ジイジと北斗(新スケール号の冒険)
@nositenten
第1話
(1)
北斗と言えば、夜空に並んでいる七つ星。でも、ジイジにとっては可愛い小さな赤ちゃんのことなのです。
白いおくるみからちょこんと顔をのぞかせているその目を見た時、ジイジは初めて北斗と出逢ったのでした。
それは深い穴からこわごわと外を眺めているつぶらな瞳でした。怖がらなくていいよ。ジイジは目でそう言いながら北斗の額にそっと触りました。
北斗の真っ黒な目と出会った時、ジイジは天の川で星の赤ちゃんを助けたときのことを思い出しました。涙のプールから今しがたすくい上げてきたような眼を眺めていると、あの時、ブラックホールに呑み込まれそうになっていた星の赤ちゃんの不安そうな目を、つい連想してしまうのです。
「安心して出ておいで、ここは明るくて楽しいところだよ。」
ジイジが言うと、
「生まれたばかりなのにそんなこと言っても、分かりませんよ。」
バアバが面白そうに笑いながら言いました。
「宇宙語は赤ちゃんの言葉なんだ。わかるんだよ。」
「はいはい、変なジイジですね。」
今度はバアバが北斗に話しかけました。
すると北斗が小さな手を握りしめて泣き始めました。小さなベットの上で、それはそれは小さな泣き声でした。そうなんです。北斗は三週間も早く生まれてきたのでした。まだとても小さくて、ジイジがだっこ出来たときは、頭が手のひらに隠れるほどで触ると壊れそうだったのです。体は、抱いた腕の肘まで足が届いてこないのでした。
「おっぱいの時間だわ。」
北斗のお母さんがすぐにジイジの腕から北斗を大事に抱きかかえて行きました。
2時間おきにおっぱいをという先生の言いつけを守って、お母さんは寝る間もありません。おっぱいを飲む力がとっても弱くて、やっと飲み終えたらもう次の授乳時間がやってきます。懸命に一人頑張っているお母さん。でもそんなお母さんをしっかり支えるお父さんがいて、ジイジは安心していつもぐっすり眠るのです。
その夜、ジイジは子供のころの夢を見ました。
「ゴロニャーン」
鳴声を上げて銀色の猫が空を飛んでいきます。それはスケール号と呼ばれるネコ型の宇宙船でした。そしてジイジはその艦長さんだったのです。スケール号はどんな大きな世界にもどんな小さな世界にも飛んで行けるのです。それはいくつもの試練を乗り越えて行く冒険の宇宙旅行でした。
ところがそのスケール号の冒険は誰にも信じてもらえなかったのです。艦長だったことを自慢したくても、誰も本気で聴いてくれませんでした。ジイジになった今もそれは変わりません。
それでもジイジは、あれは夢だったのかなあと思ったことは一度もありませんでした。ただ誰にもその話をしなくなったのは事実でした。でもそれは信じてもらえないのが嫌だったのではないのです。信じてもらえないのが当たり前だと思うようになったのです。それにジイジはスケール号と仲間たちのことを大切にしたかったからなのです。
本当のことは、ジイジの中で今も生きているのです。いつかまた、スケール号がやってくる。心の波動でそれが分かるのです。
(2)
ある日、珍しく温かい陽射しがカーテンを通して部屋に差し込んできました。
ジイジは意味なく心がうきうきしてカーテンを開けたのです。ピンク色の花びらが一枚とんでいました。近所の梅の花が満開なのかもしれません。
その時、北斗のかわいい力み声が聞えてきました。そして泣き出したのです。
窓際に置かれた小さなベッドに寝かされた北斗の顔が輝いていました。
「おうおう、すまなかったな、眩しかったね。」
ジイジが反射的にカーテンを閉めて、北斗に謝りました。
その時だったのです。
「ゴロニャーン」
ジイジには聞き覚えのある猫の声でした。
「艦長、迎えに来たでヤす。」
「艦長、お迎えに上がりました。」
「艦長、お迎えに参りましたダすよ。」
ジイジが声の方を振り返ると、三匹の勇士の姿がありました。その後ろに銀色に光る猫がうずくまっていたのです。
「もこりん、ぴょんた、それにぐうすかじゃないか。」
ジイジはなんだか胸が熱くなってしまいました。
モグラのもこりん。ウサギのぴょんた。ナマケモノのぐうすか。みんな昔のまんまです。
「忘れないで会いに来てくれたのだね。まだ艦長と呼んでくれるのだね、夢じゃなかったのだ。私は信じていたよ。みんなあの時のまんまじゃないか。」
「私達は艦長を迎えに来ただけですよ、おじいさん。」
ウサギのぴょんたが言いました。
「おじいさん、そこを退くでヤす。」
モグラのもこりんも言いました。
「おいおい、私は艦長だよ。ほら、一緒に神ひと様にも会いに行ったじゃないか。もこりん、忘れたのか、艦長のケンタだよ。」
「おじいさんなんかしらないでヤすよ。」
もこりんがほっぺたをふくらませて言いました。
「おじいさん、じゃまはなしダす。」
ぐうすかが両手を上げて見かけだおしの技を出しました。相手を怖がらせるぐうすかの得意技なのです。
「しかし君たちは今艦長と呼んでくれたじゃないか。」
「そうです、私達は艦長を迎えに来たのです。」
「だから私が艦長だよ。忘れたのかね。」
「ゴロニャーン」
スケール号の声、そう思ったとたんジイジの耳にネコの鳴声が言葉になって聞こえてきました。
「艦長はそこに寝ている北斗です。」
「北斗が艦長?まだ生まれたばかりの子だよ。スケール号、お前も私のことを覚えていないのか。」
「覚えていますよ、ケンタ。あなたはとってもいい艦長でした。おかげで私達はとってもいいパートナーでしたね。」
「スケール号、覚えていてくれてありがとう。」
「でもあなたはもう艦長ではありません。」
「しかし北斗はまだ赤ちゃんだ、それがどうして艦長に?」
「北斗はまだ宇宙の子です。その力が必要なのです。」
「しかしそれは無茶な話だ、スケール号。北斗は歩けない。」
「大丈夫ですよ。これに北斗を寝かせてください。」
スケール号が言うと、音も無く揺りかごが浮かんで飛んできたのです。
「ほぎゃー、ほぎゃー」
北斗の泣き声がジイジの耳に届いてきました。
「おーおー、怖くないぞ北斗、お腹すいたのかなぁ。母さん帰ったらおっぱいいっぱいもおらおうね。」
あやしながらジイジは抱きあげました。
「さあ、北斗をその揺りかごに。」
スケール号の声です。
ジイジは、いつまでもぐずっている北斗を揺りかごに寝かせました。すると不思議なことが起こりました。弱々しくて不安そうに泣く北斗の顔が明るく輝いたのです。先ほどジイジがカーテンを開けた時、びっくりして眩しそうに輝いていた北斗の顔でした。
その顔がにこりと笑ったのです。
北斗はすぐに満足したように眠りました。とても静かにです。
ジイジは嬉しくなりました。
「スケール号、ありがとう。」
「安心してください。北斗は大丈夫です。」
「どうしても連れて行くのだね。」
「はい。そしてあなたもです。ケンタ。」
「私も?」
びっくりしてジイジは聞き返しました。
「あなたは北斗に必要な人なのです。博士。」
「のしてんてん博士はスケール号を作ったすごい方でしょう。でも私は単なるジジイだよ。」
「あなたはもっとすごいものをつくったのですよ。」
「何のことだか、さっぱりわからない。」
ジイジは驚きましたが、スケール号の言葉は決して疑いません。自分の何がすごいのか、そんなことはどうでもいいことでした。そんなことよりまたスケール号と一緒に冒険できると思うと嬉しくなってきたのです。
そのためだったら、博士と呼ばれてもかまわない。
ジイジはそう考えたのです。
「おじいさんは博士だったのでヤすか」
「あの有名なのしてんてん博士でしたか。ごめんなさい。」
「脅かしたりして悪かったダす。」
もこりんもぴょんたも、そしてぐうすかもジイジの前で頭を下げました。
「もこりん。ぴょんた。ぐうすか。これからよろしくな。」
「はいでヤす、博士。でもあんまり難しい話はいやでヤすよ。」
もこりんがさっそく皆を笑わせました。
こうして、ジイジと北斗を乗せたスケール号が宇宙の彼方へ、音も無く飛びたったのでした。
(3)
スケール号の操縦室をジイジは懐かしそうに眺めました。操縦席の前に赤いレバーがありました。操縦かんです。ジイジはすぐにスケール号を動かしてみたくなりました。
でも操縦席には坐れません。そして気付いたのです。自分が艦長でない理由が分かったように思えました。いつの間にかジイジになってしまっていたということなのです。
でも北斗だって、この席に坐れないし、操縦かんも握れない。
そう思っていると、北斗を乗せた揺りかごが浮かんだまま操縦席に近づいて行ったのです。すると操縦席の背もたれが後ろに倒れて寝台のようになりました。
その上に揺りかごが滑り込むように乗っかると、カチャンと何かが固定されるような音が聞えました。
「艦長、基地に戻りましょう。」ウサギのぴょんたが言いました。
「早く戻るでヤす。」モグラのもこりんも言いました。
「艦長、食堂のクリームソーダはおいしいダすよ。」ぐうすかはもうよだれを流しています。
三匹の乗組員たちは互いの持ち場について、艦長の命令を待っているのです。
ところが北斗はすやすやと眠るばかりで、スケール号は動きません。
「駄目だこりゃ。艦長は眠ったままで起きないでヤす。」
「ぐうすか、何とかできないのか、おまえ居眠りの専門だろう。」ぴょんたが言いました。ぐうすかはいつもまくらを持っているだけあって、どこでも居眠りできるのです。
「ぐうすかはだめでヤすよ。よけいに眠ってしまうでヤす。」
「もこりんだって、穴掘りしかできないダす。」
「喧嘩はなしだよ、もこりん、ぐうすか。」
「ぴょんただって、何も出来ないでヤす。できるのなら艦長を起こしてくれるでヤすか!」
「博士、助けて下さい。」ぴょんたがジイジの服を引っ張りました。
「何とかやってみよう」
ジイジはスケール号の操縦室に立っているだけで、艦長だった頃の記憶がよみがえってきたのです。北斗にそれを伝えればいいのです。でも、どうすればいいのでしょう。
ジイジは北斗の目のことを思い出しました。北斗がぐずり始めるとジイジはよく北斗をだっこしてやりました。目と目が合うと不思議に泣き止むのです。
涙に潤んだ眼は真っ黒で、どこまでも深くキラキラ輝く闇の空間に吸い込まれそうになるのでした。その目に向かってジイジはいつもお話をしてやりました。北斗はジイジのお話が終わるまでじっと、瞬きもしないで見つめているのです。
宇宙語が分かるのだ。ジイジは北斗の目を見てその時、分かったのでした。
「北斗、まだ眠いのかな。」ジイジが優しく呼びかけました。
「よくお聞き、君はスケール号の艦長なんだ。すごいだろう。北斗は艦長、艦長は北斗。北斗は天才、天才は北斗。」
最後は歌うようにジイジは節をつけて話ました。
「北斗は艦長、艦長は北斗。北斗は天才、天才は北斗。」ぴょんたがジイジを真似て歌いました。
「北斗は艦長、艦長は北斗。北斗は天才、天才は北斗。」もこりんがそれに続きます。
「北斗は艦長、艦長は北斗。北斗は天才、天才は北斗。」ぐうすかも歌い始めました。
スケール号の中は北斗艦長を讃える歌の大合唱が響き渡りました。
「艦長が目を開けたでヤす!」最初にもこりんが声を上げました。
「艦長が目を覚ましたダすよ!」ぐうすかも大喜びです。
「艦長、帰りましょう。」ぴょんたは耳をパタパタさせて北斗の上を飛んで見せました。
「君は艦長なんだよ、北斗。」
北斗はまん丸に見開いた目をジイジに向けています。
「何も知らなくていいんだよ。初めてなんだからね。」
ジイジは北斗の目から伝わってくる言葉に答えているのです。
「大丈夫だよ、ジイジも艦長だったんだ。だから言うとおりにしてごらん、スケール号はその通りに動くからね。」
北斗の口元が少し笑ったように見えました。
ジイジはそれから北斗の目の中に入って行くように心を集めて、スケール号の操縦方法を教えてあげるのでした。それはジイジにも、考えるだけで伝わる宇宙語の感触を全身で味わう初めての経験でした。でもそれは北斗にも同じだったわけではありません。北斗は生まれた時から宇宙語そのものだったのです。
ジイジはスケール号が言った意味が分かるような気がしました。
「赤い操縦桿を握って、スケール号跳べ!って言ってごらん」
「はふー」北斗が声を上げました。
「ゴロニャーン」スケール号が反応して一気に屋根をすり抜け大空に舞いあがったのでした。北斗艦長はまだ操縦かんを握れません。まだとっても手が小さいのです。でも北斗の真っ黒の目は、思うだけで操縦かんを動かせるのです。それが宇宙語だとジイジは思いました。
「やったやった!」スケール号の中は大騒ぎです。
「はㇷはやー」北斗が両手を振って言いました。手はまだ自分の耳にやっと届く長さなので握りこぶしが耳たぶを押し上げます。
「さあ艦長は、総員位置につけと言ってるぞ。諸君。」ジイジは艦長だった昔の自分に戻ったような気分になって言いました。
「アイアイサー」
「分かったでヤす」
「居眠りしないで頑張るダすよ。」
三匹の乗組員は元気いっぱいです。基地に戻るのが嬉しくてならないのです。
「北斗艦長、よくやった!君は本当に艦長なんだ!」ジイジはしっかりと北斗の目を見ながら言いました。
「さあ、みんなの基地に戻ろう。君にはもうできるよ。基地に帰ろうと言えばいいだけだ。」
「はふー」
「ゴロにゃーン」スケール号の気持ちが鳴声にも表れています。
スケール号は新しい艦長のもと、ぐんぐん空を飛んで行きました。
あっという間に白いビルが見えてきました。それがスケール号の基地、世界探査同盟の白いビルだったのです。
いつもゆっくりのぐうすかが真っ先に食堂に走っていきました。
「ずるでヤす、ぐうすか。」もこりんが追っかけます。
後ろからぴょんたが長い耳をパタパタさせて空を飛びました。
「ずるいダす、ぴょんた」
追い越されてぐうすかが悔しがりました。でもほとんど同時に三匹はいつもの席に座ることができました。
「変わらないなぁ君たちは。」ジイジが笑いながらやってきました。艦長を乗せた揺りかごがぴったり横についています。
「みんなお帰り」食堂のおばさんがフルーツジュースをお盆に乗せて持ってきました。
「やったー」みんなは大喜びです。
「おなかがすいただろうからね、今日は特別にハチミツたっぷりのホットケーキだよ。」
「ねえね、おばさん。上にクリームとイチゴも乗せてほしいダす。」
「はいはい。それから北斗君はほ乳びんのミルクだったね。聞いてるよ。」
「ふぎゃー、ふぎゃー」突然艦長が泣き出しました。
「ミルク嫌なの艦長?」心配そうにぴょんたが博士を見ました。博士と言いうのはジイジのことです。
「ははは、ぴょんた。君は優しいね。大丈夫だよ。艦長はね、おばさんに早く早くと催促しているだけなんだからね。」
「そうなんだ。」
「いただきます!」
いつもこれが一番うれしい風景だったな。ジイジは思いました。
(4)
「博士はどうして艦長と話ができるのですか。」食事のあと、ぴょんたが言い出しました。
「本当に艦長は話ができるのでヤすか。」
「寝ているか、泣いているかダすからね。でもわたスも艦長と話をしたいダす。」
「私が北斗、いや艦長と話ができるのは宇宙語があるからなのだよ。」
「宇宙語ってなんでヤすか?」もこりんが真っ先に質問しました。
「むつかしいのはいやダすよ、博士。」
「実はね、この宇宙そのものが宇宙語でできているのだよ。」
「意味が分かりません。」
「分からなくていいのだよ。ただ知ってほしいのは、この宇宙にあるどんな小さなもの一つだって、宇宙の全体とつながっていないものはないということなのだ。ぴょんただって、もこりんだって、ぐうすかだって同じなのだ。もちろん艦長も私も、それに食堂のおばさんもそうだ。みんながつながっている。それをつないでいるのが宇宙語なのだよ。」
「あっ、だからホットケーキともつながっているのダすか。」
「その通りだ、ぐうすか。よくわかったね。」
ジイジが感心してぐうすかに目をやると、たった今ぐうすかは枕に頭を乗せて眠ったばかりでした。
「今話していたのにもう寝ているでヤすか。」もこりんがあきれた顔をしました。
「変わらないなあぐうすかは。」ジイジが笑いました。
「むにゃむにゃ、それでホットケーキはおいしいのダすなぁ。むにゃむにゃ」ぐうすかの寝言です。
「いつもながら気味が悪いやだ。」ぴょんたが耳を折り曲げて言いました。
すると揺りかごから艦長の声が聞こえたのです。
「ㇵふー」あくびをしたついでに出たような声でした。
「今艦長はなんて言ったのでヤすか?博士。」もこりんが半分面白がって聞きました。
「はは、そうだね。自分に仲間が出来たと言って喜んでいるよ。」
「はふはふむにゃむにゃ?イチゴミルクダすか?」
「ぱふー」北斗は揺りかごの上でまん丸の目を開けてネコパンチをしていました。
話がなんとなく終わりになってから、ジイジは白い服を取り出しました。
「みんな、これはなんだかわかるかな?」
「博士の服ですね。」
「そうだ。」そう言ってジイジは服を着ました。白い実験着です。ジイジはやっと博士になる決心をしたのでした。それというのもスケール号が不思議な事件の探査に出発しなければならないことが分かったからです。博士はそのことを艦長と乗組員に伝えなければならないのです。博士は実験着のえりを下に引いて背筋を伸ばしました。少しは博士らしくなったかな?ジイジは食堂のガラス戸に写っている自分の姿をちらりと見て話始めました。
「みんなに連絡だ、聞いてほしい。」
改まった博士の様子に皆は黙って博士の方を見ました。
「スケール号は不思議な事件の探査に出発することになった。艦長は小さいので、乗組員のみんなには大変なことになるが、頑張ってもらいたい。」
三匹の乗組員は緊張して博士を見ました。と言っても、ぐうすかは寝たままでしたが。
「とても困っている赤ちゃんがいるんだ。今回はその赤ちゃんを助けるために出動することになった。」
「事件でヤすか?」
「詳しいことは中で話そう。みんな用意をしてスケール号に集合だ。」
「分かりました。」
「分かったでヤす。なんだかワクワクするでヤす。」
「久しぶりダすな。」ぐうすかも起き上がってきました。
今に限ったことではありませんが、不思議な奴だとジイジは思いました。
北斗には赤いつば付き帽子が用意されていました。勇敢な艦長のしるしです。でも空飛ぶ長靴はありませんでした。その代わり北斗艦長は空飛ぶ揺りかごに乗っているのです。
「バブー」艦長が声を上げました。
「準備完了です。」ぴょんたが一番乗りです。得意そうに揺りかごの前に立って言いました。
「用意ができたでヤす。」もこりんがツルハシを持ってぴょんたの横に立ちました。
「準備オオケーダす。」もこりんは腕に枕を抱えています。
「バブバブ」
艦長も元気な声を上げました。空飛ぶ揺りかごは北斗を元気にするものがそろっているに違いありません。あまり元気とは言えなかった北斗が一回り大きくなったように思えて、ジイジは嬉しいのです。
「それで博士、困っている赤ちゃんの話をしてください。」
「おお、そうだったね。」
博士は思い出したように、少し改まってみんなの前に立ちました。
「元気な赤ちゃん院というところで生まれた赤ちゃんなのだが、他の赤ちゃんより半年も早く生まれてしまった。」
「すごい!優秀な赤ちゃんでヤすね。」
「違うんだよもこりん。赤ちゃんはお母さんのおなかの中で栄養をもらって大きくなるというのは知っているね。」
「知っているでヤす。」
「すごいぞ、もこりん。そしたら赤ちゃんにしたら、半年も早く生まれるというのはどういうことかわかるかな。」
「はいはい!博士。」ぐうすかが勢いよく手をあげました。
「おお、ぐうすか、言ってごらん。」
「赤ちゃんが自分だと思ったらすぐわかるダすよ。半年も栄養もらえなかったら、わたスだったら死んでしまうダす。」
「その通りだ、ぐうすか。その子はまだ一人前の赤ちゃんになる前に、お母さんのおなかから出てきてしまったのだよ。」
「それじゃ、大変でヤすよ。どうなってしまうのでヤすか、その赤ちゃん。」
「そしたら博士、赤ちゃんはまだ半分しか身体が出来ていないのに、もう自分で生きていかないといけないという事ですか。」ぴょんたが口をはさみました。
「そうなのだ、ぴょんた。それがどれだけ大変なことか分かってくれるかな。」
「他のみんなはまだお母さんに栄養もらえるのに、その子だけもうお母さんからもらえないなんて、可哀そうすぎるでヤす。」もこりんが涙声になっています。
「その赤ちゃんはどうなるのでヤすか?博士。」
