第5話 成瀬孝弘
「どう? ここまで聞いて、信じられるか?」
星の瞳はまっすぐ俺を見ていた。俺の答えに選択肢は無かった。
「……信じるよ」
「……ありがとう」
「お帰り、星」
「ただいま」
それから俺は、毎日のように星の部屋を訪ねた。理由は……上手く説明できない。ただ、アイツが――星が、またどこかへ行ってしまいそうな気がして。
俺からは決して異世界の話を振ることはなかった。星も同じだった。でもそれはお互い目を逸らしているだけで、星の心が日に日にこの世界から離れている事は、鈍い俺でも手に取るように分かった。だから、いつ訪れてもおかしくなかった。……星との別れの時が。
――そして、その日は突然やって来た。
それまで何の話をしていたかはもう忘れてしまった。ふと、話が途切れた。その瞬間を待っていたかのように星が話を始めた。
「……成瀬。前にさ、異世界の話をしたときに気にならなかった?」
「何だよ、急に。何がだよ」
「こっちの僕が向こうへ行ったなら、向こうの僕はどこへ行ったのか?」
「ああ……まあ少し気になったけど、別に話の本筋じゃなかったし」
「向こうの僕はさ……もう死んでるんだ」
言葉を失った俺の顔も見ないで、星は俯いたまま話を続けた。
「遺書があったんだよ。部屋に。……多分僕のことだから、誰にも迷惑にならないよう、どこかでひっそりと……確実に……死んでると思う」
「……星」
「頭から離れないんだ。……最後に会った時の大城さんの、僕を呼ぶ声が」
「……星。大城さんが呼んだのは金玉だ。お前じゃない」
「分かってる。だからこそ僕はこっちへ戻って来たんだよ。でも――」
「星」
俺の呼びかけもどこか上の空で、星は首を横に振った。
「それでも駄目なんだ。変なんだよ。最初は『星』って呼ばれて安心した。帰って来たと思った。でも今は逆なんだ。どんどんどんどん現実感がなくなってる。『星』って呼ばれてもまるで他人事みたいに感じてる」
「星! もうよせ。お前は星だ。星新だ」
「大城さんは? 彼女はどうなる? 突然僕が居なくなって。最後に会ったのは彼女で」
「異世界の話だろ。もともと俺たちの世界には関係ないんだ。お前が気に病む必要はない」
「あの日、彼女と向こうで初めて会った時。そもそも彼女は僕の様子がおかしいと思って訪ねてきたんだよ。今なら分かる。彼女は精一杯、僕に変なところがあっても頑張って飲み込んで、寄り添って、生かそうとしてくれていたんだ」
「もう忘れろ! お前はここの住人だ。この世界で生きていくんだよ!」
その時の星は、ほとんど泣いていた。目に涙を一杯に溜めて星はこう言った。
「成瀬……僕は金玉なのかもしれない」
「……星」
その瞬間だった。弾けるような音がして部屋の隅に『穴』が開いた。
――空中に、ぽっかりと。
星は、潤んだ瞳でその穴を見ていた。
「やめろ。星、行くな」
「僕は――」
星は立ち上がり、穴に向かってゆっくりと歩いていく。その瞳は穴の向こうに焦点が合っているように思えた。
「星!! 行っちゃ駄目だ! 星!!」
「……成瀬、ごめん」
俺は咄嗟に穴と星の間に体を入れて引き留めた。その間に穴が消えてくれることだけを願って。
だが、それは叶わなかった。その細い体のどこに隠されていたのかと思うほどの強い力で俺は投げ飛ばされた。倒れながら、それでも俺は力いっぱい叫んだ。ここを逃したらこれが星との最後になる。その確信があった。
「星!! お前はこの世界の人間なんだよ! 行くな!! 星!!! 星新!!」
星は泣いていた。だがそれは決別の涙だった。
「……僕は金玉だ。金玉新だ」
星はそう言い残して、穴へ入っていった。
「星ーッ!!」
俺の声をかき消すように再び弾ける音がして、星も穴も跡形もなく消えた。
夜空に瞬く幾億の星を見る度に思い出す。あの時、俺に何が出来ただろうか。どうすれば星を、星のままこの世界に留めることが出来ただろうか? ……そんな時、俺はゆっくりと目を閉じて想像する。
夜空に瞬いているのは星じゃない――幾億の金玉だと。
そして思う。きっと、こんな想像ができるのは向こうの世界ではアイツだけに違いない。……そう考えると、少しだけ笑えた。
夜空に瞬く幾億の金玉 ぬ @kakkanbou
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