第29話

 イリッツァと手合わせを繰り返し、意地になって何度もリベンジマッチを挑むリオを、五本目が終わったところでカルヴァンが制した。


「俺は一体いつになったら嫁を堪能できるんだ。いい加減にしろ」


 もはや、暴君の主張である。

 結局、翌日以降に再び手合わせをすることを約束して、その夜は解散となったのだが――


「ふ~……早く帰ってシャワーを浴びたいですね」


 だいぶ回復した人間が増えてきたとはいえ、まだまだ夜の王都は人気がないが、帰り道、どこで誰が見ているかわからない。

 イリッツァは、聖女の口調で言いながらパタパタと手で汗をかいた顔を仰いだ。


「剣術馬鹿も大概にしろ。朝まで続けるつもりかと思ったぞ」

「ははっ、ウケる。リオに言ってください」


 久しぶりの二人きりの会話に、イリッツァも気が緩んでいるのは事実なのだろう。口調だけは聖女のものだが、カルヴァンの前で溢す笑みは、何一つ飾ることのない素のイリッツァの笑顔だった。

 高く昇った月が夜道の二人を照らし、長い影が伸びる。一つに括られた鮮やかな銀髪は、清らかな月光を反射し、イリッツァが足を踏み出すたびにひょこひょこと揺れていた。

 まるで眩しい何かを見るかのように、カルヴァンはほんの少し目を眇めて横を歩く婚約者を眺める。


「ツィー」

「ん?はい、何ですか?」


 久しぶりに思い切り剣術が出来て、心底楽しかったのだろう。上機嫌な空気を隠すことなく、少し浮足立った様子のイリッツァは、ミオソティスの瞳で隣を行くカルヴァンを見上げる。

 いつもと何一つ変わらない、当たり前の返事に――ぎゅっと胸の奥が小さな音を立てた。


「こっちへ来い」

「へっ!?ちょ――おい!?」


 一瞬、聖女の仮面を被り忘れて叫ぶが、カルヴァンは構うことなくイリッツァの細い腕を掴んで少女を脇にある路地裏へと引っ張り込んだ。


「おま、何す――」

「五月蠅い黙れ、大人しくしていろ」


 低い声で問答無用の響きで告げてから、ぎゅぅっと力任せに小柄な身体を抱きしめる。


「はっ!?ちょ――おいおいおい!!屋外!!!屋外!!!」


 ボッと頬に火を灯して、イリッツァはべしべしとカルヴァンの逞しい腕を叩いて抗議する。

 しかし、まるで何も聞こえていないかのように抗議を無視して、包み込むように抱きしめたまま、カルヴァンは動かなくなった。


「ぇ――ちょ……ヴぃ、ヴィー……?」


 体格差で身体が浮くほど力強く抱きしめられたまま沈黙した婚約者に、イリッツァは怪訝な顔で恐る恐る問いかける。

 表通りでさえ、人気など無かったのだ。この細い路地裏で、住民の目などないだろう。

 それよりも、さすがに様子の可笑しいカルヴァンの方が気になって、視線を巡らす。灰掛かった藍色の髪が、視界の端で揺れていた。


「――ストレスで死ぬかと思った……」

「は?」

「生きた心地が、しなかった……」

「へ??な――何が……?」


 珍しく弱々しい声で吐露された呟きに、きょとん、と薄青の瞳を瞬く。

 イリッツァを抱きしめたままゆっくりと深呼吸をした後、カルヴァンはゆっくりと力を抜いてイリッツァを解放する。

 月に照らされた横顔が、少しだけ悲痛に歪んでいて、ドクン、とイリッツァの心臓を騒がせた。


「ヴィー……?」

「王都に広がる、恐ろしい感染力を持った未知の病。打ち手がわからず、いつ死者が出てもおかしくない、地獄のような光景が毎日広がっている状況で、お前は最前線で己の身も顧みずに働いている――という知らせを、王国の最北端で受け取ったときの、俺の気持ちがわかるか」

「!」

「お前の性格上、大人しく神殿に引きこもっているはずがない。確実に罹患しているに決まってる。どうせ、”聖女”の仕事だと言って、無理をしても誰にも弱音を吐いていないこともわかっていた。そんな状況で――仮に誰かに、お前の命を捧げれば国民の命が助かる、とか唆されでもしたら、お前、また、なんの躊躇もなく笑顔で命を投げ出すだろう。――俺の知らないところで、また、勝手に」

「ぅ゛っ……」


 痛いところを突かれて、思わず小さく呻き声を上げる。

 図星だったことを悟り、カルヴァンはイラついたようにガシガシと頭を掻いた。


「カイネスに遠征に行くと、毎回碌なことにならないな。あそこは鬼門だ。やっぱり、最初から王都に留まっておくべきだった。――もしもあのタイミングで、遠征先の俺に便りがなかったら、今頃お前が一体どんな自虐的な行為をしていたかと思うと、背筋が凍る」

「ご……ごめん」

「王城に行った後もそうだ。早く傍に行って、直接お前の手を握っていないと、安心なんて出来なかった。……お前はすぐに勝手に、必死に握っている人の手をすり抜けてどっかに逝く。――残された人間の気持ちなんか、これっぽっちも考えないで、『信者のために』とか言って笑顔で犠牲になる」