「お母さんの代わりをする特別の部屋があってね。産院の人たちが夜も寝ないで見守っているけれど安心できない。大変なことなのだ。」
「それでスケール号はどうするのです?」ぴょんたが聞きました。
「元気な赤ちゃん院に行って、まずその赤ちゃんに会うのだ。」
ジイジは博士に見えるように、胸を張って言いました。
「私を覚えているかいぴょんた。私がスケール号を操って、おばあさんの頭の中に入っていたことがあっただろう。君は自分を犠牲にしておばあさんの中にいた女の子を助けたことがあったね。ほら、あの時の艦長だったのだよ。」
「おじいさんの艦長なんていなかったですよ。」
少しでも気付いてもらいたいと思いましたが、この子たちの艦長の記憶が今の自分とつながらないのも仕方がないのかも知れません。ジイジは少し寂しくなりましたが、そんなことは言っていられません。今は博士となって、北斗を支えようと決心するのでした。
「艦長、元気な赤ちゃん院に行こう。スケール号にそう命令するだけでいい。」博士は揺りかごの北斗に声をかけました。
「はふー」北斗はかわいらしい握りこぶしを振ってスケール号に命令しました。握りこぶしは操縦かんのつもりなのでしょう。それと同時に赤い操縦かんがカタンと動いたのです。
「ゴロにゃーン」
銀色の猫がしなやかに動いてビルの屋上に駆け上がると、空に向かって元気よく飛びあがりました。
(5)
元気な赤ちゃん院は街と森の間に建っていました。まるでピンクのお城です。ここは赤ちゃんの総合施設で、赤ちゃんを宿したお母さんの宿泊施設もあり、そこでお母さんたちは安心して赤ちゃんを産む準備ができるのです。産後は赤ちゃんのための保育所から幼稚園まであって、望めばそこで一貫した子育てもできる国内唯一の施設なのです。
「そんなところですから、今まで早産するお母さんはほとんどいませんでした。私達には信じられないことが起こっているのです。原因が全く分かりません。」
院長先生が困り果てて涙を浮かべています。
院長先生は皆を赤ちゃんのところに案内しました。もちろん窓越しに見るだけですが、中央に小さな透明の保育器が置かれていました。その周りを透明のカーテンで仕切られ、厳重に隔離されているのが分かりました。そこに小さな赤ちゃんがチューブにつながれて寝ているのです。保育士さんたちがその隙間を忙しく立ち回っています。窓越しに見る赤ちゃんは、ぐったりしたかたまりにしか見えませんでした。
「赤ちゃんは夜も昼も一日中目を離せないのです。それでも保育士さんたちは頑張ってくれていますが、・・・・。」
遠目でもその緊張が伝わってきました。
「赤ちゃんは体重が500グラムもありませんでした。体温、養分、湿度、音、光、すべてを管理する必要があります。その上あかちゃんの状態はすべて保育士の観察に頼るしかないのです。感染は命取りですから、あの保育器は二重三重に防護されています。」
院長先生の目が、カーテンの中で働いている人影に注がれています。
「新種のウイルスが原因ではないでしょうか。」ぴょんたが口をはさみました。ぴょんたはスケール号のお医者さんですから病気には詳しいのです。
「ここは外と完全に隔離されています。あの子の母親は出産経験者で、当院の事前準備も万全でした。もちろんウイルス感染はありません。なんの異常もなく健康そのものでした。ところが20週を超えたころに急に産気づいたのです。流産してもおかしくありませんでした。」
院長先生は博士の方を向いて言いました。
「何を言ってるのかわからないでヤすよ。」
「艦長はしゃべれないダすが、院長先生はしゃべっていても分からないダすな。」
もこりんとぐうすかが揺りかごをはさんでこそこそ話をしています。
艦長が揺りかごの中でスヤスヤ眠っていました。なんてかわいいのでしょう。スケール号の乗組員達は艦長が大好きでした。時間があったら艦長の寝顔をうっとり眺めているのです。特にむつかしい話の間はね。
博士が揺りかごに近づいて、そっと艦長の首筋とお尻に手を入れました。そして静かに抱き上げたのです。その時だけはジイジと北斗です。博士は心の中でそう思いました。北斗はジイジの腕の中ですスヤスヤ眠っています。
「北斗はよく眠っているねぇ。楽しい夢を見ているのかな。」博士がジイジの声で語りかけました。
「スーはー スーはー」
北斗の呼吸が深い眠りを教えてくれます。リズミカルな運動が胸を上下させているのです。
「眠ったままお聞き。」
博士は北斗の呼吸に合わせながら言葉を続けます。
「あの奥のカーテンの中に北斗と同じ赤ちゃんがいるのだよ。」
「スーはー すーはー」
博士は自分の呼吸を、艦長の寝息に合わせて話続けました。
「北斗もあんな小さな保育器の中にいたんだよ。少しの間だけどね。頑張って出てこれた。偉かったね。」
すると艦長の口元が少し笑ったように見えました。
「あの赤ちゃんも、頑張って出てきてほしいね。」
艦長の目が線を引いたように開きました。
「まるで観音様ダすなぁ」ぐうすかが言いました。
ぐうすかはどこかでそんな絵を見たのでしょう。丸顔に薄目を開けている観音様そっくりだとジイジも思いました。
その線の目が動いているのです。白い線の上を黒いものがゆっくりと左右に動いています。
「話してごらん。あの赤ちゃんと。そうそう、北斗ならできるだろう?偉いからね。天才だからね、北斗は。」
薄目を開けた北斗の黒目が左右に動いています。
「何か言ってないかな。北斗なら助けてあげられるからね。」ジイジが博士の口調で言いました。
その時北斗の目が真ん丸に開きました。そしてまっすぐにジイジに目を向けて動きません。その目はジイジを見るというよりは、ジイジの背後を見ているようでした。
「はぷー」
「博士、艦長はなんて言っているのですか。」ぴょんたが聞きました。ぴょんたは博士の肩越しに飛び上がって艦長を見ていたのです。
「分からないらしい。」
「どういうことですか?」
「どうしてほしいのか、赤ちゃんは何も言わないらしいのだ。」
「がっかりでヤす。」
「助けられないのダすのか」
「いや、そうではない。」博士がきっぱり言いました。
博士は優しく北斗を揺りかごに戻しました。そして院長先生に向き直りました。
「先生、やってみる価値は十分あります。あの子の中をスケール号で探査する許可をいただけますか。」
「もちろんそう願いたいのですが、何か手掛かりがありましたか。」
「一つだけ分かりました。」
「何でしょうか。何か当院に問題があったのでしょうか。改善すべきことがありましたらなんでも遠慮なくおっしゃってください。」
「いえいえ皆様には感謝しかありません。院長先生」
「では何が原因だと?」
「あの子には宇宙語がないということです。」
「宇宙語ですか・・??」
「艦長が発見したのです。」
「この赤ちゃんがですか?」院長先生は博士の腕の中の艦長を見て不安そうに問いかけました。
「赤ちゃんだからこそ分かることがあるのですよ、先生。」
「そうですか、・・・それで何が原因で??」
「それを調べるのです。院長先生、あの子の中を探査する許可をいただけますね。」
「その前に一つだけお聞きしたいのですが。」
「なんでもお聞きください。」
「つまりその、スケール号の探査であの子に危害はありませんか。」
「ご安心ください、そんなことは全くありません。このスケール号はスケールの世界を自由に動けます。今はこの大きさですが、これは仮の姿といってもいいのです。太陽の大きさにもなれば、一瞬で素粒子の大きさにもなれるのです。」
「にゃごー」
足元でうずくまっていた銀色の猫が背中を伸ばして起き上がりました。その時、三毛猫サイズの大きさでしたが、急にライオンのような大きさになりました。院長先生は一歩引いて息をのみました。
「スケール号、ここだ。」
博士が手を出すと、スケール号はバッタのような大きさの猫になって手のひらに飛び乗りました。
「宇宙語がないということは院長先生、その原因を知るために宇宙の根源にある素粒子の世界を探査する必要があると思っているのです。スケール号で素粒子宇宙を探査するのは。ロケットで火星に行くのと同じです。体の中に入るといっても、あの宇宙空間を移動するのと同じです。この探査であの子に危害がないことを分かってくれますか。」
博士は空を指さして言いました。
「分かりました博士。どうかご無事で、あの子を救ってやってください。」
「原因が分かれば、あの子だけではなく、今後このような問題を解決できる経験となるでしょう。」
「そうですか。そうなればみなが救われます。どうぞよろしくお願いいたします。」
院長先生が深々とお辞儀しました。
「最後に一つお聞きしたいのですが」博士が言いました。
「何なりと。」
「あの子の名を聞いておきたいのですが。」
「つい先日両親がのぞみと名付けました。希望ののぞみです。女の子です。」
(6)
スケール号は額に入り口があります。猫の額が開いて階段が下りてきます。乗組員たちがスケール号に乗る姿を見ていた院長先生は目を見張りました。猫が大きくなっているのか、乗組員たちが小さくなっているのか、分からなくなってしまうのです。混乱しているうちに全員がスケール号の額の中に消えていきました。銀色の猫が床を蹴って飛び上がったと思うと、その姿がふっと消えてしまいました。
ハエが一匹、院長先生の頭の上を越えて、窓に止りました。よく見るとそれは窓ガラスに張り付いたスケール号だったのです。そのスケール号がノミのように小さくなり、やがて見えなくなって窓ガラスにしみこんでしまいました。
院長先生はよく見ようとして窓ガラスに額を打ち付けてしまいました。幸いにも窓ガラスは丈夫にできていたので、院長先生の額が赤くなるだけでしたが、中にいた保育士さんに見られてしまいました。それがちょっとした笑いを誘って、保育士さんたちの緊張がほぐれたのでした。
「艦長、今度はもう一度ハエの大きさになるんだ。」ガラスの原子の間を潜り抜けると博士が言いました。
「ばぶー」揺りかごの中で艦長が握りこぶしを動かしました。
「ゴロにゃーン」スケール号が気持ちよさそうな鳴き声を上げると身体が急速に大きくなりました。一瞬の間に原子の大きさからハエの大きさになったのです。それは途方もないスケール移動なのです。スケール号はそのまま消毒液の中に飛び込みました。念を入れての消毒です。
「博士、めんどくさいでヤすよ。せっかく窓を通ってきたのでヤすから、このままの大きさで保育器まで行けばいいのでヤす。」
「ばかだなあ、もこりん。そんなことしたら何万年かかってもそこまで行けないダすよ。」
「ぐうすかの言うとおりだ。わずか1メートルの距離も、原子の大きさになったスケール号にはおよそ10万光年離れた場所になるのだよ。」博士が言いました。
「ほらね」得意げにぐうすかが胸を張りました。
「前にも教えてもらいましたよね。10万光年というのは、光の速さで10万年かかることだって。」
「そうだ。だから面倒でも、スケール号はスケールを操りながら進まなければならないのだよ。」
「そうでヤした。」もこりんがぺろっと舌を出しました。
そのうちにスケール号は保育器をおおっているカーテンにたどり着きました。
「さあ行こう。」
「はふー」
「ゴロにゃーン」
スケール号はあっという間に原子のスケールになって、カーテンの分子空間を潜り抜けていきます。
そしてとうとう、のぞみ赤ちゃんの入っている保育器に到着したのです。
艦長はスケール号の操縦を見事にこなしているのです。北斗は本当に天才だ! 博士はどうしてもジイジの目で身びいきに見てしまいます。けれど、それでなくても北斗の操縦は滑らかなのです。
ジイジが艦長になって初めてスケール号を動かした時は、飛び上がって下りてくるのが精いっぱいでした。方向を間違えてスケール号を地下に潜らせてしまったこともありました。マグマの熱に焼かれながら地球の中心を通り抜け、とうとう反対側に出てしまったのです。ジイジには恥ずかしい思い出です。
それなのに北斗は、最初から高度なスケール移動を一度聞いただけで使いこなしているのです。それはスケール号の気持ちよさそうな鳴き声で分かります。無理のない操縦はスケール号にとって最高の喜びなのでしょう。
スケール号のそんな身のこなしを感じながら、ジイジは宇宙語について考えました。
そして北斗がこんなに見事にスケール号を動かせるのは宇宙語しか知らないからだと改めて気づいたのです。
自分がうまくいかなかったのは人の言葉を覚えてから艦長になったからだ。そう考えるとうまく説明がつきました。スケール号は宇宙語で動くのに、人の言葉で伝えようとしていたのです。外国人に日本語で話すようなものです。
宇宙語は天の才能なのです。まさに天才という言葉通りなのです。それが人の言葉を知ると、忘れてしまうのかもしれません。そうなのです。夜空の星のように、太陽が昇ってくると見えなくなるのと同じです。ジイジは一人で納得してうなずきました。
話せない北斗は、ジイジの欲目ではなく、本当に天才のかたまりなのです。
すると、スケール号の目の前にいるのぞみ赤ちゃんに宇宙語がないというのはどういうことなのだろう。
博士は栄養チューブでつながれた赤ちゃんを見ながら考えました。
宇宙語ではない別の言葉にとりつかれている。そう考えるしかありません。のぞみ赤ちゃんにとりついているのは何なのだろう。
博士の考えはどんどん深くなっていきます。
エイリアン??この宇宙にはない異形のものでしょうか。
そう思ったときでした。
「フギャーふぎゃー」
突然猫がケンカするような鳴き声が聞えました。
「どうしたスケール号!」と思った瞬間、その声は揺りかごの中からだと分かりました。
「博士、大変でヤす!! 艦長が泣いているでヤす!何もしていないでヤすよ。」
ちょうどもこりんが艦長を見ていて、あまりにかわいいのでつい艦長のほっぺを指でつんつんしたのです。マシュマロのように柔らかいほっぺが気持ち良くて、もこりんは何度かつんつんしてしまいました。その時艦長が急に泣き出したのでした。
「ウソだー、もこりんが艦長をつんつんしていたの見たダすよ。」ぐうすかがもこりんを睨みました。
「ほんのちょっとだけでヤす。何もしていないのに一人で泣き出したのでヤすよ。ほんとでヤす。」もこりんのオドオドした言い訳です。
「ふぎゃー!フンギャー!」艦長の泣き声が段々激しくなります。
「艦長どうしたのですか。お腹痛いのでしょうか?」ぴょんたも心配して揺りかごを覗き込みました。
スケール号の中は大騒ぎになりました。保育器のガラスにへばりついたままです。艦長の命令が止まって動けないのです。
保育器にとりついたスケール号は小さくて虫にしか見えません。運悪くその姿を一人の保育士さんが見つけました。保育士さんはスケール号のことを知りませんから、無理もありません、スケール号を虫だと勘違いしてしまったのです。
「おい、こんなところに虫が入ってきているぞ。」保育士さんが同僚に耳打ちしました。
「えっ、本当ですね。一体どこから入ってきたのでしょう。」若い保育士さんがあたりを見回しました。
「そんなことより、動き回られては大変だ。吸引しよう。原因はあとから考えたらいい。」
「分かりました。」
部屋には床に落ちた汚物などを処理するために吸引器が備えつけられているのです。無菌状態を保つための装置なのですが、いままで 虫を吸い込むなんてなかったことです。若い保育士さんが吸引器をそーっとスケール号に近づけて行きました。そのあいだ三人の保育士さん達は息をのんで見守っています。
吸引器に吸い込まれてしまったら、あっという間に汚物処理槽に送られてしまいます。それなのにスケール号は吸引器の口が間近に迫っても動く気配がありません。あと数センチ近づいてスイッチを押されると、逃げ出したところでもう間に合わないでしょう。一瞬で吸い込まれてしまいます。
それなのに誰もそのことに気づいていないのです。
「フンギャー、フンギャーーーーッ」
スケール号の中では艦長はますます泣き声を張り上げて、息が詰まって身震いするまで力を入れて泣き止みません。
「息が止まっているダす。」ぐうすかがオロオロして博士に言いました。
「これはおむつ替えかもしれない。見てくれないかぴょんた。」博士が揺りかごの底からおむつを取り出しました。
「分かりました。」ぴょんたはおそるおそる艦長のおむつを開けました。
「わーすごいうんちでヤす。」
「もこりん、艦長の足を持ち上げてくれないか。おむつ交換するからね。」ぴょんたは落ち着いて言いました。
「こうでヤすか。」もこりんは両手を使って艦長の足を持ち上げました。
その時、艦長の噴水が飛び出したのです。噴水はもこりんの顔を直撃です。もこりんは悲鳴を上げました。
「手を離しちゃだめだよ、もこりん。」
ぴょんたがあわてて言うと、ぐうすかが大笑いしました。博士も大変だと言いながら笑っています。ところがその時、博士はスケール号の危機に気付いたのです。
「ぴょんた、急げ。」博士は汚れたおむつを引き抜いて言いました。
「はい。」
ぴょんたは博士の気配を感じて素早く艦長のお尻を拭くと、新しいおむつを付け替えたのでした。艦長は何もなかったように無邪気な笑い顔になっています。
その時、スケール号がグラッと揺れました。黒い穴がスケール号を飲み込もうとしていたのです。
「艦長!飛ぶんだ!!」博士が低いけれど強い声で言いました。そこに大きなホースの丸い穴が覆いかぶさって来たのです。
「全速力で前に進め!あの穴だ。」博士は丸いホースの出口を見て言いました。
「グロヌヤーン」
スケール号は奇妙な声を上げて飛び上がりました。ところがそこはすでにホースの中だったのです。乗組員たちは吸引力で壁に押し付けられて身動きが出来ません。スケール号が飛び始めるとようやく落ち着きましたが、ちっとも前に進みません。必死で飛び続けているのにホースの中を徐々に引きこまれていくのです。
「艦長、だめダす。このままでは吸い込まれてしまうダす。」
「顔を洗わせて欲しいでヤすよ。」
もこりんは艦長の噴水を顔に受けたままなのです。けれど、もこりんの話は誰も聞いてくれません。
「艦長、このまま飛び続けながらホースの壁をつかむんだ。そして小さくなってホースの壁を抜けよう。」
「バブ、バブ」
スケール号がホースの蛇腹にしがみつくと、一気に原子の大きさに縮みました。ホースの壁があっという間に宇宙空間に変ったのです。そこは吸引の風も無い静かな宇宙でした。
「よくやった、艦長。このままホースの宇宙を抜けるんだ。」
「バブーー!」
「ゴロニャーン」
危機一髪、スケール号は吸引機のホースから脱出してようやく保育器にたどり着きました。今度は保育士さん達に見つからないように素早くその壁を抜けたのです。そこにはのぞみ赤ちゃんが寝ていました。赤黒い肌は今にも破れそうな薄い膜のようです。とても痛々しい感じがしました。
「かわいそうダすな。」ぐうすかがチューブにつながれている赤ちゃんを見て言いました。
「のぞみちゃん、頑張れ」ぴょんたが励ますように言いました。
「助けてあげられるでヤすよね、博士。」もこりんはタオルで鼻頭を拭きながらさっぱりした顔です。急いで顔を洗ってきたのです。
「助けてあげたいね。」
「ㇵㇷ―、クはーうはー」
艦長がしきりに話しかけましたが、のぞみ赤ちゃんからは何の返事もありませんでした。
内側から見る保育器の窓は大きな神殿の入り口のように見えました。その入り口は巨大なゴムの手袋になっていて、そこから大きな手が入ってくるのです。その手が優しく赤ちゃんの体位を変えてあげたり、身体に油のようなものを塗ってあげたりしています。
スケール号は今、保育器のふたの合わさったくぼみに、ノミより小さな姿でうずくまっているのです。
(7)
「博士、ここが本当にのぞみ赤ちゃんの体の中なのでヤすか・・・」もこりんがスケール号の窓から外を見ています。
「美しいダすなあ、あれが銀河ダすかね。色鉛筆の中にいるみたいダすなぁ。」もこりんも枕を抱えたまま、眠るのも忘れています。
「ここがのぞみ赤ちゃんの中だなんて信じられませんね。」ぴょんたもうっとりしています。
「あの銀河は間違いなくのぞみ赤ちゃんの中にある宇宙の姿なのだよ。光っているのはみな原子と呼ばれるものなのだ。」
博士が白く光る河を指さしながら言いました。宇宙空間に色とりどりの光が無数に集まっていてそれが白い光の河に見えているのです。
「体がこんな宇宙でできているなんて不思議ダすな。」
「博士、原子というのは太陽なんでヤすか。」
