孤独の人

海沈生物

第1話

 七月の暑い頃、俺たちはある凶悪犯を追っていた。その犯人は一日平均十人以上を殺しながらも逃げ続けるハイペース殺人鬼であり、あまりの手際の良さから警察内部では「本当にの犯人によるものなのか?」「実は同じ顔のやつが同時多発的に殺人をやっているんじゃないか?」と疑問視されていた。とはいえ、監視カメラに映っているのはいつも同じ身長・同じ髪型・同じ服装の男だけだった。三日が経過しようとしている今もなお、犯人は「一人」であるというのが今の定説になっていた。


 そんな時だった。仲間の警察から「犯人を見つけた」と連絡がやって来た。今までどんな方法を使ってか上手く逃げていた犯人だったが、ついに追い詰めることができたらしい。俺とバディの佐藤は早速、逃げ込んだ先らしい東尋坊とうじんぼうまでパトカーを走らせた。



# # #



 現場に着くと、犯人の男は東尋坊に観光へ来ていたひ弱そうな男子高校生を捕えて人質にしていた。「撃ったらこいつを殺すぞ!」と警察を脅迫しているのを見ると、どうしたものかと思う。俺は拳銃の腕に自信があったし、ついでに相手はもう五十人以上を殺した危険な大量殺人犯という建前もあったし、さっさと撃ち殺してしまいたかった。

 しかし、長年一緒にでバディをやってきた佐藤から「大量殺人犯が相手とはいえ、ちゃんと”説得”しないとダメですよ!」と肩を小突かれたので諦めた。どうしてこう、警察は「説得」なんて面倒なことをしなければならいないのだろうか。殺してしまえば一瞬で人質を助けることができるのに。俺は溜息をつきながらも、佐藤から拡声器を受け取った。


「おい鹿! お前はもう包囲されている! ぶち殺されたくなかったら出て————」


「佐竹さん、ストップですストップ! 今時の若者は怒ったら委縮して何するか分からないですよ。もっとこう、柔らかい表現で」


「柔らかい表現だぁ? はぁ……どうせ相手は最近流行りの”無敵の人”ってやつだろ? ”無敵”なんだから、柔らかい表現なんて”配慮”をするよりは”無敵貫通”の銃で射殺してしまった方が早いだろ」


「佐竹さん!」


 その青色のつぶらな瞳で睨まれると俺は弱い。よく若いやつから「佐竹さんって真面目すぎて言葉がバカ過激になる時ありますよね」と指摘されるが、どうやら無意識に言ってしまっているらしい。こういう時にバディの佐藤がいると、そういう無意識の「配慮」不足を「他者」の視点から指摘してくれる。顔面が怖い俺にとって、面と向かって指摘してくれる佐藤の存在は……と今は惚気ている場合ではない。とりあえず「キツイ言葉を使ってすまんかった」と謝ると、犯人は突然謝られたことに動揺していた。その顔はどこかバディの佐藤と出会う前の自分の姿と重なった。


「……お前、もしかして友達いないのか?」


「それは悪口なのか? なぁ、人質のこいつを殺しても良いって意味なのか? なぁ!」


「すまん、冗談だ冗談! 友達ぐらいちゃんといるよな、すまん! 気分を害したのなら本当に申し訳ない」


「……そこまで謝らなくても良いけど。それより! わざわざ拡声器まで使って、犯人である俺に”友達いないのか?”なんて愚問を聞きたいわけじゃないだろ? 何を聞きたいんだ?」


「あー……そうだな。それじゃあ、定番のものからいこうか。どうしてでこんな大量殺人を犯したんだ? 手段はともかくとしても、俺は個人的にそこの理由が気になる」


「一人、か……まぁいい。俺はこの世を地獄と思っている。この世界は俺を歓迎してくれていない。生きることを拒絶してくる。両親は破産するまでソシャゲの課金をしているし、兄は俺がそんな家から逃げ出すために稼いでいたお金を一夜にしてパチンコで溶かしてきた。もう全部が嫌になった。だから、今度は俺が世界に報いる者として、俺の人生を無茶苦茶にした世界を破壊する者として、俺た……は大量殺人をした。それだけの話だ」


 悲惨だなと思うと同時に「やっぱり友達がいなかったんだな」という確信を得た。仮に友達がいたのなら、そいつの家に逃げ込むことができたはずだ。あるいは「彼女と同棲しているから」とかでそれが無理だったとしても、誰かに自分の嫌だったことを打ち合けてみると、心というものは案外に軽くなるものだ。それができずに溜め込んでしまうと、人は歪な形でその感情が爆発してしまう。だから、こんな悲惨な展開になってしまったのだろう。うんうんと思っていると、不意にぼんやりとした表情の佐藤から拡声器を奪われた。


