挨拶回りに洗剤を
@ishii_naritugu
挨拶回りに洗剤を
俺の部屋をコンテナターミナルかと見間違うほど大量の、地元ではそこそこ有名なお風呂用具会社のマークが描かれた段ボール箱が占拠している。
家の前にも何箱か積み上げられており、さらにさらに同会社のロゴがデカデカと掲げられたトラック。
そして愛すべき自室を追いやられ、居間に一人居座る、俺の目の前にも一箱ある。
開けてみると中には八つの洗剤。
そして残りの、恐らく合わせて二千三百七十五箱あるであろう残りの中にも同じものが入っているのだろう。
「どうしてこうなった……」
そう。どうしてこんな状況になってしまったか。
それは別段仰々しく語れることではなく、ただカタログについてきたお試し用品アンケートの希望本数の欄にふざけて二万本と書いてしまっただけなのだが。
しかしまさか本当に送られてくるとは思っていなかった。
今日は両親共に働きに出ているし、この惨状がバレるまで短編小説を読み切るくらいの猶予はある。
そこでまず件の会社に連絡を入れてみた。が、冷たくあしらわれてしまった。
曰く、サービスの注文の為返品はできないし、倉庫の空きスペースも埋まってしまっているらしい。
どういう理論かはわからないがそれが大人の世界なのだろう。内線でたらい回しにされることもなく、なぜか一発で答えてくれたのは不思議だけれど。
それでは如何にしてこの二万本の洗剤を処理するか。とりあえず一人で使い切るのは一日で千羽鶴を一万羽作るよりも不可能だろう。
ならば、他所に配るのが一番手っ取り早い対処法ではないだろうか。引っ越してきた時の挨拶回りには洗剤を配るのが鉄板だし、移住者を装い洗剤をあちこちに押し付けて回るとしよう。
そう思い手始めにお隣さんで且つ幼馴染である、水野でバレないかどうか試してみようと考え、変装をして彼女の家に三本の洗剤を手に向かった。
水野の家は青い屋根と白いペンキで塗られた壁が印象に残らない極めて一般的な一戸建てである。
「最近こちらに越してまいりました、伊藤でございます。こちら、つまらないものですが」
「……こんなサングラスとマスクをつけてうわずった声で話すような怪しいやつをお隣さんには持ちたくないなぁ伊藤くん」
まさかの一瞬でバレた。
「作戦失敗だ……」
「え、逆にバレないと思ってたのかな? 幼馴染の私に。と、いうかなんなのあの玄関先の荷物の山」
水野はちょっと呆れた笑いを浮かべながらニヤニヤと我が家の段ボール箱の山に後ろ指を刺しそう言った。
「にわかには信じられない話だろうけれどあの荷物はどうやら全て洗剤らしい」
ここまでの経緯を彼女に概ね説明すると顎に手を当てて、
「ははーんなるほどね? つまり伊藤の言う作戦って引っ越してきて挨拶回りに来た人の変装だったわけだ」……と見透かしたような事を言った。
実際見透かされているらしい。
こうなってしまってはガラスのハートな俺に取れる手段もない。開き直ってしまおう。
「はっはっは! そこまでバレてしまっては仕方ない! おひとついかがかな?」
「あぁ、ありがとう。開き直り方はいっそ清々しいな……ところでこれだけの洗剤を一人に配れるなんて大した地方企業があったものだね?」
水野は気取った風にボトルを受け取り今度は人差し指で真っ直ぐ俺のことを指さして、
「こんな変な企業とつるまない方がいいよ? ……まぁ、いいや。とりあえず三十本ほど預かってあげよう。後で持ってきてくれたら受け取るからまぁ他の人たちにも"挨拶回り"してきたらいいよ」
と、ニヤつきながら言って最後に手をひらひらと振った。三十本も受け取ってもらえる約束がついたのはありがたい。
「ありがとう! それじゃあ後で持って来るから待っててくれよ〜!」
こちらも手を振り返し、その場を去る。
「その格好で知人以外を訪ねるのはやめておきなよ〜」
という彼女の声に見送られながら。
さて、とりあえず三十本分の約束を取り付けられたのは一発目から上々であるが、このペースでやるとあと六百軒以上回らねばならない。と、すると上々とも言っていられまい。誰か大量に預かってくれそうな友人はいないものか……と考えつつ、洗剤一本ずつを両手に持ち、次に近い火口の家へてくてく向かう。
