世界の支配と僕、どっちを取る?

 およそ100年にもわたって地上を征服していた暗黒卿はとうとう打ち倒された。敵は強大で仲間のほとんどは志半ばで命を落としたが、剣士である僕と魔法使いのテレサが死闘の末にとうとう最後の一人を滅ぼしたのだ。これで世界は平和に包まれる。そう僕は信じていた。

 ところが、所有者を失ったはずの王座には何故かテレサがふんぞり返っている。それだけでなく、僕は5年も共に旅をしてきた相棒に剣を向けなければならなくなっている。テレサは手すりにあしらわれた妖しく光る宝石を撫でながら混乱する僕を見つめていた。

 「何してるんだ!?」

 「暗黒卿は滅びた。そうなると、誰かがここに座らないといけないでしょ?」

 「違う!世界は再び人々の意思によって統治される。そのために一緒にここまで来たんじゃないか!」

 僕は叫ぶ。これはかつての仲間との合言葉でもあった。勝利の先に困難が消えることはないだろう。それでも人々はお互いの意思を尊重して生きていく。暗黒卿が現れるまでは当たり前だったそんな世界を取り戻すために戦ってきたのだ。それにもかかわらず、テレサは死んだ仲間との約束を鼻で笑う。

 「それだと過ちを繰り返すだけ。数年もすれば人間同士でいがみ合い始めて、最後はまた戦争を起こすよ。暗黒卿が支配していたこの100年間、人間同士で殺し合いは起こらなかったでしょう?私がここに座ることでそんな平和をこれからも与えてあげられる。あなた様なら分かるはず」

 「詭弁だ!」

 「そうかしら。私ならあいつらみたいに人間を奴隷のように扱ったりしない。子どもは母親のそばで生きるべきだし、人とお金の交換も許さない。争いで命を落とさせたりもしないわ」

 「じゃあ約束はどうする!?僕たちが交わした約束は!」

 最後の戦いの直前、僕とテレサは大切な約束を交わした。どちらかが死んで孤独になってしまうかもしれない未来を分かっていて、それでも恐れることなく、誰もいない教会で愛を誓ったのだ。旅が終われば静かな田舎で農業をして暮らすんだとも話していた。それがなかったことにされようとしている。

 「あなた様が一緒に居てくれれば何も問題はない。一緒にこの世界を支配すればいい」

 「嫌だ!今ならまだ戻れる。テレサ!一緒に帰ろう!」

 僕はテレサを必死に説得する。こんな終わりは想像していなかった。影のない世界で慎ましく暮らすことを夢見て今日まで生きてきたというのに、テレサを失っては意味がない。僕は剣を握る力を更に強くする。

 「あなた様と物別れしたくない。せっかく世界に平和が訪れるというのに、あなた様が隣に居ないなんて」

 「その宝石を壊せば叶う!だからテレサ!」

 「できないわ」

 テレサが突然こんな行為に至った理由は分からない。もともと世界の征服などに興味はなかったはずだ。しかし、今のテレサは僕との決裂さえ覚悟している。玉座に立て掛けてあった魔法の杖を握ると悲痛な表情を浮かべる。僕は最後の賭けに出ることにした。

 「世界の支配と僕、どっちを取る?」

 「世界を支配することよ。あなた様」

 即答したテレサの声が虚しく大広間に響き渡る。それを受けて僕の心はガラスのように砕け散った。少しは悩んでくれるものと思っていた。それほどまでに禍々しい欲望に魅了されていたのか。テレサの心に自分がいないと分かって胸が締め付けられる。

 一体どこで間違えてしまったのか。考えても纏まらないが、目の前に鎮座しているのは既に心を黒く染め上げた新しい暗黒卿だ。涙は後でも流すことができる。僕が鋭い眼差しで睨みつけると、テレサは少し首を傾げて思案顔になった。

 「あなた様、勘違いしてない?」

 「うるさい!」

 「私が支配する世界にあなた様も含まれるのよ。だって、あなた様もこの世界の一つでしょう?」

 「え?」

 「あの時に誓い合った愛は今も変わってない。小麦を育てて、子どもは三人。私が焼いたパンを毎日食べるって」

 それは全て二人で想像した幸せな毎日だった。急激に剣が重くなったように感じる。刃先をテレサに向けていられなくなった。

 「それにあなた様の力じゃ私に敵わないことは分かってるはず。一人にさせないで。孤独が心を蝕むと、本当に暗黒卿と変わらなくなってしまう。私もそんなの嫌よ」

 「そこから下りないのならテレサはもう暗黒卿だ」

 「ううん、違う。あなた様だけが決められる。共に生きて私に人間の心を握らせ続けるか、私を一人にしてこの世界に再び暗黒を蔓延らせるか。賢いあなた様ならどうするべきか分かるよね」

 テレサが玉座を離れて僕の方へと歩いてくる。心の隙間に入り込まれ、葛藤している自分に気付く。目の前で向かい合うと手から剣を滑り落としてしまった。テレサの屈託のない満面の笑みは瞬く間に僕の全てを支配していった。

 「嬉しい!信じてたよ!」

 「でも、どうしてなんだ」

 「ん?」

 「どうしてテレサじゃないといけないの。最後に教えて」

 僕は心だけでなく体も完全に支配されて、テレサに抱擁されるがままとなる。首元にかかる吐息は温かく心地良い。テレサも心をがんじがらめにされていると気付いたのは、その体が小刻みに震えていたからだった。

 「それはね、あなた様と愛を確かめ合って気付いてしまったからよ。愛を育むためにこの世界はあるべきなんだって」

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短編集 クーゲルロール @kugelrohr

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