ラスト

こまち

ラスト

 誰もいない街、冷え始める晩秋。ぼくは無機質な都市街を一人闊歩している。どこに向かっているのかも、何故歩いているのかもわからず、ただひたすらに歩き続ける。


「わぁ、驚いた。まだわたし以外に人間がいたなんて!」

 

 透き通るような声に誘われて思わず顔を上げた。目に入ったのはセーラー服を身に纏い、すらりと伸びた黒髪を風に靡かせた少女の姿だった。実に一ヶ月振りともなる人間との邂逅に、驚きのあまり声も出ない。


「君は、誰?」

 

 何も喋らないぼくを見かねてか、追って質問を投げかけてくる。そんな彼女もやはり、自分以外の人間と会うのは久々なのだろう。目を爛々と輝かせて、お互いの鼻が触れ合う位の距離まで顔を近づけてきた。少女の柔らかい匂いが鼻腔をくすぐり、頭がくらくらとする。理性を保つべく一歩引いたところで、ようやくぼくは口を開く。


「ぼくはぼくだよ。それ以上でもそれ以下でもない」


「そっか……それじゃあやっぱり君もんだね」


 失くしたというのは言葉の通りで、ぼくは名前を失くした。君ということは、つまり少女も名前を失くしたのだろう。特段驚くことではなかったし、むしろ今時名前を持ってるなんて知れたら世界中から注目を浴びる筈だ。


 まだ、ぼく達以外に人がいるかはわからないけれど。




 *



 あれは、蝉の声が喧しいとある夏の日のこと。突如として平坦な日々は終わりを告げ、人々はありとあらゆる物を失くしていった。名前も、記憶も、ひいては存在さえも。個体差こそあれど、ものの一ヶ月で全世界から殆どの人が消えて失くなった。


 言うまでもなく現象が起こった直後の世界はその話題で持ちきりだった。テレビを付ければあらゆる肩書きを持つ専門家達が憶測をひけらかしていた。


 原因は戦争に向けた新たな兵器の開発か、あるいは自然が巻き起こした超常現象か。はたまた地球外生命体の侵略かもしれないとも。結局、原因が解明される前に人々は存在を失っていき、分からずじまいになったのだが。


 ところで、この現象には正式な名称が付けられていない。というのも付けられる前にみんな消えてしまった。今となっては誰が最初に言ったかもわからない「亡失症」という名前だけが残っている。随分と安直なネーミングだが、安直なだけに定着しやすいというものだろう。


 亡失症は奇妙なことに人間のみにしか発症しなかった。人間であれば老若男女問わずして発症するというのに、それ以外の生き物は全く影響が出ておらず、都市に出現するカラスやタヌキなんかは一層数を増しているくらいだ。


 何はともあれ、突如として人間は絶滅の危機に苛まれたのだった。




 *




 少女と出会ってから太陽は昇って沈んでを既に七回繰り返していた。相変わらずセーラー服姿の少女はどうやらぼくと同い年で、亡失症の進行状況もぼくと同じく名前を失う程度の初期症状らしい。少女は生き生きとしているのに対し、ぼくはぼうっとしているところは正反対だけど。


「ねぇ、ここで寝てみてもいい?」


 少女がそんな提案をしたのは、だだっぴろいスクランブル交差点のど真ん中だった。ぼくの反応を待つまでもなく、少女はアスファルトの上に仰向けの大の字で寝っ転がる。ぼくも少女の後に続いて背を地球に任せた。視界には端々をビルに占領されている空が映る。無論、人が居なくなっても空は蒼いし、太陽は燦々と照っているし、雲は綿菓子みたいだった。手を伸ばせばあっさりと届きそうで、つい手を掲げてしまう。


「もう君とわたししかいないんだねぇ」


 隣に寝そべっている少女は虚空を見つめるような表情でぽつりと呟いた。何か言うべきか少しの間悩んで、結局何も言わなかった。


 確かに一週間二人で人を探して歩き回ったけれど結局のところぼく達以外の人に会うことはなかった。端から期待してなかったと言えば身も蓋もないが、少女と会えただけでも奇跡に近い。それなのにこれ以上を何を望むと言うのだろう。そこまで考えて、伸ばしていた手を引っ込めた。

 

「君はさ、好きな人っていた?」

「え?」


 何の脈絡もなく突飛な質問に、思い掛けず少女の方を向いた。少女が過去について聞くなんて今までになかったことも相まって驚かざるを得ない。


「どうしたのさ、いきなり」

「たまにはいいでしょ、歩いてばっかでも疲れるし」

「まぁ、いいけど……」


 人探しのために叫びながら歩き回るよりかはこうして寝ながら喋っている方がまだ楽だ。アスファルトがゴツゴツしていて寝心地がかなり悪いけど。


「それで、どうなの?」

「さぁ……覚えてないな……」


 視線を再び蒼空へと向ける。なおも綿菓子みたいな雲は微動だにしていない。


「あ、ゴメン。わたしってば余計なこと聞いちゃった?」

「いや、別にそういう訳じゃないけど。なんでそんなこと聞いたの?」


 ぼくは好きな人、正確には好きだった人のことに関する記憶が全く無かった。端からそんな人は存在しなかったのか、それとも──


「特に深い意味がある訳じゃないよ。えっと、じゃあわたしの話してもいい?」

「うん」

「わたしには好きな人がいたんだ」

「へぇ。どんな人だったの?」


 思考を切り替えるべく、少女の話題に乗っかった。またとない機会だろうし、たまにはこういう時間があってもいいだろう。

 

