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目々

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 す! 知も意味に! 道──うわ最悪。


 いや、先輩何やってんですか。三年生のくせに学校来過ぎだって、下級生に言われてますよ。そんなにサークル室入り浸って何したいんです一体。こんだけ暑いんですから、授業無いときは図書館とか行けばいいじゃないですか。あそこ冷暖房完備ですし、何なら地下書庫だったら寒いまでありますよ。地震とか来たら真っ先に死にますけど。

 別にいいですよ、追い出したりなんかしません。そっちの席バッグあんので寄せて座ってください。道藤がジャージ置いてってるんです。講義済んだら取りに来るって言うけど、あいつ絶対忘れて帰りますよ。馬鹿だから。

 僕ですか。僕はあれです、履修登録で馬鹿なことしちゃって、一コマ空きにしちゃったんですよ。次のコマが3号館なんで、時間潰してたんです。サークル室なら飲食できますし、誰も来なくってもまあ、ささやかな奇声ぐらいは上げても怒られないでしょう、ここなら。さっきのはそれですよ。ありません? 奇声あげたくなる瞬間。日常に。うわーって。

 疲れたときとか、気付いたら部屋で独り言延々と喋ってたりするじゃないですか。ゲームで不利なときとか生活でうかつなことやったりとか、そういうときに誰に聞かせるでもないけど口からぼろぼろ出てくるようなやつ。それです。今の時間ならサークル棟に人いないからいいかなって、わあわあやってたら先輩が来たんですよ。本当何してんですか先輩。困ります。

 結構すっとするんですよ、こういうの。見つかると説明が面倒くさいんですけど、要はストレス解消のあれってだけなんで。そういう手法があるっていうのを動画で見たんですよ。それを真似てるだけなんで、僕ちゃんと正気ですよ。まだ疑います? じゃあ、しょうがないから手ぇ出してください……何で怯えるんですか。口止め料ですよ。フリスク。がりがり噛んでさっぱりしてください。そんで──は?


 そうですよ。さっきのもただの奇声。何に聞こえたんですか、先輩?


 はあ、意味って単語が聞こえたんですか。僕は知りませんけど。だって僕としては適当な音を出しただけなんで……あれですね、風邪でしんどいときに呻くじゃないですか。あとは幼児の喃語なんご。あんな感じです。単語が聞こえたとしたら、それは先輩が作っただけですよ。たまたま先輩の耳にはそう聞こえたってだけ。偶然の産物です。

 さっきの僕の奇声──嫌だな僕の奇声ってフレーズ──ですけど、あれは本当に意味がないんです。お筆先って訳じゃないですけど、適当に口を動かして声を出していただけなんで。けど先輩はその奇声から単語を拾ったじゃないですか。勝手に。それはその単語を先輩が知っていたから、ですよね。僕としては偶然に『い』と『み』を続けて発声してしまっただけですけど、先輩はそれを『意味』って単語として聞いたわけです。奇声を頑張って解釈しようとしたんですね。すげえ無駄骨。


 ただ。要するに聞こえた音、それも人の声とかそれに類似したものが立てる音が、知ってる単語に聞こえない。もしくは意味が発生しない組み合わせだったら、純粋に訳分からん人の声として認識するわけです。そういうの、夜道やひと気のない路地で聞こえてきたら嫌ですね。十中八九助からなそう。

 意味ないものの羅列、っていうか。意味がないものにも意味を見出そうとするから気持ち悪いことになるんですよ。半端に文脈とか理由とか背景とか、そういうのに気づくとうわあってなるもんですから。全く分からない、理解できない方がまだマシですよ、きっと。

 もの知らない方が強いのかって、先輩それ大学生が言うことじゃないですよ。無知の強さと知識の強さは別枠ですから。スキルツリーが違うんですよね、そういうの、基本極振りの方が諦めがつくと僕は思います。どっちも中途半端に伸ばすと、相乗効果でよりひどい目に遭いがちな気がしてます。生兵法ダブルで効果も二倍みたいな。四倍かな? 計算が難しいですね、これ。


 そうですね。その辺をだらだら話しますか。付き合ってくれます? 暇なんですね先輩。僕もですけど。


 つまりですね、知ってる・知らないの範囲の話なんですよ。僕も先輩も全知全能なパーフェクト生物ってわけじゃないですから、僕らの知識の埒外で成立してる言葉──言葉に限らないですけど──なんていくらでも存在してるじゃないですか。怖い話じゃないですよ……いや、例に出そうとしてるのは怖い話なんですけど。夫婦で海外旅行に行って、いわくありげなホテルに泊まったらその夜に女の子の幽霊が出て、夫の尻を指さして「ケツクセ」って言う。夫は自分の尻が臭いんだと落ち込むっていう、怪談なのか笑い話なのかのやつですね。笑い話なのはあれです、後日調べたら、そこの国の言葉で「これ何?」って意味だったので尻の異臭疑惑が晴れたっていうやつです。おばけは出てますけどね、焦点はそこじゃないんで。

 僕、怪談とか心霊番組とか好きで、よくそういうの読んだり見たりするんです。そうやって数読み倒していくと、これ系結構あるんですよね。お化け屋敷で聞こえてきた奇声を、後で調べたら外国語で「助けてくれ」って意味の言葉だったとか。突然知り合いが訳の分からない音を続けざまに喋り出すかと思ったら、やっぱり外国語の文章だったとか。ただの奇声だと思っていたものに意味があったって形式です。


