第7話 未来へ向けて
初めて彼女に会った時、一番最初の印象は気難しそうな人間だった。
小柄で金髪の可愛らしいと言える外見の少女。服装も少女の体系に合わせた白衣。その下にはシンプルなスクラブを着ている。まるでドクターか何かの様だ。そんな女性が表情も気だるげでどこか周囲を威圧するような雰囲気を発している。正直にいえば話しかけないで、と言外に告げているようだった。
私、シュワルツ社製長期稼働型警護兼生活介助ロボットは彼女に購入されてこの家にやってきた。ゆえに彼女は私を必要としているはずなのだったが。
「……あぁ、そういえばそんなの買ったわね」
まず初めの第一声がそれだった。そして入り口に立っている私にあからさまに面倒そうな視線を向ける。人間の表情、思考の読み取り方を学ぶため人間的な思考がインストールされている私はそんな際にどうすればよいのか分からなかった。てっきりこの家に着けば彼女が迎え入れて指示をくれると思っていたからだ。
「とりあえず何ができるの?」
「家事全般可能です。緊急時には警護もできす」
「それは頼もしいことで」
彼女を肩をすくめながらこちらの言葉に反応を返す。私の知識が正しければこれは皮肉の一種だろうか。しかし何故初対面でそんな対応をされるのか見当もつかなかった。
「……じゃ、とりあえずコーヒー淹れてくれる?」
「かしこまりました」
面倒臭そうに肩をすくめると彼女は私を玄関の中に招き入れてくれた。
これがのちにアインと呼ばれる機械人形と石神希望という救世主になれなかった新人類の出会いだった。
「……とりあえず毎朝コーヒーは入れて頂戴。あと貴方農業はできる?」
希望が目の前でテーブルに座りながら私が淹れたコーヒーを飲んでいた。部屋の中は綺麗に片付いており彼女は唯一の椅子に腰かけている。それ以外はとても簡素な部屋だった。最低限生活に必要な家具をそろえただけ。台所にも食器は一人分しか用意されていない。他に人が来ることを想定していない部屋だ。そんな中、希望は私にこれからの指示を話していく。
「具体的には?」
希望からの指示に私はさらに詳細な情報を求めた。農業、と一口に言っても多岐にわたる。内容によっては専門的な技術が必要になるかもしれなかった。
「野菜の栽培」
しかし希望からの指示は複雑な物では無かった。おそらくネットからいくつか情報をダウンロードすれば問題なく行える程度の作業。
「しばらくお待ちください。必要な情報をインストールします」
「あぁ、すぐじゃなくてもいいわ」
「かしこまりました」
その後も彼女の指示は簡単な物だった。毎朝コーヒーを淹れる。この部屋の掃除。建物の裏にある農業用ハウスの管理。数日に一度食事の準備を行う。そんなものだ。
「他には何をしましょうか?」
「……特に何も」
「は、はぁ」
かなり不適当な対応だったろうが私はその仕事内容に拍子抜けしてしまった。正直これなら私が居てもいなくても変わらないのではないだろうか。自分で言うのもなんだが私は結構な高級品である。正直わりにあっているとは思えない。
「はぁ、寝不足で家事が死ぬほど面倒だった時にあなたを購入したのよ。買ったことも忘れてたわ」
「不要ならばクーリングオフもできますが?」
「そうしたら貴方どうなるの?」
「中古品として販売されます。買い手がつかなければ別の機体の材料でしょうか」
「……まぁ、別にいいわ。家事は面倒だもの」
希望はそういって私に背を向ける。
「あぁ、明日からコーヒーはもう少し濃い目でお願い。私は奥の部屋に居るから何かあったら声をかけて」
「今日のこれからご予定は?」
「研究の続き。そのまま寝ちゃうだろうから明日の朝まで好きに過ごしてて」
壁にかかっている時計に視線を向ける。今の時刻は昼前。明日の日の出まであと十八時間ほど。それまで好きに過ごしていい?
「え、えぇ……?」
驚く私をよそに希望は扉の向こうへと去っていく。そのまま開く様子は無い。
2338年。製造されたばかりの機械人形は困惑という感情を体験した。
「ふぁあ、んん?」
「お目覚めですか、ご主人様」
深夜2時。奥の部屋の扉が開いて中から希望が出て来た。服装は昼のまま変わらない格好で大きな欠伸をしている。
「お目覚め、っていうか。今から寝る」
「さようですか。何か申し付ける事はございますか?」
「いや無い、んだけど。一つ聞いてもいい?」
「何でしょうか?」
「貴方もしかしてずっとそのまま?」
「何がでしょうか?」
私は希望の質問の意図が分からず首を傾げる。そのまま、変化が無いという事だろうか。しかし何の?
