第21話


「お時間を取って頂きありがとうございます」


蘭ちゃんの言葉に槙原さんは頷く。


「いや、問題ない。話があると聞いているが」


彼女は唾を嚥下する。そして意を決したように口を開いた。


「…槙原さん。私、この舞台が成功したら言おうと決めていた事があるんです」


「言おうと決めていた事…?」


槙原さんが怪訝そうな表情をする。蘭ちゃんは真っ直ぐに槙原さんを見上げた。


「覚えていますか?あなたが私をあの家から連れ出してくれた時の事」


その言葉を聞いて槙原さんは片眉を上げる。


「…俺が連れ出した訳じゃない、君が自分で抜け出したんだ。俺がいなくても君はいずれあの環境を脱していた」


少し黙り込んだ後、彼はぶっきらぼうに言う。そんな彼に視線を合わせたまま、蘭ちゃんは眩しいものを見るように目を細めた。


「素性も分からない私にチェーン店で牛丼を食べさせてくれましたよね。私、あの日まで出来たての物って殆ど食べた事がなかったんです。あなたにとっては何て事ない食事だったのでしょう。でも私には…この上無いご馳走のように思えました」


彼女は噛み締める様に言葉を紡ぐ。


「あなたといると心が温かくって幸せで…。私、この気持ちが何なのかよく分からなかった。でも最近ようやく分かってきたような気がするんです」


槙原さんはただ黙ってその言葉を聞いていたが、蘭ちゃんが紺色の包装紙に包まれた箱を取り出すと僅かに身じろぎをした。


「あなたは私に生きる希望をくれました。居場所も、親しい人たちも、心の安寧も…全てあなたが居たから得られたものです」


彼女はその箱を大事そうに差し出す。寒さの為か、もしくは緊張のためか…震える両手で抱えた箱は電灯の下で青い光沢を放った。


「これは私からの気持ちです。あなたを愛しています、槙原さん。どうか私の恋人になって頂けませんか」


蘭ちゃんが深々と頭を下げる。

彼女の告白を受け、槙原さんは瞠目して彼女の手にある箱を眺めていた。









静寂が中庭を支配する。

暫くの時間が経過した後、彼は不意に彼女から視線を逸らした。


「すまないが、その要望に応える事は出来ない」


弾かれたように蘭ちゃんが顔を上げる。


「…理由を聞かせてください」


彼女からの問いに槙原さんは口を開く。


「年が離れ過ぎている。俺は30も半ばだ。20代前半の若い女性の相手をするのは荷が重い」


瞼を伏せながらそう言った彼は建物へ身体を向ける。


「話はそれだけだな?俺は戻る、君も風邪をひく前に帰りなさい」


蘭ちゃんの返答を待たずに槙原さんは歩き出す。足早に去ろうとした彼のスーツの裾を蘭ちゃんが掴んだ。


「待って!槙原さん、それは嘘ですね」


蘭ちゃんの呼び止めに槙原さんは立ち止まる。彼女は断定するような口調で彼へ語りかけた。


「槙原さんは嘘をつく時に目を伏せる癖がありますよね。知っています、何年もあなたを見てきたから」


槙原さんは何も言わない。蘭ちゃんはそんな彼へさらに言い募る。


「私はあなたの…槙原さんの本当の言葉が聞きたい。そんな建前で誤魔化さないで下さい」


「本当の言葉、か…」


彼女の言葉に槙原さんが呟く。彼はくるりと振り返ると蘭ちゃんの顔を見据えた。


蘭ちゃんは槙原さんが再度彼女の方へ向き直った事でほっとしたような表情を浮かべたが、視線を上げ彼の顔を見て息を呑む。

無表情にも見える槙原さんの瞳には、複雑に絡まり合った負の感情がゆらゆらと燃えていた。


「はっきり言わせてもらうなら、失望したよ」


彼は淡々と告げる。蘭ちゃんは時が止まってしまったかのように固まって、槙原さんの不自然に平坦な声を聞いていた。


「君は…俺の熱意を分かってくれていると信じていた。Vtuberという新たなエンターテイメントを開拓する礎として、共に奮闘する戦友のように君を思っていた」


槙原さんは滔々と話し続ける。荒げられる事のない声は、その実抑えきれない激情をはらんでいた。


「恋愛感情を軽んじるつもりはない。しかし…」


槙原さんの視線が彼女を射抜く。


「裏切られたような、そんな気分だ」


吐き捨てるように叩きつけられた言葉は確かに彼女の耳に届いたようだった。

槙原さんと相対している蘭ちゃんの顔は血の気がなく、白い。


槙原さんは紺色の箱を持った彼女の手を一瞥する。


「それは受け取れない」


そう言って、自身のスーツを掴んだままの蘭ちゃんの手を丁寧に剥がす。


そして彼は踵を返し、中庭を歩き去った。















冷気が満ちる中庭で彼女は立ち尽くす。

その瞳はガラス玉のように何も映してはいなかった。


彼女の元へ生垣から飛び出した2期生たちが駆け寄るのを、僕はただ見つめていた。


見つめる事しか出来なかった。


槙原さんに愛を告白した彼女の姿が脳裏に焼き付き、息が出来ない。


(彼女は、槙原さんを…)


いつかの能田くんの言葉を思い出す。








『笹崎氏、Vtuberの白鈴蘭殿とその中の"魂"を混同して考えていないか?』


『Vtuberの中の人…いわゆる"魂"と呼ばれる存在は、キャラクターを構成する一部であってキャラクターそのものではない』


『Vtuberというのは様々な要素の複合体。笹崎氏の行動を聞いていると"魂"をVtuber白鈴蘭と同一視しているように思える。"魂"はもしかしたら笹崎氏の知る白鈴蘭とは違う内面を持った人間かもしれない…。それを分かっているのでありますか?』







分かっていたつもりだった。

でも僕は実際のところ全く理解していなかったのだ。


"彼女"は意志を持った1人の人間。

"彼女"はキャラクターではない。

"彼女"とVtuberの白鈴蘭はイコールでない。






勝手に抱いていた幻想が打ち砕かれ、僕の心に深く突き刺さる。


(そうだ。"彼女"は人間だ。感情がある。恋だって…する…)


そこまで考えて、胸がズタズタに引き裂かれるような酷い苦しみを覚え僕は胸を押さえた。







同期に囲まれながら彼女は虚な目で佇んでいる。

その瞳は絶望を煮詰めたような色をしていたが、同期から話しかけられて貼り付けるように薄い笑みを浮かべた。


彼女の元へ行かなければと思いながら、僕の足は一向に動かなかった。









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