彼の家はそこそこ広かったはず……だが彼の部屋はそこそこガラクタで散らかってもいるので預かってもらわない方がいいような彼のためにはいい気もするが、まぁ念のため行っておこう。
チャイムを押す。と、同時に火口が、
「うおりゃおりゃおりゃーッ! どないやそろそろ来ると思うとったんや! そろそろ当たりやろ! この辺りやろ? ほらおったー!」などと息を切らし叫びながら飛び出して来た。
「おはよう。火口くんは今日も元気がいいねぇ」
彼の様子とは真逆に落ち着き払って宥めるように言ってみる。
「おう! エンジン全開や! 水野を蒸発させて焼き尽くすくらいはお茶の子さいさいやで!」
なんだこいつは。親友に対してひどいことをしようとしてるやつだな。
「幼馴染になんてことしようとしてるんだ」
「冗談やて!」
いやまぁ分かっているけどさ。
「と、いうか火口お前疲れすぎだろ。なにやってたんだ?」
「うん。実はな、飛び出すのもう今日で十六回目や!」
「アホかい! 俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ!」
「まぁまぁ。ほいで今日は何しにきよったんや?」
話を逸らした……まぁいい。まずは洗剤の件を説明しなくては。
「実はかくかくしかじかで」
「なるほど家に洗剤が大量に送りつけられて困っとると。ほいでボクのとこに少し預かって欲しいと」
「そういうことだよ。理解が早くて助かる」
実際かくかくしかじかとしか言っていないのだが幼馴染とはすごいものでこれだけで通じてしまうのだ。
「そういうことならすまん! うちもちょいとパンクしとってな!」
謝られ、さらに突然土下座された!
プルプルとさも斫りになって地面を砕こうとせんが如く小刻みに震え、
「友情を……こがいなかたちで裏切りとうないんやけど……堪忍したってや……頼む……」
これはひどい。なんだか悪い事をしている気分だ。
「ちょっと! そんなことで俺たちの友情は揺らいだりしないっての! あーなにクサイ台詞言わせちゃってんだよこの野郎!」
こっぱずかしいぜこの野郎。こっちも釣られて絶叫しちゃったじゃないかあんちくしょう!
「ほんまか……? ほんまにこがいなボクを許してくれるんか……?」
「許すから頭を上げてくれー! 人通りもあるんだよここには!」
目線が冷たい。反比例して顔が熱くなる。
結局火口は
「すまんすまん! まぁ、今日はこの一本だけしか預かれへんわ、ほんまに堪忍な!」
と涙ながらに言い、俺は洗剤を一本渡してひとまず退散することとなってしまった。
「あとその格好であんまり遠くに行くと不審者やからやめときいなー」
という彼の言葉に見送られながら。
さて、しかしいよいよどん詰まりになってきた。近所にいる仲の良い友人はもう後一人しかいない。
これまでの二人に比べたら少し真面目で内気でかつ愛らしい土井さんだ。……水野は愛らしいというよりは憎らしい感じだし、火口は真面目と言う言葉と無縁だから言えているはずだ。
彼女の家はそこまで広くないから流石に部屋の半分程度の洗剤も入るまいし、あとは車を用いて持っていかねばならない程に遠い友人ばかりなのでもう当てがないが全部配り切ることは望めない。
だが少しでも減らしたほうがいいだろうと思い彼女の家のドアをノックした。
「はい……どちら様でしょう……?」
おずおずとドアを開けながら土井が出てきた……と思ったら閉められた。
家の中から警察、警察って何番だっけ? 119? という声が聞こえる。
「土井さんちょっと、待ってくれー! 俺だよ! あと警察の番号は百十番だ!」
「ひゃっ、不審者なだけじゃなくてオレオレ詐欺もしてる……でも親切な犯罪者さんだな……」
幼馴染を犯罪者扱いは流石にひどくないですか。
「すまん言い方が悪かった! お前の幼馴染の伊藤です。どうにか警察にお電話はやめてくださいお願いします」
俺の必死の懇願が通じたのか
「あっ伊藤くんか〜。ごめんね今あけるねっ」
結局お電話は無しの方向で進んだのだった。
「それで伊藤くん、急にどうしたの?」
「いやぁ実はかくかくしかじかで」
「それが通じるのは多分おはなしの中か火口くんくらいなんじゃないかなぁ」
……流石に通じないか。
冗談を謝りここまでの経緯を説明すると、目を輝かせて、
「そうなの? 困ってるなら半分くらい預かってあげるよ?」
