第27話 死闘
死闘
結希子は稽古用の薙刀を握り、蔵之介は宗次郎が稽古に使っていた棍棒を手に取った。
男達は全て伸縮警棒を手にしている。
真砂子は庭の奥に下がって、離れた場所に立った。
「少尉、殺してもいいんですね」
大野が歯を剥いた。大野が一歩前に出て、重治と三人の男に合図した。五人が半円に広がり、蔵之介と結希子を囲んだ。
(どうやら、大野が副官のようですね、祖父ちゃん)
(うむ。北川は私が打ち倒す)
(蔵之介さま。北川は凶暴な男だったのですね。許せません)
結希子が薙刀を構え、足場を固めた。
(結希子さんは、私の後ろを守ってくれ)
「いくぞっ」
蔵之介の躰が動いた。
正面に飛ぶと見せた蔵之介が、右足を軸にしてくるりと周り、右端の重治の警棒を撥ね、首根と腹に棍棒を打ち込む。
ううむと呻きを漏らし、重治が倒れた。
一人が結希子を押さえ、残りの三人が蔵之介へ襲いかかった。
北川が、結希子の方へゆっくりと歩いて行く。
「結希子。お前を嬲りものにしてやる」
北川が唇を舐めた。
左へ回った男が地を蹴り、上段から警棒を振り下ろす。一歩大きく下がった結希子が、薙刀で受け止め、巻き込むようにして警棒を撥ね上げ、男の胴へ薙刀を打ち込む。その隙を待っていたように、北川の警棒が結希子の脇腹を打った。
地面を転がって衝撃を逃がした結希子だったが、薙刀で躰を支え、脇腹を押さえた。
「止めろ、修三!」
叫んだのは宗次郎である。
「修三? 誰だそれは。俺は北川義明だ」
転瞬、北川は結希子へ連続の攻撃を仕掛けた。
ギリギリのところで、結希子の薙刀が北川の攻撃を受けている。
目を離した蔵之介めがけ、左から横薙ぎの警棒が襲った。身を沈めた蔵之介の棍棒が、男の鳩尾へ突き込まれた。
倒れ込む男をつきのけるようにして、次の男の警棒が、下から風を切って襲った。蔵之介はむしろ一歩踏み込むようにして、相手の警棒を上から押さえる。左手で警棒を掴んだ蔵之介の棍棒の柄頭が、滑るように男のこめかみを打った。頭を押さえる男の首に、棍棒が打ち込まれる。
結希子に駆け寄ろうとする蔵之介の前に、大野が立ち塞がる。大野の左手から警棒が伸びた。両手の警棒をじわりとあげながら大野が笑う。
「少尉の邪魔はさせませんよ」
蔵之介の目に、結希子の不思議な構えが映った。頭の上に、真横に薙刀を横たえた、見たことのない構えだった。しかも、右手は掌に薙刀を乗せたような持ち方をしている。
大野の警棒が唸りを上げて左右から襲った。大野の右をすり抜けながら、蔵之介が棍棒を揮ったが、大野は弾き返し前に飛んで躱(かわ)した。
(琴美が危ない)
(判っている)
蔵之介が答え、はっきりと突きの構えになった。
大野が驚いたように目を丸くしたが、口許には嘲笑が浮かんでいる。突きは捨て身の攻撃である。届けば必殺となるが、かわされたなら、伸びきった躰は無防備のまま相手の前に晒されることになる。大野は、それを笑ったのである。相当な自信があるらしい。
蔵之介が、じりっと間合いを詰める。大野は右の警棒を肩に担ぐように構え、左の警棒を躰の前に横にして蔵之介を待つ。
蔵之介と大野の距離は三メートル。蔵之介が地を蹴り大野真正面に飛び込んだ。大野の二本の警棒が打ち込まれる。ひとつは上から、ひとつは右から左へ。
「ぐぎゃっ」
声をあげたのは大野だった。
大野の警棒は空を切っただけだった。
蔵之介の突きは、大野の胸元へ食い込んでいる。
大野が信じられない顔で蔵之介を見た。
蔵之介の棍棒を持つ手が、左手だけになっている。突きを入れる瞬間、蔵之介の右手は棍棒から離れ、左肩と左腕が通常の突きより三十センチ以上伸びたのだ。大野が空を仰ぎながら倒れた。
北川の気合い声に、蔵之介がはっと結希子を見る。
北川の警棒が真上から打ち込まれる瞬間だった。
結希子は左足を後ろへ円を描くように回し、逆手に持ち替えた右手を支点に、北川の首へ薙刀をしならせた。かろうじてかわした北川が、下から斬りあげる警棒を追うように、跳ね上がった薙刀の柄が北川の手首を打った。