「実はね、それが思い出せないの」


 いつでも輝いていた少女の瞳は今に限って曇っている。軽々しく聞き返したことを少し後悔した。


「思い……出せない?」

「そうみたい……」


 記憶の忘失。それは忘失症の中期症状だった。存在を失くした人間もかろうじて他人の記憶には存在し得る。要するに存在を失くすということは死と同義であり、同義であるからには他人の記憶だけがその人と現世を結びつける唯一の糸だった。


「…………」

「…………」


 沈黙の時間はやけに長く感じられる。何かしら声を掛けるべきなんだろうけど、こんな時に限って何も言葉を紡げない。


「君はさ、なんで生きてるの?」


 先に静寂を破ったのは少女の声だった。なんとも抽象的で曖昧な質問だが、今の少女の頭の中は忘失症が支配しているのだと思うと不思議と違和感はなかった。


「なんでだろう。考えたことないや」


 考えたことないとは口にしたが、記憶がない可能性だってある。むしろぼくの忘失症も中期症状まで及び始めているだろうから、きっと忘れているだけなのだろう。それでも、また一から考えられると思うとそんなに悪い気はしなかった。

 

 それにしても、ぼくは今何故生きているのだろう。人類はもう時期完全に滅ぶ。当然学校なんて行く意味は無くなったし、親孝行しようにも肝心の親がいない。人探しだって実のところ暇つぶしに少女に付き合っているだけなのだ。明日死ぬぞと言われても「あっそう」で終わってしまうくらいには、明確な意志で生きているのではない。死なないからまだかろうじて生きているだけで。


「惰性、かなぁ」

「そう……」


 少女の声音から察するに、おそらくつまらなそうな顔をしているのだろう。でも、だからと言って人類最後の希望になるなんぞ馬鹿げたことは、たとえ冗談でも言えなかった。ぼくとて忘失症の進行が遅いだけのただの一人の人間なのだ。忘失症に抗えるだけの生命力がある訳でもなければ、着々と迫り来る死への恐怖だって少なからずある。ちっぽけなぼくが出来ることなんて精々ゆっくり死んでいくことくらいしかない。


「わたしさ、君を見つけた時本当に嬉しかったんだよ。それまで毎日くたびれるまで歩いて、喉が枯れるまで叫んでたからさ」

「……うん」


 少女は依然として唐突に話題を変える。あたかも記憶が無くならないうちに、なるべく多くのことを話そうとしているように。


「だけど、それと同時に心にポッカリと穴が空いた気がした。どうも人探しが生きる意味になってたみたいでね、それも君と出会って満足しちゃった。だからこの一週間、私はずっと生きた屍だった」

「……うん」


 生きた屍。それは少女と似ても似つかない言葉だった。少なくとも時を共有していた一週間の間、少女がぼくの目にそう映ったことは一回たりともない。しかし、考えてみればあれは空元気だったのだろう。それに気づいた途端、少女は底抜けに明るい性格なんだろうと楽観視していたのが恥ずかしくなった。


「でもね、もう耐えられなくなっちゃった。まさか生きることがこれほど辛いことだとは思わなかったな」


「…………」


「それでね、わたしが言いたいのは惰性でもいいから君には生きていて欲しいってこと。わたしはもう惰性ですらも生きられないから……」

 

 少女の震えた声が次第に遠くなっていく。ぼくはまだ生きていていいのだと認められたからか、そこはかとない安心感がふつふつと湧いてきた。すると急に睡魔に襲われて、自然と目を瞑ってしまう。


「……わかった」


 微睡みのなかで、そう呟いた。




 *




 目を覚ますと、ビルに縁取られた蒼い空がぼくを迎えてくれた。燦々と照りつける太陽も、綿菓子みたいな雲も一緒だ。


「痛っ……」

 

 起き上がろうとすると背中に激痛が走った。そりゃそうだ、道路の上で寝たら痛くなるに決まって──


「ん? なんでぼくは交差点のど真ん中で寝てるんだ?」   


 頭の中がそんな疑問で埋め尽くされる。寝る前までのことを思い出そうとするも何一つとして思い出せない。


「まぁ、そんな時もあるか」


 考えても答えが出そうになかったので、すぐに割り切った。いずれ忘れることを無理に思い出す必要もない。おもむろに立ち上がり、硬くなった体をぐいと伸ばし終えると、とりあえず歩き始めた。


「今日は一段と寒いなぁ」


 誰もいない街、冷え込む初冬。ぼくは無機質な都市街を一人闊歩している。どこに向かっているのかも、何故歩いているのかもわからず、ただひたすらに歩き続ける。




 

 

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