霊使───れいし───

結城彩咲

霊使

「こ、ここでいいのかな……?」


 少年は、表札を見つめながら呟く。


 およそ百段の石階段を登った先にある、共鳴神社。その隣にポツンと存在していたのは、年季の入った木々で構成されたボロ屋。腐りかけている檜の表札に彫られた文字は、「暁」。


 スス汚れたインターホンを鳴らす。


 ピンポーン、と意外にも綺麗な音が響くと、十と数秒で家主が姿を現した。


「おや、私にお客さんとは珍しい。何か用かな?」


「あ、あのっ! 僕、泉亮太って言います! ここが、″霊使″暁さんのお家でお間違いなかったですか……?」


「ええ、いかにも。私こそが霊使、暁獣骨だ。私の正体を知っていてなお訪ねたということは……まあ、いいか。ひとまず立ち話もなんだ、よければ上がって行くかい?」


「はい。お邪魔します……っ」


 亮太は獣骨と名乗る男に導かれ、玄関へと入る。


 ギィ、ギィ、と足元の木々を鳴らしながら廊下を進み中へと戻っていくその背中をすぐに追いかけると、案内された先はリビング。


 外見に比べ、中はこじんまりとしたサイズながらも綺麗に整えられていた。綺麗好きなのか、ミニマリストというやつなのか。そんなことを考えながら部屋の中央に置かれた大きい机の横の椅子に腰掛けると、その正面に獣骨も向かい合う。


 獣骨は、灰色の髪を靡かせた男性であった。歳はおよそ二十後半から三十といったところか。十八の亮太と比べると数段、大人びて映る。


「っ、おっと。すまない、客人相手だというのにお茶の一つも出さないというのは無作法だった。すぐに持ってくるから、少しそこで待っていてもらっても?」


「わ、悪いですよ! 僕は全然、大丈夫ですから! お気になさらず!!」


「まあそう言わず。本当に持ってくるだけだから。スーパーで売っていた九十八円のお茶をそれっぽい湯呑みに入れて、高そうな感じにカモフラージュしてくるよ」


「はぁ……」


 何故それを全て言ってしまうのか。こちらの遠慮を取り除くためだとしても……なんというか、変わっている人だと思った。


 だが、改めてその背中を見ると分かる。紫色の羽織を纏い、身長は百九十はあろうかという背中は力強く、どこか″ただ者じゃない″オーラが漂っている。まるで、視覚化できない何かに取り憑かれているかのような。


「はい、四十秒待たせた。緑茶だ」


「どうも」


 ずず、と音を立ててそれっぽい湯呑みに入った緑茶を啜る。


 美味しかった。普通に。普通な感じの、美味しいお茶だった。どうやら本当にペットボトルのお茶だったようだ。そう言われたから意識しているだけかもしれないが、もうその味にしか感じない。


「それで? 霊使の私のところに来たということは、仕事の依頼かな?」


「……いえ。依頼なんて、大したものじゃなくて。ただ、お聞きしたいことがあって来たんです」


「ふむ。聞きたいこと?」


「泉友香里という女の人を、知っていますか?」


 ピクリ。獣骨の眉が揺れ動く。


 およそ、三秒ほどの間。ゆっくりとその大きな図体を前のめりにしながら両肘を机につき、顔の前で手を結んで見せると。獣骨は、答えた。


「知っているとも。友香里君は、私の友人だ。っと、そうか。君の顔、どこかで見たことがあると思っていたんだ。友香里君の、弟だったか。彼女から写真を見せてもらったことがあるよ」


「はい。僕は彼女の弟です。獣骨さん、最近姉とは会いましたか?」


「最近? そうだな。最後に来たのは確か……一週間前の、日曜日だったか。いいそうめんが入ったのだとお裾分けに来てくれてね。二人で昼食を共にしてからはそれっきりだが……。彼女に、何かあったのかい?」


「死にました。四日前、心臓発作を起こして。持病も何もない、健康体だった姉が」


 亮太がここに来た理由は、今は亡き姉の友人である彼にその報告と、姉から何か最後の言葉を預かっていないかの確認であった。


 大学一年生、順風満帆な青春を送っていた女子大生の、突然の死。原因一切不明の急死に医師が叩きつけた診断は、お手上げの心臓発作である。


 亮太自身、納得はいかなかった。しかしそもそも医師の元に運ばれた時は……いや、その前の救急車に乗せられた段階で、既に心臓が動いていなかったのだという。


 その場にいなかった亮太はもうその話を信じ、心臓発作だったのだとして受け止めることしかできない。だからこそせめてもの、この訪問なのだ。


「そう、だったのか。残念だよ。彼女は僕にとっての数少ない友人だった。そして、非常に申し訳ないのだが。私は彼女から言伝のようなものは一切預かっていないよ。私と別れる時も、笑顔そのものだったからね」


