何も悪くない姉は不出来な妹に振り回される

菜花

出来の悪い妹を持った姉の苦労

 妹が――石井由美が死んだ。

 祖母の法事で親戚が集まるなか、お寺の入り口に立っていて熱中症で倒れたそうだ。

 出来の悪い妹だと思っていたがまさかこんなにも馬鹿だったなんて。法事なんだから建物の中で大人しくしていればいいのに、何を思って喪服姿で真夏の37度の屋外に立っていたのだろう。

 当然法事は滅茶苦茶になり、家に帰る頃には私はぐったりしていた。

 祖母の三回忌の次は妹の通夜だなんて。妹は私に迷惑をかけるために生まれてきたのかとつくづく思う。

「おかーさん、つかれたー」

「ぼく、のどかわいたよおかーさん」


 我が子の可愛らしい声だけが憂鬱な現実を慰めてくれる。私は冷蔵庫から保冷剤を出して二人の我が子に持たせ、麦茶をコップに注いで飲ませる。今日は特別暑かったから子供も何度かぐずって大変だった。でもこれくらいは可愛いもんだ。死んだ妹の生前の手に負えなさときたら……。



 妹の由美は昔から何かにつけて姉の私――石井恵子を苦しめた。

 私の育った地区は一人っ子しかいなかった。そういうところにいると、下にきょうだいがいるというだけであれこれ聞かれるものだ。きょうだいがいるってどんな感じなのか、と。

 後から産まれたくせに先に産まれた人間より構われる存在なんてウザったいとしか言えない。けれどそのまま伝えるとまるで私が酷い人間のよう。その流れが苦痛で苦痛で、私は妹に外であっても他人の振りをしろ、常に離れて歩け、なんなら違う道を使って帰れと命令したものだ。小学校の通学路なんて、大抵はひと気の多い道などの安全な道を通るように学校から言われるけど、安全じゃない道を使えばずっと早く帰れたりするのだ。そして大抵は同地区の物知りの友人から教えられてそれを覚える。

 だが出来の悪い由美はそんな簡単な命令すら聞けず、私を見かけると寄ってこようとした。

「ケーコちゃんの妹さん? 可愛いじゃん」

 私の友人がそう言うのがどれほど恥ずかしかったか。由美が嬉しそうなのも腹立つ。社交辞令も分からないのね。私がアンタの頃にはそれくらい察せてたわよ。こんなのが妹だなんてああ恥ずかしい。

「ちょっと由美、離れて歩きなさいよ! あっち行って!」

 猫でも追い払うようにそう言ってシッシッと手の甲を振れば一応いうことは聞く。本当は視界に入る距離にいるだけでも鬱陶しいんだけどね。妹なんだから少しは姉の気持ちを汲んでくれればいいのに。


 心の平安のためにこういうスタンスでやろうねって示しているにも関わらず、由美は通学路が駄目なら同じ部活で、と一緒の部活に入ろうとしてきた。冗談じゃない。からかわれるのは私なのよ。

「あんた入部届どこ書いた? あ、ちょっとやめてよ! 私のいるところに入ってこないでってば!」

 消しゴムで消して他の部活の名前を書くところまで確認した。妹は馬鹿だから最後まで確認しないと。


 地域の子供会で参加が任意のイベントは必ず由美を欠席させた。由美は友達が少ないみたいだし、私は長女。私が優先されるべきだもの。それでも一回無理に出席した時があって、その日はくどいと思いつつも何回も注意してあげた。

「私、来るなって言ったよね?」

「何で来たのよ。あんた同地区に友達いないくせに」

「あーあ。あんたのせいで私、ちっとも楽しめなかった。いつもはもっと楽しいのに」

「二度と来ないでよ。あんたのせいで最悪だった」

 由美は反論もせず押し黙る。大した考えもなく参加したって証拠よね。我儘も大概にすればいいのに。いい迷惑。


 由美がこんなにも姉に甘えようとするのは、母が早くに亡くなったせいもあるのだろう。でもそれは私も同じ。むしろ長女であるぶん私のほうが苦労している。早く大人にならないといけないのだから。これで妹にまで甘えられると鬱陶しいことこの上ない。


