"2"

みぃ

1

2222年2月21日


俺は明日、妻に殺される。


随分と突拍子もない話なのは分かっている。


だが、これは揺るぎない事実だ。


他殺にしろ事故死にしろ、俺はもうすぐ居なくなる。


だからその前に、俺が知っている事を少しだけここに書き留めておきたい。


彼女との思い出を忘れないために。そして、遺書として証拠を残すために。





俺の妻――如月二葉は、今から44年前、2178年2月22日に生まれた。


出身地は二ツ井町、午前2時22分の事だった。


生まれた時から2という数字に取り憑かれていた彼女は、人生を通して「2」にこだわっていた。


焼き鳥屋に行けば同じ串を2本ずつ頼み、食事は1日2回。朝ご飯はいつも、2粒のサプリメントをコップ2杯の水で飲む。


外出する時は、右から2番目の改札で駅に入り、2号車2番ドアの車両に乗り込む。


洗濯も皿洗いも1日2回。それでも溜まってしまう時は、俺が二葉を手伝っている。


明日でそんな彼女との生活も終わるのだろう。



如月二葉は、誰よりも2を愛すると同時に、誰よりも1を嫌っていた。


22年前、俺と結婚したのもそのためだ。


2200年2月22日の事だった。


わざわざ彼女の誕生日と合わせたせいで、お祝いが大変なのは言うまでもない。


毎年2つ星レストランで2人分の食事を予約した。


明日でそんな恒例行事も22回目だ。


23回目はおそらくもう来ない。





ここまで書けば、俺の言わんとしていることも伝わるだろう。


明日は妻の2×22歳の誕生日、俺たちの22回目の結婚記念日、そして2が7桁も並ぶ日。


彼女にとっては、その一生を終える絶好のチャンス日だ。


2年ほど前から、彼女は自分の死に方についての話をよく俺にするようになった。


二葉曰く、俺たちが子供を持たなかったのも、死ぬ時に悲しい思いをさせたくなかったから、らしい。


もともと、彼女にはそこまで長生きする願望も無かったのかもしれない。





 「やっぱり、苦しくないのは他殺だよね〜」


インターネットの記事をスクロールしながら、二葉が物騒な事を呟く。


またこの話か。俺は読んでいた本を閉じて、体裁だけでもちゃんと聞いているフリをした。


 「銃殺も良いけど……最近じゃ手に入れにくいからなぁ」


頬に手を当てた彼女の瞳は、スクリーンを眺めていながらもどこか虚ろだ。


 「ねぇねぇ、どう思う?」

 「……別に、今決める事でも無いんじゃないか」


このやりとりももう何回目だろう。


この後の展開は知っている。二葉が頬を膨らませて、俺に向かって怒鳴るのだ。


 「もう、ちゃんと聞いてなかったでしょ!」


ほらきた。


聞いてなかったでしょとは言われても、この世のどこに、死に方についての話を真面目に聞く人間が居るというのだろうか。


目の前の彼女を除いて。


 「はいはい。そんな話やめて、もっとポジティブな事考えようよ」


俺が二葉の目の前にコーヒーを置くと、彼女は深くため息をついてパソコンを閉じた。


 「……ちゃんと、2人で死のうね」


低い声で、彼女がボソリと呟く。


俺は何も聞かなかったフリをして、再び読書に戻った。





ゴーン……ゴーン……


古い柱時計の鐘の音が重々しく響く。


この時計も彼女のお気に入りで、20年前に造られた品だ。


ゴーン……ゴーン……


一回一回の間が長い。


まるで、一つずつ、大事なものを壊されていくかのように。


ドスン、ドスンと俺の心に負荷がかかっていくのを感じる。


あと2回の辛抱だ。


ゴーン……ゴーン……


そして静寂が訪れる。


俺は辺りをそっと見渡してから、とりあえず日付が変わった瞬間に殺されなかった事に安堵した。


ついにこの日が来てしまった。


握っていた右手を開けば、じっとりとした汗が指の間に這っている。


こんな緊張したままで、1日持つのだろうか。





少し頭の中を整理しよう。


犯行時間として考えられるのは、午前2時か午後2時のいずれか。


今日は午前11時から2人でランチの予定が入っているため、余裕をもって屋外に出れば、午後2時、レストラン内での毒殺や刺殺といった可能性が低くなる。


懸念すべきはおやつと言って再びカフェに連れ込まれた場合だが、ディナーを理由にして断れば大丈夫だろう。


外で殺されるとすれば、事故死の確率が高い。


だが、それも考慮して今日の移動は徒歩だ。


人通りが多い町だから、彼女が他人を巻き込むようなリスクは犯さない事を祈ろう。


問題は午前2時だ。


近隣住民も眠っている時間帯だから、彼女ならきっと声を出さないように殺す。


二葉がこだわっているのはあくまでも『2人で死ぬ』事だから、お隣さんに通報でもされれば彼女の計画が邪魔されてしまう。