「……分かりました。すみません、今日は本当に、急にここに来てしまって」


「構わないさ。そんなに疲れた様子なのにも関わらずわざわざこんな所まで来てくれたんだ。せめて、もう少しゆっくりしていくといい。君もまだ、いきなり姉を失ったことに心の整理がついていないんだろう?」


「心の整理、ですか。そうですね。本当に……何もかもが、突然でしたから……」


 亮太の顔は、暗く沈んでいた。


 当然だ。最愛の姉を失い、心の整理もつかぬままここ数日、葬儀などで半ば強制的に姉への弔いを済まされてしまった。


 空っぽだ。父も母もまだ生きているし、帰る家はある。家族関係も良好だ。けれど、いつも明るく優しかった姉の顔を見ることはもう出来ないのだと思うと、心にポッカリと穴が開いているような感覚になる。


 圧倒的な無機質。そんな彼の表情を見て、獣骨は言葉を発する。


「亮太君、君は嘘が下手だな」


「……え?」


 ぽかん、と何を言っているのか分からないといったようにその顔を見上げる亮太を嘲笑うように。そして、どこか挑発して見せるように。獣骨は言う。


「疑っているなら、素直にそう言っていいんだよ。原因不明の急死、付き合いのあった謎の霊使。関連づけて殺した犯人だと疑わない方が不自然だと僕は思うけどね」


「そ、それは……」


「図星のようだね。安心して。責めるつもりがあって言ったわけじゃないんだ」


 霊使。それは、この世ならざる存在、悪霊を、使役した悪霊で倒す者。呪い、悪魔、堕神。悪なる存在で悪なる存在を討つ、歪なる者。


「私は、善か悪かで言えば悪に近い存在だ。だが、誓って人を殺すような行為には及んでいない。まあ口で言うのは簡単だけどね。そうだな……せっかく、当事者の君が来てくれているんだ。言葉より行動で示そうか」


「行動、ですか……?」


「ああ。友香里君を殺した犯人を、私が捕まえて見せよう。期限は、そうだな……十分もあれば充分だ。霊使の仕事を間近で。それもタダで見れるなんて、亮太君はラッキーだよ?」


「ま、待ってください! 殺した犯人って!? 姉は、誰かに殺されたんですか!?」


「うん。間違いないよ。じゃあ早速だけど、捜索を始めようか」


 獣骨は、静かに笑った。




「じゃあ、始めようか」


 獣骨は立ち上がり、胸元に手を入れて羽織から一枚の札を取り出す。


「亮太君。君は、霊使という文字を見たときに違和感を感じたりしなかったかな? 特に、使の部分」


「え? あー、そうですね……。確かに、普通は魔術士の士とか、あとは師匠の師とか。そういうものを書くイメージはあるかもです」


「そうだね。でも、霊使だけは使うという表現をするんだ。それは文字通り、霊を″使役″しているからだね」


 獣骨は言った。霊使という職業の主な仕事は、霊を持って霊を制する悪霊退治。加えて、人ならざる者である彼らによって起こされた犯罪行為の捜査協力、加害者、被害者が霊化した場合に彼らの言葉を聞くことにある、と。


 つまり、犯罪捜査はおてのもの。泉友香里を殺した犯人を探すのに時間を要さないのも、その絶対的な自信と実力からだ。


「おいで────ウツツシラベ」


 刹那。言葉に呪符が反応し、黒い光に包まれる。


「ひっ!?」


 札が形を変え現れたのは、人型の悪霊。黒の長髪を後ろで結び、白と赤の巫女服に身を包んだ、人間となんら姿に違いの無い……しかし、確かな悪霊である。


 亮太は、身の毛がよだつ思いだった。ウツツシラベと呼ばれるそれからは敵意も、殺意も、悪意も。何も感じない。何も説明されず目の前に姿を見せられれば、普通の人間だと勘違いしてしまうだろう。それほどまでに人の姿に擬態出来てしまっている悪霊という存在に、第六感が震えていた。


「お呼びでしょうか、主」


「ああ、悪いね。突然なんだが、私の友人、泉友香里が殺された。その犯人を、君には特定して欲しいんだ」


「……? 何故、そのような必要が?」


「それは当然、弔い合戦のためさ。こう見えても僕が義理堅いの、知っているだろう? 悪いが、僕は少し席を外す。″いつもの″は彼の右ポケットにある。それでよろしく頼むよ」