 あれですよね、文字化け。記述に使用されたコードと読み込みが使うコードが違うせいで妙な表示になるけど、ちゃんと合わせてやれれば意味が成立する。


 だからこの怪談、体験した人が適切に理解してたら、ちょっと風味の変わる話なんですよね。知らない言語──っていうか言語だけに限らないですけど──で聞こえてきたものに対して抱く恐怖は、また別枠ですから。訳の分からない奇声に対して抱く恐怖と、それを理解したときに発生する恐怖がある。理解できなかった場合はほら、「何か分からないけど異様な音が聞こえた」って消化不良でもやもやする嫌な感じが残るじゃないですか。すっかり忘れたとしても、記憶の奥には踏まれ損なった地雷みたいに残り続ける。体験したこと自体は、どうやったってなかったことにはならないんですよ。

 よく分かんないって顔してますね。僕の説明が下手だってのを差し引いても、先輩ちょっと巡りが悪い──すみません、今のは僕が言い過ぎました。撤回します。フリスク追加であげるんで許してください。先輩にここで帰られると僕が暇で死にます。説明し直しますから。


 じゃあ、そうですね。

 先輩、僕のこと見てください。


 要するにこういうことなんですよ。先輩、日本語喋るじゃないですか。だからさっき僕が喋ったこと、分かったでしょう。僕も一応日本語喋りますから。めちゃくちゃ怪訝そうな顔してますけど、そういう話なんです。先輩に通じる言葉だったから、先輩は素直に指示に従ってくれた。いいですよもうこっち見なくて。窓見ててください。


 じゃあこれにも答えてください。

 せんぱい、きょうなのえさいってもいいべか。


 どうなんです、返事してくださいよ……日本語ですよ、当たり前でしょう。これ僕の実家の方言です。『今日先輩の家に行ってもいいですか』って言ってるんですけど、分かんなかったでしょう。僕は意味を分かって言ってるし、実家の土地の連中なら問題なく通じます。都会生まれの先輩には訳の分からん音のかたまりに聞こえたでしょうが、違う土地でならきちんと文章っていうか呼びかけとして成立しているわけです。


 で、僕は思うわけですよ。怪談で結構こういう齟齬が起きてるんじゃないかって。


 よく怖い話で「呻き声が聞こえた」「ぶつぶつ呟く声がする」なんてありますけど、あれだっておばけの方はちゃんと伝えようとしてるのかもしれないじゃないですか。だけど何だろうな、僕ら生きてる連中と理屈っていうか仕様が違うから、怪音とか不気味な声とかにしか聞こえてないってのもあり得る話でしょう。いやまあ、マジに重度の病人みたく呻いてるだけかもしれませんけど。僕インフルで四十近かったとき関節痛で呻き声しか出ませんでしたし──ああ、なるほど。それだって苦痛の表現ですね。じゃあやっぱりあれだ、現象に遭遇した人間の理解力で受け取り方が変わるやつですよね。ベテランの農家は家畜の鳴き声で調子が分かるって、僕も漫画かなんかで見ました。そんな感じですよね?


 それに、人間だって同じことをするじゃないですか。


 何人かで心霊スポットに突撃して、怖い目に遭って、一人逃げ遅れたりひどいことをやらかしたやつが一瞬行方不明になる、っていうのもパターンじゃないですか。これ、大体見つかりますよねいなくなったやつ。命は助かったけど正気じゃなくて、意味の通らないことを延々と喋ってたりする。恐怖体験の結果、気が触れちゃったってやつですよ。というか、狂気自体がとして分類されますよね。常軌を逸する、狂気の沙汰、理解を超える……基準から逸脱して、理屈も意味も成立しなくなってる。


 でもこれ、意味が通らないのって正気側の人間にですよね。対象が違うんじゃないかって思うんですよ、僕は。


 誰になら通じるってあれですよ、おばけとか怪異とか、そういう怖いやつです。とにかく、僕ら人間とは違う理屈で動いているもの。同じ人間だったはずなのに、心霊スポットで遭遇しただろう、そっちの方に傾いちゃったんじゃないかなって……だからまあ、あれですよね。ガワだけは人間のままでも、中身はもう変わっちゃったんじゃないかなって。そう考えると、なんか嫌ですよね。ひょっとしたらの理屈に則って、呼びかけてたり詰ってたりするのかもしれない。ただ僕たちが理解できてないだけで、結構とんでもないことやられてるのかもしれませんよ。分かんない、気付かないから怖くないだけで。いや、怖がれないだけって言うべきですかね。


 


 大丈夫ですよ。そんな顔しないでください。あとカバン振り上げんのやめてください、それで殴られるとジャージでも痛いんで。道藤がかわいそうですよ。ひどい先輩ですね、本当に。

 今のも一緒ですよ、でたらめです。出せる音を適当に出したやつですし、やっぱり僕はまともです。霊感とかありませんし、最近の映画っぽく呪詛とかそういうのもできません。嘘も上手くない。知ってるでしょう先輩なら。サークルの夏合宿で人狼やったときも、僕すぐ吊るされてたじゃないですか。だからちゃんと人間としての奇声であって、それ以外の意味なんかないんですよ。よくあるでしょう、怖い話でお前だ! ってやるやつ。あれですよ。あの手口って効果的なんですね。すっごい顔ですよ、先輩。


 ただほら、サルのタイプライター。あれって試行を重ねて行けば、いつかは戯曲が仕上がる、みたいな話じゃないですか。今思いついたんですけど、僕の奇声これ、ひょっとしたらいつかは当たりを引くかもしれないんですよね。僕はただストレス解消に奇声を上げてるだけなんで、見分けがつきませんけど。意味のない奇声のはずだったのに、偶然別の論理に基づいた意味が成立していたりして。呼びかけだったり罵倒だったり、出来がどうかも分からないのに、それが『聞こえる』相手に届いたらもっと怖い。理解の外にあるものに理解されるのって、きっとろくでもないことになりそうですよね。

 ちょっと面白くないですか、そういうの。先輩どう思います?

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