「いや、昼からずっとそのままの姿勢だったの?」
「はい」
「何故?」
「? 何も指示が無かったので」
何も指示されていない時に待機しているのは何もおかしな事は無いと思うのだが。
「機械人形とは聞いてたけど……。充電は?」
「太陽光発電です。この髪が吸収しています」
そういって私は自らの髪を希望に示す。彼女は興味深そうに眺めていた。
「触って確認してみますか?」
「いや、別にいい。ていうかここまで人間っぽいと逆に違和感あるだけ」
「違和感、ですか?」
「そりゃ人間が微動だにしなかったら怖いでしょ」
「ですけど私は機械人形です」
「分かってる、いや頭では分かってるつもりなんだけど……」
希望はそうして頭を掻く。なんだか困っているようだった。
「はぁ、目が冴えてきちゃった。牛乳あったっけ? 温めてくれない?」
「かしこまりました」
私は冷蔵庫から牛乳を取り出し鍋で火にかける。
「いやいや。ホットミルク作るのにそこまでしなくていいわよ。レンジあるでしょ」
しかし希望は呆れた顔で私の行動を止めてきた。そうして近く置かれている電子レンジを指さす。
「ですが電子レンジではタンパク質が凝固してしまいます」
「別に気にしない、ってもう始めちゃってるし」
私は希望の方を向きながら会話をしていたが手元では既に温め始めていた。
「はちみつは必要ですか?」
「いえ、すぐ寝るから要らないわ」
「かしこまりました」
「ふぅ」
温めた牛乳を一口飲んで希望は一息吐く。けれどすぐに横目で私の方に視線を向けてきた。
「何か問題がありましたか?」
「いいえ、ずっと見てるから」
「はい。ご主人様には気を配らなければなりませんから」
「はぁ……、やりづらい」
「何か私の対応に問題が?」
「機械人形としては何も。問題は貴方を設計した新人類の方」
「何か問題点がおありでしたら、本社のサポート部門への連絡を行いますか?」
「そういうのじゃない。ただ趣味が悪い。なんでわざわざ人間と瓜二つの機械人形を制作したのかしら」
「はぁ……?」
「結局のところ、奴隷でも持った気分になりたいんでしょ? 新人類は旧人類とは違い平等な理想郷。だけど他の人間に対しての優越感は持ちたい。だから人間に瓜二つのしもべを作り上げましょう、ってね」
「え、あの? ご主人様?」
希望は暗い顔で新人類への不満を募らせる。何故彼女がこんな事を言い出したのか分からなかった。何がきっかけで彼女は不機嫌になったのだろうか。
「……まぁ、結局この発言自体、私が貴方を可哀そうって下に見てるからこそ出てくる言葉か。私も大差無い」
彼女の顔は何かの嫌悪感によってゆがんでいた。
「急にごめんなさい。駄目ね……、疲れてるんだわ。御馳走様。もう寝るわ」
しかしすぐに頭を振って謝罪をしてくる。そしてコップに残ったミルクを全て飲み干した。
「は、はい。お休みなさい……、ご主人様」
「えぇ。おやす、あぁそうだった。貴方名前は?」
「え? いえ、特にありません。ご主人様が着けて下さればそれを自己の名前として認識いたします」
「……そう。なら何か考えておくわ。お休みなさい。朝はハウスの管理とコーヒー。お願いね」
希望はそういって再び奥の部屋に戻っていく。
「あぁ、ご主人様。一つよろしいですか?」
けれど私は一つ思いついたことがありその背中に声をかける。
「何?」
彼女を首だけ振り返り、肩越しに私を見つめる。
「寝る前に歯磨きを忘れないように。永久歯は虫歯になったらそれまでですし、口腔内が乾燥して睡眠の質が悪くなりますので」
そんな希望に対して私はお辞儀をしながらそんな事を告げた。今から眠るという事は睡眠時間は短くなる可能性が高い。ならばせめて睡眠の質を確保してほしかった。
「……はいはい。分かりました」
彼女は一瞬目を丸くしたものの、すぐに前を向いて後ろ手で手を振りながら扉の奥に消える。
なんだかおざなりな返事ではあったが。その声は何処か可笑しそうに笑っているような表情だった。
次の日。朝から荷物が届いた。荷物を受け取った私は少し悩んだが希望に声をかける事にした。
「ご主人様。起きていますか?」
控えめにドアをノックしながら声をかける。しばらく待つと中から眠そうに目を擦りながら希望が出てくる。
「ふあぁあ。……何?」
「お休みの所申し訳ありません。しかしお荷物が届いています」
私は先ほど届いた一抱えほどある荷物を希望に指し示す。
「……あぁ」
彼女はしばらく考え込むように、いや眠気でぼんやりとしていただけかもしれない。どちらにしろ届いたものに見当がついたようだった。
「開けて頂戴」
「かしこまりました」
希望に許可を得た私は梱包をほどいていく。中から出て来たものは椅子だった。それも希望たち新人類に合わせたものではない。もう一回り大きいものだった。
「貴方の椅子よ。さすがにずっと立っていられると怖いから適宜これに座りなさい」
「え。私の椅子、ですか?」
希望の言葉に困惑した声を出してしまう。正直な事を言えば椅子は私には不要な物だった。私は座る必要が無い。けれど主人である希望が怖いというのならば断わる理由も無かった。
「それと貴方の名前。アインにするわ」
「かしこまりました」
希望から告げられた言葉を登録する。『アイン』。ドイツ語で『1』という意味。シュワルツ社製長期稼働型警護兼生活介助ロボット『1』型、から取った名前だろう。
「ふぁあ。アイン、とりあえずコーヒーを淹れてもらえるかしら?」
「はい。少々お待ちください」
私は言われたとおりにコーヒーの準備を行う。そのまま私は先ほど届いた椅子の覗き見る。希望の対面に置かれたその椅子は日光を浴びてキラキラと新品の輝きを放っていた。
それからの生活にほとんど変化は無かった。希望の生活リズムは規則的で毎日同様に経過していた。起きたらコーヒー。数日に一度食事。その後眠るまで研究。また希望の家は一人で生活できるように改良が施されていた、電力は太陽光発電。食材は農業用ハウスと定期的に配送で来る保存食。町からほどほどに離れているため誰も訪ねてくることは無い。唯一例外的に彼女の他人との関わりはコーヒーの購入のみだった。それもほとんど私が行くことになった。
