第7話

「青(しょう)」は大国「夏(か)」の大河を挟んだ東南に位置する。

温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ、人々の気質はおおらかで明るい。


国を治める王は、元は「軍神」と呼ばれた武人で、その人柄と人望を見込んで前王が禅譲した。名を「伯(ハク)」と言う。

前王には息子が三人いたが、一人は夭逝し、一人は「遊学」と称して国を出奔して戻らず、最後の一人は継承権を放棄した。

故に、この王位交代は実に速やかに、平和的に行われた。

少なくとも、表面上は。



「お帰りなさいませ、旦那様」


「ただいま、阿鈴(アーリン)」


出迎えた妻に男は柔らかな笑みを向け、淡く色づく頬に触れる。目蓋に口づけを落とせば、黒い瞳が潤み、目元が仄かに朱に染まる。夫婦になって二年になるが、妻はいつまでも少女のように初々しく、愛らしい。


「阿夏はどうしている?」


「季月がみてくれていますわ」


「ふふっ、阿夏は本当に季月が好きだね」


男は家人に上衣を渡しながら、愛娘の待つ部屋へ向かう。


都の東にあるこの邸宅は、とある商家の持ち物だった。

風雅で少々変わり者だった主人は異国の文化を好み、様々な様式を取り入れた一風変わった邸宅を建てた。

四角い中庭の中央に棗(ナツメ)の樹が植えられ、それを囲むように青いモザイクタイルが敷き詰められている。四方を囲む建物は中庭に面して窓があり、嵌められているのは色つきの硝子を組み合わせて一枚の画にしたものだ。

タイルも硝子も、西国から取り寄せた珍しい品ではあるが、青国では中々受け入れられず、この邸宅は長く空き家のままだった。

それを購入したのが今の邸の主である「杜 藍情(ト.ランジョウ)」だ。

杜家は青国でも指折りの商家で、藍情は二十四歳という若さで当主となった。

父母は息子に家督を譲るとさっさと隠居し、風光明媚な温泉地で、悠々自適な日々を過ごしている。


彼が若くして家督を継いだ理由は幾つかあるが、そのひとつが「妻」だった。

妻との出会いは偶然で、連れとはぐれて道に迷った彼女を助けたのが切っ掛けだ。

路地に入り込もうとしていた妻の手を咄嗟に掴んだ。驚いて振り返った彼女ーーーー大きな黒い瞳、柔らかな髪が風に舞い、目が合った瞬間、一目で恋に落ちた。

彼女を娶りたい男は多くいた。

藍情が彼女を娶ることが出来たのは、義弟のお陰だ。季月は妻の素性を知り、尻込みする藍情を叱咤した。

「そんな臆病な男に、姉はやれない」と。

その言葉に背を押され、藍情は商いに没頭し、自ら財を築いて身を立てた。

だから季月には感謝しているし、正直頭が上がらない。

現実主義の藍情は、「運命」など信じていないが、もしあるとするなら彼女との出会いがそうなのだと思う。


「お帰りなさい、義兄上(あにうえ)」


娘を抱いた季月が振り返る。


「ただいま季月」


「あー」


「ただいま、阿鈴」


藍情は季月から娘を受け取り、まろい頬に口づける。

丸い目で自分を見つめる娘に笑みを向けながら、藍情は季月に礼を言った。


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復讐の王妃 犀夏 @saika91

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