帰還

つるよしの

闇からそのまた先の闇へ

 引き揚げ船に乗り、戦地から五週間の日々を経て帰ってきた地球は、宇宙船シップの窓から眺める分にはその美しさに変わりなかった。


 俺は、船窓から、夢にまで見た蒼い星を目に留めて、六年の戦乱を経てようやく地球へ生還できた安堵感にまず身を浸らせたが、さて、故郷はどんな様子であろうかと考えるに及び、次第に気持ちが落ち着かなくなるのを自覚する。


 なにしろ、外惑星勢力との長い戦いの果てに、我が母星である地球は負けたのだ。それも、最終決戦では地球の各都市にも、敵による空襲が引きも切らなかったと聞いている。とはいえ、それは地球を代表するような大都市に限られたと言う話でもあったから、自分の住む極東の田舎に影響はなかったと思いたい。

 

 やがて、宇宙船は、ほぼ定刻通りに上海宇宙港へと着陸した。そこで俺は正式に軍からは除隊扱いとなり、そこからは配給された旅客切符に従って各自帰省することとなる。俺は、長く宇宙で戦場を共にした戦友たちに別れを告げ、ひとり、大陸を北へ走る高速鉄道の客となった。


 車窓から見る光景は、出発地の上海駅付近は空襲による荒廃ぶりが見て取れたものの、列車が都市を離れるにつれて、すぐに雄大かつ荒涼とした、晩夏の草原の風景に移り変わり、俺が地球を離れていた六年の時の流れを感じさせるものは特になかった。

 もっとも、混雑した車内の客には、俺のような帰還兵の姿や、また疎開先から故郷に戻るのであろうか、大きな荷物を抱えた人間も数多く、混沌とした戦後の社会を彷彿させるものだったが。

 

 草原の西の空が赤く染まる夕暮れ、列車は、故郷の村の最寄り駅に到着した。

 プラットフォームに俺ひとりを残して、列車はまた風を巻き起こしながら北に向かって走り去っていく。その姿が地平に溶ける頃、駅のロータリーに一台の車が入ってくるのが目に留まる。

 さては、故郷に帰還の日程は伝達済のはずであるから、誰か迎えに来たのだろうか。そう思いながら俺は荷物を抱えて、ロータリーに足を運ぶ。

 すると、車のなかから俺の名を呼ぶ声がした。


「カイ。お務め、ご苦労だったね」

「……シュウか」


 果たして、車のなかで俺を待っていたのは幼馴染みのシュウだった。彼は六年前に別れたときからは、いささか年を取って見えたが、黒く短い髪にはまだ白いものも混じっていなかったし、なにより人なつっこい笑顔は変わらぬままだ。俺は思わず、車のフロントガラスに映った自分の老けた顔と、シュウの若々しい顔つきを比べてしまい、苦笑を漏らしながらこう語を零した。


「お前は変わらないな。俺が出征した時の若さそのまんまだ」

「そうでもないよ。地球に残った者も、それはそれでいろいろあったんだ。そりゃ、徴兵されたお前に比べれば、たいした労苦じゃないかもしれんが」


 車から出てきたシュウはそう笑いながら、右腕のみの手で、俺から荷物を受け取る。そしてそれを車の後部座席に仕舞い込むと、改めて俺に向かい合った。シュウの黒い瞳が真っ向から俺を射る。


「お帰り、カイ。お前が無事に帰ってきてくれて、ほんとうに良かったよ。レンカも喜んでる」


 唐突に、シュウの言葉に、自分の婚約者の名が現われて、俺は眉を顰めた。


「……レンカは生きているんだな」

「ああ、元気に暮らしているよ」


 シュウは器用に片手で車の扉を閉めながら、こともなげに答える。そのシュウの素っ気なさに却って心乱されるものを感じ、俺の胸は、すぅっ、と冷える。それと同時に、なぜ彼がひとりで俺を迎えに来たのか分かってしまったような気がして、急激に心が黒く澱むのを意識した。

 

 しかし、シュウはそんな俺になんら構う様子は見せず、ただ、右腕を振って見せる。車に乗るように促す合図だった。俺は無言で車の扉を開けると、身体を車内に滑り込ませた。

 それを見届けると、シュウも運転席に乗り込んでくる。彼は運転パネルを素早く操作し、車を自動運転オートモードにセットする。

 夕陽の最後の一閃が、そのシュウの横顔を赤く照らすのを、俺は黙って見守っているしか術がなかった。悪い予感に心中をかき乱されながら。

 やがて、車は宵闇に包まれた草原を、滑るように走り出した。


 俺たちの故郷の村までは、草原のなかの一本道をほぼ一時間辿れば到着する距離だ。車のライトが道路を過ぎるなか、俺とシュウはたっぷり十五分ほど、無言のまま時を過ごした。仄暗い車内の隣に座るシュウが、その間どんな顔をしていたのか、俺には窺いようもない。