「そうだね。でも大きさが違うのだ。みんなが知っている太陽の大きさは、あの原子の太陽に比べると何倍大きいかわかるかな?」
博士は皆を見まわして言いました。ぴょんたが真っ先に手を上げました。
「博士、きっと一万倍はあると思います。」
「ハハハ、それではのぞみ赤ちゃんの大きさにもならないぞ。」
「きっと十万倍だと思うダす。」
「そうだね、実は君たちの知っている言葉ではとても言い表せないんだよ。」
「博士、それはずるいでヤすよ。」
「ごめんごめん。でも覚えておいで。ぴょんたが言った一万というのは1の次に0を四つつけた数字なのは分かるね。ぐうすかの言った十万というのは0が5つだ。」
「博士、分かったでヤス。」
「何だねもこりん。」
「だからぁ、十倍ごとに0が一つ増えていくんでヤすね。」
「おお、大正解だ!!すごいぞ、もこりん。十だったら0が一つ。百だったら二つだね。」
もこりんは大喜びです。
「それで答えなのだがね、聞きたいかい?」
「聞きたいでヤす。」
「もちろん聞きたいダすよ。」
「教えてください、博士。」
「いいかい、君たちの知っている太陽の大きさはね、1の次に0が二十二個も付く大きさなのだよ。もこりん、あの原子の星を二十二回、十倍してやっと太陽の大きさになるということだ。わかるかな?」
「何が何だか、想像つかないでヤす。」
「親子ダすなぁ・・・むにゃむにゃ」
ぐうすかはもう眠ってしまっています。どうやらぐうすかの頭はむつかしい話を睡眠薬と勘違するのかもしれません。でもぐうすかは博士の話を夢の中で聞いています。現実と同じ夢を見ているのです。不思議ですね。
「スケール号がそんなところに飛んでいけるのはすごいって、今思いました。博士。」ぴょんたがまじめな顔をして言いました。
「そうだね。スケール号がなかったら、のぞみ赤ちゃんの身体の宇宙をこんなふうに眺めることなんてできないからね。」
「すごいでヤす!スケール号。」
「ゴロにゃーンにゃん」スケール号が嬉しそうに返事をしました。
「食事の用意ができたでヤすよ。」
白いコック帽をかぶったもこりんが大声を上げました。
もこりんはスケール号のコックさんです。食卓の上には白いお皿とコップが並んでいます。お皿の上にはパンが一つとチーズが乗っていました。コップにはミルクが入っています。そして特別メニューがほ乳瓶に入ったミルクでした。もちろん艦長用の食事です。
「あれ、今日はパンだけダすか。」食いしん坊のぐうすかが、ちょっと不満そうです。
「まあ、それは食べてからのお楽しみでヤす。」コックのもこりんがニヤニヤしています。
「何か仕掛けがあるのかな。」ぴょんたがパンをひっくり返してみましたが普通のパンです。
「みんな今日はありがとう。艦長の世話も増えたが、よくやってくれたね。これからが大変だが、今のうちにしっかり食事をしておこう。」
それというのも、スケール号がのぞみ赤ちゃんの額から、皮膚を通り、細胞の隙間をすり抜けて、骨の迷路に悩まされ、狭い場所を潜り抜けたとたんにギャングのような細胞に襲われ、緑のアメーバーに喰われそうになったのです。息つく間もありませんでした。
博士の指示で艦長がスケール号を操り、ようやくアメーバーから逃げ出せたと思うと、チカチカ光る枝が無数に広がる森の中に迷い込みました。右へ、左へ、枝から枝へ行ったり来たりしながら、それでもどんどん奥に向かって進んで、やっとの思いで赤い丘の上にたどり着きました。
それで終わりかと思ったら博士が言いました。
「さあみんな、やっと入り口にやって来たぞ。」
ええっ!!みんなが叫んだのは言うまでもありません。博士はこの中にのぞみ赤ちゃんの歴史があるというのです。
赤い丘に立ったままスケール号が原子の大きさにまで小さくなると、赤い丘に凸凹が現れ視界一杯に広がって霧になり、やがて突然現れた原子宇宙の光景に心を奪われたのはつい先ほどのことでした。
そんな大変な仕事をこなした後の食事会ですから、きっとごちそうに違いないとぐうすかが期待したのも無理はありません。それがパンひとつだったものですから、ぐうすかのがっかりした様子は気の毒なほどでした。皆でいただきますと手を合わせて食べ始めるまでの、ほんの数分前までは。
「わーなんダすかこれ!すごいダす!おいしいダす!」まずぐうすかがびっくりして言いました。
「カレーパンだ!ありがとうもこりん。」ぴょんたは一口噛んだパンを見て言いました。
パンの中からとろりとした琥珀のルーがお肉の塊に絡みついて覗いています。
「私もこんなおいしいカレーパンは初めてだよ。」博士は一気に三口も食べました。
「どうでヤスかぐうすか。何か文句でも?」もこりんが胸を張って言いました。
「ないダす、ないダす。もこりんさま。」ぐうすかはパンを食べ終わるとミルクを飲み干しました。チーズは最後のお楽しみのようです。
「むギャーふぎゃー」
「艦長が目を覚ましたようだ。」博士が立ち上がりました。
「ミルクあげるでヤすよ。」もこりんは急いでパンを口に押し込み、ほ乳瓶を持って艦長のそばに行きました。
「頼むよもこりん。」そう言って博士は艦長をもこりんのひざの上に載せました。
皆が艦長の周りに集まってきました。元気に飲んでくれるかな? ぴょんたは心配そうです。
北斗艦長はまだ眠そうに目を半分閉じていましたが、もこりんがほ乳瓶を口元に持っていくと、ぐいぐい飲み始めました。
「みんなこれを見てくれないか。」
そう言って博士が大きなスクリーンを指さしました。そこにはたくさんの星が映し出されている光景でした。
「何でやスか?」
「これはのぞみ赤ちゃんの身体を原子で表したものだ。のぞみ赤ちゃんの身体をスケール号が調べてくれたのだ。そのおかげですべての原子の位置が表せるようになったのだよ。」
「たくさんの星があるのダすな。吸い込まれそうダす。」
「しかしこれがすべてではないんだ。いいかい、驚かないでくれよ。」
スクリーンが縦横に広がり、天井がプラネタリウムになり、そのまま床も半円のスクリーンになったのです。全天球のプラネタリウムに原子の星が隙間なくまたたいています。
「怖いでヤす」もこりんが隣のぴょんたの袖をにぎりました。
「でもきれいです。宝石箱の中にいるようですね。」
全員が宇宙の真ん中に投げ出されて、浮かんでいるように見えるのです。頭の上も足の下も、どちらを向いても原子の星が思い思いの色をして光っています。
「この中に金色の星があるはずなのだ。」
「金色ダすか?」
「無理でヤすよ、どこを見ているかも分からないし、見ているだけで目がちかちかして、それに広すぎるでヤす。」
「金色の星って何なのですか。」
「みんなあの紋章を覚えているかな?」
博士が操縦席の壁にライトを当てて言いました。そこには太陽をかたどったオレンジ色のメダルがかかっていました。
「あれは太陽の紋章でヤす。」もこりんが得意そうに言いました。
「スケール号が太陽の王様からもらったものダす。」
「そうそう、スケール号はあの紋章を口に入れてもらったけれど、熱くって舌を大やけどしました。大変だったのを思い出しましたよ。」
「ゴロんにゃーん」スケール号も話に加わってきました。
「あの紋章は太陽族のしるしなのだよ。紋章が光り始めるとね、オレンジ色から黄金なって輝くのだ。王様のしるしなんだ。この原子宇宙にも紋章の輝いている王様がいるはずなのだよ。」
「王様ダすか、よーし探し出すダよ。」
「みんなで分担しよう。もこりんは下、ぐうすかは上、ぴょんたが右、私が左を探そう。」
「もうだめダす。」
皆が目をこらして金色の星を探して、いましたが、真っ先にぐうすかが根を上げました。似た色の星はいくつも見つかりましたが、博士は首を横に振るばかりだったのです。
「無理でヤすよ。みんな金色に見えるでヤす。」もこりんも根を上げて、とうとう床に寝転がってしまいました。
「はぶはぶ・・はふぃー」そのとき艦長の声が聞こえました。
「おおそうか、ぐうすかの足元だね。」博士が艦長のほっぺを包むように手を当てて言いました。
「博士、なんて言ったのですか?」
「ぐうすかの足の下だそうだ。」
「ええっ、ここダすか?」
ぐうすかが足をどけると、その下に金色の星が見えました。光の中心から出ている幾筋もの光芒が金色に見えるのです。
「この星ダすか。」
「間違いない。これが原子の星の王様だ。艦長、よく見つけたね。」
博士は艦長の小さな手をしっかり握って言いました。
「この星をどうするのダすか?博士。」
「会いに行くのだよ。きっと何かを知っているだろう。宇宙語が聞こえない理由をね。」
「はふばぶ」
揺りかごの中で艦長が声を上げました。それを聞いた博士が大きくうなずきました。
「艦長も知りたいのだね。行こうか、王様のところへ。」
「はふはふばぶ―」
「スクリーンの金色の星を強く心に思い描くだけでいい。それでスケール号に伝わるんだ。艦長なら出来るよ。」
「バブばぶ、あふー」
艦長が握りこぶしを振り上げてスケール号に命令を出しました。
「ゴロニャーン」
その一瞬、スケール号の姿が闇に溶けるように消えたのです。
(8)
ここにありて、 しかもはるか彼方にあるもの。
我ら、 太陽族の生まれた理由がそこにある。
宇宙に伝わる太陽族の伝説を知ったのは、博士がスケール号の艦長だった時でした。
今はジイジになってしまいましたが、その時はまだ博士も子供でしたので、その伝説がどんな意味なのかよく分かりませんでした。
特に「ここにありて、しかもはるか彼方にあるもの」という謎めいた言葉は、銀河に輝いている星々のことぐらいにしか考えていなかったのです。
今思えば、この伝説の言葉には途方もなく深い意味が込められていたのだと、太陽の紋章を懐かしそうに見ながら、博士のジイジは気付いたのでした。
ジイジが艦長の時には、本物ののしてんてん博士がいました。今どうしているのだろうと思いますが、誰も教えてはくれません。
今、皆からそう呼ばれて、自分でもその気になってきましたが、本物の博士ではないのです。
その本物の博士が、神ひと様を探す冒険に連れて行ってくれたことをジイジは今もはっきり覚えています。
その時手に入れた宝物が太陽の紋章でした。この紋章のおかげで神ひと様と会うことができたのです。そして一番大きな驚きだったのは、銀河の太陽がひとつ残らず集まって神ひと様の身体をつくっているということを知った事でした。その感覚がスケール号を操縦したこの腕にまだ残っているのです。
「そうだったんだ!」元艦長のジイジは心の中で叫びました。それは原子が太陽の紋章を伝える種族だと本当に理解したそのときでした。
「太陽が神ひと様の体の根本なら、原子はのぞみ赤ちゃんの根本なのだ。それはともに命を授ける光を放ち続けている。それが太陽族の生まれた理由だったのだ!」
こうして太陽族の伝説の本当の意味をジイジは知ったのでした。
「はるか彼方」というのは、宇宙の横の拡がりばかりを言っているのではないのでした。それはむしろ縦の拡がりにこそ意味があったのです。
それはスケールの違う、太陽と原子の拡がりを意味する太陽族の系図を表していたのです。そして太陽族こそが、スケールの拡がる宇宙に生きる、すべての命の始まりを司っている存在だったのだと、ジイジは気付いたのでした。
しかも太陽と原子は別々にあるのではないのです。太陽族というのは、太陽としてここにあって、それは同時に同じ場所の中の、はるかスケールの彼方で原子として存在して宇宙の命を支えていることを意味していたのです。
「内なる太陽と外の太陽はともに合わさってこの私を生かしている。」ジイジは自分の胸に手を当てて涙ぐみました。
「ここにありて、 しかもはるか彼方にあるもの。」とはそういう意味だったのです。彼方というのは遠くという意味ではなく、その内側に拡がる小さな世界のことを表していたと気付いたとき、ジイジはかつてのしてんてん博士が言っていた一番大きな世界という意味が分かったような気がしました。自分の中で思いうかべる世界の広さがそのまま縦にどこまでも広がっていくように思えるのでした。
ここにありて、 しかもはるか彼方にあるもの。
我ら、 太陽族の生まれた理由がそこにある。
元艦長のジイジは太陽の紋章を見ながら、ひとしきり伝説のことを考えていたその時のことでした。にわかに太陽の紋章が輝きはじめたのです。
紋章の内側からオレンジ色が透けるように明るさを増して、扇状に黄金の光芒が現われました。まともに目を開けていられません。すると目を細めたジイジの前に人影が現われたのです。その人を見てジイジは思わず声を上げました。
「!博士。」
それは光芒に包まれた、のしてんてん博士その人でした。
「よくぞそこまで理解を深めたものじゃの。」
「のしてんてん博士ではありませんか。」ジイジはびっくりして言いました。
「それはお前のことじゃよ。」その人影が静かに語りかけました。
「私は艦長です、博士。分かりませんか。今はジイジになってしまいましたが、あの時の艦長ですよ、博士!」
ジイジは自分が艦長だった頃のことを誰も覚えていないのが残念でなりません。
「そんなことはどうでもよい。それよりやるべきことをやるのじゃ。お前にしかできぬことをな。」
かつて博士が艦長の自分に云ってくれた口調と同じなのがジイジには嬉しいのです。
「やるべきこと・・・」
「ひと族の系図を確かめるのじゃ。」
「ひと族というと?それは何なのですか、博士。」
「もとひと様じゃよ。」
「もとひと様・・・」
「この旅で必ず会えるはずじゃ。」
それだけ言うとのしてんてん博士の姿がゆらりと揺れて、黄金の光芒の中に消えてしまいました。
それと同時に光がメダルの中に吸い込まれるようにうすれて、オレンジ色の太陽の紋章に戻ったのです。
「もとひと様」とは何だろう?
「ひと族の系図」??
それがのぞみ赤ちゃんを救うことにつながるのだろうか?赤ちゃんを救うことがスケール号に与えられた今ここにいる使命なのです。
ジイジの頭にいくつもの疑問が湧き上がってきました。
ぶるんぶるんと頭を振って、ジイジは膨らみ過ぎた思いを振り払いました。後ろで興奮したもこりんの声が聞えたのです。
「博士!金色の星でヤすよ!!」
「光が金色の扇に見えるダす。きれいダすね。」
「あれが王様なのですね。神々しいです。」
「艦長、よくやったね。やっぱり天才だ。すごいぞ。」
ジイジは真っ先に北斗艦長を褒め称えました。目の前に黄金の星が見えるということは、北斗の意志がスケール号を正しく導いた証しだからです。
「ばぶ―ばぶ―」
北斗は揺りかごの中で握りこぶしをまっすぐに突き上げて笑っています。生後まだ数カ月の赤ちゃんなのに、北斗はすでに艦長の風貌をしているのです。艦長のしるしの赤い帽子が似合っているとジイジは思いました。
「確かに太陽ダすね。」ぐうすかが窓の外を指さしながら言いました。
「あッ、本当だ。太陽の周りをいくつもの星が回っている。ほら、地球みたいのもあるし、あの赤いのなんか火星だよ。」
「あのモクモクの星は木星みたいでヤすよ。」
「博士、あの光っているのが原子というものダすか。」
「実は原子というのは太陽系と同じなんだ。太陽の周りを地球や火星が回っているね。それをまとめて太陽系というだろう。それと同じように陽子の周りを電子がまわっているだろう。あれは地球や火星と同じ天体なのだよ。それをひとまとめに原子と呼んでいるんだ。太陽というのはあの原子の中心に光っている陽子のことなんだよ。我々が会いに来たのはあの陽子なのだ。」
「びっくりダす博士。天体というのは空に浮かんでいるでっかいものと思っていたダす。のぞみ赤ちゃんの中にも天体があるのダすか?」
「ぐうすか、考えてごらん。天体というのはみんな空(そら)に浮かんでいるだろう、スケール号はその空を飛んでここまで来たんだ。太陽が浮かんでいる空も、この空も、実はつながった一つの空なのだ。だからほら、太陽や地球も、陽子も電子も、みんな同じ空に浮かんでいる天体なのだよ。」
「この空はのぞみ赤ちゃんの中にある空で、その空は太陽が浮かんでいるあの空とつながっているんですね。」ぴょんたが耳を折りながら聞きました。
「そうだよ。だからスケール号が飛んで行けるんだ。分かるかな。」
「みんな一つの空(そら)の中にいるのでヤすね。」
「分かりました!博士。コップを思い浮かべたらいいんでしょう。1つのコップの中に太陽も原子も入っているんです。だからみんなコップの水の中に浮かんでいる。そうでしょう博士。」
「そうだぴょんた、君も天才だね。コップの中にあるのは真空と呼ばれる空間なんだけどね。」褒められてぴょんたは耳をはためかせて空に浮かんでいます。
「やっぱり熱いのでヤすか?あの原子の王様も。」嬉しそうなぴょんたを横目で見ながらもこりんが尋ねました。
「太陽と言ってもいつも熱いとは限らないんだよ。もこりん。スケール号の観測では、火が燃えているのではないようなのだ。」
「金色の光は温かそうなんでヤすがね。」
「太陽の紋章の光かも知れないね。」
「早く行きましょう。会いたくなってきましたよ。」ぴょんたが張り切って言いました。
「そうだね、みんな持ち場に戻ろう。」
「了解!」
「艦長、金色の原子に接近しよう。陽子から一番遠くを回っている電子の傍まで行ったらスケール号をその電子の大きさにまで縮小して陽子に向うんだ。」
「ばぶ―、ばぶ―」
「ゴロニャーン」スケール号が艦長に応えて動き始めました。
漆黒の宇宙空間に黄金の惑星が少しずつ近づいてくる。
スケール号の窓から太陽族と呼ばれる金色の陽子星はそんなふうに見えました。
スケール号の乗組員たちはだんだん大きくなってくる陽子星を見守っています。何て神々しいのでしょう。注意を払っていてもなんだか気分がうっとりしてきます。隊員たちはそんな自分の気持ちに気付いていませんでした。現実から少しずつ夢の世界に入って行くような感じなのです。スケール号は静かにゆっくりと進んで行きます。
「きれいダすなぁ。」
「なんだかとても幸せな気分でヤす。」
「きっと優しい王様ですね。」
隊員たちが思い思いに心の声を漏らしていました。
その時でした。
「ぎゃニャおおおお-ん!!」
グサッ!!という衝撃音と共にスケール号の今まで聞いたこともないような悲鳴が操縦室に響き渡ったのです。
(9)
「フンギャー、フンギャー、フンギャーーー」
北斗艦長が激しく泣き始めました。
「ゴンゴロにゃごーー」
「フンギャー、フンギャー、フンギャーーー、ふんぎゃーーー」
スケール号と艦長の泣き声大合唱です。
「はかせぇ、どうしたんでヤすか。」もこりんがオロオロしています。
「落ち着け、みんな。各自持ち場で状況を確認するんだ。」
博士はみなに指示を出して、揺りかごで泣いている北斗艦長に駆け寄りました。いつもの泣き方とは違うのです。
「どうした?北斗。おおよしよし、痛いところがあるのか。」
火が付いたように泣く様子は、おむつでも、ミルクでもありません。
「よしよし北斗、何があった?どうした、どうしたんだ。」
北斗は全身の血が頭に集まったように顔を真っ赤にして息を詰まらせています。頭が破裂しそうで博士は両手で北斗の顔を包んで落ち着かせようとしました。でもどうあやしても泣き止む気配がないのです。
何が何だか分からない博士は、艦長のお尻を自分の腕に載せて向き合うように座らせて抱き上げました。その時、抱っこした手のひらに赤いものがついているのに気づいたのです。
なんだこれは!びっくりして博士は北斗艦長の背中を見ました。小さな北斗艦長の初着から血が滲み出ているではありませんか。慎重に初着を脱がせてみると、北斗艦長の背中から血が流れているのです。着物を調べても揺りかごを見ても、傷つくようなものは何もありません。どうしたんだこれは。艦長は激しく泣くばかりで答えが見つからないのです。その時ぴょんたが大興奮して報告しました。
「博士!スケール号の背中に何かが刺さっています。」
「なんだって!よく見てくれ。」
「槍のようでヤす!金色に光った槍でヤすよ。」
「ぴょんた、艦長を見てやってくれ。背中から血を流しているんだ!」
「何ですって!」
ぴょんたが飛んでやってきました。
「博士、艦長は任せてください。血止めをすれば大丈夫です。」
さすがにぴょんたはお医者さんです。血を見てもひるみません。てきぱきと傷口を調べます。艦長の泣き声もぴょんたの手当てがよくていくらか治まりました。
「ありがとう。頼むよ。」
博士はぴょんたに艦長を預けて、もこりんの席に走りました。モニターに映し出されたスケール号の背中に黄金の槍が突き刺さっているではありませんか。なんだ!これは!