静かに、騒ぎ立てる事なく殺す方法……。


毒殺だ。


だから、俺が今すべき行動は2つ。


午前2時まで寝ないこと。

如月二葉の手に触れた食べ物や飲み物は何があっても口にしないこと。


後2時間の辛抱だ。


そう自分を励ましながら、俺は8杯目のコーヒーのためのお湯を沸かし始めた。





……………………体が重い。


久しぶりの徹夜のせいで、体力は無に等しい。


俺は重たい瞼をなんとか開けて、意識を保つ努力をした。


 「……?どうしたの、何だか顔色が……」


額に伸ばされた二葉の右手をつい払い除けてしまう。


戸惑った彼女の視線が俺に向けられた。


 「……今日めちゃくちゃ汗かいてるから、触らない方がいいと思うよ」


我ながら意味の分からない言い訳だ。2月に汗をかく人間がどこにいるだろうか。

彼女は首を傾げながらも、ゆっくりと頷いてくれた。良かった。


だが今はそんなことよりも、目の前の状況の方に集中しなければならない。



如月二葉は、午前2時に俺を殺さなかった。


理由は分からない。


元々午後2時に殺す予定だったのかもしれないし、単に失敗しただけなのかもしれない。


だが確実なのは、これで午後2時に犯行が行われる確率がぐんと上がったという事だ。


ビルの壁に埋め込まれたデジタル時計を見上げる。


午前10時。


まだ時間はあるとはいえ、油断は禁物だ。


 「……行こう」

 「うん」


二葉の手を取って、俺はエントランスへと足を踏み入れた。





 「いらっしゃいませ」


黒スーツを纏った店員さんが深くお辞儀をする。


 「予約した如月です」

 「二名様ですね。こちらへどうぞ」


彼に導かれるまま店内へと足を踏み入れる。


毎年、結婚記念日に必ず訪れるレストランは2箇所ある。


一つ目が、22種類の料理が並ぶバイキング制のレストラン。


勿論、二葉は全ての料理を2つずつ、2皿に分けて持っていく。


毎年それほど食べてディナーも食べられる彼女の食欲は未知数だが、彼女曰く、「全て味わっておかないと損」らしい。


窓際から2番目の、いつもの席に案内させられる。


予約する時に言っておいたのだろう、テーブルには2人分のワイングラスとカトラリーが並べられていた。


 「いただきまーす」


いつの間にか料理を取ってきたのか、二葉がサラダを口いっぱいに頬張る。


食べている姿はリスのようで可愛らしいのだが、彼女に殺されると分かっている今ではそんなひと時を楽しむ余裕もない。


 「あれ?食べないの?」


小首を傾げる二葉。


しかし、彼女の小指がピッタリとナイフの刃に添えられているのを俺は見逃さなかった。


 「あぁ……うん、そうだね」


恐る恐る椅子から立ち上がって、その場を離れる。


……怖い。様々な感情が入り混じって、今はただただ怖かった。


信頼を置いていた筈の人物が、今は自分の命を脅かしている。


柱の影に隠れて、肩で息をする。


怯えている姿を、二葉に見せたくはなかった。


いや、俺が彼女を傷つけてはいけない、と言った方が正しいかもしれない。


ただでさえ、彼女は傷つきやすい性格なのだから。





 「ただいまっ」


俺の前で、彼女が弱音を吐くことは滅多にない。


それが妻としてのプライドなのか、誰の前でもそういう性格なのかは分からないが、彼女の母親のお葬式があった日、帰宅した彼女は目に見えてへこんでいた。


 「何かあった?」


鞄を受け取りながら、さりげなく尋ねてみる。


 「……バレちゃった?」


気まずそうに笑いながら、二葉がコートを脱いで、ハンガーにかける。


まだ結婚して十数年とはいえ、毎日を共に過ごしてきた彼女の事はよく知っている。


だから、今日の彼女の行動の端々に垣間見える空元気が余計気になってしまった。


 「いや、話したく無かったら別に話さなくても良いけど……」


いつの間にか、強制しているような空気感に慌ててかぶりを振る。


 「いいよ」

 「えっ?」

 「私が話したいの。お願い、聞いてくれる?」


思わぬ返答に耳を疑ってしまう。


しかし、二葉の真剣な眼差しを見て、今の言葉は本心なのだと理解した。


 「分かった。聞くよ」


その言葉に、二葉は安心したような笑みを浮かべた。



あの時、俺はただの親切心から彼女の悩みを聞いた。


今思えば、それは間違いだったのかもしれない。


彼女にとって、秘密の共有は夫婦の契り以上に親密な、生死を共にする関係になる事を意味していたからだ。


もちろん、当時の俺はそれを知る由も無い。



あのね、と彼女は話を切り出した。


まるで赤子をあやすかのような、優しい声色で。


透き通った彼女の声は、一切の迷いを隠していた。





