第20話


冬の始まりに相応しい寒さ。

館内はそれを感じさせない防寒設備が整っているにも関わらず、僕はガクガクと震えていた。


「ううっ…」


「ササラくん大丈夫?顔色が悪いよ?」


舞台袖で、蘭ちゃんが僕の顔を心配そうに覗き込む。その横にいた薔薇園さんが呆れたように息を吐いた。


「おいおい、司会がそんなんでどうするんだ。今日は本番なんだぞ」


「ササラちゃん、飴舐めるー?いちごミルク味しかないけどー」


「いや熊美さん、もう開演するっていうのに司会が口に何か含むのはいかんでしょう…」


薔薇園さんに制止され、洗井さんがのんびりと笑う。


「さ、ササラくん、大丈夫だよ…落ち着いて」


その声に振り向くと、僕と同じかそれ以上に震える欅丘さんの姿があった。


「にれちも顔色大概だな」


「い、言わないでよ春ちゃん!せっかく格好付けたのに!」


桜木さんの言葉に欅丘さんが悲壮な声を上げる。

そんな彼らを見ながら、薔薇園さんは静かに呼びかけた。


「お前ら」


決意を感じさせるその声に、聞き薔薇園さんへ視線が集まる。


「絶対成功させるぞ」


薔薇園さんがそう言うと皆んなは一様に頷いた。


「うん」


「あったりまえ!」


誰ともなく中央に手が重なり合う。


「えい、えい、おー‼︎」


その掛け声を皮切りに僕たちは持ち場に向かって散っていった。











僕の不安に反して、プランツ・ウィンターコンサートは順調に進んだ。


フラワーズのデュエットから始まり、欅丘さんのエレキギターソロ、桜木さんのダンス、2期生女子組のアンサンブル、薔薇園さんのデスメタル、蘭ちゃんのバラード、樹木組の軽快なステップ…。

途中にトークを挟みながらコンサートは進行し、フィナーレには2期生全員揃い踏みの歌と踊りが披露されて大盛況のままに舞台は幕を閉じた。


何事も起こらず、無事に。









舞台袖に引っ込み、僕はへなへなと座り込む。


「ササラちゃん、頑張ったねぇ。お疲れ様」


洗井さんの労いにも満足に答えられないで息を切らしていた僕は、少ししてやっと洗井さんの方へ顔を向けた。


「ありがとうございます…」


僕の返事に洗井さんは満足そうに微笑んだが、ふと気がついたように辺りを見渡すと怪訝そうに首を傾げる。


「んー?皆んなどこに行ったのかな。スタッフさんしか居ない…。おかしいねぇ。まぁ、後は撤収するだけだから良いけどー」


洗井さんは不思議そうな顔で立っていたが、やがて気を取り直したように僕を見遣った。


「ササラちゃんも少し休憩してきたらー?片付けまで少し時間があるみたいだし、そのガチガチの身体リラックスさせてきなね。ほら、いってらっしゃい」


それもそうかもしれないと、僕はゆっくりと立ち上がる。洗井さんへ軽くお辞儀をして僕は出入り口へ足先を向けた。









この時に僕は気付くべきだったのだ。

舞台で何も無かったという事の意味を考えるべきだった。


しかし大役を成し遂げた事に安堵していた僕は考える事を放棄してしまった。


僕は能天気に中庭へ向かう。

そこで何が起きるのか知らないままで。











ここは古い博物館を改装した建物で、自然豊かな庭園が特徴だ。


中庭に出た僕はその寒さに首をすくめた。

冬の夜は暗く、足元から包み込むような冷気がじわじわと身に染み込んでくる。


(少し散歩したらすぐに戻ろう)


そう思いながら歩いていた僕は、視界の端に人影を捉えて立ち止まった。


舞台衣装に身を包んだ、彼女。


(蘭ちゃんだ)


蘭ちゃんは心なしかそわそわした様子で電灯の下に佇んでいる。

寒いのだろうか、彼女の肩が微かに震えていた。


(何故、こんな所に)


僕が疑問に思ったその瞬間。


「ササぴょん、こっち!」


声量を抑えた呼びかけと共に、僕は近くの生垣の影へと引っ張り込まれた。


「もー、あんな所にいたらあっちから丸見えでしょ!」


至近距離に見える桜木さんの顔に目を瞬かせる。


「…え?」


引き摺り込まれた生垣の死角。

いきなりの出来事に困惑している僕の目に飛び込んできたのは薔薇園まり、桜木春、欅丘ニレの姿だった。


「な、何でこんな所にみなさんが…?」


きっと僕は今間抜け面を晒しているだろう。状況を理解出来ず質問を投げかけた僕に、欅丘さんが話し出す。


「それは…」


しかし、時を同じくして聞こえてきた足音に欅丘さんは口を噤んだ。


「来た!」


桜木さんが興奮気味に呟く。


生垣の影に隠れた彼らは皆、蘭ちゃんの方を固唾を呑んで見守っている。

彼らに倣って僕は庭園の中央へ目を向けた。







電灯に照らされた蘭ちゃんの元へ、革靴の硬質な足音が近づく。


蘭ちゃんが顔を上げる。彼女はその人物を視界に収めると、淡く微笑んだ。


「来て下さると思っていました」


そう言って、彼女は嬉しそうに目を細める。


「…槙原さん」


電灯の下に姿をあらわしたスーツ姿の彼は、黒縁眼鏡の位置を整えた。













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