「スケール号、動けるか!」
「グロ~にゃーん」
スケール号からは弱々しい声しか聞こえません。いつものように動けないのでしょうか。
「頑張ってくれ、必ず助けるからね。」
「博士、槍がまた飛んでくるダす!これは王様の攻撃ダすよ!!」
「何だって!!」
ぐうすかのモニターには原子の王様が映っていました。王様から出ている黄金の光芒が何本も槍になってスケール号に向かって飛んでくるではありませんか。こんなに光の槍を受けては大変です。このままではスケール号はとても助からないでしょう。
「博士、今、艦長がスケール号を動かすのはむつかしいです。」
艦長はぴょんたの腕の中でまだぐずっているのです。
「どうするんでヤすか。」
スケール号は背中に光の槍を受けて凍り付いてしまっているようです。冷気が操縦室にも広がってきます。いつの間にか全員寒さに震えているではありませんか。これではたとえ艦長が命令してもスケール号は動けないでしょう。
「道は一つしかない。」
博士は独り言をいって艦長に駆け寄りました。
「帽子を借りるぞ!」
そう言いながら博士は艦長の赤い帽子を自分の頭に載せました。帽子は博士の頭の半分もありません。そんな時ではないのですが、奇妙な博士を見て隊員たちは少し笑ってしまいました。
そんなことはお構いなく、博士は操縦かんを握り、スケール号に命令したのです。
「スケール号、飛んで光の槍を避けるのだ。」
「フニャフニャ~」
スケール号は動きません。手足が凍り付いて動けないのです。
「それならスケール号、小さくなるんだ。原子よりも小さくなって槍を避けよう。」
「にゃごーん」
スケール号の身体がぐんぐん縮み始めました。それと同時にメキメキという音がしてスケール号がきしみ、悲鳴が聞こえたのです。槍が刺さったままスケール号が小さくなるということは、逆に刺さった槍がスケール号の体の中で大きくなっていくことと同じなのです。傷口の槍がめきめき大きくなったのでスケール号はたまりません。メキメキブチブチと船体が壊れ始めました。博士は勘違いして命令してしまったのです。
「ぐぎゃがやぎゃー」スケール号の悲鳴はそうとうのものです。
「逆だ、スケール号!大きくなるんだ。原子より大きく!」博士は自分の間違いを隠すように大きな声で命令しました。
「ぐぎゃにゃーン」
スケール号も必死で応えます。窓に見える黄金の星が点のようになり、銀河の中に紛れてしまいました。するとスケール号の背中に刺さっていた金の槍はするりと抜け落ち、闇の中に消えてしまいました。それと同時に凍てついた体から霜が消えたのです。
「大丈夫かスケール号。」
「フンにゃー」
スケール号はぎこちなく体を動かしました。致命的な被害は免れたようです。
その間に、ぴょんたは艦長の背中に万能絆創膏を貼って治療を終えていました。艦長はスヤスヤとぴょんたの胸の中で眠っています。
「スケール号の傷はどうだ、船外に出て修理できそうか。」
博士がぴょんたに聞きました。
「それが博士、おかしなことなんでヤすが、もうだれかが背中に絆創膏を貼ったみたいでヤす。」
「何だって?どういうことだ??」
「これを見てほしいでヤす。」
もこりんに言われるままモニターを見て全員がびっくりしました。槍が刺さっていたスケール号の背中に白い絆創膏がばってんに貼られていたのです。
「誰がはってくれたんダすか?」
「スケール号が自分で貼ったのでヤすか?」
「そんな馬鹿な。でも、これでスケール号の傷も治るでしょう。誰かが助けてくれたんですね。神様でしょうか。」
深く考えないのが隊員たちのいいところです。迫っていた危機が去ってホッとすると、スケール号の中はお祝いムードに変ってしまいました。もこりんとぐうすかが抱き合ってピョンピョンしているのです。
一人博士だけが額にしわを寄せて考え込んでいました。博士はぴょんたにだっこされて眠っている北斗艦長に目をやっているのです。
博士はぴょんたから北斗を抱き取ると、そっと背中に手を当ててみました。柔らかくて暖かい感触が伝わってきます。ぴょんたの治療のおかげです。博士はあらためてぴょんたにお礼を言いました。その時博士の頭にひらめいたものがありました。
「そうだったのか。」博士は北斗の寝顔を見ていて、ひとり驚いたように言いました。
「どうしたのですか?博士。」ぴょんたも艦長の寝姿を観察しながら博士のつぶやきを聞いたのです。
そんな二人に気が付いて、もこりんもぐうすかも艦長の周りに集まってきました。
「艦長は大丈夫でヤすか?」
「いい顔で寝ているダすね。きっと大丈夫ダすよ。」
「スケール号に絆創膏を貼ってあげたのは艦長なんだよ。」博士が艦長に眼を向けて言いました。
「ええっ、それは無いでしょう博士。艦長はその間ずっと私が抱いていましたよ。」ぴょんたが反論しました。
「どうやって外に出たのでヤす?」
「それより、艦長は、はいはいだって出来ないダすからね。」
「艦長がどうして怪我をしたのか分かるかい。スケール号と同じ場所だ。」
「そう言えばそうダす。考えられない怪我ダすなぁ。」
「確かスケール号が槍を受けて、同時に艦長も泣き出したンでヤす。」
「それも同じ背中・・・博士、これってもしかしたら・・」
「おそらくね。艦長とスケール号は宇宙語でつながっている。そのつながりがだんだん強くなっているのだ。」
「ということは、どういうことダすか?」
「艦長とスケール号のつながりが強くなってきて一体化が起こったんだ。」
「一体化でヤすか・・・??」
「だからもこりん、スケール号に起こったことが艦長の体にも表れてしまったんだよ。」
「その通りだ、ぴょんた。」
「スケール号の痛みを、自分の身で本当に感じて体験しているということダすか?」
「ぐうすかは詩人だね。きっとそれが正解だろう。」
「すごいですね。」
「だから艦長は、ぴょんたに治療してもらったことをスケール号にもしてあげたのだよ。」
「そうか、艦長があの絆創膏をスケール号に貼って上げたのですね。」
「・・・・・」
しばらくみんなは言葉が出ませんでした。
博士はそっと動いて、艦長を揺りかごの中に寝かせてやりました。そして自分の頭に乗っていた帽子を丁寧に艦長の頭に被せたのです。
(10)
結局振り出しに戻ったスケール号です。乗組員たちはテーブルを囲んで会議中です。
{どうして原子の王様はスケール号を攻撃してきたのか その原因と対策}
議題を白いボードに書いてぴょんたが司会もやっています。博士がみんなの考えをききたいと言い出して始まった会議でした。
「まず、あの金の槍は間違いなく王様が投げてきた、それは間違いないですか?」
「確かに見たでヤす。金の槍が何本も投げ出されるところをしっかり見たでヤす。」
「スケール号に刺さった槍も同じところから投げられたのですか?」
「それは見てないでヤす・・・」
「誰か見たものはいませんか。」
「覚えてないダすよ。確かあの時、王様の星を見ていたんダす。なんだか気持ちよくなって、夢を見ているような気分になっていたのダしたからね・・。」
「お前は本当に寝てたんじゃないでヤすか、ぐうすか。」
「寝ていたって、もこりんには負けないダすよ。それよりお前はどうしてモニター見ていなかったのダすか?」
もこりんとぐうすかはいつも良きライバルです。お互い口では負けません。
「そうでヤスけど、あの時はみんなでスケール号の窓から王様を見ていたでヤす。」もこりんも応戦です。
「そう言えばうっとりしていて、スケール号の悲鳴を聴くまでをよく覚えていないですね。」
「それが王様の作戦だったのではないでヤすか?攻撃を気付かせないように催眠術みたいな・・・」
「するともこりんは、王様が悪者だと思っているのだね。」博士が初めて口を開きました。
「王様は優しそうダしたが、何かが王様を悪者にしようとしているのダすかね?」
「もしかしたら博士、王様はスケール号を悪者と思ったのじゃないでしょうか。」
「どうしてだい?」
「だって博士、王様はスケール号のことは知らないのでしょう。だからきっと自分に近づいてくるスケール号を敵と間違えたのではないでしょうか。」
「なるほどそうだね。」
「博士はどう思っているのダすか。王様は良い者なのダすか?悪者ダすか?」
「私はぴょんたの意見にハッとさせられたよ。」
みんなが一斉に博士の方を見ました。
「原子の王様は太陽族なのだ。太陽族はね、宇宙のすべての命の始まりを大切に守っている一族なのだよ。そんな王様が宇宙語を消してしまうなんて考えられないんだ。宇宙語を守るのが王様なのだからね。つまり悪者ではないと私は思っている。」
「でもいきなり攻撃はひどいでヤす。」
「もこりんの言う通りだ。それでね、ぴょんたの話で気付いたんだよ。王様には今、戦っている敵がいるのではないかってね。」
「戦っている?敵ダすかぁ?」
「宇宙語を消そうとしている元凶かも知れない。」
「その敵に間違われたのですね。」
「それならスケール号は敵でないと王様に教えなきゃいけないでヤすよ。」
「はぶはぶ・・ひゃーぱぶぱぶ。」
上機嫌な艦長の声がしました。皆が艦長に顔を向けて、そのまま博士を見ました。
「そのために太陽の紋章があると艦長は言ったんだ。」
「あの紋章でヤすか。」
スケール号の操縦室の壁に掛けているオレンジ色のメダルです。
「あれを王様に見せたらきっとスケール号は味方だとわかってくれるのダすね。なるほど、いい考えダす。」
「艦長はすごいでヤすなぁ。」
「でもどうやって紋章を見せるんです?このままでは近寄れませんよ。」
「金の槍の威力はすごいでヤすからねぇ。」
「四方八方に広がっている光の線が一瞬で皆こちらに向かって飛んでくるんダす。どこに逃げても串刺しになってしまうダすよ。まだ声も届かない遠くから投げてくるのをはっきりこの目で見たのダすからね。」
「要するに近づけないということですね。」
ぴょんたの耳がしおれています。うまくいくと思ったら、黄金の槍はとんでもない武器なのです。それを防ぐ方法が見つかりません。なんとなく皆の意見が煮詰まってしまった時でした。
「ばふばふぱぶー ふーふーぱふ~」
艦長が両手を突き上げて、両足をばたばたさせました。
「ついさっきまで怪我をして泣いていたのに、元気でヤすなぁ。」
もこりんが艦長のほっぺたをつんつんしました。もこりんは前に艦長を泣かせて失敗したのに、どうしても柔らかいほっぺに触りたくなってしまうのです。すると今度はにっこり笑ったのです。それはそれはかわいい、心がとろけるような笑い顔です。
「艦長が笑ったでヤすよ。」
もこりんは思わずみんなに教えてやりました。教えなくても皆はとっくにつんつんしているもこりんを見ていたのですけれど。
「かわいいダすなぁ。」
自然に艦長の周りに皆が集まりました。
「元気、元気。艦長元気になってよかったね。」
ぴょんたはことさら感慨深げでした。何しろ小さな背中から血が流れ、息が止まりそうなほど泣き叫ぶ艦長を抱きかかえて、一人で傷の手当てをしたのですから。傷口を見たとき、正直助けられるかどうか分からないくらい不安でした。でもお医者さんのぴょんたは、そんなことを口に出して言うことはできません。不安を隠して必死で頑張りました。ですから、元気な艦長を見るのは嬉しくて仕方がないのです。
艦長のあどけない笑い顔に博士も時を忘れていました。そのうちに、つい先ほど同じような気持になったことを思い出したのです。原子の王様に近づいて行ったとき。そうです、あの時も同じでした。あどけないものからあふれ出ているエネルギーのようなものなのでしょうか。理由も何もなくただ可愛く、優しく、嬉しい気分にしてくれる無垢なるエネルギーとしか言いようがありません。
そうなのです。先ほど、攻撃を気づかせないための王様の作戦かもしれないと、もこりんが言いました。それが少し博士には気がかりだったのです。北斗艦長の笑顔を見ているうちに、あれは王様のあどけないエネルギー波だったのだと改めて博士は思うのでした。王様があどけないというのはおかしいのですが、どこかにそんな純粋エネルギーがあって、流れ出ているのかもしれません。
「わうわうふわ~きゃっキャッきゃっ」
艦長はおしゃべりの度にみんなを笑いに誘います。皆はいつの間にか会議中のことも忘れてしまっているのです。
「はぷー」
艦長がそう言って手をまっすぐ空に伸ばして、その腕を自ら眺めているポーズをとりました。まるでそれは勇者の姿です。博士はジイジの目になって、北斗のそんな姿が剣を高々と天にかかげて見つめている勇者の姿に見えたのです。その時でした。壁に掛かった太陽の紋章にほのかな光が宿ったように見えました。オレンジ色の紋章の中心にかすかに見えた光がにじみ出てくるように広がり、皆が気づいたときには黄金色に輝き始めました。
「なんでやスか。」
「紋章が光ってます。」
「きれいダすな!」
隊員たちが口々に声を上げたときには、黄金の光が光芒となってスケール号の身体から飛び出し始めました。銀色の猫だったスケール号はとうとう黄金のスケール号に変身してしまったのです。
「ごろにゃーん」スケール号が嬉しそうに鳴き声を上げました。
「おうおう、これなら王様にも伝わるだろう。」博士は手をたたいて喜びました。
こうしてスケール号は再び原子の王様に会うために旅立ちました。
「ゴロにゃーン」
元気な鳴き声が漆黒の宇宙空間にとどろくとそのとたん、黄金の猫がふっとその姿を消したのです。
(11)
「王様、信じられないことですが、ストレンジが敵の手に堕ちました。すでに宮殿が占拠されたようです。」
「星の民たちはどうしておる。無事なのか。」王様はタウ将軍に向き直って言いました。
「何人かは捕えられましたが、ほとんどのものは山中に潜み抵抗を続けております。しかし一緒に捕らえられた姫君が心配です。・・・」
「あの気丈な姫君が捕えられただと? 敵はそんなに強いのか。」
「魔法を使って心を迷わすのです。ストレンジ星の3分の1の民がすでに敵の配下に下ってしまったようです。」
「かつてなかったことだ。このような禍が私の代でやってこようとはの。」
「しかし王様、我ら大陽族の絆は強大です。必ず好機は訪れましょう。」
「戦意を立て直せば状況は変わるだろうが、あの姫君が捉えられたのなら、民の落胆は大きいだろう。」
「ストレンジの姫君はことのほか民に慕われていますから、不安が渦巻いています。国は中心を失った独楽のように揺らいでおりますが、姫君の計らいで王は無事に宮殿を脱出され、山林の地下に潜伏しております。姫君は民のために自ら進んで囚われの身となったということです。現地ではすでに救出作戦は進んでおります。何と言っても彼ら自身の宮殿です。自らの手のひらで行う作戦ですから必ず成功するでしょう。我ら大陽族の連合軍もまもなくストレンジに展開出来るでしょう。必ず勝利して見せまする。」
「頼むぞ、タウ将軍」
「吾ら太陽族の意にかけて。」タウ将軍は胸に手を当てて敬礼をしました。
「吾ら太陽族の意にかけて。」王様は太陽族の符牒を合わせて返礼します。
王の間に血相を変えた物見台の伝令が飛び込んで来たのはその時でした。二人がくつろいで肩の力を抜いた矢先でした。慌てふためいたまま礼も忘れて報告したのです。
「申し上げます、王様。」
「どうしたのじゃ。何を狼狽えておるのだ。しっかりしろ。」
「はいっ、」伝令は直立して敬礼しながら続けました。
「四半の空に得体の知れない巨大なか、怪物が現れました!」
王様とタウ将軍は伝令の話しを聴き終わらないうちに王の間を飛び出し、物見の塔に登りました。伝令は二人の後を追って息を切らせながら天を指さしました。
「あれです!」
「何だ!あれは!」
伝令に言われなくても見上げれば不気味な巨大怪物が空を占有しているのが分かります。全てが靄にかすんでぼんやりとしか見えませんが、タウ将軍は目をこすりながら空を食い入るように見上げました。得体の知れない物体は空気の色に溶けて半透明の幕の広がりにも見えます。王様の星が発する光を受けて点滅を繰り返しているので、辛うじてその輪郭が分かるのです。その大きさたるや、四半の空を覆い尽くすほどです。その物体はまるで生き物のように動いているではありませんか。チカチカしているのは、動く度に反射する光だったのです。眼が慣れてくると、それは猫のようにも見えるのです。そしてこの得体の知れない怪物は明らかにこの星に向かってきているではありませんか。胆力のないものだったら、天を覆うこの化け物の姿を見るだけで腰を抜かして動けなかったでしょう。
しかし王様は決してひるみません。万一に備えて黄金の光芒を最大限に広げました。まるで孔雀が羽根を広げたようにです。そして冷静に相手の動きを見つめている姿は、物見達の目に強い安心感を与えているのです。
「あんな化け猫は見たことがありませんな。」タウ将軍がうめくように言いました。
「巨大すぎる。考えられない大きさだ。あるいは異次元世界の生き物か。それにしても猫に似ているのがなんとも奇妙だ。」
かすみの中を化け猫が進んできます。はるか彼方の宇宙空間にいるはずなのに、その姿は四半の空がいっぱいになるほど巨大な姿をしているのです。この大きさなら、原子系の星々が丸ごと飲み込まれてしまうかもしれません。まぼろしでないのなら恐るべし怪物というほかはないのです。いかに太陽族の王と言えど、そうなったら防ぎようがないでしょう。それは王様もタウ将軍も空を見ただけで分かりました。しかも逃げ道はないのです。
「危害を加える様子は見えないが。しかしあれが魔法使いの仕業なら、奴らの本当の目的はここなのかも知れません。しかしそうだったら厄介ですぞ、王様。」
「とにかく、我々に敵意のないことを示すのだ。」王様が重々しい言葉で言いました。
「奴に通じることを祈るばかりです。」
タウ将軍は合掌して王様に一礼すると、台座をしつらえ四隅に結界をはって王様を迎え入れました。王様は台座に座り、両手を膝の上に開いて印を結びました。そして静かに目を閉じたのです。
タウ将軍は王様の瞑想を見守り、やがて自らも台座を背にして、足を組み両手を重ねて瞑想を始めたのです。すると二つの気が絡まりあい増幅されて空間に拡がって行きました。心が甘くほどけて行くような波動が、かすみの怪物に向かって放たれたのです。二人の発する波動は、心を花園に誘うような効果がありました。たとえ怪物に敵意があったとしても、いつの間にかとがった心は丸くなるに違いありません。
けれども、二人の瞑想は長く続きませんでした。空を監視していた物見の声に妨げられたのです。
「怪物の後ろにさらに別の黒い物体が見えます。」
「今度は何だ。」
瞑想を解いて王様が立ち上がりました。タウ将軍も足を解いて王様に従います。物見の指さす手がふるえていました。怪物の背後には、さらにうっすらと巨大な黒いかたまりが見えるのです。もし怪物が先陣部隊だったら、そしてあれが無数の宇宙船だとしたら、ストレンジ星を占拠した反乱軍がついにここまで攻め入ってきたということになります。黒いかたまりは雲のように動いて、奇妙な隊形に変化しながらこちらに向かって来るのです。これでは先発の怪物を懐柔したところで何の意味も無いでしょう。
「王様、あの黒いものは間違いなく魔法使いの船団ですぞ。あのネズミのような隊形がその証拠です。奴らがついにここまでやってきたのです。」
「あれがそうなのか。しかし、わずかな時間であのような船団を組織できるものなのか。一体どれほどの力を持っているのだ。その魔法使いというのは。」王様の眉間に深い皺が刻まれています。
「懐柔策はよもや通用しないでしょう。こうなった以上戦うしかありますまい。王様、一刻も早く全軍の出撃命令を下して戴きたい。全て駆逐して見せましょうぞ。」
「やむおえぬの、タウ将軍。よく言ってくれた。これ以上躊躇することはなかろう。これよりそなたに全軍の指揮を命ずる。一兵たりとも我が原子系圏内に入れてはならぬ。」
「承知。」
タウ将軍は胸に手を当てて敬礼しました。
その時でした。三度、物見の声が尖塔に響いたのです。
「怪物の後方、黒い軍団から攻撃が始まりました!」
「何だと!」
タウ将軍が目を向けた四半の宇宙空間に、槍が何本も打ち出され、その金色の航跡が糸を引くように見えているのでした。
「反撃だ、将軍、遅れをとるな。」
「お待ちください、王様。」
「どうしたのだ。」
「あの航跡を見てください。」
「それがどうしたのだ。」
「あの槍はこちらに届きますまい。おそらく目標は・・・」
将軍の目は確かでした。黒い船団から発射された金の槍はその手前にいる化け猫に襲い掛かったのです。
「仲間割れなのか。」
「いえ、明らかに一方的な攻撃のようです。猫の方はふいうちでしょう。防御の体制が見えませぬ。」
「猫は敵ではないということだ。」王様がつぶやきます。
「槍が化け猫に命中しました。深手で、もがいているように見えます!」物見が報告しました。
「猫を助けましょう。」タウ将軍がたたみかけて王様に奏上しました。
「そうだな、目にもの見せてやろうぞ。」
