音のない秒針が嫌いだ

eLe(エル)

第1話

 自宅のソファに座りながら、ぼうと掛け時計を眺める。それは秒針がカチカチ鳴らない、連続秒針タイプの時計だった。


 ピコン、と通知が鳴ってスマホが震える。重たい上体を起こして、通知を確認した。


『あと二十分くらいしたら着くと思います』


 二十分か。待ち合わせ場所には五分も有れば着く。それならもう少し時間を潰してからでもいいだろうか。


『了解しました』


 そう思ったものの、永遠にスムーズに周り続ける秒針が嫌に目に付いて、仕方ないからと家を出た。


 自転車で駆けていく間も、色々なことを考えていた。これでいいのか。本当に後悔しないのか。そういえば明日の講義って小テストだったっけ。


 気づけば駅前に着く。残り十五分。


 鞄をコインロッカーに入れる。財布から万札を五枚取り出して、折りたたんでポケットに入れた。


 パーカーのフードを被って、とあるチェーン店のコーヒーショップに入った。すぐに窓際の席を確保したら、適当にカフェオレを注文。


 残り五分。スマートフォンを何度も確認しても、既読のマークだけ。まだ着いてなさそうだ。


 店内の時計を探すと、あった。その時計は秒針のないタイプだった。大体、残り三分。


 ピコン。音が鳴って、慌ててマナーモードに切り替える。


『着きました♡ ミヤさん、今どこですか? 何色の服着てます??』


 そのメッセージを見るなり、手に汗が滲む。心臓が大きく鼓動してるのが分かって、すぐに窓の向こうの景色を凝視する。ちょうど待ち合わせ場所はあの、ライオンの銅像の前だったはず。


『僕は白のジャンパー着てます。アヤさんはどんな格好ですか?』


 返信。すぐさま回答。


『私も白で、ワンピースですね。あれー、おかしいな。ライオン前ですよねー?』


 黒いパーカーを着た僕は、その言葉に思わず胸に手を当てる。心臓が痛い。


『あ、ごめんなさい。僕まだ着いてないんです。もうすぐです』


『そうだったんですね! お待ちしてます〜慌てないで来てくださいね♡』


 僕はそんなメッセージを返しながらも、一人も見逃すまいとライオン前をじっと観察していた。けれど、白いワンピースの人は見当たらない。似たような色の服装の人は居たが、すぐに別の誰かと待ち合わせてどこかへ消えてしまう。


 思わずカフェオレを口に含む。味がしない。時計を見たら、もう既に待ち合わせの時間を数分回っていた。


 時計の長針は六十秒経つと、限界を迎えたみたいにほんの少し倒れた。それを永遠に繰り返していく。そうやって長針に気を取られてる間に、短針はバレないよう、密かに後を追う。


 結局十五分間、僕はそこに居た。白いワンピースの彼女は、現れなかった。


 半分以上残ったグラスが汗をかいている。僕はグラスの底に溜まった水を拭き取って、コーヒーショップを後にした。




『大学生活を無駄に過ごさないでね。お金も掛かってるし、あっという間に大人になるんだから』


 そう言われた母の言葉がずっとプレッシャーだった。はじめて一人暮らしをして、友達は出来たけれど勉強に着いていくのもやっと。この上サークルや恋愛だなんて、どうやったらいいんだよ、って。


 なんて、愚痴る相手も居ない。恋愛経験だって皆無だ。そんな時に暇つぶしで見ていた動画の広告を誤って押してしまった。


「マッチングアプリ……胡散臭」


 初回無料。誰がどう見ても、出会えない系アプリだ。それが分かってたのに、魔が差した。


 プロフを入れて、写真は目隠しやマスクもOKならいいかと追加。後は好みの相手や趣味。気づけばメールが届いて、近場で遊びませんか、飲みませんかなんてメッセージが届いてた。


「……下らな」


 そう呟いて時計を見ると、また目が逸らせなくなる。一秒一秒、まるでカウントダウンされていくみたいに、僕の人生が磨り減っていくようで。


 だから嫌なんだよ、この時計。


 苦しくなって目を背けた先には、新着メッセージが届いていた。


『大学でぼっちで寂しいです。よかったら語りませんか?』





「馬鹿みたいだ」


 美人局を警戒して預けたコインロッカー代が、今日の授業料だ。でも、結果は想像通り。慎重になって正解だった。


 会って何をするとか、考えていなかった。ただ、会えるのかが気掛かりだった。それで何か変わるのかと、何度も逡巡してようやくメッセージを返した。


 結果はこの通り。なのに、なんだろう。この妙な蟠りは。


 ふと、遠目に見えるライオン像の方を向くと、そこには白いワンピースの人影が見えた。


「え?」


 その人は笑ったように見えたが、すぐにどこかに消えてしまった。


「……違う」


 もし、あそこに行っていれば、だなんて。


 危険を冒してでも、実際にライオン像に行っていれば。そんなのは、所詮下らない勇気だろ。浮かんだ感情を押し潰す。


 自転車に足を掛けて、ゆっくりと漕ぎ出す。そうしてまた、脳内で家の時計の秒針が音もなく動き始める。


 そんな時計、買い換えればって何度も思った。


 それでも、これが僕だから仕方がない。



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