終章
終章
『さあ、今年もこの時がやって参りました。一昨年に生まれた数多のサラブレッド。その頂点を決める競馬の祭典、第一二五回日本ダービー! まもなくの発走です!』
熱のこもったアナウンスに続き、華々しい音楽が競馬場内に響き渡る。それに応えてスタンドに詰めかけた十万人ものファンたちから歓声が上がった。
俺はそんな観衆の様子を自らが騎乗する馬の背から静かに見つめていた。
あのユニコーンダービーを勝った時から既に一年が経っていた。
『夢幻の杯』というマジックアイテムを使って現代日本に戻ってくると、俺は病院のベッドで眠っていた。どうやら日本ダービーでの落馬の際に頭を打ち、一年間昏睡状態だったらしい。
医者からはあの状態から目覚めるのは奇跡でしかないと言われたが、俺自身としては別の世界で普通に暮らしていただけなので、久しぶりに日本に帰国したくらいの感覚だった。とはいえ一年間寝たきりだったので体の方はぼろぼろで、そこからは長いリハビリ生活が始まった。そして地獄のようなリハビリを何とか耐え抜き、ちょうど今から三か月前にジョッキーとして復帰を果たしたところだった。
あの世界での出来事は全てはっきり覚えている。相棒だったプルーフというユニコーンのことも。マリアやヘカテ、ルドルフたち仲間のことも。そしてもちろん、最愛のパートナーであるルナと、彼女と交わした約束のことも。
ただ一方でそのことを他人に話すことは躊躇われた。客観的に見ればそれは昏睡状態の間の夢の世界での出来事でしかないからだ。俺にとってはかけがえのない記憶だが、誰かと共有することはできない。だから結局、自分の胸にしまっておくことを決めた。
「お帰り! 風馬」
いつも通りの爽やかな笑顔で話しかけて来たのは同期の成宮優だった。
成宮はこの二年間で大活躍を果たしていた。数々のビッグレースで勝利を納め、既に日本でトップクラスのジョッキーの一人として認められている。昨年には年間最多勝利騎手(リーディングジョッキー)の称号も獲得していた。
そんな彼は海外遠征だったり、別の競馬場でのレースに出場したりと忙しくしており、復帰後に顔を合わせるのは今日が初だった。
「風馬がいなくて僕は寂しかったよ。同期だし友達だし、僕にとって風馬は最高のライバルだからさ」
成宮は心底嬉しそうに笑う。
きっと本心からそう思っているのだろう。彼はそういう男だ。成績がかけ離れてしまった今ではもう、周りは誰も二人をライバルだと面白おかしく騒ぎ立てることはしない。しかし、成宮はかけがえのないライバルなのだと、今は俺自身もそう思っていた。
「俺も嬉しいよ。またお前とこうしてダービーで競い合えて。今回は乗る馬の人気にだいぶ差が開いてしまっているけど、走るまで結果がわからないのがレースだからな。俺たちも勝機はある。あまり油断しない方が身のためだぜ」
俺は不敵に笑って成宮に宣戦布告した。
彼の乗るワイエスダイヤモンド号は圧倒的な一番人気の全戦全勝馬だった。それに対し、俺の乗るコープスリバイバー号は十七番人気の低評価だ。
「別に油断するつもりはないけどね……」
成宮は困ったように苦笑する。
「でもなんか風馬、前と変わったね。この大舞台でも余裕があるっていうか、心にゆとりがあるっていうか。その……、怪我してなんか人生観でも変わったのかい?」
「どうだろうな……」
あの世界の記憶は俺の中にしかないものだ。それでも、あそこで過ごした時間が、大切な仲間が与えてくれた言葉たちが今も俺の中に生きている。
「もしかしたら夢の中で一回ダービーを勝ってるからかもな」
「何それ? よくわからないけど、それ凄くいい夢だね」
「だろ?」
「はい! 始めるよ! ゲート準備して!」
その時、係員から開始の声がかかった。成宮と雑談している間に時間が過ぎていたようだ。急に周りの空気が張り詰めた。成宮の顔も真剣な表情に変わる。
「お互い、いいレースにしよう」
そう声をかけると成宮も笑顔で頷いた。
レースの開始を告げるファンファーレが鳴り響き、馬たちが順々にスタートゲートに入っていく。俺も自分の馬を指定されたゲートに誘導して待機する。
「さあ、行こうか。コープスリバイバー」
俺は新しい相棒の首筋をたたいて落ち着かせる。
レースを迎える度にルナとの約束を思い出す。まだあの世界に帰るための方法はわからない。それでもきっとレースに乗り続けていれば、いつかはまた彼らと再会できると信じている。
また会うその時、こっちの世界でもダービーを獲ったぞ、と誇れるように。俺は今日も前を向いて走り続ける。
『さあ、日本ダービー、いよいよ発走です!』
ゲートが開く。自分が目指す未来へ向けて、俺はまたスタートを切った。
異世界競馬 ユニコーンダービー 境井 結綺 @jerky
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