ただ、時折彼女と夜中に会話をすることがあった。眠る前に彼女が喉の渇きを覚えると部屋から出てくる。私はその時々で炭酸水やホットミルクを用意した。話の内容はとりとめない物だった。
「ねぇ、アイン。貴方私の情報は一通り知っているのよね?」
希望が窓の外に視線を向けながら視線を向けながらつぶやいたのもそんな夜だった。
「はい」
希望の言葉に私は素直に頷く。ここに来る前の事だが希望の基本的な情報は集めさせてもらっていた。彼女の生活をサポートするために必要な物だ。
「……石神未来についても?」
「基本的な事は」
だからその人物の名前も知っていた。
人類の救世主。人類最後のイブ。新人類のおいて唯一生殖能力を保有していた少女。今は基本的なデータや細胞などを採取された後にコールドスリープに着いていたはずだ。そして。
「貴方の姉に当たる人物ですよね?」
「……ふん。そんな実感無いけどね」
希望は鼻を鳴らしながら言葉を吐き出す。
「生まれてから一度も話した事すらないわ。私が見たのは眠っている姿だけ」
彼女は視線を窓からのぞく夜空に向けたままだ。表情の読めない顔で言葉を発し続ける。
「……そのくせ、誰もが言うのよ。あぁ、君があの石神未来の妹か、ってね」
「恨んでいるのですか?」
彼女の言葉には石神未来に対しての不満が見受けられた。たしか情報には希望は誕生時に様々な出来事があったらしい。石神未来の妹という事で彼女は生まれた時から研究の対象だった。周囲の人間も彼女へ期待をしていたそうだ。しかし、結果として彼女は生殖機能を発現しなかった。そのせいで一部の人間からは誹謗中傷にさらされたそうだ。
ゆえにその原因の石神未来と新人類に恨みを抱えていても何も不思議な事では無かった。
「……えぇ、そうね。彼女が目を覚ましたら文句を言ってやるの。全部お前のせいだ。許さないって」
「そのためにAKウイルスの研究を?」
「そうよ。新人類が生殖機能を獲得できれば彼女は必要なくなる。救世主でもイブでもなくただの人間になる。そうすれば」
「彼女を目覚めさせるために、研究を?」
「……どうかしらね。ただ」
私の言葉に彼女は少しの間、言葉を止めた。
「……一度会って話ができればいいとは思ってるわ。私が生まれた元凶。全ての原因。そして、……私の姉」
彼女はそこまで話すと残りを飲み干す。
「じゃなきゃ恨めばいいのか、憐れめばいいのか分からないもの」
「ご主人様……」
その時の彼女の顔はどうとらえればよかったのか。泣きそうなのか、自嘲しているのか、懐かしんでいるのか、判断はつかなかった。
また彼女は時折研究に没頭しすぎる事があった。食事は基本的に3,4日に一度取っていたのだが、その時はかなり熱中していた。私が何を言っても聞き入れず、遂に1週間が経過した。
「ふぅおおおぉぉぉ……っ!!!」
ベッドの上で希望がお腹を押さえてもだえている。深刻な病気、ではなくしばらく動いていなかった消化器に急に食べ物を送り込んだために消化不良に陥っていた。
現在、希望は食べたものを全て吐いて点滴管理となっている。しかし一度動き出した胃腸は急には停止できない。おそらくしばらくは痛みに苦しむだろう。
「あ、アイン……っ!! お、お願いっ!! もう一度、痛み止めをっ……!!!」
希望は今までに見たことが無い表情で私に懇願してくる。しかし私の答えは決まっていた。
「無理です」
「アイン……っ!?」
希望は絶望的な表情になるが私の答えは変えられなかった。
「この痛み止めは一度投与した後、6時間は経過しなければ使用できません」
「い、いや、でも、ねっ!? 凄く、痛いのだけれど……っ!?」
「ご主人様」
私は涙ながらに訴えてくる希望の手を握り、落ち着かせるように笑顔を向ける。私の様子に希望は一瞬安心したような表情をするが。
「無理、です」
「あ、アインーーっ!?」
しかし私の言葉で再び悲鳴を上げた。
「ご主人様、どうぞ」
「……」
私が差し出したスプーンに希望はあからさまに顔をしかめる。気持ちは分からないでもないがこればかりは我慢してもらうしかなった。
「ご主人様……」
「分かってる、分かってはいるのよ……」
彼女は顔を背けながら頭を抱える。しかしどうしようも無いことを賢い彼女は理解できている。大きく息を吸って覚悟を決めると、彼女は目をつぶってスプーンを口の中に入れた。
そのまま噛む必要のない半液体のそれを嚥下する。
「どうですか?」
「正直言って美味しくは無い」
「さようですか。ではもう一口」
「貴方……、わざとやってない?」
希望は再度スプーンで内容物を救って口元に運んだ私を恨みがましく睨みつける。そうは言われてもこれは仕方のない事だった。
「ですがご主人様。対処法はこれしかないことは理解していますよね?」
「……点滴で栄養補給を行いつつ、胃腸に負担の少ない物から徐々に食べていく」
「はい。そして最初に食べるものとして推奨されているのが」
「……重湯」
「はい。これですね」
私は重湯、お粥の上澄みを希望の前に掲げる。彼女はやはりそれを忌々しそうに見つめていた。
再び目を閉じながら希望は重湯を口に含む。
「なんでこんな事に……」
「1週間も碌に食事を取らず、空腹を覚えたからと台所の調理済み保存食を一気に食べたからですね」
「……分かってるわよ」
希望はチマチマと重い顔で重湯を食べ勧める。
「ご主人様。一つ相談が」
そんな希望を見ながら私は一つのアイデアを思い浮かんでいた。
「何?」
「今後こういう事が起きないように、私の行動の優先順位を変更したいのですがよろしいですか?」
疑問気な表情の希望に、必要な許可をあらかじめ得ておく。これで今後こういう事は防げるはずだった。
「? まぁ、いいんじゃない?」
「かしこまりました」
私のわざとぼかした言い方に彼女は首を傾げながら同意する。これで私の今後の方針は決まった。
「ご主人様。食事の用意が出来ました」
その後、体調が回復し研究を再開した希望に向けて私はドアをノックしながら声をかける。
「あぁ、アイン。適当に置いておいて。研究がひと段落したら」
「駄目です」
「食べ、る……アイン?」
私に返事だけして再び研究に戻ろうとする希望を笑顔で引き留める。今まであれば私は希望の指示に従い彼女が望むまでそのままだった。しかし今回は違う。優先順位を彼女の体調管理を念頭に引き上げ、一時的に彼女の指示を拒否する。
