泡沫のクリームソーダ

白江桔梗

泡沫のクリームソーダ

「……自分をだますならそれは嘘じゃないか」

 渋谷の交差点、誰に聞かせる訳でもない言の葉を空中にそっと放り投げる。

「嘘でも私は良いと思うけどね」

「は……?」

 それをまさかキャッチされるとは思わなかったが。



「人間社会の歴史はいつでも嘘にまみれているものだよ」

 行きつけの店、そう言われて入った喫茶店で、彼女はストローで氷が沢山入ったクリームソーダをカランカランとかき混ぜる。その右手の中指には絆創膏ばんそうこうが貼ってある。

「なんだよ、急に」

「思いつめた顔してたからさ、そんなところかなって」

 考えていることが顔に出るタイプと言われたことはなかったが、こうも見透かされているとなんだかむずがゆい。

「そういえば先約はどうしたの?」

「……断ったよ、そもそも、別に行きたくもない同窓会だったし。いきなり知らない女の子に拉致された、なんて言えないから適当に誤魔化したけどね」

 悪い子だねと彼女は悪戯いたずらげに微笑ほほえむ。嘘なんてついたことがないから、今その文章を見ると酷くたどたどしく見える。

「にしても君、面白いね。普通、知らない人間にノコノコ着いてくかな?」

「着いてくも何も、君が手を引いて強引に連れて来たんじゃないか」

「でも、いつでも振り解けたでしょ?」

「それは……」

 返答に困る。なぜなら、全くもってその通りであったからだ。勢いこそあったが、その気になれば簡単に振り解ける力でしか掴まれていなかった。だから僕は自分の意思で誘拐されたと言っても過言ではないのだ。

「それに、敬語も外れるくらいには打ち解けられたみたいだね」

「敬語をやめろって言ったのは君じゃないか」

「ふふっ、そうだったかな?」

 ハーフアップの黒髪はやや大人びた印象を受ける。聞けば歳はそう変わらないらしい。曰く、『女性に年齢の話をするのは失礼』だとかではぐらかされてしまったが。


「……クリームソーダって美味しいの?」

 僕が注文したコーヒーを片手に尋ねる。周りが苦い苦いと言っていた頃から飲み慣れてしまって、ブラックでないと落ち着かないほどだ。だが、彼女がその人工甘味料の塊をあまりにも美味しそうに飲むものだから、ふと気になってしまった。

「んー、ニセモノの味がするよ」

「ニセモノって……」

「そう、ニセモノの甘さ。でも、そもそも最初から全部ニセモノなんだから変わらないよ。ホンモノのフリをした、ね」

 ニコッと彼女は微笑んでみせる。その口から出た冷たい空気と表情に温度差があり過ぎてか、やたら効き過ぎた空調のせいなのか、つい身震いしてしまった。

「勝手に理想像に押し込めて、それに外れていれば糾弾きゅうだんする。自分のニセモノをホンモノにしたがる。ホンモノだけだと苦くてたまらないからね」

 明るく、快活に話す彼女の言葉とは思えないほど、その言葉は重く感じた。積み重なった氷が一つ、崩れ落ち、空白だらけのコップに響きわたる。

「それでも、飲みたい?」

「……要らないよ」

「そっか、それもまた良いかもね。さっ、そろそろ時間かな。話に付き合ってくれてありがと」

 アイスがドロドロに溶けて混ざりあったあぶく混じりのメロンソーダを彼女は飲み干し、手をつき、立ち上がる。

「そのバッチ、君は真実を暴く仕事でしょ? 私は嘘を真実にする仕事だから、相容れないかもね。でも……」

 彼女は喫茶店の店員に何か耳打ちをする。店員は頷くと、奥に引っ込んでしまう。彼女はクリームソーダの金額以上のお金を置く。

「たまには『悪くないもんだよ」

 じゃ、と言って出て行く。慌てて声をかけるが、彼女は歩みを止めることはなかった。彼女を引き留めるはずの言葉は喫茶店内に霧散していく。

「お待たせいたしました」

 店員が持ってきたのはクリームソーダに乗っていたバニラアイスだった。

「あの方は気分が良いと、すぐお仕事をしに帰ってしまうのです。ですから、こちらはお好きにどうぞ」

 初老らしき男性はそう言いながら、文字を書く素振りを見せる。初めは断ろうとした。だが――

「いただきます」

 運ばれて来た氷菓を黒い泉に浮かべる。やや冷めかけていたとはいえ、まだ熱を帯びたコーヒーは、いとも簡単に溶かしてしまう。

「ははっ、甘っ……」

 口の中に感じたことのないほどの甘味が広がる。慣れない感覚に少し戸惑う。……まあ、でも――たまにはこの甘みも悪くないかもしれない。

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泡沫のクリームソーダ 白江桔梗 @Shiroe_kikyo

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