ep.4-3 ずっとこのままで……ね?
紫霞む夜空と、銀色の三日月。
その空を映し込むように、水面が揺らめいていた。
そこはVRゲームに世界であり、一応のところ『家』の拡張ステージなのだが、押しかけた里桜と音子ちゃんが購入したナイトプールのステージはそれがグラフィックであることを忘れさせるほどの美しさだった。
「水なのに、冷たくない!! けど、すごいね、ちゃんと手で掬えるしキラキラしてる!」
水音の効果音と、プールではしゃぐ里桜の声。
相手をしているのは音子ちゃんだ。
そして、プールサイドチェアでくつろぐ俺とその隣に並ぶように座る義妹。
「ナナ、もう入らなくていいのか?」
「あはは。もう十分楽しんできましたからね。それに――」
その言葉の通り、水際のナナはその白い肌に水滴をしたらせていた。
と、言っても、VR内とはいえ、あまりしっかり見るのが、憚れてしまうのだが……。
「ん? それに……?」
「それに、ちょっとにいさんにモノ申したいことがありまして」
視線を逸らすように言葉を返した俺に、丁寧な言葉で探るような言葉を放つナナ。
これは、ちょっと怒ってるときのやつだ。
「あー……えっとなに?」
「なんで。さっきからわたしのほう見ないの?」
「――わかって聞いてるだろ」
(……刺激が、強すぎるんだよ)
いつも薄着でいるとはいえ、実際水着姿となるとその露出度も段違いだし。
白色のセパレートの水着に、黒色の短いスカート。
それがナナの今の恰好だった。
音子ちゃんはリアルの七海と比べると子供っぽいと言っていたが、その体つきは確かに小柄だけど……出るところは出てて、うん。まぁ、なんつーか。
――胸とかえろい。
「あのねー。いつも言ってますけど。じろじろ見てるのわかってるからね。てか、どうせ見るならちゃんと見たらどうです? こういう恰好、わたしがする機会なんて、もうないかもですよ」
「いや、そうは言ってもさ――」
まごまご、と口ごもってしまう。
言われた通りに少しずつ逸らした視線をナナへと戻そうとするも……。
上を見ればバストが飛び込んでくるし、下へ向ければなまじスカートで隠れている分、より足が艶めかしく見えてくる。
「にいさん、余計やらしい目つきに見えるんですけど。……それに、里桜のことは、さっきからしっかり見てるのもわかってるんですからね。――あと音子ちゃんのことも」
どうやら、しっかりバレてるらしい。
だが、言い訳をさせてほしい。
里桜のキャラデザはただでさえ胸が大きいキャラとして描かれていて、それを売りにしてるところもあるし。
何よりだ。
彼女がはしゃぐ度にそのサイズに対して小さな紺色の布面積から、いまにもこぼれ出しそうに揺れるグラフィックが、いけない。
「はぁ……なに語りだしてんのよ」
「え?」
「無自覚に呟くの、だいぶヤバい人にしかみえないんですけど」
「俺、なに言ってた?」
「――いまにも、こぼれ出しそうに揺れるグラフィックが、いけない。とか言ってましたけど。てか、いけないってなんですか、どの立場でのコメントよそれ。音子ちゃんへの感想までは言わなくていいからね」
神妙な口調で俺の思考内容を口にするナナ。
怒っているというよりは呆れと嘲笑が混ざった喋り方。それでも、その表情からはいつものような明るい笑顔が見て取れた。
ちなみに音子は、やっぱり胸がなかった。可哀そうだったが、リアルも同じだからある意味正しいキャラクターメイクだと思う。
感想としては……それくらいしかない。
「ほんと、馬鹿ね……にいさんは。ま、でも、ありがとね」
「どうした急に」
「んー、色々落ち込んでたから、ね? デート台無しにしちゃったなーって。せっかく、わたしがリードして、もっとレクチャーしてあげようって思ってたのに」
「もっと……か。それは例えば――?」
「……秘密。てか、わかるでしょ。デートの終わりくらい、キスで終わらせてよ」
終わらせて、という言葉がひっかかった。
だが、それを言えば何か本当に、それが何かはわからないけど、終わっちまうような気がして言えなかった。
「ありがとうはさ、俺じゃなくて。あいつらに言ってくれよ。里桜も音子ちゃんも、お前のこと心配してたからさ」
「ん。わかってるよ。いっぱい感謝してる。お姉ちゃんのことはあったとはいえ、この世界で……エタ・サンでにいさんと一緒にいられて、わたしにとって友達と言えるようなあの子たちと出会えて。十分すぎるくらい、幸せだもん」
ひざを抱えるように丸まるナナ。
水気を帯びた彼女の横髪がマスクして、その表情を覆い隠した。
いま、どういう気持ちでいるのだろうか。
もしこれがデートアクションだと仮定したとき。
俺が、彼女を……攻略するにはどんな言葉が正解なんだろうか。
――どんな選択肢が与えられるのだろうか。
この世界の理、ルールである恋愛ゲームに置き換えて、考えてみても、答えは出そうになかった。
なぜなら。隣に座る義妹は、攻略対象外のキャラクターだからだ。
「ずっと……このままで、ね。いられたらって思うよ。わたし」
「……ナナ」
言える言葉を探ってもみつからなくて。
言いたい言葉だけが脳裏に残る。
好きの一言だけが、浮かんでは消える。
それはきっとエタ・サンのレギュレーションで弾かれてしまうワードで、きっと彼女に届かないのは分かっている。
いや、分かっているなんていうのも冷静なふりをしただけだ。
胸が痛いくらいに高鳴って喉が渇く。
吐き気だってする。
それくらいに、俺は義妹に恋をしていた。
「もう、音子ちゃんビーチボール下手すぎるよ~」
「運動全般、苦手なんすよー……」
遠くで聞こえる、ヒロイン達の声。
水際の音。
静かに奏でられるピアノのBGM。
エタ・サンを構成する音のなかで……ひとつ、ノイズが耳についた。
ざ、ざ、ざ、と。
テレビの砂嵐から流れるような……そんな、雑音だった。
「……にいさん……」
それはナナのいる座標から発されていものだと気付いた。
彼女が俺を呼ぶ声に被さるように、次第に雑音は大きくなっていく。
ナナ自身、その事態に気づいたのだろう。
不安そうな顔で、自身の喉をその両方の手で抑える。
「あれ……、あ、あー。あれれ」
それがVR機器のマイクの音声トラブルであれば良かったのだけど、違和感は音だけに留まらなかった。
彼女のグラフィックが、キャラクターが崩れていく。
ポリゴン状に分解されていく彼女の身体。
彼女の身体に触れようと、俺は咄嗟に手を伸ばした。
しかしそれは、グラフィックを通過して、空を掴むようなものだった。
何の感覚もなかった。
「……七海!」
「七海ちゃん!」
異常な事態に、ヒロイン二人も気づいたようだった。
プールサイドを駆け寄ってくる。
その間にも透過されたナナのグラフィックが徐々に姿を変えていく。
切り替わったキャラクターデザインは……リアルで見る七海に似た姿をしていた。
「にいさん、ごめんね……」
――わたしの役目は、これでお仕舞いみたい
最後にそう告げて、アソシエイトNo007、俺の義妹であるナナは姿を消した。
残された3人で目配せをして、示し合わせたように各々ログアウトをした。
いくらリアルで七海へLINEメッセージを送ったとしても、それが既読になることはなかった。
義妹はヴァーチャルリアリティの夏にいる 甘夏 @labor_crow
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