第百四話


 なぜかさねがその範囲に限定して訊いたのか、けいには理由が分からなかった。

 得体の知れない嫌な予感だけが急激に込み上げてくる。


「『どうして?』と聞きたそうな顔をしているね」


 先ほどまで険しかった累の表情には、少し憐れみのようなものが浮かんでいた。

 近しい友人をも疑わなければいけない自分に同情しているのだろうか。


「あ、当たり前だろ。なんでなんだよ」

「最初に言ったとおり、長い間ずっと、シラハオリの儀式だけで私達の平穏は保たれていた。だけど──君が今年、海の向こうへ渡ってから、それに突如大きなひびが入り始めたんだ。だとしたら、十分その範囲の人間は疑うに値すると言えないかな?」

「! ……」


 彼女の言い分はもっともらしく聞こえる。

 しかし、それでも馨は頷くことができなかった。

 ただ胸に止めどない不安が渦巻いていた。


「犯人の意図が何なのかは分からないし、何の意図もなく偶然そうなってしまった線も捨てきれないが……どちらにせよ『君と新たに関わりを持った者』が事態を引き起こした可能性は十分に高い。残念ながらね」


 自分の命を脅かそうとしているかもしれない──そんな疑いを友人達に向けるなんて。

 緩く首を絞められるような息苦しさを覚え、馨は顔を顰めた。

 もしその疑いが的中していたら、その人間は何か罰を受けさせられてしまうのだろうか。

 そんな不安もよぎる。


「俺が誰かの名前を言ったとして……本当にそいつの仕業だったら、どうなるんだよ?」


 恐る恐る尋ねると、累は表情を変えず肩を竦めた。


「さあ。その時になってみないと分からない。ただ、場合によっては相手も無事じゃ済まないだろうね。特に明確な悪意があったとしたら、相応の報いを受けてもらうことになる」

「……」

「それで、どうだ。心当たりはあるのか?」

「わ、分かんねえよ。不審な奴って言われても、曖昧すぎて誰も浮かんでこない」

「そうだな。一例でしかないけれど、君を不必要に目の敵にしていたり、執拗に付き纏っていたりする人物がいれば分かりやすいな。でもとにかく、おかしいと感じたことは全て話してほしい」

 

 馨は不穏な胸騒ぎを抱えたまま、大学生活を初めから順に思い出していった。


 最初に脳裏に浮かんだのは安心院あじむ 寧々ねねだった。


 寧々との間にあった出来事は、自分にとって最も辛く悲しかった出来事の一つである。

 しかし、ただ欲深く一時の幸せを得たかっただけの彼女が──本当は別の動機で、自分達に害を与えようと目論んでいるようにはとても思えなかった。

 実は彼女が好んでいた「まじない」の目的が、恋愛成就ではなかったとでも言うのだろうか?


 馬鹿げている。あまりに荒唐無稽な発想だ。

 しかしそう思う一方で、他の友人に対しても、次々と疑念が沸いてきていた。


 自分を高く評価してバンドに誘い、普段の講義でも行動を共にしている鉈落なたおちは?

 難しい試験を課したわりに自分をあっさり受からせ、いつも不可思議な態度を取っている淀名和よどなわは?

 纐纈はなふさ高蜂谷たかはちやを始め、日頃から妙に目をつけてくる他の上級生達は?


 疑心暗鬼に陥り全てが疑わしく思えてくる。これでは切りがない。

 馨は頭が痛くなり、額を手で押さえた。


「どうした。思い当たる節があったか?」

「た、確かに中には変わった人達もいるけど、まさか、あの人達がそんなことするわけが──」

「君が判断を下すことではない! 疑わしい者達の名前と、何があったかを、今ここで全て言いなさい!」


 累は言葉を遮り、三白眼を見開いて言った。

 その暗い瞳に逆らえないような感覚と恐怖を覚える。


「わ、分かった──」


 馨は戸惑いながらも、今思い浮かんだ人物の名と出来事を一人ずつ挙げていった。累はそれを、取り出した紙に黙って記録していく。


 やがて全て記し終えた彼女は「……厄介だな」と苦々しく呟いた後で顔を上げた。


「これで全てか? 他に思い出したことは?」

「それで全員だと思う。他には特、に……」

 

 そこまで言いかけて、馨は思わず口を噤んだ。


 たった一人、まだ疑っていない人物がいる。


 ──百花ももか 千恢ちひろ

 

 不意に指先の冷たさが増した。

 口内に溜まっていく唾が飲み込めず、息が苦しくなる。

 彼女が、犯人だという可能性は?