 中学以降、由美はますます陰気になった。私の学生時代はオタクが差別用語だったのにそのオタクになるし。そんな妹に生理的嫌悪が止まらなくて、高校は絶対別のところへ行けと釘をさした。やっと由美から離れられる。


 高校生になると部活で趣味の仲間が出来たらしく、由美の机の上には漫画のネームが置いてあった。漫画やアニメにはまる人なんて犯罪者予備軍でしょ? こないだテレビで犯罪者の机がそれっぽいもので溢れたの思い出す。やだやさ気持ち悪い。それが身内ならなおさら。

 頭に来て床にまとめてあった漫画を全部廃品回収に出してやった。由美はぼそぼそぼそぼそ暗い人間らしく小さな声で文句を言ったが、まとめてあったんだから出すものだと思ったのと言えば父親や祖父母が「じゃあしょうがないよね。まぎらわしいもの」 と援護射撃してくれて助かった。


 由美は高校卒業と同時にニートになった。まさに家に住む汚物。私は普通に大学行って普通に就職して普通に結婚出来てるのにどうして妹はああなんだろう。もしかして私への当て付けでやってるんじゃないのだろうか。きっとそうに違いない。だって小さい頃から何一つ私の期待に沿えないようなことばかりするんだもの。


 夫に相談すると「どうしようもない妹さんだね。働く気もないんだね」 と笑って言ってくれた。愛する夫と意見が同じというだけで嬉しいものだ。「そうなのよ人より出来が悪くて嫌になっちゃう」 とその日は二人で妹の愚痴で盛り上がった。そのことで妹に「由美にとっては他人の夫もこう言っているのよ」 と夫が言っていた言葉を伝えると傷ついた顔を見せた。けどそれだけ。そこは奮起するところでしょ。昔からずれてるのよね、妹は。大体本当のこと言われて傷つくなんてバッカみたい。



 そんな由美が死んだ。

 実家を離れたけど流石に妹の部屋の整理くらいは手伝わないといけない。祖父はとうの昔に亡くなって、もう老いた父しかいない。……あーあ、親の介護くらいしてから死になさいよ。私は面倒見ないからね。子供で手一杯なんだし。お父さんだって私のこと可愛がってくれてたし、孤独死くらい覚悟してるよね? 酒の飲み過ぎで手の震えが止まらないとか言いながらチラチラしてくるけど、こっち見んな。自業自得だから。


 由美が使っていた机を片付けていると、引き出しの中に古い日記帳が見つかった。

 昔のかしら? でも最近も使っていたような形跡があるし。

 ニートの妹に書くことなんてあったのだろうかと思って中を見る。


『○月○日。学校までの道は五キロもある。歩いているあいだ、こわいしさみしい。姉といっしょにかえりたかった。けれど恵子お姉ちゃんはいやがった。いいなあ。恵子は。同じ地区に六人も同い年の女の子がいて。わたしは七人いてぜんいん男の子ばかり。女の子わたし一人だから一人で帰るしかなくてさみしいよ。一人であるく女の子はふしん者にねらわれやすいから気をつけろって学校は言うけど、同地区の子なんていない。男の子しかいない。女といっしょにいるのはずかしいってみんなどっかいっちゃう。恵子お姉ちゃんははなれて歩けっていうしどうしろっていうの』


 ……あれ? そうだったっけ? そういえば子供会の地区対抗運動会で由美が二回もリレーしているのを見て目立ちたがり屋で恥ずかしいと思ってたけど、あれって同い年の子がいないからだったの?

