崩落観音
藤光
サンサーラ
『判決。被告、アートマ・グラハは有罪。
サンサーラにおける無期禁錮刑に処する。』
☆
砂が降っている。砂嵐が運んでくる砂が目を、風が耳を塞ごうとする。サンサーラの街は、砂煙の中に黒く沈んでいた。
――おれは運がいい。
アートマ・グラハは、口の中で小さくつぶやいた。たしかに、高級リゾート地というわけではない。辺鄙な惑星にあるしょっちゅう砂が降ってくるクソッタレな気候の田舎街だ。
しかし、絞首刑、薬殺刑、銃殺刑、電気椅子にガス室送り。さまざまな星の、さまざま方法で死刑となっていった仲間たちと比べると、おれは運がいい――とグラハは思っていた。
グラハは、複数の恒星系にわたる勢力圏をもっている
政治犯や凶悪犯といった、重要犯罪人のなかでも特に重大な罪を犯した者しか収容されることのないサンサーラ惑星刑務所とは縁もゆかりもない小悪党のはずだった。
戦争が起こるまでは。
貧民窟の住民にとってはどうでもいい理由からはじまった戦争は、それでも彼らを兵士として徴用することで戦火を拡大させていった。戦争をはじめるのは金持ちだが、実際に武器を持って戦うのは貧乏人。いつの時代もどこでもそうである。
グラハたち貧民窟の小悪党は、ギルドの幹部たちから真っ先に目をつけられた。これまでの悪事をネタに当局へ突き出すぞと脅しつけられ、ギルドの意のままに操られるテロリストに仕立て上げられた。
弱みを握られたグラハたちは、使い捨てのテロリストとして各星系に送り込まれ、戦線の後方を撹乱するためのテロ実行犯となっていった。 先週は50人殺した。今週は80人。来週は1万人集まる会場にテロを仕掛ける――テロリストにはそんな毎日が待っていた。軍や警察に捕まるまで終わらない殺人ゲームの駒だ。
グラハは、戦争がはじまってからの2年間で12件のテロを起こし、3258人の罪もない人々を殺した後、軍に捕まった。13人の判事が居並ぶ裁判所で下された判決は、
『死刑より過酷な刑に服することもって適当と断じる』
「無期禁錮刑」となり、流刑惑星、サンサーラ刑務所へ収監されることとなった。グラハと同じように、テロリストとなった仲間や友人たちは皆、捕まって殺されているというのに。
――命が助かっただけでもラッキーだ。
しかも、グラハが収容されたサンサーラに監獄はなかった。乾ききってほこりっぽくはあるが、檻も塀もない看守もいない小さな街「サンサーラ」とこの星全体がひとつの刑務所だと説明を受けた。この星の上に存在する限り、ここでなにをどうしようと、それは受刑者の自由だった。
受刑者を輸送する護送船はサンサーラに到着するとさっさと飛び立ってしまい、人影もまばらな砂と岩の荒野に数十人の男と女が取り残された。護送船からはなんの説明も指示もなく、突然グラハたちは自由になった。
「どうする」
「とりあえず、街へいってみるか」
「食べるものと寝るところを見つけよう」
護送船のなかでは独房に入れられていて、お互いに顔も名前も分からない受刑者同士、遠慮がちに互いの腹を探り合いながら、とにかく食料と生活拠点を見つけようということで意見が一致した。男が43人、女が7人、50人の受刑者たちは、砂礫と岩ばかりの荒野を貫いて続く、厚く砂の降り積もった道を街へ向かって歩いていった。
街での生活に不自由はなかった。食料は十分に用意され、住居も受刑者の数に対して多すぎるくらいだった。住居はたくさんあったが、実際に住人のいる建物は少なかったからだ。
――元からここにいた受刑者たちはどこへ行ったのだろう。
不審に思って、街に住んでいた住人たちに確認しようとしたが彼らの口は重かった。「そのうちに分かるよ」何を聞いても、そればかり。グラハたちは以前から住んでいる住人を相手にすることはやめてしまった。
――時間の無駄だ。
当座の食料と住居を確保することができて安心したグラハたちだったが、自分の住居を決め、街の倉庫から食料を確保すると、途端にすることがなくなってしまった。流刑星であるサンサーラには住人のための生産はなく、したがって労働もない。あるのは時間と自由だけ。
「これが刑罰ってわけ?」
「ずいぶんと贅沢な罰だ」