王様は扇形に広がった黄金の光芒を自在に操り、迷うことなく全弾を黒い船団に向けて発射したのです。それは中空で黄金の槍となって黒い集団に向かいました。
ところがその刹那、さらに不思議なことが起こりました。巨大な猫が忽然と消えたのです。
「猫が消えました!」物見の声が響きます。
「遅かったか。」助けられなかった悔しさが王様の言葉ににじみ出ていました。
しかし黄金の槍は進路が定まると、目標まで光速で飛ぶのです。黄金色の無数の光芒が、猫のいたはずの上空をかすめてあっという間に黒い船団に襲いかかったのでした。
これが反乱軍に対する太陽族の宣戦布告となったのです。
(12)
「こんなところにいたチュウか。」
重苦しい闇の中から、憎悪に満ちた低いうめき声が聞こえてきます。この世のものとも思えないほどおぞましい声が闇の底を震わせているのです。それはニュートと呼ばれる遊星が雨のように降り注ぐ暗黒の空間でした。
原子の世界では、太陽族のように王様をいただいていくつもの電子と呼ばれる星が集まる王国があります。けれどもそんな王国を捨て、仲間を持たないで放浪する星もいます。その星はニュートと呼ばれ、原子の宇宙を勝手気ままに飛び回っているのです。
「ニュートは王国を死に誘う」という。
似たような神話がどの王国にもあって、ニュート星は命を終えたものが棲む場所として嫌がられていました。
その星を根城にしているのがネズミのチュウスケでした。チュウスケはこの宇宙を闇の支配する世界に戻すという野望を持っていました。けれどもその野望は、いつも邪魔者によって失敗させられてきたのです。その邪魔者こそ今、目前にいる銀色のネコ、スケール号でした。
スケール号のことを思い出すたびにチュウスケは胃に溶岩を流し込まれたように熱くなって、悲鳴を上げてしまうほどです。悔しさが悔しさを呼んで、いまやチュウスケはスケール号への復讐の鬼となってしまっているのでした。
そんなある日、闇に潜むチュウスケが、四肢を巧みに動かして宇宙を駆けている銀色の猫を目にしたのです。原子系の光を受けてリズミカルに輝く姿はスケール号に違いありません。
それはたまたま、のことでした。
ストレンジ星の占領に成功すると、チュウスケの欲望はさらに膨らみ、この原子宇宙を支配しているバリオン星の征服を考え始めたのです。
バリオン星の王は原子界の王と呼ばれ、太陽族の王でもあるのです。実の名前はだれも知らない宇宙で最高の権威でした。何よりその持てる力の象徴は神の光を司り、無限の力を持っている光の槍を賜っているということでした。その力は強大で原子世界ばかりか、地球や太陽の世界にまでその名を馳せているのです。実際にチュウスケはその力が地球にまで及んでいるのを見たことがあります。その爆発が一瞬にして何十万もの命を奪う光景を見てチュウスケは自分の魔法をはるかに超えているのを知ったのです。
しかしどこかに付け入る隙があるに違いない。チュウスケはそれを探るために闇に潜んでいました。そこにやって来たのがスケール号だったのです。
「こんなところで会えるチュのはありがたいだチュな。」
「ここで何をしようとしているのですかねポンポン。」チュウスケの忠実な子分、タヌキのポンスケです。
「どうやら親分、奴はバリオン星に向かっているようです。」カラスのカンスケがチュウスケに進言しました。
「これはバリオンの力を測るのに好都合です。」
「どうするんだ、カンスケ。」
「なに、バリオンとスケール号を戦わせるだけですカウカウカウ。」カンスケは胸を張って言いました。
「そんなことが出来るのポンポン。」
「うまい方法がある。」
「言ってみろカンスケ。」
「バリオンは光を扇のように広げている。スケール号が近づいたので、警戒しているのは明白ですカウカウ。」
「それでどうするポン。」
「あの光の武器を利用するのです。」
「なるほど、光の武器のにせものを作ればいいのだな。それはいい考えだチュ。」
チュウスケはカンスケの考えがすぐに分かりました。それでもポンスケには分からないようです。
「どこがいい考えなのか分からないポンポン。」
呑み込みの悪いポンスケにカンスケが説明した悪だくみは大変なものでした。さすがチュウスケの第一の子分で策士。親分に褒められたカンスケはもう有頂天です。
バリオンが警戒の光を広げているというのは、スケール号とは互いに知らない者同士だということを教えているようなもの。そしてバリオンが警戒しているのは、ストレンジを占領したチュウスケの力だということ。これを利用すればいいと言うのがカンスケの作戦でした。
バリオンにはチュウスケが攻めてきたと思わせ、スケール号にはバリオンが攻撃してきたと思わせれば、互いに戦い始めるというのです。
「で、どうするのだチュ。」
チュウスケは乗り気十分です。カンスケはますます得意になって自分の策を悦明し始めました。
まず光の武器のにせものをつくる。それを使ってスケール号を攻撃すればいいというのがカンスケの話しでした。
「にせものを作るのは簡単だが、それではスケール号を倒せないチュ。」
「バリオンに攻撃されたと思わせるだけでいいのです。それでスケール号に敵意を持たせるのですカウカウ。」
カンスケの話はまだ半分でした。
残りの半分はバリオンにスケール号が攻めてきたと思わせる作戦です。それは簡単なことでした。スケール号の背後に大艦隊の幻を作るだけでいいのですから。これで間違いなくバリオンの王は攻撃をうけていると考えるでしょう。スケール号が攻撃すれば必ずバリオンは全力で応戦するに違いありません。バリオンが勝てばスケール号への恨みがはれますし、スケール号が勝てばバリオンとの戦いが楽になるのです。どちらに転んでもチュウスケには良いことしかありません。カンスケの策謀は完ぺきでした。
こうして策士カンスケの計画が、誰にも気づかれず静かに進んでいったのです。
スケール号の背後に潜み闇の中でチャンスを伺っていたチュウスケ達に好機がやってきました。スケール号がバリオンの発する扇形の光を前にしてひるんだように見えたのです。バリオンの武器に目を奪われているに違いありません。
「今です、親分!」カンスケが言いました。
「おのれ見ておれ、スケール号」
チュウスケは金色に染めた黒い槍を何本もスケール号めがけて放ったのです。
その時、カンスケの策にたった一つの見落としがあることには誰も気づいていませんでした。
そうです。まさにその槍でした。いつもならだれにも見えないチュウスケの黒い槍です。その槍を金色に塗ったために、チュウスケの闇の動きが光にさらされてしまったのです。
しかし幸いにもスケール号には気付かれませんでした。それどころか、スケール号は逃げようともしません。意外なほどあっけなく槍はスケール号の背中を串刺しにしたではありませんか。
「ぎゃニャおおおお-ん!!」スケール号の大きな悲鳴が響き渡りました。
「やったでチュ。でかしたカンスケ。」
「命中ですポン」
「強いと思っていたが期待外れのスケール号め、思い知ったかカウカウ。」
金の槍を背中に受けて、のた打ち回るスケール号を見て大喜びしたチュウスケ達です。けれどもその喜びがバリオンの一瞬の動きを見落としてしまったのです。
その時、バリオン星から出ていた扇形の光芒が中空で一つに束ねられ、無数の光の槍となって一本残らず同じ方向に打ち出されました。槍は光の速さで飛びますから、一瞬の油断は命取りなのです。
勝ち誇ったチュウスケがスケール号にとどめを指そうと身構えた時、そのスケール号は身体を硬直させて断末魔の悲鳴を上げました。そして次の瞬間、忽然と姿を消したのです。
その時、スケール号の消えた空から黄金の槍が降り注ぎました。
光速で飛ぶ槍を防ぐ手だてもその余裕もありませんでした。チュウスケ達は槍に襲われて命からがら逃げだしていったのです。
ストレンジの王宮には三台のベッドが並んでいました。
チュウスケは肩を射抜かれ、目にも包帯が巻かれています。カンスケは羽根に大きな穴が開いていますしポンスケは布にまかれた足を吊あげられているのです。
憎きスケール号を仕留めたものの、バリオンの黄金の槍には勝てないと思い知ったチュウスケでした。けれどもこのままで引きさがる魔法使いチュウスケではありません。ベッドの上で痛みに襲われながらバリオン王への復讐を誓うのでした。
直接対決で勝てる相手ではない。そう察したチュウスケは民の力で王を倒そうと考えたのです。
槍で襲われた肩の痛みをこらえながら、憎しみを力に変えて行く。それがチュウスケの魔法を強くしているのです。
牢に捕えている姫の心さえつかめば、ストレンジの民はすべてこちらのものになる。同じようにバリオンを巡る星の民を惑わせれば強大な反乱軍の連合艦隊が出来るだろう。いかに王の力が巨大でも、民がいなければ王の意味もなくなる。戦わずして勝てるのだ・・・。
チュウスケの頭に壮大な計画が浮かび、やがて勝ち誇ったように眠りにつくのでした。
「カウカウ」
「ポンポン」
カンスケもポンスケも共に夢を見ているのでしょう。どちらも寝言で話をしているようです。
(13)
原子の王様に再び近づいたスケール号は黄金色に輝いていました。
宇宙空間に浮かぶ黄金の猫。けれどもここは太陽や地球の浮かんでいる宇宙ではありません。のぞみ赤ちゃんの身体の中に拡がる原子の宇宙空間なのです。
のぞみ赤ちゃんは超低体重のまま生まれました。その後も理由が分からないまま体重が増えません。それなのに考えられる病気や原因は何一つ見つからないのです。ついに何の手立ても講じられない産院が最後の望みをスケール号に託したのでした。博士はのぞみ赤ちゃんの問題が体内宇宙にあると考えていました。病気でないなら原因はおそらく原子レベルのスケールで起こっている何かだという確信があったのです。
「その原因は何なのか。」
なんとなく、分かったようで分からないもどかしい感覚を完全にはぬぐえない博士でしたが、ただ一つ確信できるものがありました。それは北斗です。
北斗がジイジのところに来てくれたのは彼がこの世に生まれて間もない頃でした。その時北斗はまるで赤ちゃんリスが巣穴からこわごわ外を覗いているような目をしていました。けれども、そっと触れた柔らかな北斗の額からあふれんばかりの宇宙語が飛び出してきたのです。その感動をジイジはどう表していいのか分かりません。しいて言えば命の本質そのものに触れた感じですが、それを伝える言葉が無いのです。ジイジは黙ってその思いを自分の胸の内に納めているしかありませんでした。
北斗の身体からほとばしり出てくる宇宙語。
その「宇宙語がない。」
北斗がそう伝えてくれたのです。のぞみ赤ちゃんには宇宙語がないというのです。それがどんなことなのかは分かりませんが、原因は明らかにのぞみ赤ちゃんの身体宇宙に異変が起こっているということなのです。宇宙語が破れるような異変、それは何なのでしょうか。
黄金の猫、スケール号が浮かんでいるこの宇宙、それはのぞみ赤ちゃんそのものでもあるのです。この宇宙になぜ宇宙語がないというのでしょう。
逆に考えてみれば、宇宙語があるから赤ちゃんはお母さんのおなかの中ですくすくと育っていくのです。それはこの原子宇宙に正しい秩序が保たれているからに違いありません。
その秩序に沿って原子たちが正しく整列し、積み上がって行く。まるで運動会の組体操のように。
一人ひとりが自分の役割を果たすことで何段もの塔が出来上がる。ジイジは北斗のお母さんの子供の頃をふと思い出しました。体が小さかったので、娘は組体操の塔のてっぺんに選ばれました。ハラハラして見ているジイジもその頃はまだパパと呼ばれていました。そうです。塔をつくるという思いが一つになってはじめて、互いの役割が果たされる。人を信頼することで自分のやるべきことを知る。このつながる力こそ宇宙語なんだとジイジは気付いたのでした。
もちろん宇宙語は組体操の比ではありません。
人はおよそ60兆個の細胞からできていて、一個の細胞は1000兆個もの原子でできている。つまり(60000兆✕1兆)個の原子系宇宙が互いの役割を果たすことで人は出来上がっているのです。それを連携させるためにあるのが宇宙語なのです。のぞみ赤ちゃんはまだ小さいですから、大人のわずか60分の1だとしても、のぞみ赤ちゃんの体内宇宙にはそれでも(1000兆✕1兆)個の原子が共につながっているのです。のぞみ赤ちゃんがこれから大人になるためには、計算してみると、「60000マイナス1000=54000」つまりのぞみ赤ちゃんはこれから(54000兆✕1兆)個の原子達と対話し、手を取り合って一つになりながら成長しなければならないのです。そのためにこれだけの数の原子達に正確に意味を伝え、同じ目標に向かって協力してもらわなければならないという訳です。
そこに宇宙語がなかったら、事態は火を見るより明らかではありませんか。そればかりではありません。宇宙語がないということは、全宇宙の原子達はてんでバラバラに動くしかなくなります。つまりこの宇宙に命というものは無くなるのです。ですからどうあっても宇宙語を守らなければなりません。それがのぞみ赤ちゃんを救う道でもあるのです。そう考えれば、原子の王様の尊さは限りなく大きいと言わなければなりません。
今なぜ。宇宙語が失われているのでしょうか。
「その答は、のぞみ赤ちゃんのこの宇宙空間に隠されている。」
ジイジの考えている道筋が、いつの間にか博士的になっているのに、ジイジ本人は気付いていません。
のぞみ赤ちゃんの宇宙空間に浮かぶ無数の天体。それは太陽系の星々ではなく、原子系を作っている星達の浮かんでいる世界なのです。星には様々な個性があって、それに応じた呼び名はたくさんありますが、その星々のことを一言で素粒子星と呼びます。たとえば桜やチュリップなどを一言で「花」と呼ぶのと同じことです。
この素粒子星の浮かぶ宇宙空間を支配する王こそ、原子の王様なのです。素粒子星を束ねる王様なら宇宙語が聞えないというこの事態に、きっと何かを知っているに違いありません。それが博士のただ一つの希望だったのです。
今起こっているのぞみ赤ちゃんの、身体を組み上げているこの素粒子星宇宙にどんな異変があるのでしょうか。素粒子星の間を飛んでいるスケール号には異変どころかありふれた宇宙空間にしか見えないのです。のぞみ赤ちゃんから宇宙語を奪っているものの原因を、原子の王様から詳しく聞いてみたい。そう博士は願っているのでした。
それにしても不思議なのは、この空間です。スケール号が銀色から金色に変っても空間は変わりません。原子の王様が輝いているこの空間も、太陽や地球が浮かんでいる空間も何一つ変わることはないのです。しかも太陽が浮かぶ大きな空間から素粒子星の浮かぶ小さな空間まで、互いの間を隔てるどんな仕切りもありません。スケール号が自在に動けるのは実はこのためなのです。つまりたった一つの空間の中に、太陽と素粒子星が共存して浮かんでいて、しかも変化しているのはいつも星の方なのです。黄金に輝くスケール号の足先を窓越しに見ながら博士の思いが少しずつ現実に帰ってきました。
「王様の星が見えたダすよ」
ぐうすかのいつになく引き締まった声でした。隊員たちは本当のところ、王様の星に近づきたくないのです。一本の槍でかろうじて助かりましたが、もし太陽の紋章が役に立たなかったら、今度は王様の槍が雨のように飛んでくるかもしれません。そうなったらどれだけ万能絆創膏を貼っても助からないでしょう。ぴょんたは心の中でそうならないよう祈っていました。もこりんはスケール号の背中に貼られた絆創膏がスケール号に吸収されて消えかかっているのを見ながらなんとか勇気を奮い立たせようとしています。
「王様、もう一度会いに来ましたよ。」博士は黄金に輝く星を見ながら言いました。
「ハブハブ、キャッキャ」艦長は目覚めたばかりの元気な声です。ぴょんたの治療がよかったのか、絆創膏を貼られた艦長はそれからぐっすり眠りこんでいたのです。
両手両足を忙しく振り回している艦長の姿は、仰向けに寝転がって走っていくスケール号のようです。隊員たちは微笑みながら艦長を眺め、そしていつの間にか伝わってくる元気に気付くのでした。
「博士、王様の様子が変わったように思いませんか。」ぴょんたが博士の方を見てささやくように言いました。
「そう言えば王様の光が柔らかい感じダすなぁ」
「光の槍が見えないでヤすよ。」
もこりんの言葉通り、王様の星が発していた黄金の光芒が、輪郭のぼやけた光の帯のようになって星を包んでいくのが分かりました。
「キャッキャ キャッキャ ㇵヴハヴ」艦長は嬉しそうです。ちっちゃなおにぎりのような手を盛んに振り上げています。
「艦長と王様が話をしているよ。」博士が隊員たちに伝えました。
「本当でヤスか。」
「私達を招待してくれるそうだ。」
「バヴバヴぅ キャッキャ」
「王様に分かってもらえたのですね!」
「艦長はすごいダすなぁ。」
スケール号の中はまるで黄金のような期待で膨らみました。
そればかりではありません。傷の癒えたスケール号の全身から黄金の輝きがこうこうと発せられているのです。その光はまるで全天を染めつくすように拡がり、スケール号を核にした新しい太陽が生まれたように見えるのです。その光は明らかに原子の王様の光と呼び合うようにたなびきはじめました。王様の星からは光の帯がらせん状に伸び拡がってくるのです。スケール号の窓から見るとそれは王様の星まで届いて行く光のトンネルのようでした。やがて二つの光は融合して輝き、原子世界は黄金色の中にすべてが溶け込んでしまうように見えるのです。
光の中で隊員たちはただ恍惚に包まれ、時を忘れて立ち尽くしていました。何という幸福感なのでしょう。
そして本当にスケール号は黄金の光の中に溶けて消えたのです。
(14)
バリオン星の王宮には大きな物見の塔がありました。最上階に登ると、そこには豪華に設えられた王様の執務室がありました。老練な物見たちが絶えず四方の空を眺めています。彼らは裸眼でも巨大望遠鏡に匹敵する眼力を持っているのです。
皆の心配をよそに、王様に会ったその第一声が何と、スケール号を「太陽族の使い」と称してくれたのです。太陽の紋章を持つ者に解り合うための言葉はいらなかったのです。
そのバリオンの王様が博士の横に立っています。二人は物見の塔の欄干に手を置いて虚空を眺めているのです。
博士の後ろには艦長の揺りかごを守るように、もこりんとぐうすかそしてぴょんたが皆、お腹をそらせて空を眺めています。苦しくてお腹をくの字に曲げられないので、空を眺めるのはちょうどいい姿勢だったのです。
「フンギャー、フンギャー」それまで機嫌のよかった艦長が突然泣きはじめました。
「ほら、もこりん。出番ダすよ。」ぐうすかが嬉しそうに言いました。
「はいはい艦長、ちょっと待ってくれるでヤすか。」
もこりんはいつの間にか艦長のおむつ係になっていました。何度も被害に遭ったもこりんでしたが、案外嬉しそうで、艦長のほっぺをつんつんして揺りかごの中からおむつを取り出すと、手際よく交換を始めました。時々ある噴水被害には汚れたおむつで防ぐ術も覚え、今やもこりんは艦長のおむつ係りを誰にも譲らないのです。
その光景をバリオンの王様とお付きの者達はいぶかしげに眺めていました。というのも、バリオン星の赤ちゃんは下半身裸で育てるのが普通でした。汚れるのが分かっているのになぜわざわざパンツをはかせるのか誰も理解できなかったのです。けれども赤ちゃんの笑顔は誰の目にも微笑ましいものです。
「おうおう、もこりんありがとう。」
博士がお礼を言って機嫌のよくなった艦長を抱き上げました。ずっしりと重さが腕に伝わってきました。北斗は順調に育っているのです。すると博士は、どうしてものぞみ赤ちゃんを思い出してしまうのです。今も産院の保育器の中で必死で生きようとしているはずです。その証拠が、今いるこの静かな宇宙であり、こうして会見している王様そのものなのです。王様がいる限りのぞみ赤ちゃんは健在なのだ。博士は確証のないままそう信じているのです。
その横にスケール号が座り、毛繕いし顔を拭いています。金色の毛がとても気に入っているようです。
スケール号の隊員たちは、まだ先ほどまでの信じられない光景と歓迎会の賑わいに酔っているようでした。
色とりどりの食べ物や飲み物が山のように並んだ食卓。
見たことも無いきらびやかな料理はどれもおいしいくて、コックのもこりんを驚かせましたし、ぐうすかはもう料理皿を手当たり次第です。青赤黄色のサワーにオレンジ色のピザ風焼きもの。パンのような食感なのに、かむほどにジューシーになるフルーツ。ぐうすかによれば、お腹にたまるフルーツだそうです。思わず口の中がいっぱいになってしまうこってり味が、一瞬でとろけてなくなる肉料理。ぐうすかの至福はいつまでも尽きません。ぴょんたは興奮して花畑のような食卓の上を飛び回っていました。もちろん艦長だけはミルクで満足していましたけれど。