 え? っていうか、由美って毎日一人で帰ってたの? だって普通同地区に同学年の女の子くらい……いなかったんだ。私いつも一人でいるの見ててっきり友達もできないやつって思ってたけど。

 わずかに妹への罪悪感が湧いた。だがそれだけだ。私だって子供だったんだし、そう責められることはしていない。ページをめくった。


『○月○日。目当ての部活に入れなかった。恵子お姉ちゃんが入部してたから。どうして姉が入っていると妹は入っていけないんだろう。私に選択の権利はないんだろうか。いいな。先に生まれたってだけで選択肢がいっぱいあって』


 ぎょっとした。なによこの姉が強権ふりかざして妹の権利を奪ったみたいな書き方。私はただ、妹についてあれこれ言われるのが嫌で、由美がそれを分かっていないようだったからちょっと強く言い聞かせただけで……。

 脅迫、という言葉が頭をよぎった。二歳年上の姉の強い意見は二歳年下の妹にはどう映ったんだろうか。

 いやいや深く考えることなんてない。大体被害者意識丸出しで由美もよくない。人はもてるカードで勝負するべきなんだから。何より私だって子供だったんだし。大体、不満があるなら直接言えば言いのに日記でネチネチってどう考えても妹のほうが性格悪い。


『○月○日。子供会のイベントに行った。普段食べられないようなものが食べられて、普段交流しない人達と交流できて楽しかった。でも恵子ねえは嫌だったみたい。二度と来るなって怒られた。参加するなら姉が卒業してからかな。でも今までろくに参加してなかった高学年の子が急に参加するのって、先輩風ふかすことが目的みたいに思われるから、後輩のこと思えば参加しないほうがいいんだよね。私は行事に縁がなかったんだ。あーあ、漫画みたいに地域の子供達でわきあいあい、なんて、私には一生無理みたい』


 二度と来るななんてそんな……言ってたわ。

 でも私だって楽しむ権利はあるし。妹がいると楽しめないんだからしょうがなくない? っていうかさっきから由美、私を嫌な奴みたいに書いて。私だって子供だったのよ。同い年の女の子達からからかわれた経験もないくせに。こっちの苦労には気づきもしないのに自分の苦労には敏感なのね。性格わっる。


『○月○日。漫画は楽しい。自分には無理な全てがそこにある。けれど恵子は良い顔していない。こういうの好きな人が事件を起こすんだって。けれど私はもう漫画がなければ生きていけないよ。心の救いだもの。家族は今年も誕生日を祝ってくれなかった。姉は祝うのにね。一度父に恵子お姉ちゃんみたいに祝ってくれと頼んだら、渋々プレゼントのお徳用ノートを買ってきてくれたけど「お前は馬鹿だ。姉みたいに優秀でもないのに姉みたいにされたいなんて。なあ聞いてるか馬鹿」 と言われた。もう誕生日はいいや。漫画のキャラのがよっぽど祝ってもらえる時代だね』


 ……そうだったっけ? 由美の誕生日だって毎年ケーキとか買ってきて……あ、クリスマスだ。お金がかかるからってクリスマスイベントと一緒になってたんだ。

 そういえば一回、私の誕生日に「お姉ちゃんは誕生日とクリスマスで一年に二回もケーキ食べられるんだね」 と言うものだから、てっきりケーキがそんなに食べたいなんて卑しいやつ、と思ってじゃあこれ食べる? って舌を出して食べかけのケーキを見せてやったら「汚い……本気で言ってるの?」 って言われた。ジョークのつもりでやったのに失礼な、と思っていたら「冗談も通じないのか! 姉はお前の我儘に付き合ってやったんだぞ!」 と親も祖父母も怒ってくれた。いいざまぁだったとたまに思い出してほくほくしてたけど……。


『○月○日。集めていた漫画を恵子に勝手に捨てられた。どうして必要なものかと聞いてくれなかったんだと問い詰めたら姉にも家族にも怒られた。そうか。私は何されても文句言えない立場なんだね。大事にしていたものを勝手に捨てられても。前々から本棚欲しいって言ってたのに、すぐ漫画買うから駄目だって言われるし、姉は前々から思ってたけど、少し耳が遠いのか人の話を聞かないところがあるからどうしようもない』


