10-06:「一回、死んだ方がいいよ」
アマンダが以前、交際していた男性だ。
色恋沙汰には縁も興味も無いカスガだが、ブレア子爵から遠回しにアマンダの件を頼まれていた事も有り、それとなく何度か探りを入れた事があったのだ。
「今回はこんな事になってしまって残念です。でもこれが運命だったのかも知れません」
本人にその自覚はないのかも知れない。しかしカスガにはハロルドがぬけぬけと言ってるようにしか思えなかった。
「そ、そうですね」
答えるカスガの声が震えていた。ミロとスカーレットはそれに気付いて、数歩カスガに歩み寄った。
ただでさえ今のカスガは情緒不安定だ。何をしでかすか分からない。
もっともその原因となったハロルドはカスガの異変には気付いていない。妻が抱いていた赤ん坊の頭をなでて言った。
「彼女にはこの子を見て欲しかったんです。名前も彼女から取りました。アマンダって……」
まずい!
その気配を察してミロとスカーレットは背後からカスガを止めようとした。しかしそれよりも早く動いた男がいた。
カスパーである。
「そうか、アマンダちゃんか。可愛いねえ」
ハロルド夫妻とカスガの間に入ると、カスパーは妙に慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げた。
「こりゃお母さん似だね。将来は美人になるよ。さて、お父さん」
カスパーは母の腕に赤ん坊を戻すと、その父であるハロルドの方へ向き直った。
「君、最低だね。一回、死んだ方がいいよ、いや割とマジで」
「は?」
これほどまでに口調に侮蔑と蔑みを込める事が出来るのかという程のカスパーの言葉である。
ハロルドは圧倒されるだけだ。そんなハロルドに向かってカスパーは続けた。
「だけど今死ぬのは許さない。こんなに可愛い奥さんとお子さんがいるんだからね。君は奥さんと子供を幸せにする義務がある。だから生きろ、生きて生きて、働いて、奥さんと子供を幸せにしたら死ね。分かったな」
「え、まぁ。それは……、はい」
何を言われているのかよく理解できないようだ。ハロルドは狼狽えて数歩、後退った。
カスパーはそんなハロルドの首根っこを掴んで引き寄せた。
「あ、だけどむかつくから一発殴っておくか。彼女の分もね」
そしてカスガに一つウィンクすると、カスパーはハロルドを殴った。
崩れ落ちたハロルドは放心したようにカスパーを見上げていたが、やがて平身低頭で謝りはじめる。
「すいません、すいません。ごめんなさい」
「謝るなら僕じゃない。あの子だろう?」
そう言ってカスパーが視線を巡らせた先にはアマンダの遺影があった。
ハロルドは改めてアマンダの遺影に頭を下げる。その横では妻のジェーンが真摯な面持ちで遺影に祈りを捧げていた。
「ああ、そうだ」
唐突に、そしてかなりわざとらしく声を挙げると、カスパーはミロの方へ振り返った。
「ミロ、君にお客さんが来ている。この上の屋内庭園で待っている」
「客? 誰だ」
鸚鵡返しに尋ねてもカスパーは肩をすくめてみせるだけ。
「ご本人から名前を伏せて読んでくれと言われたもので。驚かせたいらしいよ。まったく以て大人げない方で」
カスパーはそう言うがピンとくる相手はいない。だがそこまで言うからには一目見て分かると自負しているのだろう。
「分かった。行ってくる」
そう答えると、ミロは屋内庭園に繋がる階段の方へ向かった。スカーレットは着いて行っていいものかと、ミロとカスパーを交互に見て考えてあぐねていた。
「ああ、一緒に行った方がいいんじゃない。大丈夫だろう」
「そ、そうか。じゃあ行ってくる。会長を頼んだぞ」
「ああ、行っておいで」
カスパーはそしてその後にひと言付け加えた。
「もしかしたら、君のお兄さんになるかも知れない人だからね」
そしてカスパーはカスガの方へ歩み寄って行った。改めてハロルドがカスガに挨拶をしているところだ。
カスパーに殴られて懲りたのだろう、当たり障りの言葉に終始していた。妻のジェーンもカスガに挨拶するが、こちらはかなりしっかりした性格のようで、夫ほど場違いな事は言っていない。
二人が去るのを待ってカスパーはカスガに声を掛けた。
「会長がこれから何をしたいのか、今のところ僕は興味がありません。ミロは止めようとしたようですが、僕は死にたい奴は勝手に死ねばいい。周りを巻き込むなと思うタイプです」
「ふふふ、辛辣ね」
カスガは力なく笑ってそう答えたが、カスパーはハロルドが去って行った方へ視線を向けたままで続けた。
「でもね、世の中にはああいうむかつく奴がいるんですよ。もしもこの場に会長がいなかったらどうなったと思いますか? あいつはやりたい放題やったに違い有りません。そういう連中をのさばらせない為にも、会長には頑張って貰わないと」
「そうね……」
少し考え、そしてカスガはカスパーに言った。
「でも彼を殴ったのは、私では無くてあなたよ」
「あれ、そうでしたっけか?」
カスパーは苦笑して肩をすくめた。そんなカスパーにカスガは言った。
「有り難う」
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