第28話 死闘の後には更なる困難が待っている
死闘の後には更なる困難が待っている
琴美が意識を取り戻したのは、次の日の昼過ぎである。すぐに医者を呼び、琴美と修三を診察して貰った。
「宗次郎兄、俺の中に誰か取り憑いてたぞ。東京へ来てからの記憶はないけど、誰かが俺の中に居たのは確かだ」
「昨夜の事は覚えてるか?」
「いや、全く覚えてない。俺、お祓いして貰った方がいいよな」
「きっと大丈夫だ。この事は誰にも言わないからな。安心しろ」
「そうか、有り難う、宗次郎兄」
股間の腫れがひどく、修三は救急車で病院へ運ばれて行った。複雑な気持ちだ。北川が取り憑いていたとはいえ、傷を負うのは北川とはなんの関係もない弟の修三なのだ。とんでもない役目の片棒をかつがされたものだ。もう二度とこんな気持ちは味わいたくない。宗次郎は心から思った。
琴美の方は、打ち身だけですんだ。だが軽くはないので、念のためにサポーターでガードしている。
治療が済むと、琴美は時子さんを呼んだ。
「私が使っていた部屋の床の間にある、壺の中にはコネ細工の小箱があります。時子さん、持って来て頂戴」
結希子さんもどうやら、元に戻ったようだ。
「はい、奥様」
時子さんが飛び出して行った。
琴美が起き上がる。宗次郎が背中を支えた。
「蔵へ行きましょう」
「その躰で大丈夫か。無理をしちゃ駄目だ」
「大丈夫です。どうしても、お祖母さまが見せたいものがあるって言ってます」
立ち上がる琴美を、宗次郎はそっと抱え上げた。
あっと、声をあげた琴美だったが、素直に宗次郎に抱えられたままになった。
宗次郎、小西老人、時子さん、高山が見守る中、琴美の手で地下蔵の鍵が開けられた。
明かりを持った小西老人と高山が先に降り、次に時子さん。最後に琴美を抱えた宗次郎が地下に降り立った。宗次郎が琴美を下ろし、躰を支える。
「一番奥の、平たい木箱を開いてください」
指し示したのは、幅五十センチ、高さ八十センチ、厚さ五センチ程の木箱だ。
木箱が開かれ、布で包まれた中身を出す。布の下から現れたのは、一枚のカンバスだった。
カンバスに描かれているのは、着物姿の結希子と背広姿の蔵之介だった。二人は微笑みを浮かべ、寄り添って立っていた。明るい色調だったが、何処かもの悲しげな絵だった。
「奥様、この絵は、奥様が描かれたものですね」
時子さんが言った。
「ええ。蔵之介さまを待ちながら、決して会えないと判っていながら、自分を諭す為に、諦める為に、三年をかけて描いたものです」
琴美の頬を、一筋の涙が伝った。結希子さんの涙だ。
(祖父ちゃん、この絵何処かで見たことがあるぞ)
(そうだろうな、書斎に飾っていた私の肖像画は、結希子さんが描いてくれたのだ。あれは、私が出征する前の姿だ)
(そうか、祖父ちゃんの大切な絵だったんだ)
祖父さまは毎日、結希子さんが描いてくれた絵を眺め、結希子さんの事を思っていたのだろうな。宗次郎まで切なくなった。
「この絵が、誰にも渡したくなかった、私の宝物です。こうやって、もう一度見ることが出来るなんて、本当に幸せ。皆さん、ありがとう」
結希子が、静かに頭を下げた。カンバスに、涙がひとしずく落ちて流れた。
三日後には、琴美の打ち身も薄れ、一人で歩けるようになり、皆胸を撫で下ろした。宗次郎の警棒を受け止めた傷も、どうにか腫れが引いてきた。
「祖父ちゃん、あの世の仕事が終わったんだ。祖父ちゃんも、琴美さんのお祖母さまも、あの世に還るんだろう。ちょっと寂しい気がするけど」
朝一番の熱いお茶を飲みながら、宗次郎が言った。
珍しいことに、すぐに返事は返ってこなかった。蔵之介と宗次郎のあいだに思い沈黙が広がる。返事をうながそうとした宗次郎に、やっと蔵之介が答えた。
「宗次郎。それが、そう上手くいかないようだ」
祖父にしては、深刻な顔をしている。
「どうしたんだよ、祖父ちゃん」
椅子から躰を起こして聞くぐらい、深刻な顔つきである。
「私も、結希子さんも、動けないのだ」
「動けないって、どう言うことですか?」
「五日前、北川の姉が張った結界で、私達はお前達の中に封印された。それが、解けない。三日間、色々と試してみた。だが、出られないのだ」
「出られないって、ずっと祖父ちゃんが僕の中に居座るってことですか?」
「それだけなら良いのだが……」
蔵之介が言い淀む。
「私達がこうやって、あなた達の中に居て喋ったり出来るのは、宗次郎さんや琴美の生気をエネルギーにしているからです。十日や二十日なら何の支障もありませんが、それ以上長引くと、二人の命を吸い取ることになってしまいます」
「命を吸い取ると言うことは……」
「お前達が死に至る」
蔵之介が苦しげに言葉を押し出した。
「し、死ぬんですか……」
死ぬのか。宗次郎は現実味を帯びない死をぼんやりと思い浮かべた。今の今まで、自分の生気で祖父さまが自分の中で喋ったり、姿が見えたりしていたなんて、とても考えられないし、生気を吸い取られる感覚も全くなかった。
「お祖母さまや、蔵之介さまはどうなるの?」
琴美が宗次郎を見る。
「心配はいらぬ。ちゃんと方法はある」
蔵之介が答えた。
「よかった……」
琴美が大きく安堵の息をはいた。
「そのことで結希子さんと話さなければならない。そのあいだ、おまえたちとの接触を遮断する」
「なにか不都合なことがあるんですか?」
「当たり前だ。あの世のことや規則なども出てくる話だ。お前たちがそれを聞けば……」
「即死ですか」
なんだか祖父さまの言い方がうさんくさいぞ。
「お祖母様、ほんとに大丈夫なの?」
琴美もなにか感じ取っているようだ。不安げな目をしている。
「大丈夫よ。わたしたちは、あなた達の躰を借りなければ話すことも出来ない存在なの。必ず解決するからもう少し待っててちょうだい」
結希子さんが微笑み、祖父さまが頷いた。
同時に、結希子さんと祖父さまは深い霧に包まれ姿を消した。
「消えた……」
ぽつんと取り残され、宗次郎と琴美は言葉もなく立ちつくした。いや、かすかだが霧のむこうにふたりの意識を感じる。
「二人で何をはなしているんでしょ。怖い、すごく怖い。なにか恐ろしいことがおきるようでじっとしていられない」
「僕も同じだ。このまま黙ってあの二人に任せたきりでいいんだろうか」
いや、駄目だ。しだいに不安と疑念がふくらんでくる。
「僕らも行こう」
宗次郎と琴美は顔を見合わせ、大きくうなずきあった。
しぜんと手をとりあい、宗次郎と琴美は霧にむかって歩き出していた。
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