「……御意」


 獣骨は要件をウツツシラベに伝え、部屋の奥へと消えて行った。


 それと同時に、彼女の視線が亮太と交錯する。ビクッ、と恐怖から身体を震わせると、ウツツシラベは落ち着いた様子で告げた。


「あなたの右ポケットに入っている、彼女を貸してください。それを使い、死の直前の記憶を探ります」


「彼女? もしかして……骨の、ことですか?」


「はい。私の力を使うには、死骸、および遺骨を使うのが一番速いですから」


「わ、分かりました……」


 それは、葬式後遺骨を壺へと移し、墓の下へと入れる作業の際数多く余る遺骨の一つ。親族である亮太には葬儀屋からそのうちの一つを小さくしたものが手渡されており、それを小さなストラップの金属筒に入れ、家の鍵につけて持ち歩いていた。


 亮太は言われた通り、彼女にそれを渡す。筒の中からはとても小さな、指先から第一関節までよりも短いかといったサイズの遺骨を取り出すと、足元の床に置いた。


「少し、離れていてください。私はこれから数分、外との感覚が完全にシャットアウトされます。あなたは、どうぞ椅子にでも座って待っていただければ」


「そう、なんですか? あの……姉の死の直前の記憶って……それで犯人の顔を特定する、とかなんですかね?」


「いえ。私の見ることができる映像にそこまでの解像度はありません。知れるのは、せいぜい彼女が何を使って殺されたのか。相手が男か女か……あと、どれくらいの背丈であったか、くらいですね。私の力は視覚を共有しますが、死が即死であったのであれば、その直前およそ二、三秒しか見られない私にとって、捜査は困難になります。視界がブレていることがほとんどですから」


「そう、なんですね」


「では始めます」


 その場に膝をつき、言霊による詠唱をした彼女は目を閉じる。


 亮太はその様子を、椅子に座りながら眺めていた。


 目を閉じてからは、本人の言っていた通り。二分ほど、その身体が動き出すことは一度もなかった。まるで教会で神に祈っている神父かのように、ただじっと。呼吸音すら立てずに、黙っている。


(これで、お姉ちゃんの最後が分かるんだ。殺した、犯人も……)


「お、やってるみたいだね。亮太君、彼女が眠りについてから、およそどれくらいかな?」


「獣骨さん。えっと、今二分くらいですかね」


「ふむ。ならあと半分、ってとこかな」


「あの……獣骨さんは、今までどこに?」


「お手洗いだよ。どうも、最近はお茶の飲み過ぎで尿意が頻繁に襲ってきてね。客人が来ているのに席を離れてしまって、申し訳ない」


「いえいえ、大丈夫ですよ! 生理現象ですし!」


 獣骨はゆっくりと椅子に腰掛けると、一杯。先ほど持ってきていた緑茶の中身を飲み干して、大きく息を吐いた。


「亮太君は、霊使に興味があるのかな?」


「え……?」


「いやはや、彼女の使う術をどうも興味ありげに眺めていたからね。興味があるなら、私としては嬉しいな。霊使は衰退の一途を辿り、今では僕一人。ちょうど助手が欲しかったところだ」


「あ、あはは……獣骨さんって、冗談とか言うんですね?」


「冗談じゃないさ。友香里君も、助手にはなってくれなかったからね。霊使は怖いし、君がいるから死ぬわけにもいかないし、って。だが、彼女には確かな才能があった。そんな友香里君の弟だ。誘いたくもなる」


「僕はただの高校生ですよ。今年は受験ですし、勉強に専念しないと」


「そうか、それは残念だ。君にも″素質″はあるというのに」


「主。完了致しました」


「おっ、もう五分か。人と話しているとあっという間だね」


 それから、亮太は遺骨を受け取り、ウツツシラベは獣骨に今見た記憶の全てを伝えた。


 死因は、頭を強打されたことによる頭部損傷。即死だったこともあり映像は乱れていたが、相手は男であることが判明。体格は若干細身であり、身長は低め。髪は黒。制服を着た人物であったということまでが、判明した。