「おい、返してくれよ。まだ犯人の説得は終わってないだろうが」


「あー……あれです。確信はないんですが、このままだと突然逆上して人質の男子高校生を殺してしまう気がします。なので、続きは俺にやらせてくださいよ」


「うるせぇ! そもそも、お前は今まで一度も犯人の説得をやってきたことがねぇだろうが。そんなやつが本物の現場で説得することができると思っているのか?」


「そんなのやってみないと分からないじゃないですか! それに俺、今まで佐藤さんの隣で説得する姿をずっと見続けてきたんですよ? だから大丈夫ですって」


「それは、そうかもしれないが……いや、でもな? そもそ」


「俺を無視して、おっさん二人でイチャイチャするんじゃねぇ!!!!!!」


 取り込み中なのに何事かと思っていると、犯人が声をぜぇはぁ言わせながらこちらに敵意剥きだしの表情をしていた。別にイチャイチャしているつもりはないし、これがいつもの距離感なのだが。


 最近の若者はこのぐらいの距離感のことを「イチャイチャ」と表現するのか。それとも「俺を無視して」と言っていることは、間に挟まれたのかっただろうか。「百合に挟まりたい男」みたいな邪悪な概念が存在するんだし、「おっさんに挟まりたい男」だっていてもおかしくない。俺は佐藤に耳打ちすると理解の良い彼は「あぁ、それならいいですよ」と頭を縦に振ってくれた。

 で拡声器を持つと、怒る男の方を見る。


「ごめんな、お前をにして。ちゃんとお前のことを理解していあげるべきだった」


「は、はぁ? 理解って……なんなんだよ。”今から二人でケーキ入刀します!”みたいな形で拡声器を持ちやがって。彼女いない俺に対する当て付けか?」


「大丈夫だよ、犯人くん。俺たちも六十年近く一度も彼女作ったことがない童貞コンビだからさ。ねっ、佐竹さん?」


「まぁな。刑事の仕事が忙しかったのもあるが、何より二人で合コンへ行こうとしても”お前らはもう付き合う必要がないだろ”っていつも同僚から拒否されて……あぁ、と。俺たちの話ばかりしていたな、すまん。そういえば、お前は好きな女性……いや今は同性もあり得るんだったな、すまん。……で、好きなやつとかいるのか?」


「……いなくは、なかったよ。でもその……無理だったんだよ。その……そいつは普通の恋じゃないつーか、俺と違って”男が好き”みたいなタイプじゃなさそうつーか。とにかく、そういうタイプじゃなかったんだよ! だから———」


「――――だから、に及んだのか? どうせその恋が報われないと思ったから。そんな自分の望みが叶わない世界なんてしかない、虚無しかない。そう思ったから、こんな凶行に及んだのか?」


 犯人はただナイフを持つ手に力を入れた。


「……そうだよ。俺なんて、そんなちんけなの人間なんだよ! 悪いか? お前らみたいな”仲良し”になれれば良かったけど、でもそう思えないんだよ。それ以上の関係性を無意識に相手に対して求めてしまうんだよ。分かるか? この俺のを!」


「いや、分からな」


「佐竹さん!」


「はいはい、分かってる分かってる。俺にはよく分からねぇけど、相手の男と要はキスしたりセックスしたりしたかったんだろ? だったら、玉砕前提でそう言ってしまえば良かったじゃねぇか。言ってしまえば、そういう感情だってすっきりしたかもしれないぜ?」


「そんなこと、できるわけないだろ! だって……怖いから。”付き合えないけど、友達としてなら全然良いぜ!”って振ってくれたのなら良いけど、”俺をそんな対象として見るようなやつとは付き合えない”って言われたらどうするんだ? 俺にはそいつしか友達がいなかった。もしもその告白によって喪失してしまえば、それで俺の人生は全部終わるんだよ」


「いや、これだけの殺人やった方が取り返しのつかないぐらいお前の人生終わ」


「佐竹さん!」


「皆まで言うな、皆まで。……人生が終わるのなら、それはそれで良いじゃねぇか。どうせ明日車にはねられて死ぬかもしれない世界だぞ? そんなことを気にしていても仕方ねぇじゃねぇか。それに、お前は既存の関係性に縛られすぎだ。定年なりかけのおっさんの直感だが、仮に恋愛関係になれたとしても、そいつしかなくて、愛の重さから別れられるパターンだぞ」


「そんな……そんなことがあるが! お前らみたいななロマンス人間どもには分かるわけないんだ!」


 犯人はイライラしながらナイフで男子高校生の頸動脈を切ろうとした。俺は急いで拳銃を抜いてその手を撃とうとした。しかし、それよりも先に犯人がその場に倒れた。駆け寄ると、そこには返り血で服や手を真っ赤に染めた男子高校生の姿があった。男子高校生は笑みを浮かべていた。


「そう思っているなら、告白しろよ。鹿


 男子高校生は自分の心臓にナイフを突き刺すと、そのまま犯人の唇にキスをする形で倒れ込み、で一緒に死んだ。はその光景を見ながら「最初からだったのか」と後悔混じりの声で呟いた。

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