修三に乗り移った北川義明の伸縮警棒が、甲高い金属音をたて、宙に舞った。
ひゅっと空を切る音とともに、琴美の薙刀が旋回し、北川の肩と右腕を襲った。
北川は目を剥き、朽ち木のように真っ直ぐに地面に倒れ込んだ。
「お見事」
蔵之介が叫ぶ。
結希子が脇腹を押さえた。
宗次郎は駆け寄って琴美の躰を支えた。
琴美は長刀を地面に突き、警棒で撃たれた脇腹を押さえている。
「うっ……」
何とも言えない、吐き気をともなった脱力感が宗次郎を襲った。
と、宗次郎の内にあった祖父の意識が縮んでいく。
「祖父ちゃん」
宗次郎が思わず叫んだ。
祖父の姿が霞んでいく。祖父の意識が乱れ、そして、祖父の存在は完全に収縮し消えた。
琴美の方を見ると、琴美も茫然として宗次郎を見ている。
「お祖母さまが消えた」
手にした薙刀を、今は持て余している。
「あの女だ」
北川と戦っている間、社長夫人真砂子のことを忘れていた。
戦闘に参加せず、離れたところにいたせいもあるが、特別何か出来るとは思ってもいなかったのだ。
北川がゆっくりと立ち上がるのが見えた。
「お遊びはこれまで」
感情のない、乾いた声だった。
北川、意識を失っていなかったのか。
北川は右腕を押さえ、何度か振って、琴美に打たれた腕の具合を確かめると、にやりと頬を歪めた。
(この肝心な時に、祖父さんどこに消えたんだ。唯の生身に戻ったら、勝ち目なんかないじゃないか)
月明かりに、真砂子が笑っているのが見えた。髪の毛が逆立っているぞ。あの女、陰陽師か。
北川は伸縮警棒を拾い上げ、上段に構えた。左の拳が、額にぴたりと当てられている。示現流か? 宗次郎は乏しい知識の中で思った。
示現流は、薩摩のお家芸である。日露戦争の時の、大日本帝国海軍総司令官は東郷平八郎。彼も薩摩出身。西郷隆盛の弟・西郷従道は海軍大臣だった気がする。とすれば、北川が薩摩出身だったとしてもおかしくない。
琴美はもう戦えない。宗次郎は目の端に見えた薙刀を拾うと、琴美を庇って前に立ち薙刀を構えた。途端に北川が伸び上がるように、真っ直ぐに宗次郎の頭を狙って振り下ろされた。
金属音と同時に、薙刀が折れる鈍い音が響き、宗次郎の額に警棒が打ち当てられた。目の前が眩み、宗次郎がふらふらと下がる。左目が真っ赤になった。流れ落ちる血が、目に入ったのだ。
北川が再び左拳を額に当てるのが見えた。
「うおっ!」
宗次郎は叫び、折れた薙刀を北川へ投げつけざま、地面を蹴って北川へ突進した。
ぐぼおうんと、クロベエの悪声が木霊した。
全速力で疾駆したクロベエが、全ての力と体重をかけて、北川へ飛びかかった。北川がバランスを崩しながらも、宗次郎へ振り下ろした警棒は、宗次郎の背中を激しく打った。
だが、宗次郎は下がらなかった。北川が仰向けに倒れる。北川がクロベエをはねのけ、転がるように立ち上がった。右側に北川の股間が見えた。
「すまん」
小さく呟き、宗次郎は思いきり修三に取り憑いた北川の股間を蹴り上げた。
「ぐぇっ」
潰された蛙のような声をあげ、修三が躰を丸め前のめりに倒れた。
吐き気が強くなり、躰の力が脱けていく。その時、琴美が渾身の力をふりしぼって立ち上がった。
「宗次郎さん、その石を私に」
琴美が、庭に転がる石を指さす。
言われるままに、宗次郎は石を拾い琴美に手渡した。
「ありがとう」
琴美は、真っ二つに折れた薙刀の刃先の方を拾いあげ、石を足許に落とすとスタンスをとって構えた。
あっ、宗次郎は声をあげた。ゴルフのスタンスである。
琴美はゆっくりと薙刀を振り上げ、振り抜いた。
無駄のない、美しい動きと姿だった。
スイングの音と、空を切って飛ぶ石の風切り音が重なった。
「きいぇっ!」
ジャングルの奥で鳴く鳥のような悲鳴が響いた。
見事に、石は真砂子に命中したのだ。真砂子が真っ直ぐに後ろに倒れるのが見えた。
琴美の手から薙刀が落ち、ふらっと琴美の躰が揺れた。
「琴美っ!」
駆け寄って、琴美の躰を受け止めた宗次郎だったが、さっき打たれた背中に激痛が走った。宗次郎は琴美の躰を抱きしめたまま、しばらく息を詰め、痛みをこらえた。琴美は意識を失っている。
