助手席の礼儀作法

ばーとる

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 握りこぶしを作って、親指を立てる。これは世界共通のヒッチハイクのサインだ。


 思い立ったが吉日。大学の夏休みはせっかく2カ月もあるのだから、一生に一度の思い出を作りたい。そんな訳で、俺は東京から鹿児島までヒッチハイクで旅をしている。


 浜松は思ったよりも都会だった。駅前には巨大な円形のバスターミナルがあって、空にはロケットのような高層ビルが聳え建つ。自動車の音と蝉の声の中に、街ゆく人々の会話が断片的に混ざっている。


 早いところ車に乗せてもらって涼みたい。


 そんなことを思い、俺はヒッチハイクのサインを作った。朝8時だというのに、もう汗が出ている。こんなところに何時間もいたら干からびてしまう。僕のことを少しでも西に連れて行ってくれる優しい人を待つ。ペットボトルの麦茶を飲む。そしてまた、サインを作る。


 過ぎ行く車両の波を眺めると、ここは東京ではないということを実感する。自家用車のほとんどが浜松ナンバーだし、走っているバスはグレーの車体に緑のラインが入ったもの。これらは東京では見ることがない。同じ日本なのに、なんだか新鮮な感覚がする。近くの高架橋を、2両編成の赤い電車が通る。東京ではありえない短さだ。


 麦茶が半分になった頃、黒い軽ワゴンが俺の前で止まった。助手席の窓が開く。中に乗っていたのは、長い金髪を後ろでポニーテールにしたお姉さんだった。耳にはピアスがいくつか見える。ヤンキーっぽい人なのだろうか?


「お兄さん、どこまで行くの?」


「鹿児島です」


「途中まで乗せてってあげるわ」


 ついに涼しい車内に入ることができる。俺は心の中でガッツポーズをした。


「よろしくお願いします」


 助手席に乗ると、なんだか甘い匂いに包まれる。芳香剤かと思ったが、すぐに違うと分かった。


「あーしの車だから勝手に吸うぞ」


 彼女はそう言い、電子タバコのカートリッジを本体に入れた。俺の周りにはタバコを吸う人が居ないから、電子タバコ見るのは初めてだ。


 車が動き出して、景色が後ろに流れる。


「お兄さん、名前」


「俺っすか? 馬場って言います。お姉さんは?」


「あーしのことはお姉さんでいい」


「そっすか」


 俺が旅をしている理由をざっくりと説明した。


 そして、そこから会話は続かなかった。俺は知らない町や初めて見る山を、ただただ眺めているだけ。お姉さんは右手でハンドルを、左手で電子タバコを持ち、車を西に向かってひたすら走らせる。


 *   *   *


「おい。起きろ、馬場」


 俺はいつの間にか眠りこけていたらしい。車は止まっている。窓の外には海が見えた。


「ここはどこですか?」


「愛知県田原市の伊良湖」


 田原市なんて言われても、あまりピンとこない。海沿いだから、一応鹿児島には近づいているのだろう。


「何ポカンとしてんだ。寝ぼけてんのか?」


 お姉さんは何だか苛々している。ああそうか。俺のことを連れてこられるのはここまでと言うことか。


「あっ、すみません。すぐ降ります。寝てしまってすみませんでした。そして、ここまで本当にありがとうございました!」


「ちげぇよ。これから船に乗る。どうせ金ねえんだろ? あーしが出すから」


 どういうことだ? 九州に渡るときに船に乗るのならともかく、どうして愛知県で船に乗る必要があるのだろう? まさか僕のことを離島に連れて行く気だろうか?


 脳内会議の結果、時間はあるからと言うことでお姉さんの御言葉に甘えることにした。そして、今は船の中である。


「船は初めてか?」


「はい」


 なんだか、思っている感じとは少し違った。客席に椅子が並んでいるのは何となく想像できたけど、実際の物を見ると驚きがある。まるで、待合所をそのまま海に浮かべたような感じだ。船と言うのは、外からだと小さく見えても、中に入ると大きい乗り物なのかもしれない。


 俺たちは、ボックス席に腰を掛けた。ちょうど、、テーブルを挟んで向かい合わせになっている。お姉さんは足を組んだ。少しかっこよく見える。


「じゃあ、ちょっと説教だ」


「えっ?」


 何か説教されるようなことをしただろうか? いや、寝てしまったのは確かに少し悪いと思うけど、迷惑をかけたつもりはない。


「馬場。お前ってどうして鹿児島を目指しているんだっけ?」


「思い出を作るためです」


「へー。あーしの車に乗っての移動は、その思い出の1ページになりそうか?」


「もちろんです」


「何が『もちろんです』だ。しらじらしい」


 乱暴に吐き捨てられたその言葉に、なぜか俺の良心が痛んだ。俺が嘘をついていないことは、自分が一番理解している。それなのに、なぜか後ろめたさを覚える。


「馬場は東京から来たんだよな。東京からここまでの話を聞かせて」


 俺は、これまでの移動経路を説明した。東京の日本橋から神奈川県の川崎市までトラックドライバーに便乗させてもらったこと。そこから御殿場に帰省する家族のお世話になったこと。浜松まで、また別のトラックに乗せてもらったこと。しっかりと説明をしたつもりだが、お姉さんの表情は見る見る曇っていく。


