終焉の後で

鈴響聖夜

悲劇の機械兵

 灰塵に埋もれ、色を失った街。


 崩落した家屋から鼠が顔を覗かせた。やがて寝惚けた様な足取りで、傍に転がる猫の骸に喰い付いた。まだ息があったらしい猫は一度小さく鳴いて、まもなく息を絶った。


 その一部始終をただ眺めていた女がいた。女は呟いた。


「臆病な弱者は、それだけで強いな」と。


 女は山状に積み上がった人間の亡骸から腰を上げ、その軋む脚を一歩踏み込んだ。


 直後、女の身体が宙を舞った。踏み込んだはずの地面は抉れ、重なり合っていた亡骸は無惨なほどに四散してしまっていた。一方、舞い上がった女の四肢は黒く輝き、それが義肢であることを露見させた。


 この街に誰もいない理由。その一つが、至る所に残された地雷だ。数年前に終結した、帝国と王国の大大大戦争の名残。


 女はその戦争でとても多くを失い、たった一つの勝利を得た。それは良かったのか、悪かったのか、女には判断がつかなかった。


 帝国に造られたその身体はただの殺戮兵器でしかなく、その手は血濡れて錆び付き、その脚は歪に欠けていた。


 背中から地面に落ちた女は苦しげに呻いた。普通であれば即死の爆発も、鋼鉄の四肢の前では、ほとんど意味を成さなかった。


 随分と長い間、女は天を仰いでいた。気付けば、鼠の群れが女を囲んでいた。その中で一番大きなボス鼠が、自慢の血濡れた前歯で女の腕に噛み付いた。しかし甲高い音が響いて、いとも簡単に前歯は折れてしまった。それを見て鼠の群れは散り散りに逃げていった。


 ゆっくりと体を起こした女は、目的も分からないまま歩き出した。その姿はまるで、死場を探す兵士のようだった。


 大通りに出ると、燃えて骨組みだけになった車が散乱していた。ふと視線を感じて上を見上げると、窓から伸びる白い棒の上で、烏が一声鳴いた。


 もう少し歩くと、大きな公園に出た。この街は見渡す限り荒廃しているが、そこは特に生々しい傷跡を感じさせた。滑り台は煤け、所々溶けている。砂場にはサーベルが刺さり、その下では翼を象った紋章のついた鎧が横たわっていた。


 女は罅の入った石椅子に腰を下ろし、呟いた。


「誰かの正義が誰かを傷つけ、誰かの不義が誰かを救ったのだろうか」と。


 例えば、王はその権力を存分に振るい、最期は信頼の置けた秘書による裏切りで死んだ。


 例えば、帝はその実力を存分に振るい、最期は王国の最新型兵器に踏み潰されて死んだ。


 女はどうであったか。帝国に改造された後に国を逃げ出し、王国兵に捕らえられ、戦場に投げ込まれた。そこで薬弾を受け、微かに残っていた自我が崩壊した。気付けば仕えていた王の胸を刺し、かつての支配者であった帝の喉を踏み潰していた。女にとって誰もが敵であり、誰にとっても女は敵であった。ずっと昔から感じていた孤独は、今も女の身体を蝕んでいる。


 大きな溜息とともに、女は立ち上がった。雨が降りそうな空を見上げて、雲の向こうに隠れているはずの太陽に手を伸ばす。荒廃した風景と相まって、昔に呼ばれた「悲劇の機械兵」という名が似合う姿だった。


 少しして、雨が降り始めた。女は濡れる事に構わず、大通りに沿って歩いていた。


 栄華を象徴した英雄の像は、人知れずその身体を濡らしていた。


 家屋に隠れた野良犬は、身内同士で唸りあっていた。


 同じような景色に嫌気が差してきた頃、小さな教会に辿り着いた。女はもちろん、神への信仰など微塵も興味を持っていなかった。しかしその脚は、誘われるかのようにそこへ踏み出していた。


 女は笑った。自分にもまだ人間らしい心があったのだと知った事に対しての、安堵の笑みだった。


 普段使えない表情をしたからか、長年の疲れが限界に達したのか、女は祭壇で倒れ込んだ。天井を見上げれば、神域と呼ばれた螺旋状の建造物が描かれていた。


「もう、流石に疲れた」


 そうとだけ言って、女は目を瞑った。そしてそのボロボロに傷付いた身体が再び動くことは、いよいよ無かった。

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