「これが罪に対する罰だってんなら、いくらでもくらってやるぜ」
「しかし、それにしても毎日が退屈だね」
数人と相談して街の外を調べてみることにした。サンサーラの周りに広がる荒野を探検してみると、驚いたことに住人が見つかった。彼らは砂と岩ばかりの荒野に粗末な小屋を建て、数人が集まって生活していた。
こんなところで何をしているのか、尋ねても彼らは一様に口を閉ざして答えなかった。何かを隠しているというよりは、むしろ何を言っているんだ、当たり前のことを聞くなという沈黙だった。なにより泥とほこりにまみれた彼らは疲れきっていて、人と話す気力というものを欠いていた。人と目を合わさず、何ごとか口の中でぶつぶつと呟きながら、砂煙舞う荒野へ消えてゆくのだ。
荒野をゆくとあちこちで同じような街に住まない受刑者たちの集落を見つけることができた。快適な街の住人より、ずっと多くの人間が荒野のあちこちに住んでいた。彼らの目的が何で、なぜ荒野に住んでいるのか分からない。しかし、みんな一様に口の中で何ごとかをつぶやきながら、砂に覆われた山や谷や平原をさまよっていた。
奇妙な砂漠の住人たちのほか、街の外にはなにも見つけることはできなかった。
街の周囲を調べ尽くすと、受刑者たちはますますすることがなくなった。50人の収容者たちはそれぞれ、この星で何をしていくのかという問題と向き合うことになった。
「なにもすることがない? 男と女がいてスルことがない、なんてことないだろ」
「むしろ、それしかすることがない」
「選択肢が少ないってのが不満だけど」
「それはお互い様。ここにロクな人間がいないんだから」
空虚な時間を快楽で埋めるため、セックスに励む者が増えた。それは男女の恋愛などと呼べるものではなかった。ただひとつ目的。ただひとつの娯楽だった。新しい住人の男女比は43対7。当然、男同士の間で性交する相手の女を巡って争いが起きはじめた。
グラハが目を付けたのは。ララーマという女だった。さして美しくはなく、女としてもとうに盛りを過ぎた年齢だったが、男の数に対して女の数は圧倒的に少ない、そういう女を選んだほうが競争相手が少なくなると考えたからだ。グラハの読みは当たり、ほとんどの男たちは、若くて美しい女の受刑者に群がり、争っていた。しかし、グラハと同じように考える男もなかにはいたようで、数人の男がララーマの気を引こうと彼女の周囲に集まりはじめていた。
そのなかでララーマに対し、もっとも強くアピールしたのは、グラハともうひとり、カルマという名の男だった。
――気に入らないやつだ。
カルマは元軍人で、大部隊を指揮する司令官だった。戦いに敗れて捕虜となった後、民間人殺害の罪で起訴され、終身禁固刑を言い渡されていた。逞しく大きな体、強い意志を感じさせる声、何ものにも怯まない行動力。悪人ばかりの受刑者のなかで、だれからも一目置かれる存在だった。そして、グラハはそんな彼のことを心底嫌っていた。
「なあ。おれの部屋へこいよ」
「いやよ。ヘンなことしようって考えてるんでしょ」
何度誘ってもララーマは、グラハの部屋へ行こうとは言いださなかった。抱き寄せようとしても、するりと身をかわして離れていってしまう。
「だめよ」
艶然と微笑まれると、情欲にはらわたが焦げ、心臓が飛び出しそうになる。
「これからとこへ行くんだ、ララーマ。まさかカルマのところへ行くんじゃないだろうな」
「さあ、どうかしら。でも、彼は紳士だから」
ララーマを引き止めよう伸ばしたグラハの手は、つれなく振り払われた。
「どうせ、おれは紳士じゃない。コソ泥さ」
「拗ねてみせたって、可愛くないわよ。カルマにはカルマの、あなたにはあなただけの良さがあるんじゃないの?」
「お前がそばにいてくれないんなら、そんなもの糞くらえだ」
「……わたしがまだ若い娘だったら、そういってもらうとうれしかったかもね」
その後、ララーマが選んだのは、グラハではなくカルマだった。彼女がカルマと暮らしはじめたと知ったグラハは、目の眩むような嫉妬を感じ、居ても立っても居られなくなってサンサーラの街を飛び出した。このまま街でカルマに会ったなら、殺してしまうかもしれないと思った。
――しかし、どうやって?