私ね、実は双子だったの。


生まれてから2年間ずっと、二愛っていうお姉ちゃんがいた。


何処へ行くにも、何をするにもずっと一緒で、お揃いのお洋服を着て。


……なんて言うか、ちゃんと双子だった。周りの人からも、そっくりだねって言われて。


………………。

……だから、お母さんも、二愛が亡くなったっていう事実を受け止められなかったのかもしれない。


……うん、事故死だった。私も小さかったから、あんまり覚えて無いけど。


あまりにも突然で、唖然としたのだけは覚えてる。


それから、私は「如月二葉」と「如月二愛」、2人の人間として育てられた。


お母さんからは、二葉って呼ばれることもあれば二愛って呼ばれることもある。


おやつも、お弁当も、服も、ランドセルも文房具も、いつも全部2人分用意されてた。


それから、ふとした瞬間にニ愛がいないって気づいて、お母さんすごく悲しそうな顔するんだ。


 「ごめんね」


って、何回も謝られた。


私、それがすごく苦しくて……いや、私の扱われ方が嫌だったんじゃなくて、お母さんが苦しそうにしてるのが嫌だったの。


だから、全部2つにする事にした。


私は「如月二葉」と「如月ニ愛」、2人分の人生を歩むことにした。


ある日は二葉として、またある日はニ愛として。


お母さんの前でだけだけどね。


私たちの結婚式の日、お母さん、「ニ愛は来ないのね」って言ってたでしょ。


あれ、まだ私とニ愛が別人だと思ってるからああ言ってたんだよ。


…………





おかしいでしょ、と二葉が苦しそうな笑みを浮かべる。


 「ずっと、ずっと、嘘ついてきた……本当のこと、言えなかったなぁ」


ソファーに2人で腰掛けたまま、二葉が悲しそうに呟いた。


甘えるように、彼女が俺の肩に寄りかかってくる。


肩にかかった頭の重さが、現実味を帯びていた。


きっと、彼女は嘘偽り無く本当の事を話しているのだろう。


双子の姉になりかわって何十年も生活するなんて、にわかに信じがたい話ではあるが。


それでも俺は、彼女を信じたかった。


そう感じさせている何かが、彼女の声のトーンにはあった。


 「……」


彼女にかけるべき言葉が見つからない。


こういう時、立派な言葉がすらすらと出てきたらどんなに良かっただろうと思う。


だが現実はそう上手くいかない。


 「……その、二葉……」

 「はー!なんかスッキリしたかも!」


突然、二葉が隣で立ち上がった。


 「ほ、本当に……?」

 「うん!」


ありがとね、と俺に向かって笑いかける彼女の笑顔は、やっぱりどこか曇っているような気がしなくもない。


俺はというと。モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、ソファーに背中を預けた。



あの時、彼女に何か言う事が出来ていれば、今の未来は違ったのかもしれない。


今更、過去を嘆いた所で何も変わりはしないが。





 「大丈夫ですか?」


座り込んだ俺を不審に思ったのだろう、店員さんがこちらを覗き込んでいる。


俺は慌てて、柱に手をついて立ち上がった。


 「あぁ、すいません、ちょっと目眩がしただけです」

 「お水お持ちしましょうか?」

 「いや、もう大丈夫です。ありがとうございます」


まだ心配そうな目を向ける店員さんを安心させるように笑顔を向ける。


見たところ新任の店員さんらしい、きちんと整えられた服装と、切りそろえられた前髪が風で僅かになびいている。胸元には『研修中』と書かれたバッジが光っていた。


 「もし良かったらなんですけど、オススメのお料理を教えて頂けませんか?バイキング形式は久しぶりなもので」


そう聞いてみると、店員さんは「は、はいっ!」と元気のいい返事をくれた。


正直、あまり食欲は無いが、何も食べなかったら逆に二葉から怪しまれてしまうだろう。


それに、少しだけでも食べておいた方が緊張もほぐれるかもしれない。


俺は店員さんにオススメされるがまま、真っ白なお皿に幾つかの料理を乗せ始めた。





 「遅かったね、そんなに迷ってたの?」


俺が席に着く頃には、二葉が一皿目の料理をほぼ全て食べ切っていた。


 「うん、美味しそうな料理ばっかりだったからさ」


鉄製のカトラリーを手に取る。


 「毎年来てるでしょ」


赤身のステーキにフォークを突き刺す。


 「そうだけどさ、結構料理の種類変わってるじゃん」


赤い肉汁がお皿の上を流れた。


出来るだけ細かくお肉を切って、ちょっとずつ口元へ運ぶ。


焦げた端っこが少しだけ苦かった。

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