そればかりではありません。フルオーケストラの楽団が見たことも無い楽器を打ち鳴らし、水の太鼓がしぶきのハーモニーを奏でるのには驚きました。コーラスと舞踊が皆を興奮させて、スケール号もリズムに合わせて何度も宙返りしたほどです。それを見たバリオンの歓迎団が山鳴りのような喝采をおくると、もう迎賓の間は緊張の糸が切れた凧のような大宴会となったのでした。
それはつい数時間前のことでした。
スケール号は迎賓の間に通されました。乗組員たちはその巨大さに圧倒されて、身を固くするばかりでした。
すぐそばの装飾された丸柱は、隊員達3人が手をつないでも一周できないほどでした。天空を思わせる巨大なドームの天井があり、中天には大きな太陽のレリーフが飾られ、そこから炎の彫刻が四方八方に伸び拡がっています。豪華な彩色を施された神々の彫像が、至る所で炎をまとって舞い踊っているのです。
迎賓の間に入ったものは誰もが首を真上に捻じ曲げて見とれてしまうでしょう。百人掛けの食卓が左右に三卓ずつ並び、中央の床には磨かれた五色石が敷き詰められて巨大な円を描いているのです。その円盤の中央に立つと、真上に太陽のレリーフがあってすべてを威圧するように見下ろしてくるのです。左右にある食卓のさらに向こうにはアーチ形の大きな扉がありました。正面には高い台座がしつらえられ、左右に階段がありました。朱の欄干と黄金の絨毯がまぶしく思えます。その台座の下には三段ステップの舞台が横たわり、どこからもその舞台に上がることが出来ます。舞台の大きさだけでもテニスコートが十分にとれそうです。その舞台の上には純白の長いテーブルとイスが広間に向かって並べられていました。特殊な照明が当てられているのでしょう、そこだけが心に染み入るように白く輝き、いやでもテーブルとイスが浮き上がって見えるのです。
スケール号から降りた乗組員たちはただ茫然と息をのむばかりでした。何より驚いたのは人の数でした。両側の巨大な食卓には正装した人々が整然と座っていましたし、正面には純白のテーブルを挟むように楽隊が整列しているのです。
案内に従って迎賓の間に足を踏み入れた時、左右の食卓から一斉に人々が立ち上がり拍手が鳴り響きました。その拍手は隊員たちが石畳の中央に進むまで鳴りやまなかったのです。するとそれを合図に楽隊が力強いファンファーレを吹き鳴らしました。
「太陽族の使いの者達、よくぞこのバリオンに参られた。」
太い声が頭の上から聞こえました。王様の声だとすぐにわかりました。人々の心が一瞬で変わるのをスケール号の面々でさえ感じることが出来たのですから。台座から王様が姿を現したのです。
「まずはゆるりと、身を休ませるが良い。国を挙げて歓迎いたす。我ら、太陽族の意にかけて。」
再び大喝采が起こり、ラッパが鳴り響きました。
王様は従者を連れて台座から降りると、自らスケール号の面々を出迎え、白いテーブルに一同を導いて行きました。
台座を背にして皆がテーブルに着くと王様が手を挙げました。
音楽が止むと、左右の食卓から何かが崩れるような音が響きました。全員が一斉に腰を下ろしたのです。
すると左右の門が開き何台ものワゴン車を先頭に、楽団とコーラス隊が現われたのです。ワゴン車には山盛りの料理が乗っていました。
瞬く間に白いテーブルが豪華な食卓に変ったのです。
ぐうすか達に胃袋がなかったら、永遠に食べ続けていたでしょう。それほどおいしいものばかりでした。そのおかげで、物見の塔に案内されたときにも、お腹をくの字に曲げることが出来なかったのです。
「王様、聴いていいでヤすか?」もこりんが胸を張ったまま王様に尋ねました。
「何だね。」怖そうな王様が気さくに答えました。食事を終える頃には、スケール号の乗組員たちはすっかり王様を好きになっていたのです。
「原子の王様って、星のことだと思ってヤしたが、どうして目にも見えない小さな星に人がいるのでヤすか。」
「そうそう、わたスも思っていたダすよ。」
ここはのぞみ赤ちゃんの身体の中なのです。その身体が原子でできているということは博士の授業で知っていましたが、その上に人がいるなんて聞いたことがありませんでした。それはぐうすかもぴょんたも同じでした。太陽は燃える火の玉で人など住んでいません。ですから原子の王様と言えば、そういうものだと皆は思っていたのです。
「星には人が棲んでいるものだよ。もころんとやら。」
「もこりんでヤすよ、王様。」
王様はもこりんの訂正には答えず、威儀を正して博士に向き直りました。
「私はこのバリオンを統べる太陽族の王である。」
「そなたたちは私に何を伝えに来たのだ。なにゆえに太陽の紋章を持って私に近づいた。」
「王様、長い話になりますが、お聞きくださいますか。」
博士は改めて王様の前で膝を折り、胸に右手を添えて頭を下げました。
「聴こう。楽になさるがよい。」
「ありがとうございます。我々を太陽族の使者と呼んでいただき光栄です王様。」
そう言って博士は、スケール号のいわれをかいつまんで話し、太陽の紋章を頂いたいきさつを説明しました。
バリオン王は博士の話しに目を見開いて聴き入っていました。
博士は子供の頃、艦長としてスケール号にのっていたのです。神ひと様に会いに行く旅の経験から、太陽が神ひと様の身体をつくっている一番小さな単位で、神ひと様の光と命を宿していると知ったのです。のぞみ赤ちゃん、つまり我ら人間が原子系宇宙に浮かんでいる素粒子星の一つ一つを命の単位として、まるで素粒子星が組体操をするように人の身体を創り上げています。まったく同じように太陽が神ひと様の身体を支えているのでした。違うのは素粒子星と太陽ということだけです。スケールが違うだけで、どちらもヒトをつくる一番小さな単位としてこの宇宙に存在していることになるのです。つまりこの世はスケールを変えながら同じ世界が繰り返されているのです。
「信じられぬ。」
バリオン王は博士の途方もない話に、自分がどうかかわっていいのか分からないという表情で博士を見ました。
「王様、私達の身のまわりには目に見えぬ空間が在りますね。この空間こそがその証拠なのです。失礼ながらこのバリオン星は、まだ一つひとつのお名前も存じ上げませんが、いくつもの惑星を従えて原子系をつくっておられます。どうしてそんなことが出来るのかご存知ですか。」
「それは太陽族の、我らの力じゃ。」
「はい。まさにその通りです。しかしもっと根本に空間が在るのです王様、私達は空間の力を見落としていたのです。」
「空間の力だと?」
「バリオンの原子系宇宙はこの空間が在ってはじめて成り立っています。」博士は自分の両手を広げて空間を包んで見せました。
「空間がなかったら・・・」
「そうです王様、そう考えたらいいのです。空間がなかったら、この原子系宇宙に浮かぶ星達はどうなります?皆一つにくっついてしまいますね。そうなったらこのバリオン星すらなくなります。」
「そんなふうに考えたことはなかったが、・・確かに空間が在るからバリオンもストレンジも浮かんでいると言えるが・・・。」
「王様、このスケール号はこの空間を通って、太陽系の宇宙から王様のいる原子系宇宙にやってこられるのです。」
「ゴロニャーン」
スケール号は自分のことを言われて嬉しくなったのでしょう。宙返りしてそのまま王様の足元にすり寄って行きました。バリオン星の包み込まれるような光の中で金色の毛並みが繊細に揺れているのです。王様は思わずスケール号をすくい上げ両の腕に抱きかかえました。
「この猫がの?」
四半の空いっぱいに拡がった猫の姿が王様の頭に焼き付いています。そのスケール号が無警戒に喉を鳴らしてバリオン王の腕をぺろぺろ舐めました。
「スケール号は自在にその大きさを変えることが出来るのです。」
「だからあのような大きな姿で現れたのか。あれはお前だったのか。しかしあの時反乱軍に攻撃されて死んだのではないのか。」
「反乱軍ですと?王様、スケール号を射抜いたのは王様の光の槍ではなかったと言われるのですか?」
「あの時そなたたちの背後に反乱軍の大部隊が控えていた。そなたたちはその先鋒だと疑ったのだが、攻撃を受けたのを見て助けようとしたのだ。しかしその直後に突然消えたのだ。てっきり死んだと思ったのだが、生きていてよかったの。」
王様はスケール号の毛並みを梳くように撫ぜてやりました。スケール号は気持ちよさそうに目を閉じています。
「その反乱軍はどうなったのですか・・・王様?」
「撃退した。」
(15)
「反乱軍の話しを詳しく聴かせて頂けませんか、王様。」博士は北斗艦長を抱きながら顔を王様の方に向けました。
「なぜそんなことを聴くのだ。そなたたちの目的が今だこちらには分からぬのだぞ。」
「申し訳ありません、王様。」
博士ははやる心を詫びてから話を続けました。
「この子がスケール号の艦長、北斗と申します。まだ小さい故、御無礼はおゆるし下さい。」
「その子がこの猫の艦長とな。」王様は抱いている猫と北斗を見比べながらつぶやきました。
「ごろごろごろ」スケール号は喉を鳴らしています。
「ぱふぱふ うっキャー」
「機嫌がよさそうだの。」
「おむつがきれいになるといつもこうなんですよ。」
「子が可愛いのはいずこも同じだな。大事にするがよい。」
「ありがとうございます。王様。」
博士は礼を述べてから、決心したように話を核心に持って行きました。
「私たちがここに来た理由を申し上げます、王様。ただそれを理解していただくためには、長い退屈な話が必要だったのです。おゆるし下さい。」
「すべてを信じたわけではないが、考えさせられる話ではあった。」
「ありがとうございます。私達は太陽系の地球という星に棲んでおります。実はその地球に一人の子が生まれたのです。」
「・・・」
「生きているのが不思議なくらい未成熟で、あらゆる手を尽くしても原因が分からず成長が止まったままなのです。このままでは死を待つしかしかありません。それでも両親はその子に名前を付けました。のぞみという名です。どこかに見えない原因がある。ある一つの言葉を信じて私たちは、のぞみ赤ちゃんの身体の中にあるこの原子系宇宙にやってきたのです。」
「つまりこういうことなのかな・・」
話しを反芻しながら考えをつなごうとするように王様は続けました。
「我がバリオン系宇宙は、そなたたちの太陽系宇宙とつながっていると言うのだな。」
「そして、太陽系で生まれたその、赤子の身体は・・つまり我が宇宙の素粒子星が手をつなぎ合って出来ている身体だと・・・しかしそんな手は何処にもないぞ。」
「その手こそが、この空間なのです王様。宇宙語でつながっている空間です。私たちが見守っているのぞみ赤ちゃんは、あなた様が守っておられる、まさにこの宇宙なのです。」
博士も慎重に話を進めます。スケール号の隊員たちも、王様の従者たちも緊張した面持ちで聴き入っています。
「先ほど王様は反乱軍と戦っておられるとおっしゃいました。」
「降ってわいたような話だ。得体のしれぬものが動いている。経験したことの無い戦いというしかない。」
「失礼ですが王様、その戦いの真の目的をご存知ですか。」
「このバリオンを守るためだ。そなた、この私を愚弄するつもりか。」
王様はかかえていたスケール号を放して博士に向き直りました。スケール号は王様の足元から逃げるように博士の後ろでうずくまります。
「そうではありません王様。どうか聞いてください、王様。」
博士は矢継ぎ早に言葉をつなぎました。
「王様がその戦いに負けたら、のぞみ赤ちゃんはおそらく生きていけないのです。」
「何だと。」
「バリオンを守るということが、のぞみ赤ちゃんを生かすということなのです。そう考えてみてください。そうすれば王様が持っておられる太陽族の強大な力は、のぞみ赤ちゃんをヒトに成長させるという大いなる目的のためにあるのだと分かって頂けるでしょう。」
「・・・・」しばらく王様は言葉を失っていました。
「王様、太陽族の使者として申し上げます。どうかこの事実に目を向けて頂きますようお伝えいたします。今申し上げたことはおひさまの言葉だと信じていただきたいのです。」
博士は再び膝を折って使者の礼を示して奏上したのです。
「我らには代々受け継がれている伝説がある。」王様は遠い目をしました。
ここにありて、しかもはるか彼方にあるもの。
我ら、 太陽族の生まれた理由がそこにある。
何度も聴かされてきた太陽族の伝説を今、王様は全く別の方向から覗き見ているような気がました。
「はるか彼方にあるもの」その「彼方」に対する考え方が横の意識から縦の意識に変ったのです。思いもしなかった新しい考え方でした。
太陽族は横に拡がって存在しているだけではなかったのです。考え方を縦の意識に変えたら、横にいる太陽族が互いに手を結び合ってより大きな太陽族を生み出している。そんな世界を思い浮かべることが出来るのです。小さなものが集まって大きなものに、逆に見れば大きなものの中に小さなものがあるという縦のつながりが見えるようになったのです。
「我ら太陽族は横に並び立っているだけではない。それは縦に縦に、己のこの身そのものが一つしかないものに捧げられて存在している。」伝説はそのことを伝えていた。そう考えると太陽族の伝説がこの上もないほど重々しく大きな意味を持って王様に迫ってくるのでした。
「のぞみと申したな、その赤子は。我らとは無関係のものと思うておったが、我らそのものと考えてもいいというのだな。」
「その通りです王様。」
「それで赤子を助けられるのか。」
「王様、この子を抱いてやってもらえないでしょうか。」
博士は唐突に話を変えて、北斗艦長を差し出しました。それに釣られたように王様は北斗艦長の小さな体を抱き取りました。そしてそっと顔を近づけたのです。
「良い香りだ。北斗と申したの。」
「はい、」
「ハヴパブ」
バリオン王の腕の中で北斗艦長は右手をまっすぐ伸ばして自分の握りこぶしを見つめていました。
「まるで剣を持った勇者のようだの。」
王様は笑いながら言いました。
「その子が教えてくれたのです王様。ここには宇宙語がないと。」
「また奇妙なことを。先ほどから云っておるな、宇宙語とは何のことだ。」
「言葉が生まれる前の言葉なのです。その子はまだ言葉を知りません。ですが元気に生きております。ここ数日だけでも随分重くなりました。」
「一体何を言いたいのだ。」
王様は苛立って博士を見ました。けれども北斗が可愛い声を上げると、その目は再び北斗に向けられました。その頬は誰が見ても緩んでいるように見えました。
「言葉は太陽のようなものです、王様。闇の中から必要な意味を照らし出して見せてくれます。けれどもその反面、光のために夜空の星は見えなくなってしまいます。しかし言葉の太陽がない北斗は、まだ夜空の姿がそのまま見えているのです。それが宇宙語なのです。」
「なるほど、言葉は太陽か。明るいと見えぬものもある。それは分かるが。」王様は北斗の重さを腕に感じながら言いました。
「王様。北斗はその全身が宇宙語のかたまりなのです。どうか言葉でなく心で見てやって頂きたいのです。この子がなぜここに宇宙語がないというのか、王様に何か心当たりがございましたら、のぞみ赤ちゃんを助けられる原因も分かるのではないのかと、いちるの望みを持ってやってきたのです。」
「心当たりがあろうはずがなかろう。」
「・・・・」
「解決できぬ不安はあるがの。太陽の紋章を持つそなた達なら、この不安を晴らす力をもたらしてくれると思うておったが、お互いに求め合っていたとはの。」
「ㇵヴハヴうっきゃー、はふはふ」
北斗が王様の腕の中で手を振りました。その時右手が王様の髭をつかんだのです。王様が思わずその手から髭を引き抜きました。すると北斗が王様の顔を見て笑い声をあげました。何て屈託のない笑顔でしょうか。可愛い頬を上げ三角に口を開いた曇りのない笑顔に癒されないものはいないでしょう。その笑顔を見た時、王様の心に或る一つの閃きが起こったのです。
「艦長が笑ったでヤすよ!」もこりんのびっくりした声です。
「艦長がこんなに笑ったのは初めてだよ。そうだよね。」ぴょんたはみんなの同意をもらって喜びを何倍にもしたいのでしょう。
「王様はすごいダすなぁ。艦長を笑わせたのダすからね。」ぐうすかだけが王様を褒めました。
北斗艦長のまわりに集まってきたのは隊員たちばかりではありません。王様の従者達も喜び顔で集まってきました。二度三度髭を引っ張られてもそのたびにキャッキャと笑う子供の姿に王様はまんざらでもない顔をしています。
でも度々自慢の髭を引っ張られてはたまりませんので、王様は北斗を博士に渡して言いました。
「博士、我が宇宙に宇宙語がないという話、今意味が分かったぞ。」
「王様!」博士の顔に火がともったように見えました。
「笑いだ。この笑いなのだ。」
王様は憑き物が落ちたような顔をして、博士の腕に抱かれた北斗を愛おしそうに眺めました。
王様は人の心を動かす呪術者でもありました。スケール号は真っ先にその洗礼を受けたのです。心を見るものは、時としてたった一つの閃きから、ものごとの深い理解をつなげることがあります。この時の王様はまさにそうでした。
それというのも、王様には心に引っかかって解決出来ない問題があったのです。魔法使いの起こした反乱軍が瞬く間にストレンジ星を征服してしまったのです。反乱軍とは、魔法をかけられた民なのです。その魔法がなぜ短時間にこれだけのことをやってのけたのか、その力が分からないまま、ストレンジの王は敗走。その姫は捉えられてどうなっているのか。敵の正体が分からず、このままぶつかれば同じ民同士が無駄に殺し合うことになるのです。しかし反乱軍は倒さなければならない。王様は目先の対応だけでスケール号を襲った大船団を駆逐した事にも心を痛めているのです。しかし何もしなければこの先同じことが何度も起こるでしょう。王様を悩ませていたものは魔法使いに対する戦い方が分からない焦りと不安だったのです。
ところが、北斗の笑い声と笑顔に触れたとたん、その不安が氷解したのです。魔法使いの魔術はストレンジの民から笑いを奪ったのだと思えたのです。王様はストレンジから笑いが消えたのは、侵略者の攻撃が原因だと思っていました。しかし、まさにそれ自体が魔法使いの魔術だったのではないか。そう考えた時、この世界に宇宙語がないという意味が全身にしみわたりました。北斗のこの笑いが宇宙語そのものだとしたら、ストレンジ星に起こっている未曽有の危機は、笑いの宇宙語が魔法の力で消されているそのことが発端だと考えられるのです。笑いを奪われた民は、希望を失い喜びを忘れてしまう。先の見えない不安と猜疑心に見舞われ、自分の生活が地獄のように思えてくる。そして簡単に反乱に誘われる。そうであるなら、反乱軍の武力にだけ目を奪われていては影を相手に戦うことになる。調べてみる価値が十分にあると王様は考えたのです。
太陽族の使いがもたらしたものは、まさに王の欲するものだったのです。そしてそれは同時に、スケール号の求める原因に他ならなかったのです。その後王様と博士の会談が共通の敵チュウスケという魔法使いにたどり着いたのは言うまでもありません。
(16)
「ゴロニャーン」
バリオン星の王宮から金色の猫が鳴き声と共に飛び立ちました。前足で空をかき、後ろ足を大きく蹴りだすと猫は軽々と空中を走り続けるのです。
王宮の前庭に集まった民衆が手を振っています。そびえ立つ物見の塔を巻き込むようにスケール号が上昇すると、物見台にはバリオン王国の主なる重臣たちが幾重にも並んでいるのが見えます。スケール号が正面にやってくると、皆が一斉に右手を左肩に置いて出陣の敬礼をしました。スケール号はくるりと宙返りをしてそのまま空高く舞い上がったのです。
一方、バリオンの軍船が隊列を組んで飛び立ちました。
空をおおうように浮かぶ巨大な猫が反乱軍に攻撃されました。その猫を救うべく王様が発射した黄金の槍の一撃で反乱軍の艦隊は壊滅。かろうじて残った船はほうほうの体で逃げ帰ったのでしょう。その後バリオンの空は平静を取り戻したのです。黄金の槍の威力はさることながら、あっけない反乱軍の崩れ方に安堵したものの、タウ将軍はここぞとばかりに強硬策を奏上したのです。
「ストレンジの反乱軍がバリオンに攻めてきた、この事実を見過ごすことはできません。第一波はあっけなく王の槍によって撃退されましたが、ここで安心してはなりません。この機を逃してはならないのです、王様。ここはすかさず戦線をストレンジに押し戻し一気に反乱軍を鎮圧して王宮を取り戻しましょうぞ。」
バリオン軍の全権を賜ったタウ将軍は出撃のためにその日のうちに兵舎に戻りました。兵を出すのは今しかない。最強の軍を編成し、この機を利用して兵を出すのは、総司令官としての誇りでもあったのです。
軍備が整い再び王の間に謁見したタウ将軍は青いマントをまとい、太陽の飾り物のついた杖を携えていました。作戦を指揮官たちに伝えるための、バリオン軍総司令官の軍杖なのです。互いに姿が見えなくても、軍杖が意志を伝えてくれるのです。
「タウ将軍、引き合わせたい者がいる。」