 ぎょっとした。大事にしてたものって……。そりゃあ今の価値観なら他人の物勝手に捨てるのはいけないことだけど、当時は漫画やアニメがタブー視されてた時代なんだし、しょうがないじゃない。そんな大事なものなら紛らわしい扱いしないで床に置かないで本棚に入れればいいのよ。って、本棚、買ってもらえなかったんだ。私は頼まなくても両親が買ってきてくれたのに……。いや、それなら両親の罪であって私の罪じゃない。なんか由美のやつ、私が耳が遠いとか馬鹿にしてるけど、やっぱ性格悪いのね。由美以外にこんなこと言われたことないわよ。


『○月○日。何もしたくない。私は無能だから。漫画にはまる犯罪者予備軍で、出来損ないの妹だから。早く死にたい。いないほうが誰にも迷惑かからない。……この日記も、読み返すと日記というより嫌なことがあった日に書く愚痴メモだな。日記だけが私の気持ちを受け止めてくれる』


 何よ自分が被害者みたいに。世の中には妹より酷い境遇で生きて、妹より前向きに生きている人もいるのに由美はやはり甘ったれだ。愚痴ばっかり書いてるからあんな陰気な性格なんだ。私は早々に家を出て名字も変えてこの家から離れたけど正解だった。由美と綺麗さっぱり縁を切ったみたいで嬉しかったもの。


『○月○日。姉が自分の旦那と一緒に妹の悪口で盛り上がってると聞かされた。あんな姉でも結婚できるんだと驚いたこともあったけど、似たもの夫婦だったんだな。私は他人以下の実の妹らしい』


 は? 悪口って……。由美を心配して相談したあの内容が悪口? どうしてこんな意地の悪い曲解するのか。働く気が無い能無し女呼ばわりしたとして、ただの事実なのにどうして被害者ぶるのか分からない。

 だがふと、最近職場で受けたパワハラ研修を思い出した。『第三者のいる前で部下を叱るのは立派なパワハラ。関係ない人の前で恥をかかせようと思って無ければできないこと』 そう恵子は思い出した。

 慌てて首を振る。

 そんな訳ないじゃん。私と由美は身内だし、身内には身内のルールがあるの。だから仕事のマナーは適用されないの。そう、私と由美は切っても切れない身内なのよ。


『○月○日。近々法事がある。正直行きたくない。親戚のおばさんが最近認知症気味って聞いたし、あの人会う度何かにつけて恵子を見習え恵子に助けてもらえって言うから面倒くさい。今度は何を言われるんだろう』


 日記はここで終わっていた。そして日付はあの妹が亡くなった法事の二日前。ということはここでいう法事は祖母の三回忌のことだろう。しかし親戚のおばさんの話は初耳だ。私には優しい人だし、どうせ由美の被害妄想だろう。由美が迷惑かけていないか気になる。というか、屋外に出ていたのってもしかしておばさんを避けるためか? まったく自業自得だこの馬鹿妹。由美の私物は全て捨てて、日記もビリビリに破いたうえで廃品回収に出した。厄払いしたようですっきりした。



 日記に書かれていた親戚のおばに会う機会があった。だがそのおばさんは視線を忙しなくあちこち漂わせ、どこかびくびくした態度だ。

「おばさん、体調悪いの?」

「え、ええと、そういう訳じゃないんだけど。ところで、何の用かしら?」

「先日の法事で由美のことでちょっと……」

 迷惑をおかけしました、と恵子が言おうとして、おばは聞いてもいないのに当時を語りだした。

「誤解なの! 私が殺した訳じゃないの!」

「え?」

「だって貴方、子供を連れて道を歩いてたじゃない! 車からはそう見えたのよ! だからてっきり歩いてこっち来てるんだと思って……。結婚して子供を産んだ姉が猛暑の中歩いてきていて、働いてもいない妹が扇風機の前で涼んでいるんだと思ったらカッとなって……」


