2
「はぁ〜いっぱい食べたぁ!美味しかったね!」
両手を広げて、二葉が大きく深呼吸をする。
上空には、清々し過ぎる程の青空が広がっていた。
「そうだな」
……また、殺されなかった。
取り敢えず、まだ生きている事に安堵しながら、午後2時に向けて緊張を高める。
現在時刻は午後0時。
昼食ラッシュという事もあり、街はお腹を空かせた人々で賑わっている。
「それで、次はどうするの?」
小首を傾げて尋ねてくる二葉。
ちょうどお昼時な事もあり、ディナーを食べる予定のレストランに行くにはまだ早い。
とはいえ、彼女に任せていては殺される確率が高まるだけだ。
だから、事前にプランは決めてある。
彼女にもそのことは伝えてあった。
ただ、臨機応変に対応できるように、あくまでも詳細なスケジュールは秘密という事になっている。
「次は……」
スマホを覗き込んで、少しだけ考えるふりをする。
「××公園に行こう」
××公園。春には桜の名所として全国から人々が集まる場所だ。
ただ2月の今では咲いている花も少ないため、人通りもそこまで多くはない。
今日は天気も良く、絶好の散歩日和だった。
「××公園かぁ〜、行くの久しぶり」
「一回デートしに行ったよな」
もう20年以上前、俺たちがまだ彼氏と彼女だった頃の話だ。
お金もそこまで持っていなかった俺には、××公園が精一杯の娯楽のように思われたのを今でも覚えている。
「あの頃は、楽しかったなぁ」
――あの頃は、楽しかったなぁ。
俺の心の声と二葉の声が重なって、思わず「えっ」と言ってしまう。
彼女は不思議そうな顔をした。
「……いや、なんでもない」
俺は地面に目線を逸らして、歩き続ける。
ただ、何も無かったあの頃を、彼女も楽しかったと思ってくれている事実に、少しだけ嬉しさを感じている俺がいた。
できることなら、ずっと、2人でいたい。
もっと、2人で行きたい場所が沢山ある。
2人で食べたいものが沢山ある。
2人で見たい景色が沢山ある。
嫌だ、離れたくない。
二葉に、死んでほしくない。
今更そう思っている俺がいた。
「なんでもない……けど……」
二葉の方を振り返ろうとする。
けど……
……………。
何が起こったのか理解が追いつかなかった。
爆音と、光、誰かの叫び声。
視界一杯に大型トラックが横切る。
……あぁ。
俺、こんな所で死ぬのか。
ただの、交通事故なんかで。
先程まで昂っていた気持ちが、今になって急速に落ち着くのを感じる。
生への執着も、もうどうでもよくなっていた。
ただ、二葉さえ生きていれば。
コマ送りの世界の中で、必死に手を伸ばして、二葉を探る。
二葉。どこだ二葉。
突然、後ろから背中を押された感触がした。
振り向くと、二葉がそこには立っていた。
……何、やってる。
そこに居たら、轢かれてしまう。
早く、こっちに、
そう言いたいのに、声が出てこない。
苦しい。
パニックで頭が真っ白だ。
もういっそ、世界がこのまま止まってしまえば良いのに。
そんな俺の意図を汲み取ったのか、フッと二葉が嗤った。
どこか得意げな彼女の瞳に、自信がきらめく。
「よ、か……」
鮮やかな朱色のリップに彩られた唇が僅かに動く。
待って。
待てって。
ビルの隙間から、陽の光が差し込む。
その瞬間の彼女が、2人で過ごしてきた時間の中で、1番綺麗に見えた。
まだ冬の寒さが僅かに残る日の事だった。
彼女が言葉を言い切るよりも早く。
時間は無慈悲にも進んでしまう。
次の瞬間、俺の体は道の脇に弾き飛ばされていた。
ピッ……ピッ……
無機質な機械音が真っ白な病室に響く。
俺が運び込まれたのは、事故現場からそう遠くない病院だった。
二葉が突き飛ばしてくれた事もあり、俺は幸いにも軽い打ち身と脳震盪で済んだ。
今はこうして、脳震盪の後遺症が残っていないかの最終チェックを受けている所だ。
ぐるぐると頭の周囲を回転する機械を眺めながらボーッとしていると、ふとあの日の光景が蘇る。
事故から既に2日が経っている。
二葉を含め、4人の方々が犠牲となった交通事故は世間に大きな衝撃を与えた。
警察によって精密な調査が行われたが、運転手の睡眠障害が事故の原因を裏付けていた。
大型トラックが都会の交差点に突っ込み、一般人を巻き込んだ。
そのニュースはまたたく間に広がり、テレビを付ければ報道していないチャンネルは無いくらいだ。
……それにしても。
彼女の最期の笑顔。あの、奇しくも美しいと思ってしまった笑顔が、どうやっても頭から離れない。
俺は……ずっとこんな感情と共に生きていくべきなのか?
