10-07:『黒く輝く』
屋内庭園は追悼式典会場を見渡せるベランダに設えてあった。
「ミロ、心当たりはあるか?」
「いや、ない」
スカーレットに問われてミロは頭を振った。
シュライデン家やエレーミア時代の関係者なら名乗ってもおかしくない。
なにしろテロ事件後の追悼式典会場だ。身元のはっきりしない人間は入れないはず。それなのに敢えて名前を告げるなと言うとは。いずれにせよ変わり者であるのは間違いない。
屋内庭園の警備員に尋ねると、ミロを呼びつけた人間は
警備員にその人間の名を尋ねなかったが、どうせ聞いても言わないとミロは分かっていた。
遊歩道はベランダの縁を通りガゼボへ向かう。
下を見下ろせば追悼式典会場が一望できた。
そこでは生徒、学生たちも一緒になって、式典の片付けを始めていた。エレーミアラウンダーズもいれば、
その光景に確かな手応えを感じたミロだが、同時に何かの違和感も覚える。
これでいいのだろうか。
問題は無い。
むしろ理想的な展開のはずなのに、形にならない疑問が浮かび上がってきたのだ。
どこからともなく聞えてきたその声がミロの疑問を代弁してくれた。
「なるほどな、美しい光景だ。貴族出身者も、一般市民出身者も共に汗を流して協力している。しかしこれも襲撃事件があっての事。しかるに父上のあの理屈も、あながち間違ってはいないのかと思えてしまうのが恐ろしいところだ」
その言葉にミロは足を止めた。
ぶつかりそうになったスカーレットは抗議してやろうとミロを覗き込むが、その異変に気付いて文句を飲み込んでしまった。
その表情には明らかな動揺と、恐れが見て取れたのだ。ここまで露骨に動揺するミロはスカーレットの記憶に無い。
「知ってるのか?」
声の主を尋ねてもミロはすぐに答えられないほどだ。尋ねたスカーレット自身も声には聞き覚えが無い。
「……知らない。いや、だが……。知ってはいる」
要領を得ない返答にスカーレットは首を傾げた。しかしそれはミロ本人も同様。ミロ自身がなぜ恐怖を覚えたのか分からない。
そして分からないからこそ動揺した。
敢えて分析すればそれは本能的な恐怖なのかも知れない。蛇を前にした蛙、急降下してくる猛禽類に気付いたウサギ。あるいは断崖絶壁からはるか下方の谷底を見下ろした時。
少なくとミロ自身はそうとしか理屈をつける事が出来なかった。
「やあ、ミロ」
声の主はミロとスカーレットに気付いて振り返った。いや、いま気付いたはずがない。ミロとスカーレットが来るのを見計らい、わざとらしく口に出して喋っていたのだ。
それは分かっているはずなのに、ミロはその青年に何も言い返す事が出来なかった。
「十年か、いやもうちょっとだな。12、3年という所か。そちらが婚約者のスカーレット・ハートリーさんだね。なかなかチャーミングなお嬢さんだ」
長い銀髪と病的なほどに白い肌。古代ローマのトーガをアレンジしたような衣服を身に纏っていた。
「ミロ。今日、来たのは他でもない。君にお印の事を伝える為だ。使いに任せても良いけれど、亡くなられた方々に弔意を表さねばいけないからね。もちろん、そのついでというわけでもない」
「お久しゅうございます。シド兄さま」
震える声でミロはそう言った。
その言葉でようやくスカーレットも気付いた。
この若者はシド皇子。
シド・ワールマン・ベンディットだ。
大層な変わり者と評判だが、優れた資質の持ち主で、有力貴族の間ではジル皇女と並んで次期皇帝の有力候補とされていた。
「いらして下さったのならば、こちらからご挨拶に伺いましたものを」
「非公式の訪問でね。私のような身分の人間が公式に何かするとなると色々と面倒なんだ。それはミロも分かるだろう? 簡素ではあるが、弔辞は出してある。公開は後になると思うが……。まぁ座りたまえ。スカーレットさんもどうぞ」
ミロとスカーレットに椅子を勧めたシドは、そのまま傍らの植え込みに向かって視線をくれた。
すると数人の小姓が植え込みの陰から現れ、手際よく
ミロはシドに言われるまま席に着き、スカーレットもそれに倣った。
小姓が並べたティーセットに間に、シドはポケットから出した小さな宝石箱を置いた。
「これが君のお印だ。これから儀式の際や君の身の回りの品には、このお印が使われる」
お印というのはミロやスカーレットも知っている。皇族一人一人に与えられる、言わばシンボル。
シドは
よく見れば衣服についているボタンやピンにも雪花石膏があしらわれているようだ。その為シドは
他の皇族もお印の名で呼ばれる場合はあるが、その外見とお印が似合っている事もあり、シドに関しては一般市民の間だと
「兄上。私はまだ成人しておりません。皇室典範によれば皇族であると公表されるのは成人後。お印が必要になるのも成人後です」
「ああ、そうだったかな。まぁいい。これだけの事をしでかしたんだ、今さら隠しても意味が無いだろう」
シドの言う通りだ。
人の口には戸を立てられない。
ミロ・シュライデンが皇子ミロ・ベンディットである事は、生徒、学生を含めた学園関係者には、もはや公然の秘密も同然なのだ。
ミロ自身そしてシュライデン一族がそれを看過したのは、ルーシアに耳目が向けられるのを阻止する為。ミロに注目が集まれば集まるほど、結果的にルーシアが前皇帝の孫娘という事実を隠蔽できる。
「開けてみたまえ。ミロ」
言われるままミロは宝石箱を開けた。鍵のかかっていない蓋はあっけなく開き、黒い輝きが目に飛び込んできた。
「これは……」
シュライデン家のお印は鉱物と決められているが、シドの雪花石膏で分かるように必ずしも貴金属や貴重な宝石ではない。
「黒曜石」
ミロの言葉にシドは肯いた。
「そう、
シドは日本語でしっかりと発音した。
しかしミロはシドほど日本語には明るくない。
日本人を祖先に持つカスガならば分かるかもしれないが、わざわざ呼びに行く程の用件でもないだろう。
辛うじてどこか聞いたような記憶はあるが、今すぐにはっきりと思い出せない。黙り込むミロにシドは得意げに言った。
「『黒く輝く石』という意味だ。『黒く輝く』。君に良く似合っているとは思わないか。ミロ」
そう言うとシドはティーカップに口を付けた。
我が偽りの名の下へ集え、星々 Alt 庄司卓 @SYOJI-TAKASHI
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