『何やってるのよ! 恵子ちゃんが歩いてこっち来てるのよ!? 行き違いになるかもしれないから迎えに行けとまでは言わないけど、せめて入口で待っててあげなさい!』


 おばさんは、控室で静かにしている妹をそう言って追い立てたのだという。もちろん由美も反論した。


『熱中症警報が出てる日に喪服で歩いてくる人なんていませんよ。姉の家からここまで来るまでも三十分かかるのに。見間違いか勘違いでは?』

『働いてない貴方のほうが年上の私より正確だって言いたいの!? 生意気言ってないで待っててあげなさい! 恵子ちゃんの目印になるのよ! ここ一見分かりづらい入口だからね』


 おばさんは冷静に反論されてもしかしたらそうかも、とは思ったが、そうだったら勘違いで30も年下の由美に怒鳴ったということになる事実に耐えられなかった。勘違いをそのまま事実として押しきった。


『待ってください、こんな真夏に立ってたら熱中症になります!』

『恵子ちゃんがもっとつらい環境にいるんだから甘えたこと言うんじゃありません!』

『せめて水分……ペットボトルをお寺の人からもらっても……』

『これだから最近の若い子は! 私が若い頃は水分は取るなって言われてたのよ! 我儘言わずに門で立ってなさい!』


 妹はおばの持つ杖でビシバシ打たれながら追い立てられるように門に向かった。途中、水分補給に戻ってこようとする妹を甘えるなと杖を振り回して追い返した。由美はそのまま三十分立ち尽くして……。目撃した寺の人の話によると、それまで姿勢をただして立っていた妹は、突然糸が切れるようにふっと倒れてそのまま起き上がらなかったらしい。駆け寄って介抱した寺の人いわく、真っ黒な喪服は火がついたみたいに熱かったと。



「貴方が車で着いた時、しまったって思ったけど……。車で来てるなら何であの時歩いてたのよ」

「歩いてたって……もしかしてあの時? 子供がぐずるから……コンビニに寄って、ぐるっと歩いてただけですけど」

「紛らわしいことしないでよ! 貴方が大変な思いしてこっち来てるんだと思ったから私……それに比べて由美ちゃんが呑気にしてると思ったから私……」


 恵子は思った。これって……故意じゃないにしろ、親戚のおばさんによる殺人になるのでは?

 恵子は身震いした。

 けれど、こんなこと公にする訳にいかない。私には小さい子供が二人もいる。子供部屋おばさんだった妹のせいで将来に暗い影を落とすなんて冗談じゃない。あの子は死ぬべくして死んだのだ。

 おばさんは私のためを思って行動しただけ。おばさんは悪くない。私だって遅れてついたらそんなことになっていて全部後になって知った。当然私も悪くない。由美は要領が悪いし働いていないから外聞も悪いし陰気な雰囲気で暇そうにしてたんだから人の反感を買うのも仕方ない。そう、何もかも妹が全て悪い。

 考えてみれば生きていたって面倒になるだけだったし、いなくなってむしろ安心では? うん、絶対そう。外聞のいない妹がいなくなったって、むしろ自由になったんじゃない? うんきっとそう! 罪悪感なんて持つ必要がない。人並みになれなかった由美が悪い。


 由美の死は結局事故死となった。頭の悪いコミュ障人間が人目を避けたいがために外に出て勝手に死んだのだと。

 でも日本の警察はいらんことに目ざとくて「こんな猛暑の日に屋外ですか? 避けるにしてもトイレあたりに行くのでは」 と事情聴取でツッコんできた。それから第一発見者のお寺の人にも「何かおかしなことはありませんでしたか?」 と聞いたけれどお寺の人も「さ、さあ。気が付いたら倒れてたとしか」 と口をつぐんでくれた。そうよね。ただでさえ少子化な今、檀家に逃げられて収入減るようなことは避けたいものね。

 唯一お寺の若い娘さんだけが「倒れたお姉ちゃん、嫌がってたのに外に追い出されてたんだよ。こわいおばちゃんが外行け外行けって言ってたの聞いたもん」 と証言したけれど、すぐ母親に怒られていた。そして五歳の子に証言能力なんてないと判断されて、妹の死は公的にも事故死となった。あの若い娘さん、将来絶対空気が読めなくて苦労するわね。