そんな今までとは違う私の対応に希望は目を白黒させていた。
「ご主人様。以前の事を忘れたのですか?」
そして私からの言葉にバツの悪そうな表情をする。
「い、いや。覚えてるわよ。けど、まだ別に食べなくても……」
「ちなみに最後に食事を取ったのは何時か覚えていますか?」
「……2日前」
「いいえ、3日前です」
希望が頭をひねりながら答えた言葉を私は訂正する。
「あ、あら? そうだったかしら?」
私の言葉に希望は目を泳がせながら答えた。
「ご主人様?」
私は多少の圧を掛ける事を意識しつつ笑顔で希望に詰め寄る。
「……分かった。分かったってば」
そして希望は観念して椅子に座った。
「貴方来た時からだいぶ変わったわね」
「学習能力があり、ご主人様に最適化されるように設定されていますので」
「そうなの、ありがたい事ね。あぁ、そうそう。もうこの際だから私の事は名前で良いわよ」
「どうかなさいましたか?」
「いや、別に。なんかご主人様ってのが今更気になったのよ。変更して頂戴」
「希望ご主人様?」
「余計な物が着いてる」
「……希望お嬢様?」
「わざとかしら。貴方やっぱり結構いい性格してるわよね」
「……かしこまりました。希望」
わずかに顔をゆがめている希望に顔を伏せながら返答する。お辞儀のためでもあったが、彼女に今の顔を見られない意味もあった。おそらくきっと、今の表情は彼女を不愉快にさせてしまうだろう。
「はぁ、誰よアインの性格設定をしたのは」
「購入者の情報を集めて、その人物に最適だと思われる基礎性格設定を使用することになっています」
「……あぁ、そう」
希望は諦めたようにため息を吐くと、私が用意していた食事を食べ始めた。
「希望。いただきますは?」
「……前々から思っていたのだけれど、もしかして貴方の基礎性格って母親モデル?」
希望は私を半眼で睨みつけてくる。私はその事をなんだか微笑ましく思いながら、笑みを浮かべないようにして彼女を眺めていた。
しかしそんな生活にも変化が訪れる時がやってくる。そしてその変化は良い物だけとは限らなかった。
「希望……」
「……そう。報告ありがとう、アイン」
いつものようにコーヒーを購入しに行った街でそれは起きていた。新人類による集団自殺。このところ、様々な場所で発生しているようだった。数日前にも外国のどこかの都市で発生したとネット経由の情報で伝わってきた。
街に入っても誰もおらず、不審に思い探索した避難シェルターでそれは発生していた。
報告を聞いた希望は街の方に視線を向けて何かを考え込む。そしてしばらくして口を開いた。
「……アイン。明日で良いわ。また街に行ってコーヒーの在庫をあるだけ持ってきておいて頂戴」
「かしこまりました」
「そして、……いえ、明日は私も街に行くわ」
「……希望?」
「今までのコーヒー分くらいの働きはしましょう」
目の前で火柱が上がっている。街中で見つけた燃料となりそうなものを飲み込んだ火は中の死体ごと燃え盛っていた。
私と希望はその様子をぼんやりと眺める。
「何故、彼らは自殺を行ったのでしょうか、希望」
私は燃え盛る炎を見ながらぼんやりと呟く。確かにこの街は年々人口が減少し生活が苦しくなっていたようだった。しかしそれでもいつもコーヒーを買っていたお店の店主は笑顔で対応してくれていたし、私の顔を覚えて挨拶をしてくれた人もいた。
そしてまだ生活していくだけの余裕はあったはずなのに。何故。
「人類はある意味、永遠ともいえる時間を手にしたわ」
私の言葉に、希望は視線を炎から外さないままに言葉を返していく。
「100年は問題なかった。そして200年、300年も。けれど500年、600年。……1000年経てば? そしてそれが永遠に続くのだと理解してしまったら」
アインは現在の西暦を思い出す。もう新人類が誕生してから1000年が経過していた。3267年。もう既に人類文明の最盛期は通過し、斜陽の時代に突入している。
「……幾星霜の時間、それは人間を殺すにはあまりある絶望なのよ。人は永遠はおろか1000年の孤独に耐えられるほど、強くは無い」
「希望……?」
その時の彼女の表情は読めなかった。
「……帰りるわよ、アイン」
希望は炎でシェルターが崩壊したことを確認すると私の名前を読んで踵を返す。
「……どうか安らかに」
彼女は最後に一言だけ呟き、自らの家へと帰った。
「……アイン、一応報告しておくわ」
「……何でしょうか、希望」
「もう新人類の生殖機能発達の研究は終了よ」
「え。な、何故?」
家に帰りつくなり希望は突拍子も無いことを告げてきた。彼女は冗談をいうような性格ではない。つまり本気なのだった。
「……仮に何か方法が見つかったとしても適応する人がいなくなったからよ」
「――あ」
アインは先ほどの街の光景を思い出す。生き残っている人間はいなかった。現在その周辺地域に住んでいる新人類は既に希望一人なのだ。
「おそらく自殺は連鎖的に続くでしょう。きっと他の街でも起きるわ。ネットも遠くないうちに使用不可能になる」
「……希望」
「もう終わりよ」
彼女はそういって持ってきたコーヒーを全て台所にしまう。
「これから、何を?」
私はつい希望にそんな事を尋ねてしまった。
「さぁ、どうしましようかしら。このまま終末の世界を楽しみましょうか。文明崩壊の瞬間なんてなかなか見れるものじゃないわよ」
「希望……」
明るくふるまう彼女に、私はなんて言葉を告げてよいか分からなかった。
「……本当に、どうしようかしらね」
彼女も途方に暮れたようにつぶやいた。
次の日から希望が始めた事は新人類の歴史をまとめる事だった。AKウイルスの発生。新人類の誕生。今の状況をまとめていく。
「……コーヒーでも入れましょうか、希望?」
「えぇ、……いえ、止めておくわ」
「どうかしましたか?」
「もう補充が出来ないから。飲む頻度を減らしましょう」
「……かしこまりました」
私と希望の生活は継続はできていた。元々希望一人でも生活できるように作られていたものだ。けれど、全てが何も変わらず続いていくという事は無かった。
「あの、希望。一つ提案があるのですが」
「なにかしら?」
「石神未来の所に行きませんか?」
「……はい?」
