第百五話

 けいは廊下の途中で足を止め、アプリの一番上に表示されているはるのトークルームを開いた。

 彼女からのメッセージには続きがあった。


〈まだお客さんとの話、終わんなさそう?

 終わったらすぐMINEください…!(私寝てたらごめん)〉


 送られてきた時間を確認すると、今から20分ほど前だった。

 現在は既に深夜12時をとうに過ぎている。

しかし馨は彼女が起きている可能性に賭けて、その場でそのメッセージを送った。


〈今終わった。まだ起きてる?〉


 するとすぐに既読がつき、返信が送られてくる。


〈うん! 早く二階きて! 私廊下にいるから〉

 

 緊急事態ではないようだが慌てた気配も感じられる。

 早く二階へ向かおうと、手短に返信して携帯をポケットに仕舞った時。


「──馨。そこで何をしてる?」


 突然、背後から低く冷たい声が聞こえた。

 振り返った先にいたのは父だった。

 急に現れたように見えたが、玄関を挟んで応接間とは逆側にある居間からやってきたのだろう。


「父さん」

祁荅院けどういんさんとの話は終わったのか」

「……終わった。けど──」

「なら早く戻って寝るんだ。明日は遅れられないぞ」


 父は早々に踵を返して、累のいた部屋の方へ歩き出す。


 相も変わらず無情な態度に、馨は彼の背中をまじまじと見つめた。

 何を話したのか追及してこないのは、累の言うとおりなら「不慮の事故」を防ぐためなのかもしれない。

 しかし、父に限って言えば事情はそれだけではないように思えた。嫌悪や憎しみのような「負の感情」が、常にその目の中にある気がするのだ。


「……」


 何か言ってやろうかと一瞬だけ考えたが、無意味に終わるだけだと思い直して再び二階へと向かった。

 それに、今は遙の話を聞くのが先決である。

 

 暗い静寂の中、スマートフォンのライトを灯しながら急勾配の階段を上る。

 上りきって廊下の先に目を向けると、奥に同じくライトを灯した小柄な人影が一人立っているのが見えた。

 パジャマのいちご柄がぼんやり浮かんでいる。


 馨が姉と母のいる部屋を通り過ぎた辺りで、遙は待ちきれない様子で足音を忍ばせて近寄ってきた。


「けー兄……! やっと戻ってきた……」

「どうしたんだよ、急に。話って何?」

「ここじゃ誰かに見つかるかもしんないからっ……」

 

 遙は馨の手首を掴むと廊下の奥へ向かい、角を曲がる手前の右手にある部屋の襖を開けた。

 他の部屋と同じく8畳ほどのがらんどうな客間だ。

 彼女は後ろを振り返りつつ中に入り、大急ぎで照明をつけて襖を閉めた。


「遙、大丈夫か? 何かあったの?」


 怯えたように縮こまった背に問いかけると、彼女はぱっと振り返った。眉尻を下げて瞳を少し潤ませている。


「あった。……けー兄、もうちょっと、こっち来て」


 彼女は小声で言い、部屋の隅に屈んで馨を手招いた。


 昔もこうして二人で些細な悪戯を企てたりしたものだが、今の状況にそんな微笑ましさは欠片もない。

 馨が傍に寄って隣に座ると、彼女は神妙な顔つきで口を開いた。


「あのね、パパ達がずっと変なの」

「? 変って、どんな風に」


 馨はそこはかとない嫌な予感を覚えた。

 彼女は溜め息をついて眉根を寄せる。

 

「けー兄が到着する前から、皆とにかく恐〜い顔して、大人だけでヒソヒソ話し合ってるの。それで私が『どうしたの』って聞いても、絶対に話逸らすんだよ? なんかすっごく嫌な感じで、気味が悪かった……!」


 大人達が話をはぐらかすのは今に始まったことではない。

 しかし彼女はいつもと様子が違うことを感じ取り、不審に思ったのだろう。


「ずっとピリピリしてるし、パパもママもおじいちゃんもおばあちゃんも、しき伯父さんもあや姉も……さっきそうさんにも会ったけど、皆と同じ雰囲気フインキだったっ」

「……創さん」


 馨は創のことも怪しんでいたが、彼は累のところに行こうとするのを引き止めようとしているように感じた。

 理由は考えても分からないが、それが少し引っかかっている。

 一花いちはな家と祁荅院けどういん家の協力関係は完全なものではないのだろうか──


「ねえっ、聞いてる? けー兄っ」

「え、ああ。うん」

「絶対なんか変だよね? けー兄は何か知らない?」

「いや、俺は……」


 馨が知るかぎりでは、遙がシラハオリの空気感や大人達の態度をここまで明確に不審がるのは初めてだった。

 今まではただ、親族達に会えて無邪気に喜んでいるだけだったはずだ。


 彼女の大きな瞳に、自分が映っているのが見える。


「私ね──ちょうどこの間、高校の友達にシラハオリのこと話したんだ。お盆の話になったから」

「……」


 その言葉を聞いて、馨は小学生の頃に似たような経験をしたのを思い出していた。


「そしたらね、『普通はお盆にそんなことしない』って言われたんだ。でもなんか私信じらんなくて、皆にも聞いてみたんだけど、誰も、うちの家みたいなことしてる子なんていなかった」