 やがて、続く沈黙に耐えきれず、言葉を放ったのは俺の方からだった。


「……レンカからは、三年前に手紙をもらったきり、連絡が途絶えているんだ。その後いくら手紙を出しても音信不通だ」


 呻くように絞り出した俺の声に対するシュウの答えは、明解なものだった。

 

「知っているよ。レンカからもそう聞いている」


 俺はそのシュウの言葉に息をのんだ。数瞬ののち、俺は震える声でシュウを質す。

 

「シュウ。なぜ俺への手紙が途絶えたのか、それもお前は知っているのか?」

「ああ」


 相も変わらず、シュウの俺に対する答えは、簡潔で、迷いがない。そのシュウの様子から、俺は胸をせり上がる嫌な予感が的中したことを悟らざるを得なかった。昏く、じんわりとした負の感情が、ひたひたと俺の心を覆い尽くす。だが、俺は現実から目を背けたくて、決定的な一言を口から出せずにいた。

 だから、シュウの方からこう口にするのを、結果として俺は許してしまったのだ。


「レンカは俺と三年前に結婚した。昨年、かわいい女の子も産まれて、日々、俺と幸せに暮らしているよ」


 シュウの一撃は、まるで棍棒に殴打されたかのように、俺の全身を激しい衝撃を与えた。息が乱れる。心の臓が締め付られたかのように軋む。なぜだ、どうしてだ、という問いを吐き出すことも出来なかった。

 

 しかし、俺は数秒の自失呆然から身を奮い立たすと、隣に座るシュウの胸ぐらを勢いよく掴んだ。そして迸る怒りの感情もそのままに、シュウの頬を拳で一発殴りつけた。奴の身体ががたん、と大きく揺れ、運転席のドアにぶつかる。

 ついで、二発、三発と俺はシュウの不自由な身体を殴打した。そのたびに車はがたがたと大きく振動し、やがて、俺が十発ほどシュウをぶちのめしたときになって、ようやく車のセンサーは異常を感知し、警報音を発しながら車体を停止させる。


 やがて、草原の一本道に、不自然な格好で停車した車のなかで、シュウがちいさな声で俺に囁いた。


「変わっていないな、カイ。お前は」

「なに……?」

「お前は、昔から、そうだ、子どもの頃から、身体の不自由な俺を馬鹿にしていたよな。なにか気に食わないことがあれば、力では及びようがない俺をいたぶって憂さを晴らすのが常だった」


 唯一の明かりである車のランプは、いまだ前を照らしていて、車内には淡いひかりしか届かない。ほかにひかりが見えるとしたら、窓越しの草原の夜空に瞬く無数の星と、細く欠けた上弦の月のみだ。

 だが、その薄明かりのなかでも、シュウが俺に冷たい視線を投げつけながら笑っているのは、分かった。


「戦争が始まってからは、いっそうその傾向は増したよな。お前は、兵役にとられない俺を馬鹿にして、この役立たず、と何度も罵っては殴ったり、蹴り飛ばしたり、好き放題やりやがった。だけど、俺は知っていたさ。お前は徴兵されるのが怖かったんだろう? だからこそ、戦地に赴くことのない俺が憎たらしくて堪らなかったんだ。そうだろう? カイ」

「……!」

「だけどな、俺は俺なりに、お前に復讐する機会を窺っていたんだよ。子どもの頃から、ずうっと。そしてレンカと結婚してからは、戦争が終わって、お前が生還してくるのを心待ちにしていたのさ。だって、お前が戦死しちまったら、俺の復讐は成就しないだろう? だから、俺はお前が無事で心底嬉しいよ。ほんとうに良かった」


 シュウはそう一気に俺への呪詛を吐き出し終わると、今度は暗がりでもはっきりと分かるほど、血の滲む唇を歪ませて、にやり、と笑って見せた。それは、俺が子どもの頃から知っている、あの人なつっこいシュウの笑顔とは、まるで別人だった。

 俺はそのシュウの顔から、戦場で感じたどんな恐怖よりも強い悪寒を感じて、思わず後ずさった。ついで、後ろ手でロックを弄り、車の扉を開け放つ。途端に扉は外に勢いよくスライドして、俺の身体は夜の草原の上に、どさり、と投げ出された。


 仰向けに転がった俺の視界に、空を覆い尽くす闇と、幾千幾万もの星屑と月光が映し出される。

 だが、俺はその夜空から、自分をいままさに、押しつぶそうとしている抗いがたい悪意の圧を感じ、思わず身震いした。


 そして、俺は思う。

 果たして、自分はほんとうに、戦地から故郷へ帰還したのだろうか、と。

 いや、もっとなにか、深く救いの無い闇のなかへと、辿り着いてしまったのではないか、と。


 草原を渡る夜風に、虫の音が響き渡る。夢にまで焦がれた地球の空気は、それまで体感したどんな宇宙よりも、底冷えがした。

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帰還 つるよしの @tsuru_yoshino

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