推しと最も近く最も遠い……なんだこれ。
ぺらねこ(゚、 。 7ノ
推しを最も近くで感じたい。そうは言ったがまさかこうなるなんてとは思わなかったぜ。
転生した。
まあそういうわけなんだが、駄女神がくどくどと能書きをたれたあと、今なら推しを見守るのに最適な魂の座が空いていますよと勧めてきた。
あれが勧誘でなかったら、なにが勧誘なのだろう。露骨にこれであなたは幸せになれますよと女神が言うのだから、生来流されやすい俺は、その提案を受け入れた。
転生先は無機物だった。
ごめん。その可能性は考えてなかったわ。正直やり直したい。心底やり直したい。心底やり直したいのでとっとと寿命を迎えてしまいたいのだが、直径太めの宅内配管にうまれた以上、家が取り壊されるとか、ワンチャン穴が開くとかない限り、命(?)を落とすことはないと考えられる。
そもそもオーバークォリティなんだよ。もっと細ければ配管が詰まった! 的な意思表示ができるのに、どう考えても俺は太い。だから、その方法は使えない。
更に駄女神は基本セットだからと鑑定と言語翻訳、アイテムボックスまでおまけしてくれた。
おい、言語翻訳もらっても、何と話せってんだ。こっちはバチバチに固定されてて音を出すのもほぼ無理だぞ。しかも俺が荒ぶるとだな、最愛の推しに迷惑がかかるじゃないか。
いい加減俺が何に生まれ変わったかを説明しろ? すまん。あまり言いたくなかったんだ。
一回だけにさせてくれ。トイレの排水管だ。
もう聴くな。それ以上でもそれ以下でもない。これ以上詮索するなら、アイテムボックスにためた糞便の匂いをぶつけんぞ。
駄女神とか言ってるが、あいつに全く感謝していないわけではない……。
まず、推しが排泄したブツは俺を通るから、鑑定ができる。鑑定結果は詳細なもので、推しの腸内環境がどうなっているかとか、いつ頃何を食べたとか、どんな医薬品を摂取しているかとか、まあざっくりなんでもわかる。
大腸菌が活発だなとか、だいぶ落ち着いてきたなとか、こりゃやべえカンピロバクターだとか、そういうことだ。
カンピロバクターのときは、俺が騒ぐよりも前に推しが自分で救急車を呼んだので出番がなかったのだが、いざというときのために発声練習もしている。
しているのだが、トイレで見知らぬおじさんに話しかけられたら推しがどういう気持ちになるかを考えると、未だに実行に移せない。
とはいえ、声が出せる理屈を説明しておこう。
駄女神とは呼んでいるものの、あいつの加護は強大で、つまりアイテムボックスがとんでもなく広い。トイレの配管になった俺でも操作できるので、魔力かなんかが宿っているのだと思う。
毎回トイレが流されるたびに、この空間に少しずつ真水と空気を貯めておく。
溜め込んだ水と空気を一定の比率で下流に流すと、擬似的に声が出せる。パイプの振動としてな。
これに気づいたとき、俺は流石に喜んだ。ちゃんと意思疎通(一方通行)ができるじゃないか! と。
練習してみた結果としては、意思は表明できるが、それに反応してもらえるとは限らない。トイレの流れる音にかき消されがちだし、音声もややホラーだ。
トイレの配管にしては過剰に広いアイテムボックスを惜しみなく使っても、せいぜい「健康」とか、「医者行け」くらいしか言えない。圧倒的物量不足。アゲインストな環境。水が流れたあと静かになったトイレに、推しが滞在している可能性。考え始めると気が遠くなるが、致命的なのはセンテンスが短すぎて、具体的な指示にまでは至らないところだ。
例えば、推しの足が攣ったことが分かったとしよう。俺が伝えられるのは、「バナナ」とか、「カリウム」程度。だいたい4文字。
しかも、たったのこれっぽっちでアイテムボックスはほぼ空っぽまで消費する。
わかるか? このもどかしさ。
アイテムボックスを再び埋めるのには、最低5回は水が流れないと足りない。このトイレにオトヒメが導入され、結果的に洗浄回数が落ち込んだ俺には過酷な数字だ。
これでは推しとコミュニケーションを試みるのにインターバルが何日も必要になる。推しも毎日自宅でばかりトイレに入るわけではないので、補給のチャンスはそう多くない。もっというと小用ではパワーが足りないのだ。
すまん。少し熱くなりすぎた。実は最近、推しに同居人ができて。俺も困惑しているんだ。
最近推しがやけにウキウキした声で電話しているなと思っていた。それ自体は愚痴を聞くよりも何倍も、ため息を聞くよりも何兆倍もいい出来事だ。
けれど、同居にまで至るとは思わなかった。
せめてもう少し、数ヶ月でいいから俺に受け止める時間を与えてほしかった。