ある日、パソコンで作業をしていた希望に提案を行ってみた。予想はしていたのだが希望は私の提案に本気かと視線で問うてくる。
「希望は以前言ってましたよね?」
「……たしかに一度話してみたいとは言っていたわよ。けれど今目覚めさせても」
「いいえ、希望。貴方が告げた通り既に人類文明は崩壊しています。つまりもうすでに彼女の救世主としての役割は無くっていると言っても過言ではないのではないですか?」
「……詭弁よ。そもそも未だに彼女が生きている保証なんて無い。そして1000年経ってネットも無ければ場所なんて分からないわ。そもそも移動手段だって」
私の言葉に希望がとってつけたように反対意見を並べていく。けれど。
「……確かに問題はあります。けれど希望。貴方は石神未来が眠っている研究所の場所を知っていたのではないですか?」
「……何故、そう思うの?」
私の言葉に希望は視線を逸らしながらつぶやいた。
「何年一緒にいたと思っているのですか。ネットも同じネットワークを使っていたのですよ」
「クラッキングしたわね、この機械人形は」
「貴方は機密情報であるはずの石神未来の研究施設の場所をどのように知ったのですか?」
希望は私を責めるように睨みつけてきたが、私の返答で諦めたようにため息を吐いた。
「……少し考えさせて」
「はい」
その時、私は希望がいずれ頷てくれると確信していた。素直では無いから時間はかかるだろうがきっと石神未来の元へ向かうだろうと。彼女はそのために研究を続けてきたのだから。研究は続けられなくなってしまったが、研究の意義そのものが崩壊したのだ。もう石神未来を眠らせておく理由なんて無いはずだった。
しばらくたった後。私が周囲の見回りと農業ハウスの手入れから戻ると、部屋で希望が首を吊っていた。
「……希望?」
はじめ、私はその光景が理解できなかった。視覚から情報こそ入ってきていたが思考が処理しきれない。
部屋の真ん中にあったいつも使用してた机。その上に登って首を吊ったのだろう。そして私がいつも座っていた椅子の上にメモが残されていた。
私はそのメモを開く。
『アインへ
石神未来を目覚めさせるという事は、人類滅亡の最後の一押しをすることになる。
そうなれば私は未来を殺してでも研究を再開させなければならない。
私にはどちらもできない。だからアイン。貴方は好きになさい。
石神希望』
「……あぁ」
私はその時になってようやく彼女の事を理解した。彼女は石神未来の妹であった。そして救世主のなりそこないでもあった。そして、なによりも人類滅亡を回避するために戦っていた研究者でもあったのだ。未来が存在している限り人類に希望はある。しかし、彼女が目を覚ましてしまえば。……そし彼女が死んでしまえば。その時点で人類の滅びは確定してしまうのだ。
「あぁ――」
その事を私は今になってようやく理解できたのだった。
そこからはしばらく何も行動することができなかった。しかしふと、希望があの街でしたことを回想する。
「……」
私は無言のまま希望を下して外で燃やした。骨を一かけらも残さないように集めて土の中に埋める。
そうして希望の部屋に入った。
中はとても簡素な部屋だった。奥の方に細菌を扱うための設備があったが既に使用されなくなってしばらく経過していたようだ。
そして手前の方には希望が研究用に使用していたであろうパソコンが置かれていた。中を覗いて研究内容を確認する。全て読み終え、電源を落とそうとしてそれに気づいた。
近くに写真置かれていた。伏せられていて内容は見えない。手に取ってみるとその内容は両親の元で笑顔でポーズを決めている石神夫妻と未来の写真が撮影されていた。
「石神、未来……」
私はその名前を呟く。そうして少し観察すると後ろに何か別の写真が入っていることに気付いた。家族写真を引き抜いてみると後ろに収められていたのは希望の写真だった。既に成熟期を迎えた姿で、会った時のような影のある表情をしている。
私はその写真を抜き取り懐に入れる。そうしてかろうじて残っていたインターネットに接続した。
ネットからサバイバルや応急処置など生存に役立ちそうな情報をインプットしていく。念のため他の使用者を確認したが誰もいなかった。
情報を収集し終えると私は希望を埋めた場所へと向かう。
「……行ってきます、希望」
そして私は石神未来の研究所があったであろう場所に向けて出発した。
幸い、未来が眠っている研究所はなんとか見つける事ができた。既に人は誰一人としておらず、周囲は廃墟然と化していたが設備そのものは生きていた。中に入ると彼女をすぐに見つける。
「石神未来……」
彼女は未だに安らかな表情でコールドスリープ設備の中で眠っていた。その様子は以前、新聞のデータベースで見た時を寸分変わりないように見える。
一通り彼女の様子を見て回ると機械に何か書かれているのを見つけた。
「……これは」
内容は見慣れた物だ。『Lernu en ia pasinteco, vivi en la nuntempo, esperi pri la estonteco(過去に学び、今を生き、未来に希望を)』。希望が記した記録、新人類中期に流行したスローガン。しかしその内容は上から塗料で塗りつぶされている。特に『esperi(希望)』の部分はほとんど読めなくなっていた。
希望なんて無い、とでも伝えようとしたのだろうか。何もかもに絶望してしまったのだろうか。この文字を書いた人は未来に何を見たのだろう。そして私は。
「……好きにしなさい」
希望が残した言葉を口に出して反芻する。しかし、そこから何も動くことができなかった。
石神未来を目覚めさせる? 衰退し人類の滅びかけているこの世界に? それで何になる? ならば彼女をこのまま? それならば希望は何故自殺した? 彼女の死の意味は? そしていづれこの設備にも限界は来るだろう。その時、目覚めた彼女がこの環境で生き残れるか? この廃墟の街で10歳ほどの少女が? ならば、ならば、ならば。
何が新人類に対しての正解だ? 何が希望の望みを叶える事になる? 何が、石神未来にとっての最適だ? 目を覚まさせてこの世界の現状を伝える? このまま眠らせたまま、目覚めさせないようにする? そして、彼女が死ぬ様を見ることになるのか? また?