ララーマが得られないのなら、何もかもが無意味だ。じっさい、働かなくとも衣食住が保証されたこの星では、生きるためになすべきことはほとんどない。唯一といっていい生きがいは、他者と関わることだけなのだ。ララーマから拒絶され、グラハは絶望していた。
気がつくと、ずいぶんと街から離れてしまっていた。周囲は岩と砂礫の荒野である。日が沈んで、サンサーラにふたつある月のうち、大の月が砂丘の向こうから姿を現している。月明かりが砂の道に濃く影を落としていた。
夜の砂丘にうごめく影がある。人間だ。なんだろうと思い近づいてゆくと、砂丘を隔てた向こう側に、何人もの人が集まって大きな柱のようなものを建てていた。人影は砂漠の住人たちだった。口々になにか呪文のようなものを呟きながら、作業をしている。
『ナムダイジダ……』
食べるものはなく、行くあてもないグラハが、食事と眠る場所が借りられないか交渉すると、真っ黒に日焼けし、ぼろ切れのような服をまとった男たちは、食料を分けてくれ近くの小屋にグラハが横になる場所を空けてくれた。
――絶望していても腹は減るし、足も疲れるのか。まったく人間というやつは。
グラハが、いったい何をしているのかと働いている男たちのひとりに尋ねると、銅像を建てているという。
「銅像だって? いったい何の。どんな目的があって」
「観音立像。救いを得るために」
その男――アナッターは言った。
「カンノン……?」
「ばらばらになって砂のなかに埋もれている観音像の欠片を掘り出し、もとの形に組み上げている」
そうすると願いが叶うのだという。
「パズルのように?」
「そう。パズルのように」
「どんな願いでも叶うのか?」
「サンサーラの受刑者がもつ願いはひとつだ。お前にはまだ、分からないかもしれないが」
「いや、分かるさ」
――どんな困難があっても、ララーマを手に入れる。
グラハは、アナッターたちに混じって、砂漠の大地から観音像の欠片を掘り出す作業に取り組んだ。一週間、掘り続けたが、砂のなかからは、観音どころか薬罐ひとつ見つけることはできなかった。グラハは、作業に紛れてロープをひと巻きとスコップを一本、作業場から盗み出して小屋の近くに隠した。なにかを盗み出すのは得意だった。
数日後、砂を掘っているグラハのところへカルマがやってきた。街を行方不明になったグラハを手分けして探していたという。カルマはひとりだった。「一晩休んで、明日になったら帰ろう」とカルマを小屋で寝かせると、真夜中、グラハは彼をロープでぐるぐる巻きにし、スコップで殴りつけて殺してしまった。カルマの死体は小屋から引きずり出して、砂のなかに埋めた。もう10日も砂を掘ってきたのだ、死体を埋めることなど簡単なことだった。
そうして、何事もなかったかのような顔をして街へ戻り、ララーマを訪ねた。カルマが心変わりを起こして自分の元を去っていったとララーマに思い込ませると、彼女の気持ちと身体を手に入れることができた。グラハは、まんまとカルマからララーマを盗み取った。
そんなにも苦労して手に入れたララーマとの関係は長く続かなかった。受刑者がサンサーラですることは何もない。働くこともなければ、遊べるところもない。ここにいること自体が与えられた刑罰だからだ。毎日毎日が同じことの繰り返し。恋愛も、セックスも毎日では飽きてしまう。グラハはララーマ以外の女を求めるようになるし、それはララーマも、ほかの男や女たちも同じだった。男が女を求め、女が男を選ぶ過程で争いが起き、何人かの女が死んで、その三倍の数の男が死んだ。
――これが、罰? おれたちに科せられた罰なのか?
