第30話(最終話)

 燦々と夏の日差しが降り注ぐ、晴天の日――

 王都民に薬が行き渡り、一時期の混乱もすっかり収まり、予備の薬の作り置きもいくつか作成されて、やっと日常らしい日常が戻ってきたころ。


「また、王都に来ることがあったら声をかけてくださいね」

「……あぁ。だが、もう二度と夏には来ない。この街はあまりにも暑すぎる……」


 ついに医療団が帰還する日になり、イリッツァは聖女の微笑みを讃えて責任者のリオを見送る。


「少し、寂しいです。手紙を書くので、また、色々教えてくださいね」


 あぁ、と頷くリオの顔には、煙水晶の眼鏡がかかっている。街を行く女たちの視線避けなのだろう。

 いつもより少しつれない返事に、イリッツァが軽く首をかしげると、リオは少しだけ不機嫌そうに口を開く。


「手紙だけでは、不満だ。――未だにお前に、勝てていない」

「あぁ……ははっ……確かに」


 初めて剣の手合わせをした日から、何度も時間が空くたびにしつこく手合わせを要求され続けたのだが、結局リオはイリッツァから一本も取ることが出来なかった。

 さすがのカルヴァンも、ここまでコテンパンに叩きのめされてもなお、イリッツァに真っ向から立ち向かい続ける精神力は信じられない、と舌を巻く――呆れる、ともいう――と言っていた。


「次は、お前がファムーラに来い。こそこそと人目を気にしながら剣を振るのは煩わしい」

「はは……そうですね。もしも、本当に、そんなことが出来る日が来れば――」

「来い。必ずだ。……まだ、お前に、祖国の話をしてやる約束を果たしていない」

「!」


 いつかの口約束を覚えていてくれたとは思わず、イリッツァは驚いて目を見開く。

 

「俺の先祖――お前が興味を示していたルロシークは、お前も納得する強さだった」

「えっ……」

「伝承が本当なら、ルロシークは、枷を付けた状態でも俺と同等以上に戦うだろう。剣を極めると決めたとき、その強さに憧れ、俺もいつか必ずそうなるのだと決意したものだが――成長するにつれて、伝承に残っているあまりに途方もない強さを理解するほどに、過去の伝承なのだから眉唾物のエピソードも多いのだろうと考え、いつしか追いつくことを諦めていた自分がいた。お前と手合わせをして、そんな自分に気付いたんだ。――が、お前の強さは、まさにあの出鱈目な強さの伝承を思い起こさせる。生まれて初めて、人類でも、鍛錬次第で本当にその境地に立てるのかもしれないと、心から信じられた」

「それは――」

「もう一度、祖国に帰って、過去の文献を漁ってかつての先祖の強さの秘密を探す。鍛錬の内容を根本から見直す。次に会うときは、もっと強くなっているだろう。だから――いつか必ず、再戦を」


 煙水晶の向こうで、紅い瞳がこちらをまっすぐに見たのが分かった。


(本当に、ぶれないな……)


 顔をしかめて、女は嫌いだと言って憚らなかった姿。

 医者として、一つでも多くの命を救おうと奔走する姿。

 剣士として、決して妥協せず強さを求める姿。


 リオは、いつだって己に正直に生きて、決してその軸を揺らがさない。


「うん。……俺も、もっと鍛えて、もっと強くなっておく」

「いや、それは程々にしておけ。これ以上の筋肉ゴリラになることだけは許さないぞ」


 小さな声で嬉しそうに告げたイリッツァに、すぐ後ろから不機嫌な制止の声が飛ぶ。

 視線を遣れば、紅い装束に身を包んだカルヴァンが、鼻の頭に皺を寄せて、心底嫌そうな顔をしていた。


「いいじゃん、筋肉。俺も欲しい……」

「駄目だ。髪を切るのも駄目だ。剣術に傾倒しすぎるな。既に、十分最強の名を恣にしているだろう。それ以上極めてどうするつもりだ」


 半年後に控えたエックスデーに向けて、ウェディングドレスの似合う美少女のままでいてほしいカルヴァンは本気で主張する。

 彼もまた、どこまでも自分の軸をぶらさない典型だ。

 ちらり、とリオはカルヴァンを見て、口を開いた。


「……少なくとも、次はこの男には勝つ。そうしたら、お前のことも呼びやすくなるだろう。早く名前が呼べるようにせいぜい鍛錬しておく」

「おい、お前まだ諦めてなかったのか?」


 ひくり、と頬が引き攣るのを感じる。愛しい嫁を賭けた戦いに、負けることは許されない。喧嘩を売られれば買うしかないのだ。

 イラッとした顔をしたカルヴァンを見てから、リオはイリッツァへと視線を戻す。

 夏の日差しの下で微笑むのは、周囲の視線を意識してのことだろう――剣を交えているときの恐怖の剣士ではなく、慈愛に満ちた女神のような聖女の顔。

 じっとそれを眺めた後、ゆっくりとリオは口を開く。


「……もしも、お前が、この国で生き辛いと思ったなら」

「え――?」


 くぃ、と軽く色眼鏡を押し上げて、続ける。


「聖女の責務や、その男の過保護に嫌気が差したなら――いつでも、俺の元に来ればいい。お前一人を養うくらいたやすい収入も家もある」

「――!」

「おい貴様それはどういう了見だ!!?いくら国を背負って派遣された人材とはいえ、聞き流せる発言と聞き流せない発言があるぞ!!?」


 ビキッと太い青筋を浮かべて、カルヴァンが叫ぶ。

 言った後に、自分の言葉がまるでプロポーズのようだったと気づいて、「あぁ」とリオは訂正する。


「別に、結婚するとかそんなことは言っていない。お前はお前のまま、自由に生きればいい。俺も、俺のままで、自由に生きる。ただ――お前がお前らしく、自由に、何物にもとらわれずいられる居場所を提供してやるだけの情は持っている、ということだ」

「ふ……ははっ……なるほど。嬉しいよ。ありがとな」


 何事においても己の軸を決してぶらさないリオらしい心遣いに、イリッツァは感謝の意を示して手を差し出す。

 最初は、彼から手を差し伸べられた。

 だから今度は――イリッツァから。


「またな、リオ。再戦のときは、ルロシークの話を聞かせてくれ」

「あぁ。約束しよう。王国が誇る最強の剣士に、俺の祖国が誇る最強の剣士の話を聞かせてやる」


 ぎゅ、と二人の間で握られる掌には、親愛の情が込められている。

 ぎゃんぎゃんと後ろでカルヴァンがうるさく何かを叫んでいるのを聞き流しながら、イリッツァは聖女の仮面の下で、素の笑顔をこぼす。


 キラキラと輝く陽光が静かに降り注いで、今年も暑い夏がやってくる気配が、すぐそこまで来ていた――

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【リクエスト番外編】王国の危機 神崎右京 @Ukyo_Kanzaki

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