「……あぁ、希望」
考えて考えて、私は希望の名前を呟く。自分でも何故そうしたのか理解できなかった。希望はもう既に死んでいると理解しているのに。
「私は、どうすべきなのでしょうか?」
好きにしなさい。その言葉は行動に移すには重すぎた。どう考えようとも、私には正解と思う事ができなかった。
「こんにちは。未来。今日は晴れて良い天気ですよ」
私はコールドスリープ装置の中で眠っている未来に声をかける。中にいる未来に声が届くとは思えなかったし、冬眠状態の彼女が反応を返す事も無かった。しかし。
「近くに花の群生地ができていました。付近には動物の姿も良く見えます」
それでも未来の横に立ち、声をかけ続ける。
結局、自らにできることなど、この位しか思いつかなった。彼女を目覚めさせることはしない。けれど放ってもおかない。ただ石神未来という少女を見守るだけ。
「……見る人が見れば、綺麗とでも評するのでしょうね」
「未来。最近は干ばつ気味なようです。外に生きている生物には酷でしょうが、太陽光発電設備は好調なようですね」
「ここの所雨が続いています。機械の調子はどうでしょうか。まぁ、ここは大容量の蓄電池を兼ね備えているので設備の維持だけなら問題は無いでしょう。」
「木々の紅葉が始まりました。大型の動物が冬眠の栄養を蓄えるためにここらでも見かけるようになっています。けれどご安心を。私は警護も兼ねていますので。……希望の所では一度も披露する機会は無かったですね」
「雪、です。一面銀世界、と表現するのでしたか。希望の住んでしたところは積もるほどでは無かったので、この光景を実際に見るのは初めてですね」
「この研究所には桜が植えられていたのですね。とても見事に咲き誇っています」
「今日地震が発生しました。震度は3、ほどでしょうか? 研究所に損壊はありませんでした」
「……未来。貴方は、目覚めたいですか? それとも、このまま」
そんな生活にも限界はやってきた。希望の時と同じく、アインにも未来にもどうしようも無い出来事で。
「これは……」
鳴り響いた轟音に状況の把握を始める。
研究所にたどり着いてどのくらいの年月が経過しただろうか。平穏に経過していた研究所の時間がついに破られた。嵐の中、しばらく研究所内の電灯が全て停止する。時間が経過するとすべて再点灯し問題は解決したように見えたが。
私は研究所の制御室に向かった。電気系統の状況を調べる。
結果。雷の直撃により、太陽光発電施設の一部に不具合が発生していた。現在はサブの電源装置を使用しているようだ。メインの状態は実際に見て見なければ把握できなかった。
窓から外の嵐の状況を確認する。強化ガラスには大粒の雨が打ち付けられており、今外に出たら機械人形である私ですらどうなるか分からなかった。
大嵐が過ぎたのち、研究所の損壊状態を調べる。その結果はあまり良い物とは言えなかった。
太陽光パネルの一部に雷が直撃したようで破損したものは使用不可になっている。メインの電源装置も目も当てられない程だ。今は残ったパネルとサブ電源装置でなんとかしのいでした。しかしこれも長くは続かないだろう。
「……」
私は破損の修復に必要な機材を考える。しかし、そんなもの何も残っていなかった。周囲の建物は風化し始めており、建物の中まで雨風にさらされている。無事なのは特に頑丈に作られていたこの研究所だけである。
それすらも限界が近づいてきていた。
「希望……。私は、どうしたら」
しかし、それでも自らがどう行動すべきか判断がつかなった。
そしてついにその時が訪れる。サブ電源装置の限界が来た。コールドスリープ装置がその機能を維持できずに緊急措置が起動する。目の前では石神未来が目覚めようとしていた。
目標。石神未来の安全、健康の確保。精神状態の安定のため、彼女への開示情報に一部制限を適用。合わせて希望の言葉を想起。『人間は孤独に耐えられない』。ならば。
私が行うべき行動は彼女の安全、健康、そして生命活動の確保。そのために私が機械人形であることは告げるべきではない。
結論付ける私の眼前で石神未来が体を起こした。
その少女はやはり希望に似ていて、しかしその無垢な表情が彼女とは違う人間なのだと思い知らされて。
「……え、と? あれ、貴方は……?」
少女が私の事を認識して質問を投げかけてくる。
「私、私は……」
彼女に対して私も口を開く。彼女には何も知らせないように。彼女が真実に気付かないように。もう人類は彼女しか残っていないかもしれない、と。全てに絶望して自ら命を絶ってしまう事が無いように。
「……アイン、です。貴方は?」
そのためならどんなことでもやり遂げよう。彼女を守り切ろう。そう心に決めた。
記憶情報の想起完了。バックアップ開始。
しばらくすると処理が完了したことを知らせるメッセージが表示された。その事を確認して目を開ける。
場所は図書館内の職員用休憩室だった。近くには荷物が置かれていて、横のベッドには未来が背を向けて眠っている。記憶バックアップを開始した時から何も変わっていなかった。念のため周囲で変化が起きた際は中断するように設定していたが、それでも現状に安堵する。
あの後、全てを告げてから未来はいつも通りに水分補給を行い、眠りについた。今後や私、希望に着いての話は無かった。本人が言った通りに、私からの情報でどう行動すべきか考えているのだろう。
「希望……。これで良かったのでしょうか」
未来の背中を見ながら昼の行動の是非を確認する。彼女を助けるために正体を明かしたのは必要な事だった。けれど、そのほかの事はどうだろうか。新人類の事、人類文明の現状等ごまかした方が良かったのではないだろうか。
けれど未来には希望の事を知っておいて欲しかった。しかしそれでも彼女が死を選んだ理由は伝えられなかった。未来で実験を行いたくないと記した希望。もう何が正解なのか分からなくなってくる。
「……そろそろ行きましょう」
どうすれば良かったのかの判断はつかない。けれど今、アインにはしなければならなかった。そっと未来を起こさないように立ち上がると部屋から出ていく。扉を閉める際に未来が目を覚ましていないことを再度確認し、目的の場所へと向かう。
部屋を出て進むと、昼間のフロント前にやってきた。その目前には昼間のメスライオンがもう存在していなかった。おそらく清掃用ロボットが掃除をしたのだろう。
ロビーを通り抜けると上階へと昇っていく。そしてたどり着いた場所には、昼間に見つけた破損した機械人形が横たわっている。その人形の横で屈みこんだ。
「申し訳ありません。いくつかパーツをもらいますね」
昼間は詳しく確認できなかったがおそらくこれはシュワルツ社製だ。パーツの互換性はあるはずである。これで問題が生じているパーツの交換を行う事が目的だった。記憶バックアップは不測の事態のための備えだ。何かのトラブルで記憶が損傷することだけは避けたかった。希望に未来。どちらの記憶も消えてほしくない。