サンサーラにやってきてから、季節がひと巡りする頃になってようやく受刑者たちは、自分たちに科せられた罰の大きさに気づきはじめた。しかし、それも過酷な罰のほんの一部を知ったばかりだったということに、やがて気づかされることになる。
ある日、それは唐突に起こった。その日グラハが目覚めると頭に靄がかかっているような感覚があった。ベッドを抜け出すと部屋がぐるぐると回りはじめ、気持ちが悪くなったグラハはバスルームに駆け込んで激しく嘔吐した。
ふらつきながらベッドルームに戻る。そこでふと気づいた。
――ここはどこだ。
さっきまでグラハが横になっていたベッドには、半裸の中年女が横たわっている。
――この女はだれだ。
呆然と見ているうちに、女も目を覚まし、さっきのグラハと同じように頭を振って起き上がると、ベッドの上に倒れ込みそのまま嘔吐した。女もここがどこなのか、グラハがだれなのかわかっていないようだった。
だが、そうしているうちにだんだんと思い出してくることがあった。ここは流刑星サンサーラであること。この部屋はグラハの部屋であること。目の前の中年女の名はララーマであること――。しかし、それらの事実には、まったく現実感がなかった。夢から醒めた者の記憶のように。
ララーマと一緒に暮らしていたことは覚えているが、親しみを感じていたはずの感情は一切なくなっていた。なくなった? いや、そんなものは最初からなかったように感じる。
部屋にいたたまれなくなったグラハは家の外へ出た。夢のなかで歩いたことがあるような街には、どこかしら見覚えのある人たちが出てきていた。皆、グラハと同じように頭を抱えてふらふらと歩いている。そのなかに、ある男の姿を見つけてグラハは息を呑んだ。
「お前は!」
男もグラハに気づく。途端に一本の棒のようになってその場に立ち尽くした。男はカルマだった。ララーマを奪うため、グラハがスコップでめった打ちにして殺し、砂のなかに埋めて隠したあの男だった。
「そんな、ばかな」
たしかに殺した。生きているはずはなかった。探し出せない場所の、砂の奥深くに埋めて隠したはずだった。
「……お前、グラハだな?」
生きていたときのカルマのままだった。
――今度はおれが殺される。
グラハは逃げた。
カルマだけではなかった。この一年のあいだに死んだり、殺されたりした受刑者たちは全員、元どおりに生き返っていた。それだけでなく、受刑者がこの一年で体験した出来事はまるで、他人の夢のなかの出来事のように、欠け落ちたり、上書きされたり、書き換えられたりして、たしかなものではなくなっていた。
グラハは逃げだした。なにが起こったのか、訳もわからずに街を離れた。だれとも関わりたくなかった。関わるのが怖かった。
岩と砂礫の荒野にさまよい出たグラハがたどり着いたのは、ずっと前にきた砂漠の住人たの集落だった。カルマを殺して砂に埋めた、あの場所だった。あのときと変わらずぼろ切れのような服をまとったアナッターが、グラハを見つけてくれた。
「グラハか」
「そういうお前は、アナッターか」
「その顔をしているということは、気づいたということだな」
「なにに……。おれが何に気づいたというんだ、アナッター。頭に靄がかかったようで……、死んだやつらが生き返って………訳がわからん」
グラハは、憐れむような視線をアナッターから感じた。
――おれが、こんな骨と皮ばかりの男に憐れまれて……いったいなにが起こったんだ。
「時が戻ったのだ」
サンサーラには、ほかの惑星にない
「サンサーラの時環は、めぐる時だ。時環はあちらこちらで気まぐれに渦を巻いている。渦に巻き込まれたものは時が戻る。時が戻れば、死んだものはよみがえり、破壊されたものは元に戻る。
しかし、それとは逆に、生まれたものは生まれなかったことになり、作られたものは
グラハは、アナッターの言葉を聞きながら、恋人だったのに見知らぬ女になってしまったララーマのことや、死んだはずなのに生き返ったカルマのことを思い出していた。あれは、グラハたちがこの星へやってきたあのときに、時が戻ったことを示していたのか。時環の渦に巻き込まれて。
「ただひとつ元に戻らないものがある。それは受刑者の記憶だ。なにも為すことのない不毛な毎日を繰り返すだけの生活を、時環の渦によって永遠に繰り返し続ける、後悔と悲嘆、怒りと絶望を味わい続ける。そういう『罰』。サンサーラで服役する受刑者に科せられた、死よりも過酷な罰だ」
☆
「
くる日もくる日も砂を掘り、観音像の欠片を探している。銅像の欠片を集めて元の観音像に組み上げると、時環の渦が開き、観世音菩薩がこの地に現れて衆生を救済すると、砂漠の住人たちは信じている。
真実かどうかは分からない。大切なことは信じているかどうか、信じられるかどうかだ。それは砂を掘るという行動によって示される。
もう何年掘り続けているのかも分からなくなっている。観音像はまだ組み上がらない。時環の渦に巻き込まれて、時が戻ってしまったからだろうか。砕かれたパズルの欠片のように記憶が曖昧だ。
砂にまみれて穴を掘っている隣の女はララーマだ。その向こうではカルマが砂を運んでいる。砂の上に横たわっているのはグラハか。死んだのか? いや、それならよみがえるはずだ。アナッターの姿が見えない。もしかすると観音像を組み上げて時環の渦の向こうに行けたのだろうか。だから消えてしまったのか。たしかなものが何もない。死んだものは生き返り、掘った穴は埋まる。組み上げられた観音像は崩落し、見つけだされた欠片は砂に埋もれる。どこまでも循環する
――南無大慈大悲観世音菩薩
信じることしか残されていない。
崩落観音 藤光 @gigan_280614
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