無情の道化師

 草原にある小さな村。その広場に、一人の道化師がいた。


 器用に幾つもの紅白玉を持ち替え、時々落としてしまう。屈んで拾っては、また繰り返し。足元に置かれた空箱が、乾いた風に吹かれて倒れ、転がる。


 ずっと無表情な男は、化粧のせいか悲しげに見えた。淡々とその作業を繰り返す姿は、壊れた玩具とそう変わらなかった。


 転がった空箱を拾って、差し出しながら前髪の長い少女が尋ねる。


「おじさん、一人ぼっち?」と。


 男は手を顎に当てて首を傾げた。少女も同じように首を傾げる。やれやれといった様子で男は答えた。


「さぁさっぱりだ。もしかすると一人ぼっちかもしれないし、実は一人ぼっちじゃないかもしれない。こうして芸をしているのだから、誰かに認められたいのかもしれない。でもあまり他人に興味が無い」と、戯った。


 少女は目を閉じて、今の言葉の意味を理解しようとしたらしかった。しかしすぐに諦め、にこりと笑って男の傍に座る。


「私がこうしていれば、寂しくないでしょ?」


 そう言って、置いてあった予備の紅白玉を手に取り、高く放り投げた。風に煽られ大きく逸れた玉を追いかけて、ふらりふらりと右左。そして落ちてきた玉に額を打たれていた。


「それが爆弾なら、君は今頃肉塊だな」


 脅かすように嘲た男を、少女は睨んだ。


「戦争なんて、バカみたい」


 その瞳には、明らかな拒絶が灯っていた。男は察して、話を終わらせた。


「それは同感だ」とだけ呟いて。


 それから男は、何事も無かったかのように芸を始めた。先程と何も変わらず、ただ無表情なままで。


 暫くすると、日が暮れ始めた。遠くから途切れ途切れのパンザマストが聞こえる。随分と暇そうな少女に、男は言った。


「そろそろ帰らないのか?」


 少女は自嘲的に笑った。


「帰る家も、待ってる家族も、みんななくなっちゃった」と。


 少女の身に何が起こったのか推測するのは、決して難しくなかった。


 戦争が蔓延る現代において、易々と生き残れる人間はそう居ない。どれだけの力を持っていたとしても、食糧が尽きれば餓死し、水が涸れれば渇死する。戦争の影響でその両方が絶たれたこの街は、もはや扉の無い鳥籠だった。


「おじさんこそ、帰らないの?」


 純粋な眼差しの少女は言う。男は溜息を漏らす。


「そろそろ帰るさ。帰ったとて、何も無いが」


 男は鞄に道具を詰め、少女に鉄貨を幾つか渡し、何も言わずに広場を去った。


 鉄貨を押し付けられた少女は目を見開き、喜色に満ちた笑みで、男の後を追った。


 男が家として使っている建物には、昨日にも増して腐臭が漂っている。元は民家だったその家には、住民だった二、三の骸が放置されていた。電気が通っておらず、壁に掛けられた燭台はその主を溶かし終えて役に立たない。


 次第に深い闇が辺りを飲み込み始めたが、男に気にする様子は無い。


 慣れた手つきで施錠を解き、元は子供が暮らしていたと思われる部屋を開く。腐臭に混じって、気にならなかった火薬の匂いが鼻を突く。


 男は爆弾を作り、売ることで生計を立てていた。王国軍に供給した爆弾は数知れず。王国軍が優勢に戦えているのは、凡そ男のおかげだった。


 男はいつも、陽が昇る頃に広場に立ち、陽が沈む頃にその部屋で殺傷兵器に火薬を込めている。


 男はその匂いで顔を顰めた。そして嘆く。


「我が子が人を殺める現実から目を逸らす事しか出来ない。どうしてこんなにも情けないのだろうなぁ」と。



 男は弱い自分が嫌いだった。だから無情を象って道化師になった。その身に秘める後悔から逃げる為に。


 ふと、男は姿鏡の中の自分以外の存在に気が付いた。醜悪そのものである自分自身と、憎悪に焼ききれてしまいそうな、昼間の少女。慌てて振り返ると、純粋な眼差しの少女が佇んでいた。


「おじさん。ごめんね」



 そう言って火薬の山に近付き、鉄貨を勢いよく擦った。刹那、爆弾の山が熱を持つ。


 吹き飛ぶ身体はゆったりと弧を描いた。その最中男は、四肢に火傷を負った少女の顔を見て悟った。


「あぁ、この子を苦しめたのは、他の誰でもない自分なのだ」と。


 少女は爛れる皮膚を気に留めず、しかし苦しそうに言った。


「任務……遂行にせ……成功……し……た……」と。


 男は遠のく意識の中、少女が呟いた言葉がどういう意味なのかを考えた。しかしその簡単な答えすら、男には分からなかった。

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終焉の後で 鈴響聖夜 @seiya-writer

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