「さて」
まずは脚部のパーツから、とアインが腰を下ろしたところで。
「やっぱり昼間の問題無いは嘘だったんだね」
いつの間にか後ろから着いてきていた未来が声を掛けてきた。
「……未来」
その姿に私はなんて答えて良いか迷ってしまう。もう機械人形であることは彼女にばれているので、正直に話しそのまま続けても良いのだろうが、言葉が続かない。
そのまま二人、視線を合わせたまま動きを止めてしまった。
「……現在の稼働には問題ありませんよ。いくつか不具合を起こしそうなパーツがあったので念のためです」
しかしそのままという訳ものいかずに、私は未来から目を逸らして正直に話す。
「見てていい?」
そうすると未来が予想外の質問をしてくる。
「楽しいものではありませんよ?」
「別にいい」
私は困惑しながら彼女に返答した。本当に何も面白いものは無いだろう。ただ部品の交換を行うだけだ。しかし彼女はそのまま私の横に腰かけた。
「……分かりました」
私は観念してそのまま作業を続ける事にした。目の前の機械人形の脚部を点検し必要なパーツを探していく。目当ての物をいくつか抜き取ると、それは比較的綺麗だった。年月は経過しているとはいえ、活動範囲がこの図書館内部だけだったからだろう。廃墟を歩んできた私の物は摩耗が進んでいた。
状態の確認が終わると私はもう一度未来の方に視線を向けて自身の脚部を展開する。目前で変形した私の脚部に未来が僅かに目を見開いた。
「……ね? 楽しいものでは無いでしょう? 機械人形に見慣れていない世代の未来には嫌悪感もあるのでは無いですか?」
「……大丈夫。続けて」
「無理は」
「してないから」
未来は少し意地になった様子でむしろ私の脚部に視線を集中してきた。その様子に何故か私は希望の様子を思い出す。意地になった希望もこんな表情をしていた。
なんだか少し微笑ましい気持ちになりつつ、私は交換を続けていく。胴体、腕部、頭部全て。摩耗した部品は取り替えた。後は。
「……未来、少し目を閉じていてもらえますか?」
「なんで?」
「あまり見せたくないので」
「……やだ」
「未来」
「もう、隠し事はされたくない」
「……未来」
「いやだ」
しょうがないか、と私はそのまま最後の作業を続ける事にする。私は自らの顔に手を当てて、表面に装着されている人工皮膚をはぎ取った。
「――っ!!」
「……だから言ったのに」
先ほどより大きく驚く未来に私は機械の顔でぎこちない笑みを浮かべた。そうして手に持った人工皮膚の破損部を見つめる。ライオンの爪に裂かれた部分は大きく破損したままだ。この皮膚だけでは修復は難しかった。
ゆえに私は目の前の人形の顔の人口皮膚もはぎ取る。そのまま自らの裂かれた部分を大きく切り取った。そうしてその箇所を覆う様に手に入れた人工皮膚を張り付ける。
そのまま通電を行う。しばらくすると問題無く皮膚の癒着は完了した。再び皮膚を顔に張り付けて機械との接続動作テストを行う。全て問題無く経過した。
「……おしまいです」
「……ねぇ、アイン」
人工皮膚の貼り付けが終わり、再び未来に向き直ると彼女は真剣な表情で声を掛けてきた。私は何を言われようとも受け入れようと覚悟を決める。
「何ですか?」
「その皮膚どうなってるの? そこのロボットとアインの皮膚の色って微妙に違うよね?」
「……え?」
しかし私は未来からの本当に単純な質問に目をまるくしてしまう。そんな事でいいのだろうか。確かに私は希望が寝不足で注文しただけあってほとんど元モデルから変更されていない。肌色はかなり白いだろう。司書として働いていたであろう機会人形はわずかに色が濃い。並べてみれば違うものになるはずだった。しかし。現在私の顔に張り付けられたものは継ぎ目も分からない位に同じなはずだ。
「……この人工皮膚はもともと全て同じ物なのです。むしろ張り付けられる側の設定になりますね」
「あぁ、そうなんだ」
未来が接着したばかりの肌に指先を伸ばしてくる。私は彼女の思い通りに触れるように動かないでいた。
「……本当に見分けがつかない。というか触っても分からないね」
「……自分で言うのもなんですが人類文明の最盛期の最高級品でしたので」
「あぁ、まぁ、温泉で気が付かなかったから無理も無いね」
未来はそのまま私の髪に触れてくる。
「髪も作り物?」
「はい。これは太陽光を吸収する素材です。私の動力ですね」
「……道理で。味も感じるんだったよね?」
「人間と同一ではなりませんが、何が入っているかどうか位は」
「そっかぁ」
未来はそういって一旦体を話す。しかしすぐにこちらの顔を見つめてきた。
「……未来?」
彼女が何を考えているか分からず、困惑と恐怖が混じった声を出してしまう。彼女はいったいどうしたいのだろうか。
そんな風に悩んでいると彼女はそのまま私を抱きしめてきた。
「み、未来?」
「ごめん、アイン。しばらくこのままいさせて」
未来は私の胸に顔をうずめたまま小さな声で呟く。アインはそんな未来の背中を優しくなでる。
「アインはあったかいね」
「外見上は人間と変わらない物に仕上げられているはずです」
「あぁ、そうなんだ。でも分かる気がする」
「……未来はどう考えているのですか?」
アインは未来に言葉でいつか希望と話した事を思い出す。彼女が人間と瓜二つの理由。希望曰く、人間そっくりの奴隷が欲しいからだろうと言っていた。優越感のためだと。
「新人類には子供も大人もいなかったんでしょ? 妊娠も老化もできない」
「はい」
「……多分、寂しかったんじゃないかな」
「寂しい……」
「親も死んでしまって。新たな子供もできない。見慣れた人だけの永遠の生活。全ての人間が平等って事は、誰かに守ってもらったり誰かを守ったりも少なかったんじゃないかな?」
「あぁ……、そう、かもしれませんね」
未来の言葉でアインは昔の新人類を思い出す。希望はそもそも一人で暮らしていたが、他の人も同じような物だったかもしれない。恋人や婚姻関係を結んだ人たちはいたが、それでも全て平等という価値観の元だ。基本的には自己責任を主体としていた。全ての人は十歳前後で成長が止まり、そのまま数百年生きていたから。
「誰か、自分の絶対的な味方がいる。家族っていう切れない縁。一人じゃないっていう安心感」
「……希望は優越感のため、と言っていましたね。人間と瓜二つの奴隷が欲しいだけだって」
「……私の妹はだいぶひねくれてたみたいだね?」
アインの言葉に未来は苦笑いを浮かべたような口調で言葉を返してきた。けれど確かに希望は少しひねくれていたと思う。なぜなら。
「それでも、近くの街の人間が亡くなった時は彼女が弔ったんですよ」
新人類が嫌いなはずなのに、彼女はあの街の人たちを自ら見送ったのだ。
「人嫌いなのか優しいのか」
「今までのコーヒー分は働く、と言って」
「えぇ……。それ大丈夫だったの? 絶対孤立してたでしょ」
