟に同情を……。テイラーと違って婚約者殿はとても優しい方なようだね」

「いえ、当然の処遇とは理解はしているのですが……どうしても家族を思い出してしまって……」


 今は新大陸にいるであろうシャーロットの家族も公族としてはおよそ褒められた人物達ではなかった。

 だからこそ不出来でも第二王子という肩書からは逃げられない彼に多少の同情心が湧くシャーロットだった。


「全く、国にいてもシャーロットの心を乱すとは。やっぱり生涯幽閉では軽いんじゃないかい? ブルーノ」

「だから殿下! もう……からかってらっしゃいますね」


 思わず隣のテイラー王太子の肩を掴むシャーロットにブルーノ王太子は声を上げて笑い、そして「まあまあ」と二人をとりなした。


「確かに甘い裁定ではあるのだが、あまり厳しくして恨みを買っても面倒でね。我が国には他にも懸念が山程ある……その代わりと言っては何だが、土産と詫びと、あと貸しをもってきたよ」

「前二つはともかく、貸しとは何だ。そんなものはいらんぞ」


 訝しげな顔を作るテイラー王太子にブルーノ王太子は不敵に笑った。


「まずは土産だね。あとで二人で飲むと良い」


 そう言って後ろに控える従僕に持ってこさせたのは金色のラベルの葡萄酒の瓶。シェリル王国の特産で、また生産数が少ないことで知られる貴重な品だ。


「それから詫びだね。これを見てくれるかい?」


 そう言うと懐から何回か折った紙片を取り出し、テーブルに広げた。


「何だ……? 報告書か。それも機密文書のようだが持ち出してよかったのか?」

「だからここで広げたんだ。陛下の許可はもらっているし、君たちが目を通した後は灰にする」


 そう言ってブルーノ王太子は煌々と灯る暖炉に目をやる。その言葉を聞いて、テイラー王太子は紙片を取り上げた。


「シェリル警察の文書か……はぁ!? 警察内部のそれも重要な地位にアリア共和国の諜報員が紛れていた。とんでもない不祥事じゃないか」

「それだけじゃない……おそらく軍と議会もやられたと踏んでいる。まあ、多少の予想はしていたが、思っていた以上に根が深かった」

「共和国の狙いは? ……豊かな国家そのもの、といったところか」


 テイラー王太子はそうブルーノ王太子に鋭い視線を送り、ブルーノ王太子は無言で頷く。


 シャーロットは思わぬ事実に不安を感じ瞳を揺らした。


「公女殿下にはすまないね。あまり聞きたくない話かも知れないが、だからこそ先に話しておくべきか、と感じた。アリア共和国の行動は正直に言って脅威だから」

「いえ、話していただけて感謝いたしますわ」


 シャーロットは一つ深呼吸してからゆっくりとそう答えるのだった。


「テイラーなら理解していると思うが、これは対岸の火事じゃない。アリア共和国は内紛で困っているし、それを解決出来る方法を国外に求めている……ロンド帝国でも諜報員を摘発した、という噂も聞く」

「それは私も耳にしている……貴重な情報をありがとう」


 そう言うと、紙片をブルーノ王太子に手渡し、彼はそれをそのまま暖炉の中へと投げ込む。


 一瞬パチリ、と大きく火が爆ぜ、沈黙が部屋を包んだ。


「あぁ、で? これが詫び、ということは貸しはなんなんだ?」


 どちらかといえば、これが貸しじゃないか? というテイラー王太子にブルーノ王太子は


「いや、貸しはまた別だ」


 と、告げるとおもむろに立ち上がる。その意味はさすがのテイラー王太子にも理解出来ないようだった。


「今回の訪問はかなり忙しないんだ。明日も予定が詰まっているしそろそろ休ませてもらおうと思う……だが、予定の上ではテイラーとはここで1時間程話すことになっている。その間君たちは恋人同士の時間を楽しむと良い。君たちの護衛には私が説明しておこう」

「なるほど……、それで、貸しか」

「あぁ、婚約したは良いものの多忙で禄に二人の時間も取れず、ついには『自分と公務のどっちが大事なのか?』と詰められたとか、ハハハ、是非現場に遭遇したかった」


 そんな貸しなら悪くない、と口角を上げたテイラー王太子もそれに続く言葉には驚いたようだった。


「おい! なんでその話を。いや、別に秘密でも何でもないが」

「それは勿論我が国の優秀な……、というのは冗談でさっき陛下に教えていただいたのだよ。流石にこの貸しをつくるにあたって陛下には許可を、と思ってね。だからテイラーは父親公認でこの時間を楽しめば良い。あぁ、程々に、な?」


 最後に一言余計な言葉を付け加え、ブルーノ王太子は部屋にいた少ない使用人達まで全員引き連れて部屋を後にした。


「だ、そうだな?」


 突然のことに唖然とするシャーロットにそう言いつつ、テイラー王太子はシャーロットとの距離を詰める。


 同じソファに腰掛けながらもお行儀の良い距離だった二人の距離は一気に恋人同士の近さに変わった。


「え、えぇ、そうですわね」

「それじゃあ、せっかくの借りだし? 楽しませていただかないと」


 そう言うと、シャーロットの美しい髪に指を片手を差し込み、もう片手で顎を持ち上げると、そのまま口づける。


 何度か角度を変えつつ続く口づけに翻弄されつつも、シャーロットは不埒な恋人を押し返しはしなかった。


「もう! 程々に、と言われたでしょう?」

「あぁ、勿論。これでも充分加減しているのだが?」


 今までにない濃厚な触れ合いへのシャーロットの抗議に対して、テイラー王太子は不敵に笑ったのだった。

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マイ・フェア・レディにお願い 五条葵 @gojoaoi

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