第26話 戦いは突然に
戦いは突然に
重治、真砂子、大野弁護士の三人は、約束の時間を少し遅れて、夕方の五時過ぎにやって来た。三人は応接室のソファにむっつりと座った。
こちらは、琴美、高山弁護士、小西夫妻、そして宗次郎だ。
重治は高山の顔を見ると、不機嫌な顔になった。
(宗次郎、三人とも取り憑かれているぞ。気をつけろ)
のっけから、祖父さまが注意を促した。
(ええ、前回の時と目つきが違います。でも、肝心の北川がいませんね)
(うむ、今日は出て来ないかも知れない。だが、油断は出来ない。覚悟はしているだろうな)
(はい)
この前のようにはいかないぞ。宗次郎は落ち着き払っている。高山もいるし、宗次郎には蔵之介が、琴美には結希子さんが入っている。結希子さんと高山がいれば、そう簡単に事は運ばない筈だ。
「署名して頂きましたか?」
大野が口火を切った。慇懃で冷たい笑いが浮かんでいる。
重治と真砂子も、今日はふてぶてしい顔つきだ。重治には北川の部下、真砂子には北川の姉が取り憑いている。宗次郎は推測した。
琴美の中にいる結希子さんが、テーブルに書類を置く。
「緊急株主総会を動議します」
書類を指で押さえ、びしりと言った。
(最初から核心に迫るのか!)
大野弁護士の頬が、びくりと動いた。一瞬動揺の色が浮かぶ。
「それは、何か重大事項があっての事でしょうね。緊急株主総会など、余程のことが……」
「まず、此処の土地屋敷の登記変更時期が、私の、いえ、祖母が亡くなった直後に行われたこと。先日のお話と食い違いますね。それから、有望な部門の閉鎖とリストラ。会社に損失を与える可能性が高い、土地やビルの購入」
「いや、それは、将来を見据えての会社の方針ですから」
「聞きなさい。ベトナム工場進出失敗と損失を隠す為の粉飾決算の疑惑。これら全てを、緊急株主総会で計ります」
「それは、些か乱暴な題議ですね。会社の方針を根底から覆すことになります。そうなると、会社そのものの存続が問われることになりますが、宜しいのでしょうか?」
「では、会社売却の下準備は、会社存続に何ら問題はないとおっしゃるのですね」
結希子さんが、びしびしと決めつけていく。
今度ははっきりと、大野の顔に動揺と驚きが広がった。
ふてぶてしかった、重治と真砂子にも動揺がはしる。顔が青ざめているではないか。そうだろうな。琴美の中に、かつての社長だった結希子さんの姿を見ているのだろうから。結希子さんを彷彿とさせる、毅然とした姿と、核心をつく話し方は、重治と真砂子に、相当な衝撃を与えている筈だ。
「まずは、緊急株主総会開催についての同意書に署名なさい。話はそれから、ゆっくりと進めることにしましょう」
結希子さんが、高山弁護士へ軽く頷く。
高山が、資料の束をテーブルの上に置いた。
「これが、現在までに調査した資料です。重要項目だけは、株主総会で資料として配付する予定です」
「どうでしょう、株主総会などと穏やかならざる手段を講じるより、この土地と屋敷の登記を元に戻し、そこから……」
言い募る大野に被せるように、高山が決めつける。
「登記変更は、当然の事でしょうな。それが済んだら、株主総会でお会いしましょう。株主の皆さんがどう判断するかですよ。陪審が何を信じるかでしょうね」
「ねえ、琴美ちゃん。私は君の後見人なんだよ。私が後見人としてどんな判断を下すかも、考えておかなきゃ。そうだろう?」
重治がニヤニヤしてふんぞり返る。
「その件に関しても、土地や会社の事を含め、後見人として不適格であると言う申し立てをします。社長、お忘れなく。そうでした、社長退任の決議も行おうと思っています」
「何ですって! あんた達、私に逆らうつもり? 痛い目を見るわよ。判ってるでしょうね」
真砂子がいきり立って、ヒステリックな声をあげた。
「そうですか。石田コーポレーションによる、経営介入も問題にすべきでしょうか? 松島産業の社員でない人間が、ある部署で采配を揮っていると言う証拠もあります。松島産業と石田コーポレーションでの土地売買、ビル売買については、間に妙な会社が入っていますね。こちらの会社についても、現在調査中ですのでお待ちください。真砂子さんのお兄様が、代表取締役だとお聞きしました」
高山は口を閉じ、相手の反応を待った。
真砂子の目が引きつり、躰がわなわなと震えている。
大野は、上目遣いに高山を睨みあげ、重治はおろおろと真砂子と大野を見ているだけだった。