「私が来た時には既に一人きりで暮らしていましたから」
「……そっかぁ」
未来はそこまで話すと顔を上げて見上げてくる。
「……ねぇ、アイン。色々考えたんだけどね。実は私そこまでショックは受けて無いんだ」
「そう、なんですか?」
「うん。人類が滅んでた、とかはまぁ、予想してたし。むしろ妹がいた事の方が驚いた」
「あぁ、希望の事はさすがに想像ができないですもんね」
「……そしてね、やっぱりアインがいてくれた事が大きいんだよ」
「私、ですか?」
思わぬ言葉に未来の目を見返す。彼女は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「改めていう言うまでも無いことだけどさ。私はアインが居ないと多分すぐに死んでた。これはもう誇張なく」
「……それはしょうがない事でしょう? 未来はサバイバルの知識なんて持ってなかったでしょうから」
「うん。けどね。たとえ私がサバイバルの知識を持ってたとしても、多分耐えられなかったんじゃないかな?」
「それはどうしてですか?」
「目が覚めて、最初に視界に入ってきたのはアインだった。それから外に出て廃墟の街を見た時、私本当はすっごく怖かったんだ」
「え?」
未来からの告白に驚く。あの時彼女が動揺しているようには見えたが、怖がっているようには感じなかったからだ。
「でもね。それからアインがこれからどうするべきか言ってくれて。街で必要な物を集めて旅に出て。食べ物とか何でも集めてきて。私、一緒にいてくれるのがアインで良かった、って何度も思ったんだよ?」
「未来……」
「だから、私が貴方にいう事は決まってるの。いままでありがとうアイン。私を助けてくれて。私に辛い現実を隠そうとしてくれて」
未来はそのまま私の首に腕を回してくる。そして耳元でささやいてきた。
「そしてどうか、貴方が良いのなら。これからも一緒にいてほしい」
「……えぇ、もちろん」
私は未来を抱きしめ返す。
「こちらこそ、よろしくお願いします、未来」
アインの膝の上で未来が静かに寝息を立てていた。
図書館の窓からはすでに日が差し込んできており、いつもなら火を起こして未来の起床に備えているような時間だった。
しかしその当の未来がアインの足を枕にして寝ている。なのでアインは仕方がなく、いいや。ただこの時間がもう少し続いてくれればいいと願いながら私は寝ている少女を見つめ続ける
「んんぅ?」
しかし日光が顔に当たり始めた未来が覚醒し始めた。目を眠そうに擦りながら体を起こす。そうしてぼんやりとアインを見つめてきた。
「おはようございます、未来」
「……ふぁあ、むんぅ? おはよう、アイン」
「良く眠れましたか?」
「……そこそこは」
「少し待っていてください、外でお湯を沸かしてきます」
「ありがとう、けど私も行くよ」
外に向かおうと立ちあがったアインに未来が後を追う様に立ち上がった。
「今後の事を考えてみたんだけどね」
「はい」
二人の目の前では炎がパチパチと音を立てながら燃えていた。未来はアインが沸かしてくれたお湯を飲みながらこれからの事を話しだす。
「……希望の所に案内してくれないかな?」
「希望、ですか?」
「うん」
そうして未来が口にしたのは妹である希望の事であった。
「けれど、希望はもう……」
「うん。分かってる。……けど、彼女のお墓参りくらいはしたいし。なによりどんなとこに住んでたのか、何をしてたのかとか彼女の事を知りたいんだ」
「……距離はまだまだありますよ?」
「うん、だいじょ、ん? まだまだ?」
そのまま話を続けようとした未来がアインの言葉で口を止める。今のアインの言い方。それはまるでもともとその方向に向かおうとしていたようだった。
「……彼女が住んでいたのはこの国の首都の近隣の都市でしたから。実を言えば向かっている方向は同じです」
そして未来の向けてくる視線のアインが種明かしを行った。二人はそもそも生き残りの人類を探すという名目でもともと多くの人が住んでいた場所に向かっていた。
「……あとどのくらい?」
「私では数か月で着きましたが、どうでしょうか?」
「ちなみにその時って……」
「日差しが強い時は全速力でした」
「……私がいると?」
「……難しいですね。そもそも未来のいた研究所に着いたのがだいぶ前なので」
「地形が変わってる可能性もあるのか……。ねぇ、アイン?」
「何ですか?」
「えと、貴方私が目覚めるまでどのくらい見守ってたの? 昨日の夜はなんかぼかしてたけど」
未来が何の気なしに告げた質問にアインはすっと視線を逸らす。
「……さて、未来。そろそろ出発の準備をしましょうか」
そして何事も無かったかのように片付けを始めた。
「いや、ちょっ!? アイン!? いつから眠ってる私を見続けてたの!? 数日、は無いよね? 何か月? 何年?」
「未来、今日中に休息ができる場所を見つけなければなりません。急いで準備を」
「なんか私の寝てるのをずっと見続けているな、って思ってたけどそれが理由だよね!? ほんとにどれだけ見続けてたの!?」
「……いつか絶対聞き出してやる」
「……そんなに知りたいものなのですか?」
「アインこそそんなに言いたくないの?」
「よん、……いえ、やっぱり止めましょう」
「十!? 百!?、どっち!?」
「さて?」
「アイン~っ!?」
二人は騒がしく会話を行いながら図書館から出て来た。
そんな二人の前に一匹の動物が出てくる。大きさは犬や猫程であったが、おそらくそれはライオンの子供だった。
その姿を目にしてアインが未来を手で制して、彼女を守るように前に出る。
けれど。
「……アイン。良いよ」
未来が首を振りながらアインに手を当て、彼女の行動を止めた。
「未来、しかし」
「大丈夫なんじゃないかな?」
話をする二人の目の前のライオンの子供が通り過ぎていく、二人に視線を向けはするものの、近づいてくることは無かった。
そのまま図書館の方に向かっていった。
「あの子って」
「あの二頭の子供かもしれませんね」
「そっか……」
未来はそのライオンの行く末を想像する。親を亡くしたあの子はそのまま死んでしまうかもしれない。
「けど、そもそも私達人類の方が危機的状況か……」
しかしすぐに今現在の自分たちの置かれている状況を思い出した。文明は崩壊。人類は滅亡寸前。ここに残っているのは機械人形と人間一人。
ライオンの事を憐れんでいる場合ではない。彼らとはある意味では生存競争の同じ土俵に居るのだ。
「……よしっ!! 行こう、アイン。とりあえず希望の所まで」
「はい、未来」
未来に希望は無いかもしれないけれど。きっと貴方となら生きていけるだろうから。
そうして未来は歩き出した。
人類の滅びた世界で、貴方と @asia_narahara
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