第29話 互いの決断

互いの決断

「結希子さん。これは、私達が決断すべきことです」

 はい。わたくしもそう思っております。それも今しかありません。二人が元気ないましか……」

「そのとおりだ。ありがとう」

「こうやってもう一度あなたにお会い出来ただけでも幸せですのに、あなたの心をしっかりと知ることができました。もうなにも……」

 結希子のあとの言葉をさえぎるように、蔵之介がかぶりをふった。

「私もだ。あなたの心をたしかに受け取った。もうそれで余りある幸せだ」

 蔵之介と結希子は、互いを見つめあった。

 蔵之介と結希子が、宗次郎と琴美の中から消える。それがどんな意味をもつのか、ふたりは誰よりも知っている。

 蔵之介と結希子に向けて張られた結界を崩す唯一の方法。それは、蔵之介が蔵之介でなくなり、結希子が結希子でなくなることだ。ふたりの魂を形づくっている要素を砕け散らせることだ。宗次郎と琴美に影響を与えることなく蔵之介と結希子が二人の中から抜け出すにはこの方法しかなかった。

「砕け散る時の感覚とは、どんなものなのだろうね」

「怖いですか?」

 結希子が悪戯っぽく聞いた。

「いや、あなたと一緒だから怖くはない。……嘘をついた。ほんとは怖い」

「「わたしはあなたと一緒ですから怖くはありません。でも、砕け散ったら、誰の心にもわたしたちの記憶は残らないのですね。誰からも思い出されず、わたしたちがいたことさえ忘れ去られてしまう」

「ばらばらになった魂では、あっちへ戻ってもあなたを探すこともできない。淋しいことだ」

「そうすることであのふたりを守ることができるのですもの」

「私も心残りも悔いもない。さあ、このまま行こう結希子」

「はい、蔵之介さま」

 ふたりは寄り添い、互いの手をつないだ。

「祖父ちゃん!」

「お祖母様!」

 霧の重いよどみをぬけた宗次郎と琴美が叫んだ。 

「お祖母様が消えてしまうなんていや! お祖母様のことを思い出せないなんて……やめて。私はどうなってもいいから、いかないで……」

「祖父ちゃん、それでいいのか? こんな、幕切れで。こんな悲しい思いをさせるなよ」

「馬鹿者! この霧の中が、どれだけお前たちの生気を消耗するのか分かっているのか!さっさと戻れ。お前が琴美さんを守らないでどうする。情けない男だ」

 蔵之介の言葉は厳しく、激しい物だった。鋭い眼光の奥に、蔵之介の切なる願いがあった。

「祖父ちゃん……」

「わかったな。わたしたちは行かねばならない。……宗次郎、命を惜しむな」

「……はい」

「お前と過ごした時間は、私が生きたどんな瞬間より愉快だった」

「琴美、あなたと過ごした時間はとても幸せでした。あなたは、ずっとずっと私の宝ものですよ。それを忘れないで」

「お祖母様……ありがとう」

「わたしこそありがとう。……薮坂先生、琴美をお願いします」

 駆け寄ろうとする琴美の前で、蔵之介と結希子はきえた。

「いかないでっ!」

 一瞬にして霧ははれ、琴美の声が悲しく響いた。


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