そう言って王様がスケール号とその乗組員たちを王の間に招き入れました。
「この者たちは?」
タウ将軍は怪訝な面持ちで奇妙な一団を見ました。白い安物のコートを着た年寄。揺りかごの赤ちゃんとそれを取り囲むぬいぐるみのような動物たち? 中でも目を引くのが金色の猫でした。
「あの折、反乱軍に襲われた猫たちだ。」王様は意地悪そうに笑って言いました。
「あの折?あの時の、空に現われた巨大な怪物のことですか・・」
「まあ、そういうことだ。」
「しかしあれは、反乱軍の攻撃で死にましたぞ・・」
タウ将軍の驚く顔を面白がって王様はその後のいきさつを話して聞かせました。王様の話なので信じない訳には行きませんが、タウ将軍は半信半疑で話が先に進みませんでした。
そこでスケール号が自分の身体を王の間が一杯に成るほど大きくしてみせました。タウ将軍が驚いたのは言うまでもありません。
スケール号が静かにしゃがみ込むと、ゆっくりあごを床に付けました。口髭の先が床に付いてしまって、木の幹のように登って行けそうです。するとその額が開いて階段が降りてきたではありませんか。博士が丁重に手を差し伸べ王様とタウ将軍をスケール号に案内しました。一見は百聞に如かず。そう言って博士はのぞみ赤ちゃんの姿を見てもらおうと王様に提案していたのです。
スケール号が巷の猫の大きさに戻るとそのまま王の間を走り去り、天空に身を躍らせると、グングンと身体を拡大しはじめました。スケール号はやって来た道筋を一気にさかのぼって行ったのです。スケール号はのぞみ赤ちゃんの宇宙空間を原子の大きさからハエの大きさにまで拡大してきたのです。艦長の命令はますます冴えわたり、その移動に時間がかかりません。艦長が目的地を思い描くだけで瞬間に移動できるようになりました。ジイジが長い間掛かって習得した技術を北斗はあっという間に吸収していきます。
素粒子星のつくる無数の銀河を越えると、銀河は光を放つ樹林滞のような細胞となり、スケール号はその隙間をすり抜け、サンゴのような岩肌にある無数の洞穴を潜り抜け、やがて泉の底に顔を出すのです。汗の泉を上昇して水面を出ると、もうその上は大きな空が広がっています。その空に向かって前足をかき後ろ足をけると、スケール号は空に舞い上がりました。泉はみるみる小さくなり泉の点在する荒野の広がる大地に変って行きます。スケール号がハエの大きさにまで膨らむと、その大地の全体像が見え、一つのかたまりだったということが分かるのです。それは痛々しい赤ちゃんの姿でした。
保育器の内側から見るのぞみ赤ちゃんは、スケール号が出発したときより小さく、赤い皮膚は今にも破れそうに見えました。それを見た王様とタウ将軍はしばらく言葉がありませんでした。自分達の目の前で起こっていることがあまりにも異常で考えがついていけないのです。
「あの痛々しい赤子が、バリオン系の星々が集まって出来ている宇宙の姿だというのか。」王様がうなるようにつぶやきます。
「信じていただくしかありません。王様、これが真実なのです。」博士が厳粛に答えました。
「・・・・」
「しかし王様、あの子は痛々しくとも健気に生きております。それは王様の強さのおかげなのです。あの子を助けられるのも王様なのです。」
「あの子を私が守っていると。」
「はい王様。しかし時間がありません。」
博士はのぞみ赤ちゃんの衰弱した様子を見て、焦りを隠せませんでした。これはもう一刻の猶予もありません。
「艦長、バリオンに戻ろう。」
「はふはふ ウっキャー」
こうしてスケール号は身体のスケールを今度は逆に縮小させながらのぞみ赤ちゃんの額に飛び移り、再びバリオン星に戻ったのです。
そのスケール号の中で、ストレンジ星の反乱軍討伐の作戦が話し合われたのでした。
一つ、タウ将軍はバリオン軍を率いてストレンジを目指し、大気圏外に結集して反乱軍の動きをけん制する事。
しかしそれは簡単に決まったわけではありません。大気圏に突入して一気に反乱軍を壊滅させるというタウ将軍の強硬策と王様の考えが真っ向から対立したのです。二人は共に譲らず決着がつきませんでした。そこで博士が代案を出して仲裁しました。それはスケール号が作戦に参加するという提案でした。王様の作戦を軍から切り離すためにスケール号が王様と共に行動するという提案が、ようやく二人の合意を生みだしたのです。
王様の作戦はまずストレンジの王軍と合流し、姫君の救出を優先させ、チュウスケの魔法を解く方法を探る。というものでした。それは軍の行動を遅らせるばかりか、指揮に乱れが生じるとタウ将軍が異議を申したてたのです。けれども、隠密性の高い王様の作戦をスケール号が負うとなると話は別です。スケール号の力を目の当たりにした王様もタウ将軍も反対する理由はありませんでした。
こうして軍による侵攻を保留にしたうえで、スケール号が作戦に参加するという合意が生まれたのです。
二つ、スケール号が密かにストレンジに侵入して山中に潜む王軍と合流し、ストレンジの姫君救出作戦に参加する。
この作戦に合意するにあたっては、王様が一つの条件を付けました。それが王様自らスケール号に同乗するということだったのです。もちろんスケール号の乗組員たちは王様を大好きになっていましたので皆大賛成です。こうして作戦会議は決着したのでした。
タウ将軍は大気圏上空から反乱軍の動きを監視し、王軍を助けるために必要な援軍を随時派遣することになりました。目指すはストレンジの自立なのです。
軍議が終わるころにはスケール号は金色の恒星バリオンを視野に入れました。王様がスケール号の窓からバリオンを回る惑星たちを教えてくれました。バリオンの惑星は六個ありました。ストレンジ星はその六個の惑星の中の三番目の軌道を回っている星でした。バリオンの光を受けてオレンジ色に輝いています。一番内側に青色の星、二番目が黄色でした。四番目が緑色、一番外を回っているのが赤い星です。六つの惑星がそれぞれ独自の軌道を回っているのです。
博士がバリオンに一番近い星を指さして言いました。
「わが地球は、あのように青いのです。」
「そこにはあのような赤子がたくさんいるのか。」
「ふつうはありえません。あの子も元気に育てばこのような体になります。」
「艦長を見ているとそれは分かるぞ。」
その北斗艦長は、小さな握りこぶしを盛んに舐めています。人差し指を折ってその上に親指を重ねて口に入れているのです。しゅばしゅばしゅばしゅば、艦長の握りこぶしをなめる音が時々ウエッとなります。口の中で曲げた人差し指を伸ばして喉をついてしまうのです。その声でもこりんはコックさんに変身します。そろそろミルクの時間なのを知るのです。もこりんがコック帽をかぶって哺乳瓶を暖め始めました。グウスカはいつもそれをうらやましがります。ぐうすかの食事はスケール号が王の間にたどり着いてからの話し。まだまだ先なのですね。
こうしてストレンジを救うために姫君の救出作戦が始まったのです。
王様を乗せたスケール号はバリオンの民と王宮の重臣たちに見送られて旅立ちました。目の前にバリオンの惑星ストレンジがオレンジ色に輝いています。それがスケール号の位置によって丸く見えたり半分に見えたりします。さらに進むとストレンジ星は三日月型になり、折れるような光のリングとなって、ついに見えなくなりました。けれどももちろん、闇の中に見えなくなっただけで、無くなったわけではありません。スケール号は完全にストレンジ星の影に入ったのです。
ストレンジ星から言えば、真夜中なのです。スケール号は隠密裏に真夜中の密林に降り立ったのでした。
(17)
キイキイ、キャッキャッ、コロコロ、
ジャングルの夜はこんなに賑やかなのかと思うくらい動物たちの鳴き声が聞こえます。
「この星は豊かなのですね。たくさんの動物がいる。」
博士が王様の方を見て言いました。
「ストレンジは水が豊かなのだ。甘い河、苦い河、いろいろあって動物たちは好みの水によって棲み分けが出来ている。確かに動物の種類は多いかも知れぬ。」
ギャーギャー、キーッツ、クオーツ、
「でもなんだか悲しそうでヤすよ。」
「泣いているのダす。悲しいことがあるのダすよ。」
キーッツ!キーッツ!!ギャー、ギャー、ギャー、
「確かにおかしいです。助けを呼んでいる鳴き声です。ぐうすかの言うように、泣いているものもいます何かあったんだ。」
ぴょんたが耳を立てて不安そうに言いました。
「艦長、動物たちの鳴き声のする場所を探せないか。」
「ハブハブ、」
艦長は右手を肩の上に伸ばして自分の握りこぶしをみているところでした。
「どんなものがいるか分からない。気をつけて動こう。」
スケール号は闇の中でも外を見る事ができます。
ジャングルはうっそうと植物が茂っていました。背の高い木が枝を広げて空を覆いつくしています。昼間でもここは薄暗いでしょう。いたるところでツタが垂れ下がっています。そのツタが揺れて、何かが飛び立ちました。その黒い塊を目で追うと、ツタからツタへ飛び移り、枝を走っているのです。
それに気づくと、同じような動きがあちこちで見つかりました。皆同じ方向に進んでいるように見えました。動きは木の上だけではありません。茂みが揺れて飛び出してきたのは立派な角を持った鹿ではありませんか。
「ウサギでヤすよ、ぴょんた。」
もこりんが指さして言いました。その先にピョンピョン飛び跳ねていくウサギがいました。一匹だけではありません。明らかに皆同じ方向に向かっているのです。
スケール号はその動物たちに交じって、走りました。いつの間にかスケール号の横にはクロヒョウが並走しているのです。走るにしたがって、動物たちの数が増えているようです。
ギャーギャーギャー、キーッツ、クオーツ、キーッツ、
泣いているような動物の声がさらに大きく聞こえました。動物たちは明らかにその声に向かって急いでいるようなのです。
「何か異変があったに違いない。」
「あの奇妙な声が動物たちを呼んでいるのでしょうか。」
「ストレンジには、世界の最後に動物たちは皆同じ方向に走って海に飛び込むという話があるのだが。」
「世界の最後・・・今がそれなのですか。」
ピョンタは自分と同じウサギの姿を見てから、必死で走っている動物たちに特別の思いを持ったのでしょう。心配でならないという気持ちが自慢の耳に現れて片方が折れ曲がっています。
ギャーギャーギャー、ギャーキーッツ、クオーツ、キーッツ、クオーツ
声がすぐそばで聞こえました。
密林の籔が途切れて、ジャングルの中に大きな樹木のドームが現れたのです。空は木の枝と絡まったツタで覆われた広い空間になっています。その中央に動物たちが大きな輪を作っていました。周辺の木の枝には鳥が押し合いながら止まっています。スケール号は迷わず動物たちの輪の中に入っていきました。足の隙間をぬって進んでいくと、その中央に真っ白な動物が横たわっています。その背中やわき腹に何本も矢が刺さっているのです。痛みに耐えながら立ち上がろうともがき、頭をもたげました。その頭には枯れ枝のような角をいただいているではありませんか。それは大きな白い鹿だったのです。
まわりの動物たちはみな心配そうに眺めています。サルが露のついた大葉を矢の刺さった傷口にあてて清めていました。リスが木の実を食べさせようとしていますが、鹿は口を開けようともしません。
クオーッツ!!口から泡を吹いて白鹿は悲鳴を上げました。
ギャーギャーギャー、動物たちの鳴き声が感染して森に広がります。
「艦長、行きます。」ピョンタがもう薬箱を持って立っていました。
「助けに行くでヤすよ。」
「ほっておけないダす。わたスも手伝うダす。」
動物たちを刺激しないように、博士はぴょんた達だけをスケール号の外に出しました。
ぴょんたが 駆け付けた時には、白鹿はもうぐったりとしていました。ぴょんたは迷わずカンフル剤を肩に注射しました。白鹿はピクリと身体を震わせ、目を開けました。
「頑張って。大丈夫、今助けてあげるからね。」
「どなたか知らぬが、この矢は抜けぬ。」
白鹿は苦痛に耐えながら言いました。
「大丈夫ダす。ぴょんたはお医者さんダす。しっかりするダすよ。」
「少し痛いけど、我慢して。」
そう言ってぴょんたは刺さった矢を一気に引き抜きました。
「クオーッツ」
矢は三本、ぴょんたは手際よくその傷口に薬をぬって万能絆創膏を貼っていきました。
「キッキー、キッキー」サルがやってきてしきりに白鹿の背中を指さします。
「反対側にも矢が刺さっていると言ってるでヤす。」
「みんなで体を返すのダすよ。」
ぐうすかが言うと大きな動物たちが集まってきました。
「白鹿さん、頑張って寝返りしようね。」
「すまない。」
白鹿は力を振り絞って首をもたげ、身を起そうとしました。動物たちが手を差し伸べ、頭でわき腹を押しあげようやく身を返したのです。そのわき腹には折れた矢が深々と刺さっているのでした。それでもぴょんたはひるみません。メスを取り出すと矢口を切り開き、折れた矢を引き抜いたのです。動物たちの歓声が上がりました。止血が済むと万能絆創膏の出番です。
白鹿は足を折ったまま身を起こしました。動物たちは大喜びです。
「もう大丈夫です白鹿さん。」
「ありがとう。」
「この矢は、何があったのでやスか。」
「人間が凶暴になったのだ。仲間がたくさん殺された。我らの世界に無断で足を踏み入れている。仲間を助けようとしてこのありさまだ。私は森の王フケという。」
「人間が魔法にかけられているのダす。」
「魔法だと?」
「それを正すために我々はやって来たのだ。」
いつの間にかバリオンの王様と博士が立っていました。動物たちは引いて、中には牙をむくものもありました。どこからか石が飛んできて王様のマントをかすめて地に落ちました。それを合図に一斉に動物たちが迫ってきたのです。
「クオオーン!」
森の王フケがおたけびを上げ、ふらつきながらも足を伸ばして立ち上がりました。動物たちは一瞬その場で固まってしまったのです。
動物たちの輪の中に、森の王フケが座り、その前にスケール号の仲間たちが座っていました。スケール号が光を発して森のドームは光の玉のように見えました。動物たちの影が放射状に延びて森に消えています。バリオンの王様が今起こっているストレンジの危機を話して聞かせ、森の王が動物たちに知らせるというやり方で、動物たちはすっかりおとなしくなったのです。
ストレンジの姫君を救いに来たという話を聞いて、動物たちのあちこちから歓声が上がりました。ストレンジの姫君は動物たちに大層慕われていたのです。そしてぴょんたやぐうすか達には、感謝の合唱が起こりました。
ストレンジでは人間と動物は互いに協力しあっていました。互いの能力を生かしあって暮らしていたのです。
森の王がそんな話を始めました。
それを我々に教えてくれたのがストレンジの姫君だった。それまでは人間との間でいさかいもあったが、姫君のおかげで共に生きる良い国となったのだ。その姫君の姿が城から消え、人間が凶暴になってしまった。と森の王フケが語りました。その話はバリオンの王様の話とよく符合して大いに盛り上がりました。
魔法使いチュウスケはネズミの姿をしている。人間たちが凶暴になった元凶がネズミだと聞いて、動物たちが口々に囁き合い、そのサワサワ声が波となって森の中に広がっていったのです。
「姫君は王宮のどこかに閉じこめられている。王は逃れて山中に潜んでいるのだ。魔法からかろうじて逃れた王軍に守られて、姫君の救出作戦を始めているという。その王を探し出し、私はこのスケール号と共に姫君の救出作戦に参加するためにやって来たバリオンの王だ。ストレンジ王の居場所を知りたい。」
バリオン王の話を聞いて、白鹿はヒューと高い鳴き声を上げました。すると動物たちが互いに顔を見合わせてざわつき始めました。しばらくざわめきが続いていると、森の方から数羽の小鳥が飛んできました。そして小鳥たちは森の王の立派な角に止りました。小鳥たちは我先にさえずり始めたのです。押し合って、落ちそうになって羽ばたいて、遠くから見ると蝶が舞っているように見えました。しばらくして森の王がバリオンの王様に向かって言いました。
「それはこの者たちが知っている。」
(18)
ストレンジ王メイソンは白髪の老人でした。かりそめの王座に座った王は、苦渋に満ちた顔をしていました。憔悴した姿は今にも崩れ落ちそうに見えるのです。
無理にベッドから身を起してきたのでしょう。傍らには心配そうにたたずむ后の姿がありました。
「ストレンジの王、メイソンよ、どうかベッドに身を横たえて、御身を御自愛下され。私がそちらに参りましょうぞ。」
「王様、バリオンの王様から御慈悲のお言葉を頂きましたよ。」
「ならぬ。お前は奥に控えているのじゃ。」
メイソンは胸を張って、バリオン王とその随員に目を向けました。
「バリオン様、よくぞこのようなところにお越しいただけました。見苦しいところをお見せ申して面目もございませぬ。衰弱ゆえ声もままなりませぬ。どうか近こうお寄りくだされ。」
バリオンの王様は、厳かに一礼して王座に対面して置かれた座椅子に坐りました。随行のものはその後ろに敷かれた絨毯に腰を落としたのです。
「ストレンジの反乱を鎮圧するために援軍を連れて参った。王よ、よく御無事でおられた。」
「ありがたいお言葉、身に沁みまする。」
「ご安心召されよ。バリオンは全面的に王軍をご支援いたす。」
「重ね重ね、ありがたき幸せにござる。」
「当然のことだメイソン王よ。共に戦いましょうぞ。囚われの身となった姫君の救出には、この者たちが役に立つはず。さっそく詳しい話をお聞かせいただきたい。」
バリオンの王様は振り返ってスケール号の面々を紹介しました。メイソン王がうなずき右手を上げました。すると若者が緊張して歩み寄り王座の横にひざまずいたのです。
「この者はエルと申す、若いが我が衛兵のつわものじゃ。この者が詳しい故、お聞き下され。」
エルの軍服は所々擦り切れ、切り裂かれた跡も見え隠れしています。激しい戦禍を潜り抜けて来たのでしょう。王に一礼してストレンジの王様に向き直りました。そして戦況を説明しはじめたのです。
まだ半年にもならぬある日、兵員が武装解除してくつろぐ兵舎に、王軍の重装した兵の一団が広場に整列しました。突然ラッパを吹き鳴らし、休息中の兵員を広場に呼び集めたのです。その性急さは軍服を着るいとまもないほどでした。何事が起こったのか、何かの訓練なのか分からないまま、全兵員が正装した軍の前に整列させられたのです。皆には、見知った兵の隊列でしたが、その中央に見たことも無い不気味な黒ずくめのネズミがいたのです。
「我々は王の悪政を正すために立ち上がった義勇軍だチュ。悪政に苦しむ民を救うためにストレンジ王を倒すのだチュウ。」ネズミが声高に叫ぶと、整列した軍が一斉にときの声を上げました。
「よく聴くがいいだチュ。義勇軍に加わるものは後ろに下がって一列に並ぶだチュ。加わる意思のないものは反逆者と見做し、この場で射殺するチュウのだ。」
直後に武装兵が一斉に矢を向けたのです。ほぼ半数が後ろに下がりました。すると戸惑った仲間は全員敵の輪の中に取り残されたのです。無慈悲に一刻の猶予も無く矢が放たれ、ほとんどが射殺されました。幸い逃げ延びたものは数えるほどでした。各兵舎で、それはほぼ同時に起こったのです。瞬く間に王軍は反乱軍の手に堕ちました。反乱軍は雪崩のように王宮に迫りました。衛兵はよく戦いましたが、反乱軍はその何十倍もいたのです。姫様が王様を説得して抜け道を通り王宮の外に避難することになりました。ところが姫様は、王様が無事逃げ出すのを確認するとご自分は抜け道を引き返して行かれたのです。何度か爆発音が聞えました。抜け道は完全に埋まってしまったのです。姫様は抜け道の痕跡を消したのだと思います。一人王宮に戻り、反乱軍と戦いましたが、ついに捕えられてしまったのです。
その時私は連れさられる姫様を目撃しました。しかし助けることができなかったのです。その時私を見て姫様が叫びました。
「緑の穴だ。王様を、」言い終わらぬうちに打ち据えられ、引きずられて行ってしまわれたのです。それから私は命からがら脱出できたのです。緑の穴というのは、姫様と衛兵が密かに設営した有事の隠れ城でした。そのおかげで私は王様の下にたどり着くことが出来ました。
エルの話しは無駄なく整然としていました。
「姫君は無事なのか。」
「王宮の所々に、姫様のメッセージがさりげなく残されています。それを辿っても、残念ながらたどり着けませんでしたが、しかし姫様は捕えられても諦めず、戦う姿勢を我々に示してくれているのです。地下牢など探しましたが、今だにお姿を見ることが出来ません。警戒が厳しく、角ごとに警備の兵が立っていて自由に動けないのですが・・・しかし姫様が簡単に堕されることはありません。必ず姫様を救出してみせます。」
「それを聴いて安心いたした。」
バリオンの王様がそう言って話を引き受け、スケール号を紹介しました。そして姫君を救出するための、信じがたい能力を話し始めたのです。
