落日
風早れる
落日
明日死ぬとわかっていたとしたら、人間はどういう行動を取るのが正解なのだろうか。恋人とデートをする、美味しいお寿司を食べる、ギャンブルに全財産を賭ける……。などと言うのが、相場なのだろうか。
ならば、恋人とパチンコ屋デートで万発を出し、そのお金で一貫毎にその場で握って器に乗っけてくれるタイプの寿司屋で多幸感を得た今日は、最高の死に日和と言っても過言では無い。
正直、人生と言うものは苦痛でしかなかった。この世界は『魂の牢獄』だ。誰にも頼んで無いのにこの世に産み落とされた結果、感じるのは嫉妬、苦痛。極めつけには希望を持たせたかと思えば数秒後には絶望へと叩き落すという拷問。
孤児院出身の私に身寄りなどもなく、残ったのは市役所勤務の恋人だけ。しかし、最近デートに誘われた所で、行先は競馬場かパチンコ屋、又はネットカフェかラブホテル。お代は全て私持ち。
さしずめ、私は都合の良い女であるのみで、彼女というにはほど遠い存在。つまるところ、私の代わりなら唸る程いるのだ。
だから、私が死んだ所で、世界は微塵も動かない。
ならば、早く可哀想な私の魂を現世から脱獄させてあげよう。そう思って、私は飛び降り台を探すべく、近場にある標高800m程度の山へやってきた。
崖を目指して、私は人の気配が一切感じられないオフロードを歩く。しかし、どれだけ草を分けて進んでいっても、永遠と広がるのは緑一色の景色と、素足に刺さる、砂利の感触。
最後の最後まで、現世というのは私に苦痛を与えるなんて、世の中本当に救いが無いんだなと呆れていると、いつの間にか景色が開け、一件の建物が現れた。
グリム童話にでも出てきそうな、色とりどりの煉瓦で形成された、アーチ状の門の奥には、近くに小学生が住んでいれば魔女の家だとかメリーさんの家だとか、嫌な噂が立ちそうな不自然に奇麗な黄色い壁の目立つ洋風の建物が聳え立っている。
二階建てかつ、うんこを我慢する藤木くん宜しい真っ青なベランダが、不気味さを際立たせている。
勿論私も御多分に漏れず不気味に思って、煉瓦の門に手を触れる。すると、触れた一部分の煉瓦がグラっと揺れる。
ちょっとしたイタズラ心で、揺れた部分を引っ張ってみると、ジェンガのように真っ赤な煉瓦ブロックは抜けた。私は、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
門の脆さは勿論ながら、このブロックや門は、まるで私のようだ、と。一本抜けたところで門はまだ平然と『門』として機能し、抜かれたブロックにはまるで気付いていない。あぁ、私もこうなれるんだ、と少し心を踊らしていた。
「ダメだよ、それ抜いちゃあ。今はいいかもしんないけど、後々ガタが出るんだから」
何の気なく悦に浸っていると、私の耳を甲高い子供の声がつん刺した。声の鳴る方へ振り向くと、あの不気味な建物のベランダに、幼稚園年長くらいと思しき男の子が、与党を追及する野党宜しく、私を指さしながら立っていた。
「……私のことを言ってるのかしら」
「それ以外に誰がいるのさ。この辺で煉瓦弄ってるおばさんなんて、キミしかいないよ」
「……誰が変なおばさんですって」
もう捨てる身とは言え、私はまだ26である。流石に『おばさん』呼びは腹が立つ。
「それで、おばさんこんな僻地に何しに来たの」
「貴方に言う義理はないわ」
「さしずめ、向こうにある崖へ飛び降りに来た、ってとこかな。ここに一人で来る人は、みんなそんな事を言うんだ」
そう言って、少年は北の方角にある、先の開けた場所を指さす。こんなクソガキに自分の考えを読まれたのが悔しくて、私は俯いて黙り込んだ。それを肯定と捉えたのか、彼は話を続けだした。
「まぁ、僕は止める気は更々ないけどさ。したい事も無くて、誰も愛せないなら無理して生きてる必要なんてないし。けどさ」
少年は私の方を向き直す。
「明日を落としてもさ、誰も拾ってはくれないよ。それは人だけじゃなくて、神様にも」
まるで何回も輪廻転生を繰り返している魔女のような口ぶりで、私に語り掛ける少年。そういう意味では、この館に魔女がいる、と言うのは、あながち間違って居なかったのかもしれない。
あんなに小さい少年に、自分を見透かされているような気がするのが恥ずかしくて、私は死ぬ気力も亡くしてしまった。
「なによ、クソガキ」
結局私が家へ帰る前に残した言葉は、何ともみっともないものだった。
去り際、一瞬視界の端を彩った少年の顔は、少し儚げで柔らかい表情をしていたように感じたのは、気のせいなのだろうか。
「明日を落としてもさ、誰も拾ってはくれないよ。それは人だけじゃなくて、神様にも」
家に帰ってからも、何度も反芻してしまう、少年の言葉。彼はどういう意味で、一回りも二回りも年上の私にこの言葉を投げたのだろうか。
どうしても気になって、私は例の建物について調べてみると、実はあの建物はペンションなのだ。という事は、当時あそこには宿泊客もいた、と言う事だ。
私が情けなく少年に言い包められる様子を赤の他人に見られていたかと思うと、少し恥ずかしいし、一生あの場所にはいけない、行ったら羞恥心の嵐に巻き込まれるとも思った。
しかし、好奇心と言うものは恐ろしく、そんな羞恥心よりも少年に会って言葉の真意を聞きたい、という感情の方が勝ってしまうのだ。
私は彼氏が乱雑に乗っていたハンターカブを拝借し、再び例の場所を訪れた。
何故か元通りに戻され、増してやセメントで固めてある煉瓦の門を潜り抜け、油を長い間入れていないであろう、軋む扉を開けて中に入ると、そこにいたのは歳をそこそこ食っている老夫婦だった。幼少の子供がいる、というには、高齢婚でもない限り、多少無理があるような程の。
「いらっしゃいませ、ご予約は」
「いえ、そうじゃないんですが……この御宅って、子供さんはいますか。幼稚園児くらいの」
そういうと、老夫婦は示し合わせたかの如く、同時に顔を曇らせた。そして、数秒間の間を置いて、男が口を開いた。
「息子は……20年前に亡くなりました。そこの崖から飛び降りて」
落日 風早れる @ler
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