番外編
選ぶなら、ただ一つ
シャーロットが王太子の求婚を受け入れた舞踏会からおよそ一月。結婚式はまだまだ遠いが、晴れて結ばれた恋人達に取ってはまさに今が春。
……なはずなのであるが、当のシャーロットは愛らしい調度品で統一された私室で、物憂げな表情をしていた。
「はぁ……、どうしてあんなこと言っちゃったのかしら、絶対に殿下に呆れられたわ。そうよね、ミスキャセル?」
「どうでしょう? 殿下のお気持ちは分かりかねますが、私としては、殿下も公女様も人の子だったんだな、と安心しておりますが」
「人の子って、また……」
「殿下はあの通り、多少強引なところはあれど子供の頃から優等生でしたし、公女様もまた城にいらした時から我儘一つおっしゃらなかったでしょう? 私としては少々心配だったのですよ」
侍女頭として城全体の女性使用人を統率しつつ、まだエルドランド社交界に入ったばかりのシャーロットを何かと気遣ってくれる頼れる味方ミスキャセル。
珍しく取り乱した様子のシャーロットからことの次第を聞いた彼女はそう言って、シャーロットを冗談交じりに慰めた。
そもそも婚約したてで幸せの絶頂に要るはずのシャーロットがどうしてこうも憂鬱げなのか。それは本日の昼にまで遡る。
婚約した、とはいえ相手は大国の王太子。現実主義者のシャーロットは恋人同士の楽しい日々が始まるとは考えていなかったが、にしても二人は忙しかった。
特に王太子はただでさえやれ式典だ外交だ、と公務が山積みなのに、優秀であるが故に、他にもいくつもの仕事を抱えている。
一方シャーロットはというと、公務の量は抑えられていたが、その分王太子妃となるための授業がある。
いくら元公女で下地があるとはいえ、ここ数年間は下町で暮らしていたし、新たに覚えなければならないことも多い。
その上1年間という短い期間で一から人脈を築くための社交にも精を出す必要があった。
そんな訳で、二人の予定は見事にすれ違い続け、1週間ぶりに会ったのが公務上、などということすらある。
ただ、今日は珍しく王太子とシャーロットの空き時間が一致した日。昨日そのことを知らされたシャーロットは、大急ぎで王太子との茶会を設定した。
ここ数週間で詰め込んだエルドランド式の茶会の決まりに則って、茶葉からスプーン一つにまでこだわって準備をした。
久しぶりの王太子との逢瀬に珍しく高揚するシャーロットに侍女たちも主を可愛らしく飾り立てようと意気込み、今日を迎えたのだが……
昼前になって突然王太子から予定の変更が伝えられた。
議会で少し難航している議案があるらしく、その調整のため、急遽ある公爵との会談が設けれられたらしい。
人伝ではなく、自ら伝えに来たのは王太子なりの誠意だ、と言えるかもしれないが、顔を合わせたが故に、二人は口論を始めてしまった。
「仕方がないだろう、公務なのだから」
「シャーロットの為でもあるんだ。なんとかわきまえてくれ」
と、幼い王女でも相手にするようになだめる王太子についに怒りの沸点を通り越したシャーロットは気付くと、
「私と公務、どっちが大切なのですか!?」
と叫んでいた。
およそシャーロットの普段の言動からは予想できない言葉に固まった王太子を見て、自分も我に返った彼女は
「あ、す、すいません殿下。言葉が過ぎましたわ。頭を冷やしてきます」
と言い残して彼の前から走り去り、そして現在私室で自己嫌悪の真っ最中、という訳だった。
「でも……殿下がお忙しいのも、私が忙しくなるのもわかってて求婚を受け入れたのに……」
何度も言うがシャーロットは現実主義だ。その上公女として生きてきた経験もあり、王族、というのが絵本のような世界の住人でないことも知っている。
にも関わらず公務と自分を天秤にかけるような言葉を発したことが何よりも驚きで、また自分自身に呆れていた。
「それだけ殿下をお慕いされている、ということでしょう。殿下もまた然りですよ。公女様の言葉を聞いて固まっておられたのでしょう? 私の知る殿下でしたら確実に間髪入れず「公務だ」とおっしゃられてますもの」
「流石にそんなことは……あるかも知れないわね」
ミスキャセルのあまりの良いように一瞬王太子を庇おうとするシャーロットだが、いつの間にか集まってきていた侍女たちまでもが大きく頷くのを見て、肩を落とす。
残念ながらこれが現在の城での王太子の評価だった。
「そう……だから殿下に謝りたいのだけど、殿下はこれから会談だし、その後は執務が詰まってらっしゃるのよね」
せめてお手紙でも書こうかしら、そう考えるシャーロットにミスキャセルが耳打ちする。
「でしたら私に良い案がありますわ。王太子に謝って、同時に驚かせて見ませんか」
「同時に?」
そんな事が出来るのか? そもそもあの王太子が驚くことなどあるのか、と首を傾げるシャーロットにミスキャセルはなおも言葉を続けるのだった。
「殿下、外交部からの書状をお持ちしました」
「ああ、ありがとう。そこの右端の書類の上においてくれるかい?」
執務室で先程までとある公爵と話し合っていた内容についての書類に目を通していた王太子は、書類をもってきた、という侍女にそう指示をする。