「なるほど。じゃあ、やっぱり僕の思った通りだったわけだ。ありがとうね、シラベ。お疲れ様」


「主、よいのですか? 私の顕現時間はまだ存分に残っております。私の手で、ということも可能ですが」


「いいよ。言っただろう? これは弔い合戦なんだ。当人以外が立ち入るべき問題じゃない。だから、ここからは私に任せて」


「御意。主、ご武運を」


 そう言って、ウツツシラベは一瞬にして一枚の呪符へと還る。


「さて、と。亮太君。犯人は分かった。だけどね……その前にもう一度だけ、君を勧誘させてくれ」


「勧誘?」


「正式に、僕の助手にならないかい?」


 何故、このタイミングなんだ。亮太は困惑した。


 獣骨は有言実行し、まだ操作を始めてから六分だというのに犯人を見つけ出したのだという。


 それはいい。だが、何故こう執拗に助手に誘ってくるのか。それも、まるで逸材を見つけたと言わんばかりの満足げな表情で。


「君は、素質を持っている。霊使をやっていくうえで最も大事な要素を、既に獲得しているからね」


「最も大事な要素、ですか?」


「ああ。霊使を続けていく上で、一番手にしていなければならないもの。″徹底された残虐性″が、君にはあるだろう?」


「は……?」


 残虐性。つまり、獣骨はこう言いたいのだ。


 イカれている人間が欲しい。そしてお前は、その基準を満たしている。だから来い、と。


 意味が分からなかった。残虐性など、今この場で初対面のこの男相手に一度でも見せたか。いや、見せていない。なのに、何故こうまで言い切れるのか。


「はぁ。もう取り繕わなくていいよ。さっきも言っただろう? 君は嘘が下手なんだよ。よくもまあ、ペラペラペラペラとホラを吹き続けられるよね。姉が急死して、最後の言葉を知っていないか聞きに来た? ぬかすなよ。むしろ教えてもらいたいね。友香里君は最後に何か、言葉を残さなかったかい? ────愛していた弟に、殺されて」


「っ!?」


 ドンッ、と肩肘をつき、頬撫でを当てながら。気迫の増した獣骨の言葉が、静寂に響く。


「いつから……気づいていた?」


「目を見た瞬間から。職業柄ね、分かるんだよ。人を殺したことのある者の目は」


「はっ、テメェの方がよっぽど大ホラ吹きじゃねぇか。ウツツシラベ、だったっけか? アイツのくだり必要あったのかよ」


「ふふっ、僕は心配性でね。そもそも君が友香里君のなんでもなくて、友香里君もまだ死んでなくて。ただその名を語って来た赤の他人の可能性があったから。不安な種は摘んでおかないと」


「けっ、喰えねえ奴だ」


 ウツツシラベの見た映像。それは主人である獣骨に、強制的な繋がりとして共有される。


 それは本来、使役した悪霊が主を欺くことが無いようにするための縛り。使われた力────術によって得られた情報は、その全ての秘匿を許されない。


 そうして手に入れた情報と、独自の見解が一致した。友香里が死ぬ直前、その目で捉えた″人を人と思わぬ目″に、身体的特徴。おまけに死の真相が彼の口から語られたものと全く別だった。こうして、九十九パーセント黒だった彼の容疑が、百パーセント確定したのだった。


「で? それを分かっててなお俺を誘うのかよ。どうやら霊使ってのはよっぽど人手不足らしいな?」


「人手不足も何も。今、この世界に霊使は私一人だ。人手なんていくらあっても越したことはないんだよ。それに、私は″一度くらいの過ちには目を瞑る″よ?」


「ちっ。全てお見通しってわけだな」


 亮太は、胸元の内ポケットから一枚の呪符を取り出す。


 それは、獣骨がここを離れてからウツツシラベが眠りについたその後。この部屋で、盗んだ物。


 亮太がここに来た本当の理由は、ここにある。


 まず獣骨と親しい仲にある姉を殺害。その死を理由とし、弟として接近する。明確な理由を持たねば、獣骨に警戒されて家の中に入ることすら叶うか怪しかったが故の、殺害であった。


 全ては力を手に入れるため。霊使に代々受け継がれて来た力、悪霊を封印し使役する呪符。その一端を手に入れて、人ならざる力を身に宿すために。


「俺を殺さなくていいのか? お前の友人の仇だぞ」


「構わないよ。僕は優秀な人材が欲しい。君は霊使としての力が欲しい。利害は一致していると思わないかい?」


「んー? そうだなぁ……確かに、霊使の力を詳しく知るにはお前を頼るしかない。そのために助手として下につくってのも、一つの手段かもなぁ?」


「物分かりが良くて助かるよ。じゃあ、これからよろ────」


「なんて、なぁ! 馬鹿言っちゃいけねぇ! 俺は人の下につくことが大っ嫌いなんだよ!! あのクソ女もそうだ。たかだか俺より一年早く生まれたってだけで見下ろしやがって……だからこの計画に利用してぶっ殺してやったんだよォォ!!」


