銃弾が歴史を変えてはいけない理由

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

非常の時だからこそ

 本日午前、コワーキングスペースを借りて執筆していると、安倍元首相銃撃事件の一報が目に飛び込んできた。

 吃驚していると、近くの席でテレワークを開始した男性が安倍さんの件でと言い出したので、すわ報道関係者か何かかと思ったのだが単純に取引先の方の名前だったようである。

 ただ、執筆中のエッセイが流石に手につかなくなり、呆然とした頭を抱えたままその場を後にする。

 折からの陽気が否応もなく汗を噴き出させてくるのだが、それよりも先に別の眩暈がするよう気がして、ふと十年以上も前のことが蘇ってきた。


 あれは私が二十歳になる年であったから、今から十五年前ではなかったか。

 ある晩原付に乗って帰っていると、点々と警官が立っており、パトカーの往来もある。

 何があったのか分からぬまま家に帰ってみると、伊藤前長崎市長が銃撃を受けたとの一報。

 その後、前市長は命を落とされ、選挙戦は新たな立候補者も立って行われることとなった。

 その立候補者の一人が今の田上市町であり、あの選挙を境に長崎市は大きく変わることとなる。

 土地取得か何かの因縁が、言論を破壊した瞬間である。


 当時の私は選挙権を取得する直前であり、もしも、選挙権があれば別の候補に投票していただろう。

 それは単なる我儘であり、どのような選挙においても選挙権がなければ力を持たぬのは致し方ない。

 ただ、市長選の期日前投票を既に終えていた方にとってすれば、それは意図せぬ死票となってしまっており、市民としての権利を奪われたことになる。

 だからこそ、選挙期間中の暴力というのはいかなる理由があっても許されるものではない。


 とはいえ、個人の権利の侵害というのは民主主義への重大な攻撃であるのだが、それよりも大きな意味合いを持つ。

 それは、個人の恣意によって社会全体が動く危険性があるということである。


 今回の事件がどのような動機によって行われたのかは分らぬが、いずれにせよ自分と対立した意見を持つ者の排斥を許せば、それは単純に武力を持つ者の意志が強い力を持つことになってしまう。

 戦前、軍部が強い力を持って政治に影響を与えたのは、政治の腐敗というよりも武力がそのまま力となったことであり、それが国全体を破滅へ導く結果に至ったのは歴史の示すとおりである。

 たった一発――その感覚が最も危険であり、一つの恐怖は政治家の胆力を削ぐに十分な力を持つ。

 そのような覚悟で政治家になるものかと思う方もいらっしゃるかもしれないが、人は命あっての物種であり、その周囲も含めて萎縮しかねない。


 では、私たちが今すべきことは何か。


 単純な話である。

 今の生活を大切にして暮らし、投票をし、落ち着くことである。

 暴力では何も失われないことを淡々と見せつけることが、その意思を示すことが最も大切である。

 そして、他者を許すことである。

 何事があっても、仮令対立する意見であっても、力ではなく常に反駁を以って対するようにすることである。


 ただ今は、安倍元首相の無事を祈るばかりである。


【追記】

 医師の懸命な処置が施されるも叶わず、安倍元首相が亡くなられた。

 現場で救命に当たられた方々へ敬意を示すとともに、安倍晋三氏のご冥福をお祈りする。

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銃弾が歴史を変えてはいけない理由 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru

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