なぁ、二葉。
ガシャリと音がして、機械が停止する。
「お疲れさまです。今の所問題は無さそうですので、今日のところは帰宅していただいて結構ですよ」
「……ありがとう、ございます」
嘘だ。
こんな気持ちを抱えた俺が、正常な訳がない。
「念の為、また来週に来てください。あと、お薬も出しておきますね」
「はい。ありがとうございます」
もう何度目かも分からない感謝の言葉を口にする。
病院を出ると、上空にはちょうど2日前のような清々しすぎる青空が広がっていた。
……家に帰ろう。
もう、俺だけになってしまった家に。
あの洋服屋さん、二葉とよく行ったなぁ。
あそこのコーヒー、二葉のお気に入りだった。
2人であのベンチに座って、景色を眺めてたっけ。
つい数年前の事なのに、次々に二葉との思い出が蘇る。
二葉と出会う前の俺を思い出そうとするも、それは失敗に終わった。
俺は、本来どんな人間だった?
こんなにも、悲しさを感じている自分に戸惑いが隠せない。
今の俺を見たら、二葉はなんて言うだろうか。
二葉との思い出で満ちた町並みから、段々と色が薄れていく。
俺は……
俺の如月二葉に対する第一印象は、『変人』だった。
大学の第2校舎、昼になると屋上で大声で歌っている変人。
しかも歌っているのは数年前のヒット曲。2人の人間の恋を歌った曲だった。
そんな場面で、俺はというと先輩に言われて、彼女を静かにさせるべく屋上に来ていた。
人に注意をするのが苦手な俺は渋々、気持ち良さそうに歌っている彼女の肩を叩いた。
「何?」
夕闇のような色をした2つの目が俺を捉える。
鋭い視線に思わずたじろぐ。
「あの、ここで歌われると迷惑なので、どこか他の場所に移動してもらえますか?」
できる限り丁寧な言葉でそう伝えると、彼女の瞳は「面白いものを見つけた」とでも言うように、悪戯っぽく輝いた。
「私と遊んでくれるの?」
幼い少女のようなその問いかけに、思わず「は?」と返してしまう。
「嬉しい!どこに行こうかな〜」
しかし彼女はお構いなしに、指を唇に当てて考え込む。
「よし!ついてきて!」
「え?ちょ、ちょっと……」
俺の右手首を引っ張る彼女の力は思ったよりも力強かった。
あるいは、彼女には何か人を惹きつける力があって、俺は抵抗することも出来なかったのかもしれない。
そう言っておこう。
「ただいま」
返事はない。
もう本当に、俺一人になってしまったのか。
その事実だけが、急に妙な現実味を帯びて孤独に染み渡る。
窓の方を見ると、すでに木々が宵闇に覆われ始めている。
時間的には、夕飯を作るべきなのだろう。
しかし食欲がない。
……水だけでも飲むか。
そう思いコップに水を入れる最中、ふと白い紙切れが蛇口の横に置かれているのが目に入った。
2日前まではこんなもの無かったはず。
不審に思ってよく見てみると、紙の上には黄色の錠剤が2つほど置いてあった。
“薬”?
俺も二葉も、幸運なことに病気をしたことは無い。
この家の中で薬といえば、怪我をした時の塗り薬くらいしか無い。
それに、2日前、俺が起きていた限りの記憶ではここに錠剤は無かった。
だとすればこれは、二葉がいずれかのタイミングでここに置いたものということになる。
錠剤を脇に退けて、下で折り畳まれていた紙を開く。
『2222』
まっさらな紙の中央には、丸っこい二葉の字でそう書かれていた。
それ以上の情報は無い。
チク、タク、チク、タク……
全てが止まった部屋の中で、時計の秒針だけが動き続ける。
時計。
そこで、とある考えが俺の頭の中に浮かんだ。
「……そうか」
もし、この4つの2が時間を表しているとしたら。
如月二葉が俺を殺そうとしていたのは午前2時でも午後2時でもなく、22時22分、つまり午後10時だったのかもしれない。
無論、彼女が居なくなってしまった今ではそれが正解かどうかも分からないが。
チラリと時計を見遣る。
ちょうど、22時20分頃を指そうとしている所だった。
迷っている暇などない。
コップに2杯目の水を注ぎ、2粒の錠剤を指で摘む。
……
2222年2月24日
窓の外では、月がこちらの気持ちなど人ごととでも言うかのように嗤っている。
2日ばかり遅れてしまったが、素敵な夜だった。
俺もいつの間にか、二葉と同じように”2”の呪いにかかってしまっていたのかもしれない。
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