宗次郎の顔は、左半面血に染まっている。宗次郎は頭を振り、遠のく意識を引っ張り戻した、琴美を抱え上げた。アドレナリンが切れてきたのか、警棒を受け止めた両腕までが、軋むように痛み始めている。
「終わったぞ、琴美」
離れの縁側まで運ぶのがやっとだった。
クロベエが、琴美の側にじっと座って顔を覗き込んでいる。
「見張ってろ、クロベエ」
次第に、祖父さまの意識が戻ってくる。けれど、祖父さまは、半分眠っているような状態だ。何も喋らないし、意識は乱れたままだ。
琴美が小さく呻いた。
琴美が、うっすらと目を開き、宗次郎を見ている。
「大丈夫か。終わったよ。そのまま、じっとしてるんだ」
琴美が幽かに頷き、囁いた。
「ありがとう」
琴美は微笑もうとしたのだろうか、口許がほころんだ。
「思い出しました。あなたが下さった、箱根細工の小箱。地下蔵の鍵……」
琴美は途切れ途切れに言うと、意識を失った。
「起きてるのは俺だけか」
宗次郎は這うようにして応接室へ戻った。
小西夫妻と高山は、まだ気を失っている。
「小西さん、高山さん、起きて下さい。起きて」
宗次郎は、二人の頬を叩き躰を揺さぶった。
おおっ。喉の奥で唸り、小西老人がかっと目を開いた。宗次郎の胸ぐらをいきなり掴む。
「僕です。宗次郎です」
小西老人の手を押さえて、宗次郎が出来るだけ穏やかに言う。
「宗ちゃんか。うえっ、その顔はどうしたんだい。血で真っ赤だぞ」
小西老人が目を見開いて、腰を浮かした。
「終わりました。琴美さんが怪我を負って、意識がないんです。手伝って下さい」
宗次郎は小西老人を立ち上がらせた。
高山が唸り、ぼんやりした目で、宗次郎を見ている。続いて時子さんも、ひっと声をあげ意識を取り戻した。
騒ぎ立てる三人を何とかなだめ、離れの縁側に寝かせたままの琴美の所まで引っ張っていった。まだ琴美は意識を失っている。
「琴美ちゃんっ!」
駆け寄った時子さんが、琴美を抱き起こす。
「気を失っているだけです。脇腹を痛めているかも知れません。小西さんと高山さんで琴美を部屋へ運んで、すぐに戻ってきて下さい。時子さんは琴美の手当をお願いします」
宗次郎の指示で、三人が動き出した。
すぐに小西老人と高山が戻ってきた。
「庭のあちこちに、連中が気を失って倒れている筈です。一カ所に集めましょう」
宗次郎はまず、一番遠い、真砂子が居る場所へ二人を連れて行った。真砂子を修三の横に並べ、次に重治と大野。残りは、小西老人と高山に任せ、宗次郎は庭の水道で顔の血を洗い流した。頭頂部ではなく、額に受けた傷だから、出血は多いが深くはない。でかい瘤になるだろうな。宗次郎は苦笑いした。
「どうする、宗ちゃん。警察に連絡した方がいいな」
「いや、警察は入れない方が良いと思います」
「どうして?」
「北川が取り憑いていたのは、僕の弟の修三です。それに、気がついたら、誰もこの事を覚えていないでしょう。どちらにしても、もう連中が戻ってくることはありません。下手をすると、逆に僕らが疑われる恐れがあります。こんなきてれつな話、誰も信じませんよ」
「宗次郎さん、じゃどうするつもりなんだい」
高山が憎らしげに重治と真砂子を見下ろす。
「決着は、やはり株主総会でつけましょう。高山さん、お願いします」
「判った。そう言うことなら、徹底して糾弾してやる」
高山は乱暴に重治を引き起こすと、頭を揺さぶって無理矢理目を覚まさせた。
「社長、株主総会稟議書にサインして貰いますよ」
耳元で囁いた。
書類に署名させた後は、重治達を車に押し込みとっとと帰らせた。
修三は離れの宗次郎の部屋に寝かせた。終わったのは夜の十一時過ぎだった。
だが、まだ終わった気がしないのは、誰も同じだった。
守るべき人だけは守った。宗次郎は増していく痛みの中でそれだけは確信していた。
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