エピローグ

 


 自ら燃えた薪に飛び込み、自らの灰で復活する。不死鳥フェニックスは永遠と憧れの象徴だ。それは蘇った直後に、どう鳴くのだろう? やはり人間の赤子と同じように、初めての呼吸の苦痛に泣き叫ぶのだろうか? 

 ハーベストの店【PAWN】も灰の上に建てられた。だけど「蘇った」というには華やかさに欠けている。「湧いた」と表現するほうが正しいだろう。少なくとも周囲の住人は、そんな気分だ。新築だというのに、泥臭くて小さい。もう何十年も雨風に晒され、煤汚れた大気を吸ったみたいだ。それも当然。ハーベストは建築の際に、あえて使い古した廃材を用いたという。彼は真新しさを嫌った。

 ドアベルは鳴らない。氷漬けされたみたいに、しんと静まり返る喫茶店……。ゴリンゴリン。湿気たコーヒー豆をすり潰す音が響く。吟遊詩人が歯ぎしりしているみたいだ。いつもコーヒーを頼む警官が今日はいない。「マズイマズイ」とわめく声が聞こえない。

 耳を澄ませば、店外にも人気がない。都市が押し黙っている。まるで星が静止したみたいだ。

 深倫敦ニュー・ロンドンじゅうの警官が警察署に詰めていた。市民にしたってそうだ。誰も出歩こうとせず、じっと家にこもっている。凍結された世界で、じりじり心だけが腐敗していく。

 耳に痛いほどの静寂。爆発の直前は刹那にして絶大な静けさが伴うもの。都市の誰もが、ハーベストさえもが固唾を呑んで状況を見守っている。

 カチリカチリ。秒針を鳴らす時計があまりに煩いから、ハーベストは銃を抜くや掛け時計をぶち抜いた。ありったけの弾丸を叩き込んだ。

 ハーベストは前を見据えた。ポッピーが座っていた。ちょこんと佇む小鳥みたいだ。頭にはユーリの形見である大きなヘッドフォンをはめている。今は何も聴こえない筈だが、少女は頑として手放そうとしない。まんまるな瞳は不動で、寒空に浮かぶポラリス星のようだ。

 じっとポッピーの視線を受け止める。ハーベストは一度だって視線をそらさない。少女の顔つきはすっかり変わっていた。目から情熱が消え失せ、絶対零度の光が宿っている。

 孤児院はユーリにとっての養殖場だったのだろう。善悪どちらにも転べるよう用意された、選りすぐりの子供たち……。

 この世界への才能がなかった、とユーリは自称していた。だからこそ才能ある子供たちを引き取っていたのかもしれない。それは親が子に夢を託すようなもの。あるいは作者がキャラクターを育てるような歪な愛だったのかもしれない。

 実際のところユーリは子供達に十二分の愛を注いでいたのだろう。独裁者が「何者」かによって殺された日。子供たちは泣いた。特にポッピーは誰よりも泣いて泣いて、泣き尽くした。

「本当に、ユーリ様は死んでしまったのか?」

「……」

「答えろ、ハーベスト」

 鋼の声が響く。特製のハニーマフィンをくれてやったが、手をつけない。少女はもう甘いモノを食べないかもしれない。

「ユーリ・ノワールは死にました」

「死んだんじゃない」

「そうです。殺された。英雄病感染者ヒーローによって」

「信じてもいいのか?」

 ハーベストは頷いた。ポッピーには生きる理由が必要だ。穴のどん底で糸を垂らされるのを待ちわびている。それがどんなに頼りなくても、希望に違いない。かつてのハーベストがそうであったように、今のポッピーにも復讐心が必要だった。あれほどユーリを嫌っていたというのに、今はハーベストが彼女の真似事をしている。

 倫敦塔は灰になった。ハーベストが“秘密の部屋”ごと焼き払ったのだ。孤児達はみんな避難させた。あの日、プロパガンダのビラが舞って、天使みたいに羽ばたいていた。

 ユーリの報酬は破格だった。後から振り込まれた金額は国家予算にも匹敵する。だからハーベストが孤児院の資金を出してやるつもりだ。ポッピー達を養って余りある。ありえない報酬の裏でニヤニヤ笑う女の顔が浮かぶ。

「わたしは、やつらを許さない」ポッピーが呟いた。

「僕がユーリの跡を継いで、病人を狩り続けますよ」

「うん。わたしはハーベストほど強くないから……」

 ポッピーは抱えていた新聞紙を握りしめる。クシャクシャでシワだらけ。もう何度も読み返したと分かる。新聞の見出しは下品なくらいデカデカと掲示されていた。事件から随分と日にちが経ったが、ようやく新聞は事件を報道する気になったらしい。

 

【ユーリ・ノワール独裁官殺害。犯人は日本人の英雄病感染者・赤寺鬼太郎。犯人は独裁官を殺害後、倫敦塔に火を放ち逃亡。現在は行方をくらましている】

 

 ハーベストはまず手始めにガセネタをくれてやった。これで鬼太郎は当初の目的を達成したというわけだ。ハッピーエンド。正義の味方にお似合いの顛末だ。

 じきに世界は崩れる。もう誰も調律しないピアノになった。不協和音の塊となって、どこまでも墜ちていけるだろう。

 ユーリ政権による安定が去り、ハーベストや孤児達は解放された。彼女の犠牲になることは、もうない。これからどうなるか、誰にも分らない。混沌の時代が訪れる。誰もがそれを肌で感じているから、動くに動けない。

 ハーベストは選択をした。たとえ世界が破滅するとしても、自分の世界と住人を守ると。

 食器に溜まった水面に、子供時代を思い浮かべる。


「ハー君、大人になりたい?」

「なりたいとか、なりたくないとか。そういうものですか?」

 黙っていても背は伸びるし、声は低くなるものだろう?

「私は子供のままがいい」

「不便です」

「だけど子供であれば、強いままだわ」

 少女は目を細めて笑った。

「知ってる? 大人になったら誰でもサビつくの」

「初耳です」

「子供は強すぎるから教育されるの。長い時を掛けて大人に劣化するのよ」


 清廉潔白の生クリームが傷むように、彼等は大人になる。

 ハーベストは過去を受け入れるよう、コーヒーを一気に飲み干した。なるほど。皆がいうよりも、ずっと不味い。

 こうしている今もユーリが世界に、そっと耳を澄ませている気がした

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ヒロイック・シンドローム 怪咲 幻 @oneoneko

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