 それから月日が流れ、恵子の長女と長男が学校へ行く年齢になった。健康に産まれたんだから、健康に育ってほしい、それが平凡な母親の願い。

 しかしある日、姉にあたる長女が母親に向かってこんなことを言ってきた。


「お母さん聞いてよ! 弟が私と同じ道で帰ろうとするの! 弟なんて存在自体がはずかしいのに。友達にからかわれるから離れて歩けって言ってるのにちっとも聞かなくて困ってるの! あれ、お母さんどうしたの?」


 八歳になったばかりの弟になんてことを! と怒るより前にそれは自分が昔妹に言っていたことではないかと気づいた。


 ここで長男の肩を持つのは、過去の自分が悪かったと認めるようなもの。自分を善良な人間だと信じ切っている恵子には出来なかった。


「そ、そう。酷い弟ねえ。お母さんが叱っておくからね」

 その言葉通り、恵子は長男を叱った。

「弟はね、お姉ちゃんの言うことを聞くものよ。我儘言わないの。貴方男の子なんだし、男の子は寄り道や道草が大好きなものなんだから他の道くらい知ってるでしょ? そこを使えばいいだけのことじゃない」


 恵子がそう言うと、息子は六歳とは思えないくらい冷めた目をした。

「由美おばちゃんの言ってたこと、本当だったんだね」

「え?」

「お母さんは好きな人間にはとことん優しくする、嫌いな人間はとことん冷たくする。実の子供でも油断せずに気を付けろって」

「はぁ!? そんな訳ないでしょ! 嘘を真に受けないの!」

「あと、都合の悪いことは聞いてなかったことにするって」

「真に受けるなって今言ったの聞こえなかった!?」

「僕、前に何回も一人で帰るの怖いってお母さんに言ってたんだよ。でもお母さん、いつも適当な返事するばっかりで、お姉ちゃんが同じこと言うとすぐ信じて僕のほうだけ叱って……」


 恵子の脳内にここ数日の息子の行動が思い出される。そう言えば息子が何かぼそぼそ言ってたような気がするけど、私小さい声とか低い声とかイラッとするのよね。人の伝えるのに小さい声で話すなんて無礼だと思って、躾のつもりでちゃんとした声で言うなら返事してやろうってあえて知らんぷりしてたんだ。


「でもそれは大きな声で言わない貴方も悪いじゃない。大体姉の言う通りに違う道を行けばいい話なのに……友達くらいいるでしょ? 一人が寂しいならその子と行けばいいんだし。解決する努力もしてないくせにそんな被害者ぶるんじゃないわよ」

「僕以外の同学年みんな女子しかいないのにどうしろって言うんだよ! もういいよ! お母さんの自己中! こんなんなら由美叔母さんの子供に生まれたかった!」


 恵子はカッとなった。模範的な市民として暮らす私を自己中ですって? あんなニートクソ妹の子が良かったってそれ私はニート以下の人間だってこと?


 もし恵子が妹の由美を対等な人間として見ていたなら、比較されて自分を貶されても、ムッとはするかもしれないがそういうこともあるだろうと考えただろう。

 しかし由美が自分より上だなんてことがあるはずないと急激に頭に血がのぼった。

 結局は、そういうことだ。恵子にとって由美は自分以下の人間だった。そして下の者が上の者より評価されるのは屈辱でしかなかった。


 間違いはただされるべきだ。そう思った恵子は思いっきり息子を殴った。

 年の割に軽い息子は吹っ飛んだ。そしてテーブルの角に頭をぶつけた。

 そのまま二度と起き上がらなかった。


「お母さん? 弟はどうしたの?」

「……違う。由美がけしかけたから悪いの。お母さんは被害者だし、この子は加害者なの……」


 長女が友達の家から帰った時、イチゴジャムっぽいものにまみれた弟がリビングで寝てる横で、母親が何度もうわ言のようにそう言っていたのを見た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

何も悪くない姉は不出来な妹に振り回される 菜花 @rikuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