廊下に無遠慮な複数の靴音が響き、応接室のドアが開くと同時に、ダークスーツに身を包んだ三人の男が入って来た。
最後に入って来た四人目の男が部屋を見渡し、
「茶番はそれくらいでいいだろう」
ぬめりとした声で言った。北川に取り憑かれた修三の姿は、以前より不気味だった。
「北川!」
蔵之介が立ち上がる。
「土足で人の家に踏み込むとは何事ですか!」
結希子も憤然として立ち上がった。
「失礼致しました、藪坂大尉。北川義昭、お約束を果たしに参りました」
直立不動で敬礼した北川は、ゆっくりと手を下ろしながら、喉の奥で、くっくっくっ、と笑った。笑い声は大きくなり、やがて狂ったような哄(こう)笑(しよう)に変わった。姿は修三である。福岡での再現だった。
「結希子、やっと会えたな。お前を待っていたんだ」
細めた目が、氷のように冷たく光る。
ポケットから取り出した物を、指で弾いてテーブルの上に放った。
宗次郎が素早く取り上げた。見覚えがある。これは、
「露西亜の金貨じゃないか」
福岡の書斎で祖父さまが宗次郎にくれた金貨と同じものだ。
「それは、お前が俺から奪ったもののひとつだ」
「私が? 確かに同じものを一枚持っているが、護衛して送り届けた家族が記念に……」
「黙れ藪坂! 貴様が運んだ露西亜の財宝は何処へ隠した!」
「私が護衛したのは人間だ。財宝ではない。露西亜からの亡命者だった」
「ふざけるなっ! 俺は特命を受けて確かに、二十以上の木箱を貴様の部隊に引き渡したのだ。戦争後、幾ら調べても軍にその記録はなく、調査したことで軍法会議にかけられ軍を追放された。隠匿したのは貴様しかない。お前が戦争が起こる前に、密かに露西亜に行ったことは判っているのだ」
蔵之介の顔に笑いが広がった。
「北川、君は軍事力だけで、露西亜との戦争に勝ったと思っていないだろうな?」
「なに?」
「あの当時、露西亜は内紛状態だった。二月革命と呼ばれるものだ。日本軍は密かに反政府勢力と通じ、資金と政治的援助を行っていた。と同時に、政権の内部からも切り崩しを行っていた。複雑な政治情勢があったからこそ、露西亜は我が国との戦争を長期化出来なかったのだ。君が運んだのは、内部切り崩しで政権を裏切り、機密情報を日本に渡した露西亜貴族の財産だった。私が護衛したのはその貴族の家族だ」
「だからこそ、貴様が財宝を奪う事が出来たのだ」
「残念だったな。家族と財産は一度日本に渡り、マカオ、アフリカ経由で欧州のある国へ無事亡命した。君が探している露西亜の財宝など、最初から存在しなかったと同じなのだ。無駄な努力をしたな」
だあん、とテーブルに足を乗せた北川が、右腕を振り上げ振り下ろした。北川の手から黒い伸縮警棒が伸び出す。
止める間もなく、北川の躰が反転し、高山、小西老人、時子さんを打ち据えた。
「気が狂ったか、北川」
三人が、倒れ伏す。刃物ではないから、気絶しただけだろう。
「そして貴様は、結希子まで奪った」
北川が警棒を蔵之介に突きつける。
蔵之介がさっと、結希子を庇った。宗次郎の意識も蔵之介と同じに動き、琴美を庇っている。
「そうか、君も結希子さんが居た武道場に通っていたな。そこで結希子さんに懸想したのか。迷惑な話だ」
「貴様が、全て俺の邪魔をしたのだ」
「私ははっきりとお断りしました。それを執拗に追い回したのはあなたです」
結希子が北川を睨みつける。
「北川、お前のように女性をつけ回す輩を、今はストーカーと言うそうだ。いや、勘違いとは怖ろしいものだな。お前は自分の都合で何もかも勘違いして生きたのか。ちなみにそういう輩をサイコパスと言う。何故、結希子さんの幸せを願わなかった?」
蔵之介の顔に皮肉な笑いが浮かんだが、油断なく北川を見据えたままだ。
突如、北川の警棒が琴美を襲った。宗次郎が無意識に動き、腕をクロスさせ、警棒を受け止めた。
「蔵之介さまっ」
叫んだのは結希子なのか、琴美なのか。
(よくやった、宗次郎)
(この気狂い、どうにかならないんですか)
蔵之介が警棒を撥ねのける。
「庭に出ろ北川。部下やお前の姉も一緒に相手になってやる。お前の狙いは、私の筈だ」
「いいだろう。貴様を叩き殺してやろう。その後で、結希子の会社の全てを戴くことにする。好きな武器を取れ。素手では殺し甲斐がない」
北川が男達に顎をしゃくった。
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