いや、推しの活発なところは大好きだ。きっぱりとさっぱりと、物事を決めていくスタイルを好もしく思っている。だけど、同居が決定するまで3日は早すぎる、配管にだって心臓はある。強いストレスを受け止めるには、心構えがないと胃袋がひっくり返ってしまう。もちろん心臓や胃袋はない。無いのだが確実に幻肢痛は発生し、俺はまだ、自分が人の心と人の身体感覚を持っていることに驚愕した。
俺としては、推しがそういうお人好しなところも、推している理由だ。そう自分を納得させることに専念している間に、同居人が現れ、一度帰った。
その後すぐに引越し業者が入り、大騒ぎをしたあと、ふたりの生活が始まった。俺を交えて。
推しはまあご想像通り、女性アイドルである。グラビア寄りの活動も多く、青年誌の表紙を飾ることも多い。しかし、海外ロケに呼ばれることは少なく、つまり単体で写真集が作れるほどビジュアルが評価されているわけではない。しかし、頑張って際どい衣装を身に着けても、残念ながら一般の知名度は低いままだった。
Twitterなどで垣間見せる後輩への気遣い、業界への思い、歌への熱意。そういった熱意は誰にも負けなかったと思う。長らく実力が追いつかなかったが、ついにそれを夢物語で終わらせることなく、彼女の実力で示し始めた矢先、俺は彼女のことを追えなくなった。
と言うか死んで、こうなった。
その後のことは、トイレの配管からは部分的にしか分からない。俺が配管になってしばらくは、推しは仕事がない時期は家にいて、泣いてばかりいた。念願の海外ロケに連れて行ってもらったが、メインの被写体は後輩だったと言って泣いた。
現地ではいいかっこしていたようだが、家ではトイレで泣くほど悔しがった。俺の知ってる推しの姿ではなく、むしろ意外な一面だった。
俺の中では後輩を祝福する彼女のイメージしか浮かばなかったから、嫉妬心があることに衝撃を受けた。
彼女のことを偶像としての推しから、人間としての推しへとじわじわ変わっていったのがこのあたりだったのではなかろうか。
そして、推しはライバルの後輩と同居することを決めた。
これらが今に至る俺の持つすべての情報であり、手元にある他の情報はトイレのタイミングと排泄物の細かい変化、壁や床伝いに聞こえてくる不鮮明な会話だけだ。
そんな確執のある後輩と同居をぽんと決めていいのだろうか。相手はまだギリギリ十代。対する推しはそうはいってもまだ二十代前半だ。経済的な自立ぐあいは推しはギリギリ、後輩ちゃんは多少余裕はあるが、ふたりとも優等生タイプ過ぎて、パパ活やら夜職やらには手を出しておらず、歌と踊りのレッスンに通っている。
もっと器用な人間なら、ライバルを蹴落とすことに夢中になるのかもしれないが、困った事にうちの推しはその真面目さや高潔さで、優しい優等生を貫いてしまう。
そして、俺の推し。月のように気高く控えめな推しが手塩にかけて育てた女。この部屋に住み着いた新しい同居人。こいつもこいつで先輩のことが好きすぎた。
頼むからトイレにこもって独りで先走るな。もう推しがお前と好きあっているのは見ないでもわかる。今更ファン共は誰も邪魔なんてしない。だからちゃんとお前の言葉で俺の推しを完膚なきまでに奪ってくれ。
そう、いっそのこと俺を楽にしてくれ。
数カ月の間、このクソおもたい女どもは、ふたりきりの空間でも先輩と後輩を演じ続けた。ふたりの意見が割れるたびに、俺は北極圏の寒さを思わせる冷たい溜息や、深酒したバカのとんでもねえ吐瀉物で満たされた。
そのたびに、俺の心は俺の体に誠に耐え難い苦痛を与えてくる。なんせ吐いちまいたいからってえづこうとしても、何も出てこないからな。俺がトイレの配管になっちまっているから。
ふたりのおもたい恋を最前線のオタクに浴びせるんじゃない。俺は箱推しじゃなくて単推しだ。だから突然のてえてえには対応できない。
とは言ったが、人間の成長力というか、適応力はすごいな。なんとか、正気を保ちながら同居が始まって1年近く、俺はトイレの配管を勤め上げている。
最近は、リビングから推しが事務所からの電話を受けている声を聞く頻度も増えてきた。その声は明るく、同居人はハラハラしているのか頻繁に俺のところに来る。
どうやらでかい仕事がまとまるようだ。推しはレッスンやらロケやらでしばらく家を空けがちになるだろう。
ここのところふたりが揃う日が少なくなってきた。どちらか、もしくはふたりに仕事が入っているのだ。
このまま駆け上がってくれ。スターダムを。
俺はこのトイレで二人の健康を見守るぜ。
推しと最も近く最も遠い……なんだこれ。 ぺらねこ(゚、 。 7ノ @peraneko
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