 呪符をかざし、亮太は告げる。


 札には「アカノツメヅメ」の文字。どす黒く塗りつぶされた感情が呼応し、悪を解き放つ。


「出てこい!! 悪霊野郎ォォ!!!」


 刹那。札は形を変え、膨張して一つの新たな形へ。


 禍々しい、刀身から二つの刀身が枝分かれした大剣へと。変化する。


「いいね、いいねぇ! 武器か、唆るぜェ!!」


「来い────アマノハバキリ」


「死ねェェェェェェ!!!」


 闇から放たれる、大ぶりの一撃。それはすんでのところで顕現された紫の太刀により、その衝撃の方向を上へと逸らす。


 瞬にして、さっきまで形取られていた暁家の天井は消え失せた。家を横から二つに両断したかのような一撃に、獣骨はため息を吐きながら敷地の外へと出る。


「この家、気に入ってたんだよ? はぁ……また建て直しかぁ」


「何をブツブツと……とっとと死ねって言ってんだろが!!」


「五月蝿いな。もういいよ、お前」


「っっ!?」


 シィンッ。鈍重なその大剣を振り下ろす彼の左腕に、一閃が突き抜ける。


 左腕は、根本から消し飛んでいた。切断ではない。その存在そのものが消えるほどの、衝撃と斬撃。わずかな高音と共に放たれたアマノハバキリの刀身は、亮太の身体をも遥か後方へと吹き飛ばす。


「痛……ぃ? 痛、痛痛痛痛痛痛ァァァァァ!? 腕、腕がァァァァァッッッッ!?」


「は〜ぁ。惜しいなぁ。せっかく実ってたのに。まあでも……もう、仕方ないよね」


「ご、ごめんなさい! お、おおお俺、助手になります!! 獣骨、様ッ!! だから命だけは、助け────」


「え? 何言ってるの、君。私ちゃんと言ってたよね?」


「へ……?」


「これは、弔い合戦だって」


「ぴゃっ────」


 シッ。ハバキリが、亮太の首を刎ねる。


 首が飛ぶと共に、右手から零れ落ちる妖刀。やがてそれは再び姿を変えて、一匹の獣となる。


「ちゃんと全部食べてよね。片付けなんてごめんだから」


 アカノツメヅメ。悪霊として覚醒する以前、人間であった頃の彼は────食人愛好家であった。


 牛よりも豚よりも鳥よりも。この世のどの肉よりも人間の肉を愛し、時には人間そのものを愛し喰らう。死してなおも満たされない食欲により悪霊化した彼は、黒の毛皮に身を包んだ獣として。自ら身を捧げるウツツシラベとは違い、契約を結ぶことで主従していた。


「マズイ。ヒサビサノショクジデコノテイドノモノヲダストハ。ジュウコツ……コレデハタリヌゾ?」


「ああ、はいはい。いいよ……」


 ブシッ。血飛沫が舞う。


 獣骨の右腕が、根本から食いちぎられていた。


 ヌチッ、グジュッ、と汚らしい音を立てながら、自分の腕が捕食されているところを軽蔑ふるような視線で見つめる獣骨。だが、久々の高級料理にツメヅメはそんな視線など、感じることもなく血の一滴まで全てを吸い、筋繊維を余すことなく食った。


 血の吹き出していた右腕を、獣骨は瞬時にして再生させる。グッ、グッ、と食われた腕と変わらない性能を確認してから、ため息混じりに言葉を発した。


「ほんと、私の身体は美味しそうに食べるよね。そんなに良いの?」


「アタリマエダ。ヒトノニクハ、ソノココロガヨリヨドンデイレバイルホドウマクナル。オマエノココロハイッキュウヒンダカラナ」


「あはは、酷いな。というか、それならなんで僕のことたまにしか食べないわけ?」


「バカカオマエハ。ドレダケコウキュウナリョウリデモ、タベツヅケレバアキガオトズレテカンドウヲウシナウ。ダカラコウシテ、イッカイイッカイノショクジニマヲモウケテイルノダロウガ」


「あっ、そ。美食家だね、相変わらず」


「ソレハ、オマエモダロウ」


「何のことやら」


 腹を膨らませ、欲望を満たしたツメヅメは呪符へと戻る。獣骨はそれを拾いあげると、無惨な姿に変わってしまった我が家を見つめながら。言った。


「助手、いつになったら見つかるのかなぁ……」



──────完──────

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