「……いないだろうな」


 思わずそう零すと、彼女は目を丸くした。


「えっ! けー兄、知ってたの? 皆に『怪しい宗教?』とか『悪霊でも祀ってるんじゃないの』とか言われたよ? ねえ、私達って毎年何してるの? シラハオリって何なの?」


 何かスイッチが入ったのか、遙は食い入るように馨を見つめて捲し立てる。馨は堪らず目を逸らした。

 

 つい先ほど累から聞いた忠告が頭をよぎっていた。

 当然遙に話すつもりはない。自分と同じく未成年である彼女に、取り返しのつかないことがあっては困るからだ。

 口を閉ざす親達の心境が少し分かった気がして、馨は得も言われぬ気持ちになった。


「俺も、何なのかは知らない。普通と違うってことは、何となく分かってるけど」


 遙はずっとこの慣習を、本当にごく一般的なものだと思って生きてきたのだ。

 ──今の彼女は、何も知らなかった昔の自分だ。

 これから先、彼女も言いようのない不信感や孤独に思い悩むことになるのだろう。そして真実を知ろうとしては親戚中に言葉を濁され、ただ異様な儀式に参加させられるのだ。

 

 自分達の命を脅かすような存在が、すぐ傍にいることも知らずに。


「やっぱり普通じゃないんだね……なんで誰も教えてくれないの? ママに前『二十歳になったらね』って言われたことあったけど、成人するまで秘密ってことっ?」

「そう、かもしれないな」

「パパ達が変なのってきっと、シラハオリが原因だよね? だっていつもは8月のはずなのに、今回だけちょっと早いし。何か、早めなきゃいけないような理由があるの? 私達、大丈夫なのっ?」


 畳みかけるような彼女の問いかけは、馨の中に昔一度は浮かんだものだった。

 当時はただ、好奇心で抱いただけの疑問。

 しかしそれらの疑問が今「放っておいてはならないのではないか」という危機感と共に、蘇ってきていた。


 かさねが本当のことを言っているとして、今の事態がシラハオリで一度収まっても──また同じ危険に脅かされる可能性は?

 もしそうだとしたら自分や目の前の彼女は、幾度も正体の分からないものに苦しめられることになる。

 

 馨は受け入れがたい事実にかぶりを振った。

 また大切な人を疑って悲しみと恐怖を味わわなければならないなんて。


 そんなことがあっていいはずがない。

 何とかして、元凶を断ち切る手立てはないのか?


「もう私、シラハオリなんてやだ。なんか怖いもん。私達、どうしたらいいのかなっ……?」


 遙は不安そうに目を伏せて嘆く。

 だが情けないことに、今は何の考えも浮かばない。

 ただ、累の口振りからシラハオリには参加しなければいけない気がした。

 

「大丈夫だって。家族も皆いるし、俺だって、遙に何かあったら絶対助けるから」

「……ほんと?」

「当たり前だろ。そんなこと心配するなよ」


 努めて明るく返すと、遙は少しだけ目を輝かせた。


「ありがと……」

「ほら。明日寝坊したら怒られるから、もう戻ろうぜ」

「うん……あっ、ねえ、待って。けー兄」

「何?」


 襖に手を伸ばしたところで振り返る。

 しかし遙は、目が合うと顔を伏せてしまった。


「や、やっぱ……何でもないっ」

「え? 何だよ。気になるじゃん」

「何でもないの……! い、いーから早く戻ろ」

「ああ、うん」


 馨は容赦なく背中を押してくる彼女と共に、宵闇に包まれた廊下を進んで部屋へ向かった。


 ──儀式の時は、刻々と近づく。








──────


❀ご挨拶❀


年内の更新は、本日が最後となります。

今年は特に沢山の方々に応援していただけて、

ここまで走り抜けることができました!

読者の皆様には心から感謝しております。本当にありがとうございます❀


次回は1月8日(水)を予定しております。

これからも皆様の楽しみにしていただけましたら幸いです。

番外編や近況ノート・限定ノートの更新が、年末年始のどこかで少しあるかもしれません。

お暇な時に是非お立ち寄りください。˚✧₊⁺。


それでは、少し早いですが

皆様もどうぞ良いお年をお迎えくださいませ。ꕤ.*.。.

香(コウ)

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えな ─愛しい君へ─ 香(コウ) @kou_kazahana

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