「そ……そそそれは……」

「リアムに監視させたとはいえ、気が気じゃなかった。――お前は、人には勝手にどこかに行くなとか言うくせに、自分は本当にあっさり命を粗末にするからな。例えば薬が足りなかったりしても、やせ我慢して絶対に自分は飲まずに民を優先して配るだろう。……冗談じゃない。また、勝手に死なれて、置いてかれたんじゃ堪ったものじゃない」

「ぅ……ご、ごめ――いや、その、絶対大丈夫って約束――は、出来ないかもしれないけど、でも、昔よりは、その……ちゃんと、考えてるし……」

「嘘臭い。この手の件に関しては、俺はお前を一切信用していないからな。反省しろ」

「ご……ごめん……?」


 イリッツァが謝るべきところなのかは正直半信半疑だが、カルヴァンが、他人にそうとは見せない振る舞いの陰で、過去のトラウマに酷く苛まれていたことを知って、大人しく謝罪を口にする。


「挙句の果てに、やっと王城を抜け出して来れたと思ったら、どこの馬の骨かもわからん男に口説かれて――」

「く、くくく口説かれてなんかない!」

「まだ俺にも見せてないようなエロい顔を晒して――」

「してねぇよ!!!人聞きの悪いこと言うな!!!!」


 心外にも程があり、全力で抗議する。

 はぁ、と深くため息をついた後、カルヴァンはぐいっと片手で頬を掴むようにして、イリッツァの顔を上げさせた。


「言っただろう。独占欲をネガティブな方向に刺激されたら、優しくなんかしてやれないと」

「っ……ちょ、ま、ままま待てって、ここ、屋外――」

「どうせ誰も見てない」

「駄目!!!絶対駄目だ!!!!」


 ひょいっと片手で身体を持ち上げるように腰を抱かれたまま拘束されて、問答無用でキスの距離まで近づいてくる顔を両手で制す。

 チッ……と掌の向こうで苛立った舌打ちが聞こえたが、イリッツァが拒否する理由は、何も屋外というだけが理由ではない。


「駄目だって……!俺、まだ、病気残ってると思うから――!」

「ぁ゛??」

「薬で、菌を完全に外に出すまでは、その――き、きききキスとか、したら駄目だっ……お前に感染うつしちまうっ……!」


 吐息がかかるほどの距離まで迫られながらも、真っ赤な顔をぶんぶんと振って必死に抵抗の意を示す。


「知るか、そんなの――!一体どれだけの期間お預け食らったと思ってる――!」

「だだだ駄目だって!!!」

「もう薬は出来たんだから、今更感染うつっても関係ないだろう……!」


 チッ、と思い切り舌打ちをして、カルヴァンは無理やりイリッツァの口に手をかけた。


「ぅぐっ!?」

「さっき――あの男に良いようにされてたな?」

「ふぁっっ!!?」


 有り余る独占欲を爆発させる瞳を隠しもせず、リオがしたよりも乱暴な手付きで、ぐい、とイリッツァの口の中に親指を突っ込み、無理矢理口を開かせる。

 心外だ、と言わんばかりに何度も首を振るが、嫉妬に駆られた灰褐色の瞳は、全く笑っていない。


「クソッたれ……!今思い出しても心底腹が立つ……!」

「んんぅ!!??」


 がっちりと鍛え抜かれた騎士の腕で押さえつけられた身体は、イリッツァの必死の抵抗を物ともしない。

 イリッツァが泣きそうな顔で眉を下げると、カルヴァンはぐっと顔を近づけた。


「俺はお前の泣き顔が好きだって言ってるだろう。他の男になんか見せるな」

「んん~~~~!!!」


(これは生理的な涙だから仕方ないだろーーーー!!!!)


 ぐっと指を口の中に突っ込まれたことによる反射で涙目になりながら、心の中で絶叫する。


「あまり舐めたことしてると、を喉の奥に突っ込んで泣かせるぞ」

「んぐっっ!!?んぐ、んんんんん!!!!」


 凄みを利かせながら放たれた恐怖の言葉に、顔面を蒼白にさせ、ぶんぶんぶんぶん、と全力で首を横に振って拒否を示すが、突っ込まれた指で舌まで抑えられているせいで、反論の言葉すらうまく紡げない。

 どうやら、カルヴァンは、相当先ほどの行為を根に持っているらしかった。

 がっちりと腕力で身体の抵抗を抑え込まれ、言論さえ自由にさせてもらえず、本格的に迫り来る貞操の危機に思わず恐怖に涙を浮かべれば、その表情がカルヴァンの『スイッチ』を入れたのだろう。

 ぞくり、と背筋が泡立ち、情欲の炎が男を炙ったのが目に見えてわかった。


感染うつすなら勝手に感染うつせ――!」

「んっ――っ、ふ、ぅぅ――!」


 極限の飢餓状態を持て余した捕食者が、本能の赴くままに獲物を貪るようにして、無理矢理開かせた唇を上から塞ぎながら特濃の口付けが振ってくる。

 随分久しぶりに口腔を縦横無尽に蹂躙する柔らかな異物を、せめてもの抵抗で口を閉じて歯で防ごうと試みるも、無理に咥えさせられた指が許そうとしない。


(屋外そとだっつってんだろーーーーーがぁああーーーーーーーー!!!!!)


 散々お預けをされた久しぶりの逢瀬にも関わらず様々な状況が折り重なったせいで、理性の歯止めが利かなくなっているらしい婚約者の横暴を前に、イリッツァは本気で涙目になって胸中で絶叫するしかなかった。

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