書類が置かれた音を聞き、何気なく顔を上げた王太子は、その侍女の姿を見て、そして目を見開いた。
「できれば早急に目を通して欲しい、伝言を預かっております。それでは失礼致します」
「ちょっと待ちなさい」
外交部からの伝言を伝え、侍女としての美しい礼を見せる彼女を呼び止める。
白と黒のエプロンドレス、最低限ながら細かい作法通りの化粧、美しい所作は確かに王宮務めの侍女のようだが、それでも間違えるはずもない。眼の前に要る彼女は確かに彼の婚約者、シャーロットだった。
「シャーロット? これはどういった趣向かい?」
「あら、殿下。もうお気づきになられたのですか?」
一方のシャーロットも王太子の言葉には驚く。魔法も使っていないし、いずれ気付くだろうと思っていたが、とはいえ今の彼女はかつらを被り、さらに背丈も靴で誤魔化している。
普段着ない侍女の制服を着ればそうそう分かるまい、と思っていたが、一瞬目が合っただけで気づかれた、ということに残念さ半分、嬉しさ半分といった気持ちで鼓動を早めた。
「確かに私は恋人としてはつまらない人間だが、シャーロットのことは例え魔法を使われても気付く自信はあるよ」
その言葉に頬を染めつつ、さっきの喧嘩を引きずっているな、と思ったシャーロットはスーッと王太子の方へ戻ると、改めて深々とエプロンドレスの裾を広げ膝を折った。
「先程の殿下に対する振る舞い、言動、大変申し訳なく感じております。深く謝罪いたします」
「先程、というのは茶会の件か。であれば、悪いのは突然予定を変更した私だ。むしろシャーロットは聞き分けが良すぎるくらいだ」
椅子から立ち上がって、シャーロットの傍まできた王太子は頬に手を添えて深く下げられた顔をそっと上に向かせつつそう告げる。
急に近くなった距離にシャーロットは
「寛大なお言葉感謝致します」
と、平静を装って答えつつ、心臓をさらに早く高鳴らせた。
「にしても……その格好、良く似合っているな。大方ミス・キャセルの考えだろう?」
「よくお分かりになりましたね。殿方は大抵こういった趣向を好むのだと……いかがですか?」
そう言いつつ、シャーロットは王太子の傍から少しだけ離れくるりと回って見せる。
慎ましいエプロンドレスの裾がふわりと翻った。
「ああ……言葉が見つからないほど愛らしい。ミスキャセルに一本とられたようだ。勿論そなたの着こなしも素晴らしい」
そう言いつつ、侍女姿のシャーロットの全身を改めて見回した王太子は「そうだ」となにかを思いつく。
「ゆっくりと茶会を開く時間はないが、共に一杯茶を呑む程度の時間なら何とか作れる。どうだ良かったらこれからここで……」
「それでは私は戻りますわね」
「んっ!……もうか?」
「殿下はお忙しいのでしょう? あまりの長居は邪魔になってしまいますわ」
ところが可愛らしく装ったシャーロットの短い休憩時間を取ろう、と目論む王太子の言葉はシャーロットによってかき消された。
実を言うとこれもミス・キャセルの入れ知恵だ。
「そうでした、公女様? 殿下はきっと公女様を見たら、一緒にお茶の一杯でも、とお誘いになるでしょうがそれには乗ってはいけませんよ」
「あら、そうなの?」
せっかく時間を作ってくれるなら、ほんの短い間でも、と考えるシャーロットだが、ミス・キャセルは物知り顔で彼女にこう言った。
「これも男女の駆け引きですわ。例え突然予定を変えても、彼女の方が自分に合わせてくれる。簡単に許してくれると思わせてはいけません。可愛らしく装って殿下をより夢中にさせつつ、簡単には意のままにはならないぞ、という意志もお見せするのが良いのです」
正直なところ、婚約者を放りっぱなしの王太子への意趣返しも含んだちょっとした意地悪だが、恋愛の駆け引きには聡くないシャーロットは「そうなのね」と頷く。
そしてそのままをここで実行した訳だった。
「あ、あぁ。まぁ先に突然予定を変えたのは私だしな」
見るからに落胆する王太子。
そんな彼を少しだけ可愛いと思いつつ、シャーロットはもう一度彼の傍へより、そっと耳に唇を寄せた。
「お茶会はまた今度ゆっくりと。今度は公女シャーロットとして殿下のために目一杯可愛くしてお待ちしておりますわ」
それだけ言うと、ドアの方へと急ぎ足で向かう。
「それでは、お邪魔致しました。ごきげんよう」
と挨拶し、くるりと王太子に背を向ける彼女だが、そこへ
「シャーロット!」
という彼女を呼び止める声がしてシャーロットはドアの前で立ち止まった。
「シャーロットか公務、どちらが大事か、と言ったな。その二つなら迷いなくシャーロットを選ぶ。だがシャーロットを選ぶためには公務に励まなくてはならないのだ。この答えで許されるだろうか?」
王太子の言葉には答えず、もう一度振り向いてゆっくりと膝を折った彼女は今度こそドアを明けて執務室を後にする。
「もう! 許すしかないじゃないの」
王太子とドアを隔てた先で真っ赤になった顔に頬を当てたシャーロットがそう呟いたのを、廊下で彼女を待っていた侍女は見たのだった。
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