第22話


「なるほど、そんな事が…」


静かに音楽が流れるレストランの個室。呼び出した2人にぽつぽつと事情を話すと、能田君は眼鏡のつるに手をやった。


「一応言っておくが、そういう内部事情を部外者に漏らすのは良くないですぞ。笹崎氏のショックも分かるが、裏側に飛び込んでいったのは笹崎氏自身であるからしてそういった事情を知ってしまうのも致し方ないのでは?」


その尤もな言葉に僕は一層身体を縮こまらせる。平石君が能田君を小突いた。


「正良」


「…あー」


しょぼくれた僕を前にしてそれ以上の言及は憚られたのだろう。能田君はばつが悪そうな顔をして眼鏡をずり上げた。


「要は、好きな人に好きな人がいたっていうだけの話でしょ」


「好きな人…」


平石君の言葉を反復する。そんな僕に平石君が片眉を上げた。


「違うの?」


その問いかけに僕は黙り込む。暫く考え込んだ後に、重い口を開いた。


「僕は蘭ちゃんが好きで…でもそれは配信者の白鈴蘭の事で…。僕は"彼女"の事を何も知らない。どういうふうに育って来たのか、何を考えているのか、何も知らない。そんな状態で好きだなんて…烏滸がましい事、言えないよ」


「Vtuberのシロスズランは好きだったけど、演者の事はよく知らないから好きじゃないって事?」


平石君の要約に、水を飲もうとしていた能田君が咳き込む。


「…平石氏、些か明け透けすぎないか」


「でもこれ以外言いようがなくない?」


当然のような表情で言い放った平石君は器用な所作でパスタをくるくると巻き取った。


「拓也、料理が冷める」


平石君の言葉を受けて僕は目の前のペスカトーレにフォークを伸ばす。

魚介がふんだんに使われたトマトソースのパスタ。本来であれば海老や貝の旨味が口一杯に感じられるのだろうが、今の僕の舌には何の感動ももたらさない。


機械的な動きでそれを嚥下すると僕はフォークを持ったまま再び俯いた。


「よく分からないんだ…。Vtuberとしての在り方は個々により様々で、Vtuberとしての姿が本来の自分に限りなく近いという配信者もいれば、Vtuberとしての姿はほぼ演技だという配信者もいる。でも共通しているのは、画面の向こう側にいるリスナーは彼らの『配信している姿』しか観測できないという事だ」


カラトリーの金属音の中で、僕の声だけが個室に響く。


「結局、僕は同業者として乗り込んだものの気構えが足りていなかったというか…。要するにお客様気分だったんだ。配信者ではない彼女の側面を認識していなかった」


能田君と平石君は黙って僕の言葉を聞いている。


「僕にとって今まで彼女はVtuberの白鈴蘭でしかなくて…。何を言っているんだろう、自分でも意味が分からないや」


あはは、と僕が曖昧に笑うと平石君が首を傾げた。


「拓也はごちゃごちゃ考えているけどさ、人間なんて色んな側面があるんだから全てを知るなんて無理じゃない?配信している姿も…何だっけ、シロスズラン?っていう奴の一つの面で、拓也は同業者になりそいつの新たな面を知った。

演技していようがいまいがその人間から発露している物に変わりはない。それじゃ駄目なの?」


「それは…」


僕はそれに対して返答しようとしたが、何も口に出来ず沈黙する。

平石君は僕の言葉を待っていたが、僕が黙ってしまったのを見て再度話し始めた。


「キリッとした警察官のプライベートがだらしなかったり、ほんわかした花屋のお姉さんに憧れていたら実際はズバズバ物を言うタイプだったり…。仕事とプライベートにギャップが有るなんてよくある話じゃん。そいつは趣味じゃなく仕事としてVtuberをやっているんだから、それなりに公私を分けるのは当たり前だと思うけど」


そのように言った平石君に能田君が顔を向ける。思案するように顎へ手を当てながら彼は喋り出した。


「平石氏の言う事は確かにそうだが、オタクには割り切れない物があるのでござるよ。

例えば、着ぐるみの中に入っている人の事をキャラクターと同一視は出来ないでありましょう?しかしVtuberというのはキャラクターと中にいる人が半一体化している特殊な存在。キャラクターとして性格を作り上げている面がありつつ、中にいる人の人柄も色濃く出る。

夢を見せてくれる人がいる限り、オタクはその夢を信じるようとする。だから笹崎氏の苦しみも拙者には分かる」


そこまで話して能田君は言葉を止める。彼は僕に真っ直ぐ視線を向けた。


「しかし、その夢を投げ捨ててでも白鈴蘭を救いたいと願ったのは笹崎氏自身。夢から醒めてどうするのかは笹崎氏次第でありますよ」


その視線を受け止めながら、僕はぼんやりと能田君の顔を見る。

頭の中では蘭ちゃんが槙原さんに青い箱を差し出すシーンが何度も繰り返されていた。


「僕、どうすれば良いと思う?」


無意識に言葉が喉からこぼれ落ちる。

ペスカトーレは時間の経過でカチカチに固まって無惨な姿になっていた。


「やめたら?」


平石君の声が静けさを切り裂く。僕はハッとして彼の方を見た。


「何度も同じ時を繰り返して、苦しんで…。シロスズランっていう存在をそこまでして助けたい?他人に判断を委ねようとするくらいならやめたら良いよ。…って言いたい所だけど。どうするかは拓也が決めるしかない。よく考えな」


容赦ない言葉に反してその声はどこか優しい。彼は僕の事を案じてくれているのだと、まとまらない思考で思った。


相変わらず頭の中はぐちゃぐちゃだ。

僕はお冷を手に取ると、その水を飲み干した。







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Vtuberシロスズランは眠らない 藍川誠 @AikawaMakoto

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