第30話 夏の終わり

夏の終わり

 そしてまた、八月が来た。

 株主総会の前に、重治は社長退任を主だった株主に表明し、さっさと会社を去った。後見人も高山弁護士に委託する形になった。重治が会社を去った時、真砂子の兄が経営する会社は倒産と言う名目でなくなっていた。これ以上のトラブルと追及を逃れる為の方便だったに違いない。

 琴美は、父の跡を継いで、社長の椅子に座った。これは便宜上のもので実質の社長じゃない。あの事件の後、琴美はすぐに編入の手続きをとり日本へ帰ってきた。今年から大学生だ。ゴルフの話はしなくなったし、特待生を辞退したようだ。

 高山さんは、松島産業顧問弁護士に返り咲いた。専務の田中さんは残念ながら亡くなっていたが、統括本部長の杉浦や各部門の責任者でリストラされた社員の、およそ三分の一が戻って来てくれそうだ。多くの人が、社長としての琴美を支えてくれている。

 小西老人は特別顧問の席を用意されたが、辞退した。時子さんと今までと変わらず、思い出の屋敷を守っている。

 宗次郎も相変わらず、大学と家の往復の日々を送っている。クロベエの朝の訪問は、ぴたりとやんだ。今は琴美の部屋の前で護衛をつとめている。

 宗次郎と琴美は、宗次郎の部屋の縁側に並んで座っている。

 暮れていく夏の空を見上げる琴美の顔が大人びて見える。

 なぜか嬉しくなる宗次郎である。

 そうだ、祖父さまが言っていたことで、ひとつだけ違うことがあった。

 誰も祖父さまと結希子さんのことを忘れはしなかったということだ。何故かは分からない。分からないが、宗次郎なりに考えてひとつの答えを導きだした。あの霧の中へはいったことでなにかが変わったのだと。だから毎日のように蔵之介と結希子の話をする。

「だから、完全にふたりの魂は砕け散らなかったと思うんだ」

「むこうで、お祖父様とお祖母様、会えたかもしれないよね」

「うん、きっと会えてるよ」

「わたしね、お祖母様の思いを少しでも形にしてあげたかったの」

「結希子さんの思いを?」

「そう。宗ちゃん先生のお祖父様が私のお祖母様を抱きしめたときのこと」

「ああ、あれか、あれね……僕の祖父さまのせいで、琴美ちゃんには申し湧かないことをした」

 宗次郎の顔が赤くなり、しどろもどろになる。

「琴美ちゃんには、とても耐えられないことだったろう。ほんとにごめん」

「ううん。……相手が宗ちゃん先生だったから、少しも嫌じゃなかったわ」

 琴美の顔も赤くなっている。

 互いの思いを確かめるには十分な沈黙が過ぎていった。

「あっ!」

 突然叫んで琴美が立ちあがった。

「田んぼ……?」

 いつのまにか庭が消え、宗次郎の前に田圃が広がっている。

 屋敷の庭が突然、広々とした田圃に変わったと言うことは……。

「これは……」

 宗次郎と琴美が顔を見合わせ、同じ風景を見ていることを確かめたとき、

「宗次郎」

「琴美」

 二人の中で同時に声が響いた。

「祖父ちゃん」

「お祖母さま」

 二人が同時に叫んだ。

 庭で蝉が鳴き始め、クロベエがとびきりの悪声で答えている。

 夏の夕暮れの風が、庭を吹き抜けていった。

 

                        了

 

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ミステリアスな君と僕 霜月朔 @bunchilas

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