ドンと胸を叩きながら土井はそう言った。
いやいやいや……
「土井のその気持ちは嬉しいけどそんなに洗剤家にあったら邪魔じゃないか? ちょっと部屋の隅っこにさもぬいぐるみかのごとく置いてもらうくらいで十分なんだけど……」
ぬいぐるみの代わりに洗剤が置いてある風景を想像して、それはそれで嫌だなと思いつつも、しかし土井は
「ううん、大丈夫! 困ってるなら放っては置けないよ!」
と、どこまでも健気である。
「もう一度考え直してくれ土井。箱の数にしても千箱を超えるんだぞ。生活スペースがなくなってしまうじゃないか」
「大丈夫だもん! ぬいぐるみさんならそれくらい入れても生活できるもん!」
話が平行線だ……ともあれ千箱を押し付けるわけにはいかないのでなんとか百本預かってもらうことでとりあえずの合意を得て、前金として手持ちの一本を渡して退散することになった。
これはお願いする側とされる側が逆になっているような気もするが気のせいということにしておこう。
「洗剤の箱、運ぶの手伝うからね〜」
という言葉に見送られながら。
土井は洗剤がどれだけ好きなんだ。
さて、とりあえず手に取った三本を近所に住む三人の幼馴染たちに配り終えとぼとぼと帰路に着く。
改めて考えると俺は相当良い友達を持っているな......
俺の戯言にいつも付き合ってくれる水野。
冗談を言い合ってもそれを互いに冗談と理解して楽しめる火口。
そして俺たちが困っていると自分を犠牲にしてでも助けようとしてくれる土井。
掛け替えのない友達だ。
道端に猫がいたので眺めながらそんな事を考える。
家も近くなってきた。
出発前まで止まっていたトラックはもういない。
と、俺の家の前に誰かが立っている。
まさか親か。もう帰ってきてしまったのか。そういえばこれは小説の締めっぽい状況じゃあないか。ゆっくり歩きすぎた! メロスの気持ちが身に染みてわかるぜ……
などと、思ったが、そこにいたのは。
そこにいた三人組は――
「全く。君はゆっくり歩きすぎだよ?」
「お、帰ってきよったなぁ」
「私より遅いなんて思わなかったよ。でも間に合ってよかったぁ」
俺の素晴らしい友人たちであった。
しかし訳がわからん。
「……なんでここにいるんだ?」
水野はともかく俺の家に他のニ人は用はないだろう。
「よっしゃ! ほいじゃ言うで! せーのっ」
「「「ドッキリ! 大成功!」」」
......は?
「いや〜おもろいおもろい! まんまと騙されてくれよったわ!」
こいつらはなにを言ってるんだ? ドッキリだって? 頭では理解できても心が追いつかない。
「頭では理解できても心が追いつかない、みたいな顔をしているね? いやぁ面白い面白い」
水野め、見透かしやがって……
「お片付け手伝いますね。こんなに段ボール用意できるなんてすごいなぁ......」
なるほど。つまり俺はこの掛け替えのない素晴らしい友達に壮大なドッキリを仕掛けられたのか……
「なんでやねん!」
つんざくのは俺の大音量ツッコミ。
「お前ら……本当に......面白すぎる......」
「なんでやねんはボクの人権やろ! なんややるかー?」
「あわわ……二人とも関西弁だと読者が混乱しちゃうよ……」
「土井ちゃんは面白いことを言うね……?」
いつもの俺たちだ。
「ちなみに親からボーイフレンドと同じ名前の人がふざけた投稿をしているって聞いて、水野ちゃんに報告したのが私です!」
「企画立案は私だよ? こんな面白い機会逃すわけにはいかないからね」
「そいで準備はボク! 全く水野ひどいんやで? 火口の家にはガラクタが沢山あるーなんて言いよってからにー!」
こいつら全員で俺のためだけにドッキリを仕掛けたのかおい……
「だいたい全員ボケでツッコミが足りてないんだよ!」
「まあまぁ落ち着きない? 私たちも今回の件で君の尊さに気づいたし、お互い様だよ?」
「ちゃんとお片付けは手伝いますよ! 後せっかくだから残った洗剤を二、三本頂戴して行ってもいいですか?
「せや! 伊藤もこれでボクらのありがたみがわかったやろ!」
かくして俺の挨拶回りは。
大切な友人たちと俺との絆の再確認。
再会の挨拶をするという形で幕を閉じたのだった。
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