「人の車に乗って移動しているだけじゃないか。お前は何を学んだんだ? お前は何に感動したんだ? お前は人に何をしてあげたんだ? この世界はギブアンドテイクだろうが。何テイクばっかりしてんだよ」


 言われてみると、昨日の人たちには何もお返しができていない。俺は甘えているだけだ。


「すみません」


「あーしが何でお前を乗せてやったかわかるか?」


「あなたが優しい人だからですか?」


 途端、お姉さんはテーブルにげんこつを落とす。金髪のポニーテールが揺れた。周りの乗客の視線が気になる。しかし、今お姉さんから目を逸らすと、余計に怒られる気がして、確認ができない。


「歯の浮くようなことを言うんじゃねえよ。お前は人の優しさがどこから来ると思ってんだ。まさか泉のように無限に湧き出るとでも思っていないだろうな?」


 俺は、彼女の目力に圧倒されてしまった。


「すみません」


 さっきからすみませんばっかりだ。


「これはな、下の世代への投資だ。ガキの面倒は大人が見るもんだって決まってんだよこの世界は。だから誰も対価を求めない。その代わりにガキが成長したらそれでいいって思ってる」


 この人は怒っているのではない。俺のことを叱ってくれているのだ。俺の何が気に食わないのかがわからなかったけど、少しだけわかった気がした。


「馬場。お前静岡県に居たとき、富士川を渡ったんだよ。鳥の音にビビって逃げた平家の話を知っているか? お前が静岡に居るとき、きっと薩埵峠を通り過ぎたんだよ。広重が描いた版画の場所だってわかっていて通ったのか?」


「何もわかりません」


「つまり、お前はこれまでお前の面倒を見てくれた人たちの期待を裏切っているんだな」


 俺は自分の事しか考えていなかった。ヒッチハイクを、ただの安価な交通手段程度にしか思っていなかった。俺はテイクばかりで、ギブが何もできていない。他人の車で寝てしまうなんてもってのほかだ。なんだか自分のことが、酷く惨めな存在に思えてきた。


 このままではダメだ。


 俺は決めた。社会に甘えるだけではなく、果たすべき義務はきちんと果たそう。


「俺の考え方には問題がありますね。ヒッチハイクで鹿児島に行くなんておかしな話です。何も予習せず、気が向いたままに家を飛び出してしまいました。しかも、それが悪いことだとは全く疑わずに。その……なんというか、ありがとうございます」


「おう。なんだ。ちゃらんぽらんな奴だと思ったら、案外物分かりがいいじゃねえか」


 お姉さんの表情が晴れた。正直ぶすっとしている人だなと思ったが、こんなにきれいな顔になるのか。少しだけドキッとした。


 それから、俺はお姉さんに静岡県の話を聞いた。そして、船はあっという間に対岸の鳥羽港に着いてしまった。


 *   *   *


「じゃあ、俺はこの辺で」


 湊の目の前には、近鉄中之郷駅がある。船の中でこっそり調べたが、ここから名古屋に行って、新幹線に乗り換えたら東京までは今日の内に帰ることができそうだ。


「鹿児島に行くんじゃなかったのか? あーしはまだ西に行くけど?」


「もういいんです。今の俺が鹿児島に行っても、意味なんかありません。仮にたどり着いたとしても、俺が俺自身を許せる気がしないんです」


 行く先々のことを予習してからでないと、経験したものを自分の糧にできると自信をもって言えない。鹿児島にたどり着くだけで、達成感を感じてしまうような、浅い人間でななくなってしまったんだ、俺は。


「なんだそんなことか。いいじゃねえか別に。それが分かったってだけでも、まごうことなきお前の成長だよ。めでてえじゃねえか馬場」


 お姉さんは俺の髪をわしわしと撫でる。いい意味でも悪い意味でもガキ扱いされているんだと思った。


「ありがとうございます」


 口に出してしまってから、ここはありがとうで良かったのかを考える。なんだか違う気がするけど、まあいいか。お姉さん、いい笑顔をしているし。


「時間はあるんだろ? じゃああーしにちょっと付き合え。せっかくここまで来たんだから伊勢神宮にお参りに行くぞ」


「わかりました」


 俺は黒い軽ワゴンの助手席に乗り込む。お姉さんは左手に電子タバコを持ち、右手でハンドルを握った。


「じゃあ、もう少しだけよろしくお願いします」


「あいよ」


「なんだか嬉しそうですね」


「まあな。久しぶりにいい出会いに巡り合えたからな」


 それを聞いて、俺までも心の底から嬉しさが湧き上がってきた。


「神社に着いたら電話番号を教えてやる。これからあーしとお前は友達だ」


「ありがとうございます!」


「じゃあ着くまで予習だ。伊勢神宮っつーのは、もともとは単に神宮とよばれていて、天照大御神を祭ってんだ。天照大御神てのはな――――」


 お姉さんの話は、伊勢神宮に着くまで途切れることはなかった。話し方が美味いから、そしてお姉さんに考え方を教えてもらったから、俺も飽きることなく聞くことができた。これから誰かの車の助手席に乗るときは、今日のこの気持ちを思い出すようにしよう。

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助手席の礼儀作法 ばーとる @Vertle555a

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