 しかし馨は慌ててその悲しい疑念を追いやった。

 

 淀名和の試験が終わった今でも、自分はつい彼女の家に帰ってしまう。そのため四六時中共に過ごしているが、不審な行動など一度も目にしたことはない。


 彼女の笑顔や思いやりはいつも心からのものだ。


 言葉に少しだけ含みがあったり、人を惑わせるような空気を纏っていたりする時はあれど──

 傷ついた自分に今まで寄り添い、常に想ってくれていた彼女が、そんな恐ろしいことを企てるはずがない。

 彼女は自分の味方だ。

 それだけはどうあっても覆らない。


「他に誰か該当しそうな者がいるのか?」


 累に厳しい口調で尋ねられ、馨は何かを振り切るように首を横に振った。


「いない……! 今言った奴らも、俺は疑ってないけど……本当に、もういない。それで全部だ」


 訴えかけるように言うと、累は一言


「本当か? 嘘は許されないぞ」


 と低い声で問うてきた。

 その手には再び小刀を握っている。脅しているつもりなのだろうか。


「嘘じゃない。何度も、言わせんな」

「……そうか」


 やがて掴んだ小刀を懐に仕舞い、彼女は嘆息した。


「さて。これで尋問は終わりだ」

「え? ああ……」


 淡々とした終了の知らせに拍子抜けした馨をよそに、彼女は右手の人差し指を掲げた。


「最後に一つ、君に忠告がある」

「……何だよ」

「ここで私と話した内容は、ご親族と一切の共有をしないように。もし話してうっかり彼らが『今の君が知ってはいけないこと』を喋ってしまったら、君は確実に死んでしまうからね」

「……」


 空恐ろしい忠告に閉口していると、累は後ろの障子を指し示した。


「お行きなさい」


 得体の知れない時間は終わりを告げたが、なぜか少しも安堵する気にはなれなかった。

 むしろ嫌な胸騒ぎはここに来る前よりも強くなっている。


「今名前を聞いた者達については、明日以降こちらで調べさせてもらう。君に迷惑はかからないようにするが、急ぎ伝えなければならないことがあれば、再度連絡をする」

「……分かった」


 ──そんな連絡は来てほしくない。

 そう思いながら立ち上がり障子に手をかけると、背後で


「では、明日のシラハオリで」

 

 と累の静かな声が聞こえた。

 馨は振り返ることもできないまま、その場を後にした。


 ◇


 相変わらず薄ら寒い廊下を歩き、二階の部屋を目指す。

 

 ──累から自分と一族に関する多少の真実は聞くことができたが、よく考えてみれば肝心なことは何も分かっていなかった。

 ただ中途半端に不安や恐怖を植えつけられ、放り出されたようなものだ。


 そもそも累の発言は全て真実と言えるのだろうか。

 言葉の端々にあった引っかかりを、放っておいていいのだろうか。

 己の命が脅かされているのにただ傍観し続けて、もしも最悪の結果になってしまったら?

 大切な彼女にも、二度と会えなくなってしまう。

 

 あれこれと考えが駆け巡って不安と焦燥感が増す中、馨はポケットから携帯を取り出した。

 何の気なしの行動だったが、ホーム画面の右下にあるMINEのアイコンに赤い通知が付いているのに気づく。


「……千恢?」


 淡くない期待を胸にアプリを開く。

 しかし、メッセージの送り主は千恢ではなく──


〈最初のメッセが恋愛相談じゃなくてごめんなさい

 でも今すぐ、けー兄に聞いてほしい話があるんだ〉


 今この家の二階にいるはずの従妹いとこはるだった。






──────


❀❀・以下はお知らせでございます・❀❀


この度は更新が数日遅れてしまい、大変申し訳ございません!

ですが、その間も変わらず暖かい応援を頂けて

とても嬉しく、心強く思っておりました。

本当にありがとうございます!!

もし万が一また延期やその他お知らせがありましたら

近況ノートに書かせていただきますので、タイトルだけでもチェックいただけましたら幸いです。

今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。

香(コウ)

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