「この猫が自由に大きさを変えられる宇宙船だというのですか。」
エルが黄金の猫を見て言いました。ストレンジの王もエルも、とんでもない戯言としか思えませんでした。
「いかにも。スケール号という。これに乗ると、ネズミにもハエにもなれるのだ。塵芥になって壁も自在に通り抜けることが出来る。スケール号なら王宮をくまなく捜索出来る。誰にも気付かれずにの。」
「何の冗談じゃ。この期に及んでワシを惑わしに参られたのか。それとも魔術か。」
王は弱った体を持ち上げ、腰の短剣に手をやりました。エルも腰を落として身構えたのです。すかさず博士がバリオン王の前に出て行きました。
「王様、嘘ではございません。どうか信じて頂きたいのです。これをご覧ください。」
そう言って博士はスケール号に目配せをしました。スケール号にしたらいつものアトラクションです。穴倉の中で天井いっぱいになったと思うと猫に戻り、ネズミになりました。ハエになると飛び立ちストレンジ王の手の甲にとまりました。よく見るとそれは小さなスケール号なのです。スケール号はそのまま飛び立ちエルの顔のまわりを飛ぶと鼻頭に立ちました。腰をひいた拍子にエルはしりもちをついてしまいました。もこりんや、ぐうすかはつい笑ってしまいます。うっキャーうっキャーと、艦長まで揺りかごの中で足をバタバタさせています。博士がエルに手を差し伸べ助け起こしながら言いました。
「分かって頂けましたか。この船に我々は乗ることができます。エル殿、多勢はいりません。あなた様が一緒にこのスケール号に乗って頂ければ、いいのです。スケール号の中であなた様の智慧が必要なのです。必ず共に力を合わせ姫君をお救いたしましょう。」
「エルよ、この黄金の猫は我らのいちるの望みじゃ。わしはその望にかけてみたい。行ってくれるか。」
「王様、是非もありません。」
エルはメイソン王にひざまづいて答礼しました。
「しかし王様、ここは危険なのです。この場所は衛兵しか知りませんが、しかし衛兵の何名かは捕えられております。あの黒ネズミにかかったら、この場所が知れてしまうのは時間の問題かも知れません。至急場所をうつさねばなりません。」
「その件なら心配いらぬぞ、エル殿。メイソン王よ、我が軍がこの上空に待機しておる。この山城を守るために援軍を差し向けたいのだが、いかがかな。」
「おお、それは心強いことじゃ。ならばエルよ、何の心配もない。一刻も早くフェルミンを救い出しておくれ。一人犠牲になって我らを助けてくれたあれを見殺しには出来ぬ。エルよ、一刻も早く。猶予はないのじゃ。」
メイソン王の目に涙が溜まっていました。
「この命にかけて。」エルは思わず王の前で両の手を握りしめました。
「歓迎いたすぞ。エル殿。」
バリオンの王様が手を差し出しました。エルは手のひらを服にこすり付けてから、拝命するように王様の手を握ったのです。
エルの鼻頭から飛び立ったスケール号はいつの間にか洞窟いっぱいになってうずくまり、愛嬌のある顔を地面につけていました。額の入り口が開くと階段が降りてきました。エルはバリオン王と共にスケール号に乗り込んでいったのです。
一刻の猶予もありません。スケール号はそのまま闇に消えました。
その翌日には宇宙に留まるバリオン艦隊からタウ将軍が命令を下し、五艘の軍船が森に降り立ち、ストレンジ王軍の立てこもる山城の守りとなったのです。
(19)
ストレンジの王宮はまるで廃墟のようなたたずまいになっていました。壁が崩れても、石畳に兵士の屍骸が転がっていても、誰もかまうものはいないのです。機能的に、通行の邪魔になるものだけが取り除かれ、それ以外の場所にはたくさんの戦死者が鎧兜や折れた武器などと共に転がっていました。
悪臭が立ち込め、尋常の者なら一刻も耐えがたいでしょう、空気が腐っているのです。反乱軍の兵士は怒りで心が潰され、この地獄のような宮殿を顧みるゆとりもないのでしょう。ありていに言えば生きるしかばねのようになって、通路の辻々に立っているのです。侵入者を見つければ見境なく攻撃する操り人形のようになっていました。
誰でも腹が立って、つい何かにあたってしまうという経験はあるでしょう。ところがその度を越えた怒りが次々と湧きあがってくると、心は砕けてしまうのです。戦う相手がいなければ、何かを叩き潰すしかありません。壁をたたき割り、狂気のように屍骸を蹴り、切りつける者もいました。血眼になって憎しみをぶつける相手を探し求めるようになっていたのです。
王が忽然と消えて、捜索は宮殿、城内から城下町にまで及びました。必死の捜索は、むごいことに民の大虐殺にまで発展しました。いつの間にか全ての王軍は反乱軍に組織されてしまいました。兵士から言えば戦う相手がなくなってしまったのです。
怒りをぶつけるものがなくなると、反乱軍はもはや制御できないほど、無意味な憎悪に翻弄され自制心を失ったのです。怒りにとりつかれた兵士たちは、ついに理由なき戦いを始めるようになりました。生き残った村々を襲い略奪すると、さらに獲物を求めて森の動物たちにまで憎しみを抱くようになったのです。
リスのような小動物でさえ寄ってたかって叩き潰そうとするのです。白鹿が現われてかわいそうなリスを助けました。兵士たちは頭が爆発するほど逆上して無数の矢を白鹿に浴びせかけたのです。白鹿とリスは深手を負いながらも狂気の兵士たちから逃れ、深い籔に姿を消しました。すると白鹿の死骸を見るまで怒りはおさまりません。兵士たちは動物たちの棲家を手当たり次第に荒らし始めました。怒りのエネルギーがどんどん高まっていくのが分かります。それは肉体を蝕み、兵士たちの心はすでに破壊され尽くしていたのかもしれません。
そんな兵士たちを束ねることが出来るのは恐怖だけでした。
王宮の一角に魔法で閉じられた部屋がありました。
「親分、兵士たちのイライラはもう限界ですポンポン。」
「それよりまだ王の居場所が分からないチュのか。」
「この宮殿と城内、それに城下町などをくまなく探しましたがカウ、逃げ出せるところは見つからないですカウカウ。」
「隠された地下道が必ずあるだチュ。姫はまだ口を割らないだチュか。」
「もう親分でなければだめですポンポン。」
ポンスケが困った顔をして言いました。
「どんなに攻めてもカウ、脅してもカウ、どうしても口を開かないのでカウす。」
「情けない子分どもめ。」
チュウスケは、兵士たちから笑い声を奪い怒りを植えつけました。最初は成功したものの、王が逃げ出すという予想外のことが起こり、計画が狂ってしまったのです。一気にストレンジ軍を手に入れ、全軍をバリオンに差し向ける手はずでした。それなのに逃げ出した王軍の残党がゲリラ戦で抵抗を始めました。まるでモグラたたきのような攻防戦が続いて一向に治まらないのです。そればかりか、残党の抵抗が次第に強くなっているのです。一気に王宮を占拠した勢いで、気力をなくした王軍など簡単に制圧できると考えていました。今抵抗しているのは王の身辺警護の衛兵ぐらいなのです。それなのに逆に勢いを盛り返してくるとは、予想外のことでした。これでは王を仕留めなければらちが明かない。しかし逆に言えば王さえ殺せばいいのです。
王軍を手中におさめながら足踏みしているのは、衛兵が予想以上に強者たちなのかかもしれません。このままでは王が生きている限り抵抗は終わらないでしょう。事態が長引くにつれて、チュウスケにも不安と焦りが生まれてくるのでした。
それにしても、バリオン星は確かに強大な力を持っていました。チュウスケ自らがバリオンから発射された黄金の槍の餌食になって大けがをしたばかりなのです。それは見たこともない武器でした。いかにストレンジの軍を掌握して軍備を整えてもストレンジには勝てない。それはチュウスケにも分かっていました。
けれども、いかに強大な軍隊であっても、内に潜り込めばチュウスケの思うつぼです。ストレンジ軍を手に入れて攻め入れば、たとえ勝てなくてもバリオンに潜り込める。そう考えていました。チュウスケにとって、軍はしょせん道具に過ぎないのです。仮に王軍が勢力を盛り返して来たのなら、それはそれで好都合。餌をなくしたわが軍が大喜びするだろう。怒りをどこまでも膨らませてやらねばならないとチュウスケは考えるのでした。
「親分、兵士たちは戦う相手がなくなって怒り狂っているカウ。もう限界ですカウカウ。」
「分かっているチュウのだ。山狩りでもなんでもさせておくのだチュ。この役立たずめ!」
チュウスケはいら立ちを隠せません。
「ポンスケ、反抗する兵士を生きたまま捕えてくるのだチュ。」
「親分、それは無理ですポンポン。兵たちは相手を殺すまで攻撃をやめないポン。」
「馬鹿者!とにかく生きたまま連れてこいチュのだ。」
「へい親分任せてください。カウ。」
「衛兵を生きたまま。へいへい親分ポンポン。」調子のいいポンスケはカンスケ頼りの安請け合いです。
「分かったらさっさと行って衛兵を捕らえてくるチュうのだ!!」
チュウスケの悪知恵が姫の攻略に何かを思いついたのです。
「おのれ、あのこわっぱ、わたチュが口を割らしてやるだチュ。」
今や事態を進めるためには、とらえた姫を堕とすしかないと、チュウスケは考えたのです。その方法が突然ひらめいたのです。王は取り逃がしたが姫はわが手にある。こわっぱがどんなに強情でも、チュウスケにとって情は弱点以外の何ものでもありません。チュウスケは一人笑みをこぼしました。
そのころ、スケール号はすでに王宮に侵入していました。おぞましい光景を見て、誰もが心を痛めました。それはスケール号の乗組員たちには想像できない風景だったのです。バリオンの王様ですら、言葉を失いました。
幸せにも、艦長だけは揺りかごの中で両手を大の字に伸ばして眠っていました。相変わらずその手を丸く握りしめて、かわいく柔らかいマシュマロのようでした。眠りながら口をもごもごしています。北斗はスケール号の艦長になってからこれまで、かわいそうにお母さんのおっぱいをもらえていないのです。もこりんの作るミルクはおいしいのですが、やっぱりお母さんが恋しいのでしょう。おっぱいをのんでいる夢を見ているに違いありません。地獄の光景を見た後で、隊員たちはそんな艦長の眠り顔を見るだけで癒されるのです。
もこりんが我慢できずに、艦長のほっぺをつんつんしました。見るともこりんが目に涙をためているのです。
「どうしたのダすか、もこりん。もこりんが泣いているダすよ。」
「もこりん、どうして泣いているの?」
ぐうすかとぴょんたが揺りかごのまわりにやってきて、もこりんの涙に気づいたのです。
「かわいそうでヤす。」
「何がかわいそうなんだい?」
博士もやってきました。
「お墓をつくるでヤす。」
もこりんは愛用のツルハシを取り出して言いました。もこりんは穴掘りの名人だったのです。
「何を言っているんだよ、もこりん。おかしなやつだな。縁起でもないこと言ったらだめだよ。」
「おかしくなんかないでヤす!」もこりんがむきになって言いました。
「もこりんは、あの兵士たちのことを言っているのだね。」
博士はもこりんの肩に手を当てて言いました。もこりんの思いに心打たれたのです。王宮の石畳のいたるところに兵士の躯が転がっています。もこりんはそれを見て涙を流したのだと博士は思ったのです。
「あんなにたくさん、まるでゴミみたいでヤす。艦長を見てたら、それがかわいそうになってきて、勝手に目から汗が出てきたんでヤすよ。泣いてなんかいないでヤす。」
「ありがとう、もこりん殿。あれは私の仲間たちだ。反乱軍といえど・・・真っ先に私が気づかねばならぬのに、それをもこりん殿が涙してくれたこと、我が王に報告したらきっと喜んでくれるだろう。」
エルがもこりんに敬礼してくれました。
「博士、お墓をつくりに行かせてほしいでヤす。」
「もこりん、かわいそうだが、今はそれが出来ないのだよ。」
「今は出来ぬが、この戦いが終わったら、この王もこの地に大きな墓石を作って弔う約束をしようぞ。」
バリオンの王様も合掌して言いました。
「賊を打倒して王は必ず国を挙げた弔いをなさる。まずは降りかかった火の粉を振り払わねばならぬのだ。もこりん殿。」
「ごめんね、みんな。きっとお墓をつくってあげるからね。」
(20)
フェルミンは元気で朗らかな、優しい子供でした。野原を駆けまわるのが大好きで、王宮にある森に興味を持って、ふと気付いた不思議があると、それを探ろうとどこへでも探検する活発な子だったのです。野外の空気はどこまで行っても広く、清らかに感じられました。不思議なのはいつも、フェルミンが遊んでいると森の動物たちが集まってくることでした。フェルミンが森で迷子になっている時も、必ず動物たちが助けてくれたのです。それというのも。フェルミンは動物と話が出来たのです。
どうして話せるようになったのか自分でも分かりませんが、幼いころから宮殿の森で動物たちと過ごすうちに言葉を覚えたのでした。大きくなって、誰も動物と話せないということを知ったときの驚きをフェルミンは忘れません。
森の中には新しいことがたくさんありました。空を飛ぶことや、花の蜜、穴倉の掘方、木の枝で編んだ棲家。地下道の作り方まで、動物たちの智慧はフェルミンを夢中にさせてくれたのです。動物たちは皆、個性ある特技を持っていて、皆がパズルのピースのように役に立っていないものはないのです。だからこそそれを活かしあったらきっと素敵な森が出来る。そう気付いたのはフェルミンが大人になる前の年でした。フェルミンが動物たちにそんな話を聞かせてやったことが、甘い河に集まる動物たちと苦い河に集まる動物たちの助け合いに発展しました。互いに相手にないものを与え合うことは動物たちに倍の喜びをもたらしたのです。
そんなフェルミンには幼いころから兄弟のような友達がいました。親衛隊長の息子エルで、3つ違いのお兄さんでした。そのエルが成人して親衛隊に入ると、フェルミンはなんとなく親衛隊に出入りするようになったのです。少しずつフェルミンは親衛隊のことを知るようになって、王宮の危険を感じるようになったのです。
それは動物たちの智慧でした。「王宮は袋のネズミ」フクロウがよく言っていた言葉の意味が初めて分かったのです。意識して見ると、王宮には正面以外に逃げ道がありませんでした。フェルミンがエルにその話をすると、いつの間にか親衛隊の若者たちが集まり、ひそかな隠れ城作りに情熱を傾けるようになったのです。
フェルミンの動物の智慧がたいそう役に立ちました。穴掘りには動物たちが助けてくれましたし、隠れ城に適した洞窟も動物たちが探してくれました。動物の間では「緑の穴」と呼び合う、その全容も知り得ない天然の地下洞窟でした。その名の通り入り口は樹木が茂り、穴は見えません。そこに至る巧みな道筋は動物にしか分からないのです。
それにしても緑の穴の隠れ城をこんなにも早く、こんな形で使うことになるとは、作り上げた当の若い親衛隊ですら知らないことでした。
それは深夜のことだったのです。突然反乱軍が立ち上がり、瞬く間に宮殿が戦場となってしまったのです。宮殿に至る門や通路、通用門からベランダ、窓に至るまで、人の出入りできる場所はことごとく反乱兵におさえられていました。松明が焚かれ、ネズミ一匹そこから逃げることはできなかったでしょう。親衛隊の抵抗は時間の問題と思われました。王のベッドにフェルミンが駆け込んできて、王を宮殿から脱出させるころには、もう反乱軍は宮殿内宮の門に迫って居たのです。外宮の至る所から火の手が上がっています。フェルミンの必死の説得で王はようやく動きました。衛兵に守られながらフェルミンにしたがって王宮を脱出しました。
「王様、後はこの親衛隊が知っています。穴倉で住み心地は今一つですが、御無事で、お父様」
「フェルミン、お前は。」
「私は戻らねばなりません。この道を消すのは私しか出来ないのです。」
「しかし・・」
「ご心配は御無用です。むざむざ死にはいたしません。」
「フェルミン、わしはそなたを止めることが出来ぬのか。」
「王様、反乱軍を見極め、必ず復権いたしましょう。それまでの辛抱をなさってください。」
フェルミンはそう言うや、踵を返してその場を走り去りました。
地下道の破壊は、隠れ城作りの工程に組み込まれていたものでした。地下水脈や川の力を利用して完全に道を消すために、その要所々々に爆薬を仕掛けていました。フェルミンはそれを爆破しながら王宮に向ったのです。もはや虫や動物でさえ道を知ることはできないでしょう。
反乱軍はすでに内宮を制圧して、本宮の門を壊し始めているのです。フェルミンは王宮の隠れ道を塞ぎ終わると、庭に飛び出して行きました。ちょうど門が打ち破られ、兵がなだれ込んでくるところでした。応戦する衛兵は数十人足らずです。剣をはらいフェルミンはその小さな一団の中に入って行ったのです。
「外に出るのだ、ここに守る王はいない。無事脱出した。」
フェルミンの一言に、衛兵たちは歓声を上げました。
「己だけを守ればいい。生きて、王宮を出るのだ。緑の穴だ。」
「オオーっ!」
衛兵たちは雄叫びを上げて、反乱軍の中に突入していったのです。フェルミンは外宮の庭でついに兵士に取り囲まれました。肩で息をしながら敵兵を見ると、それは見知った者たちでした。
「目を覚ませ、ここは王宮だぞ!」フェルミンが叫びました。
「その王に天誅を下すのだ!」
兵は顔をゆがめ、そして剣を振り上げたのです。すると背後で声がしました。
「こやつを殺すなチュのだ。生け捕りにするだチュ!」
その声に反応して、兵が一斉にとびかかり、フェルミンを取り押さえたのです。
「フェルミン!」かすかに聞こえた声があります。
その声の方にエルの姿がありました。無数の反乱軍の頭にさえぎられて。エルは必死でこちらに向おうとしているのです。
「緑の穴だ!王様を・・・」
言い終わらないうちにフェルミンは打ち据えられ、縄をかけられてしまったのです。
「姫様が捕えられたのはこの場所です。」
スケール号の操縦室で、エルが悔しそうに言いました。そこに見えているのは焼けただれた門を背景にした広場の真ん中でした。入り乱れた人の足跡がいまだに残っています。千を超える反乱軍が一気に押し寄せて来たのです。城内にいた衛兵はわずか二百。それも一つにまとまる時間さえありませんでした。あっという間の出来事だったのです。
「それで姫君は何処に連れて行かれたのだ。どこまで調べがついているのだ。」バリオンの王様が聞きました。
「あの焼かれた門の奥が中宮で、その奥の門をくぐると本宮、王の間もあります。例のネズミたちはそこで指揮を出しているのです。」
「地下牢などは無いのか。」
「中宮の広場の下にあります。すでに調べましたが、そこには誰もいませんでした。しかし姫様はこの宮殿のどこかに捕えられているはずです。」
「エル殿、先ほど確か姫様のメッセージが各所にあると言われていたが、それはどんなところに?」
博士が二人の間に割って入りました。
「おおそうでした。見てください。ご案内しましょう。これは姫様が諦めていない確かなしるしなのです。」
エルは宮殿内の大まかな地図を画き、スケール号は忍びながらフェルミン姫の痕跡を辿って行きました。フェルミンはエルや衛兵にしかわからないマーキングを残しているというのです。
その時に出来ることを利用したマーキングです。小石を均等に並べていたり、壁に点と線の傷が入っていたり、フェルミンの服の切れ端が石垣の隙間に差し込まれているところもありました。これは明らかにフェルミンが連行されていく途中に、すきを見て残したマーキングなのです。エルはその一つ一つを説明しながら、進んでいきました。すると自然にスケール号は王宮の内宮にある奥深い廊下にたどり着いたのです。
「ここで姫様のマーキングは消えています。何度かこの周辺の部屋を探しましたが、ここで行き詰っているのです。」
エルの示したマーキングは、波型に残された血痕でした。人が見てもただ引きずられた跡にしか見えません。そこは両側に部屋のある真っ直ぐな廊下でした。エルの話しでは、来賓をもてなす部屋が並んでいるのだそうです。
「もうマーキングはないのだろうか。」
博士がその周辺を見渡しながら言いました。
「うっキャー」
その時突然北斗艦長が奇声を上げたのです。
「うっキャー、うっキャー!」
「博士!艦長がへんでヤす。」
「うっキャーキャー」
手と足をバタバタさせながら艦長は今までなかった高い声を張り上げるのです。
「何かに興奮しているみたいですね。大丈夫かな。」
「笑っているから大丈夫ダすよ。面白い夢を見たんダす。」
ぐうすかは夢の専門家らしく言いました。
その時スケール号の真横に、ドしんと斧が突き刺さりました。同時に前後から兵士が駆け寄ってきたのです。
「見つかった。逃げるんだスケール号。」
「バブー」
スケール号はとっさに反転して、人数の少ない廊下に向かい、巧みに兵の足の間を抜けました。猫退治の歓声が廊下に響き渡る中、スケール号は一目散に逃げだしたのです
(21)
「そっちに行ったぞ!」
「右だ!」
「左だ!」
歓声の中、金色の猫が宮殿から中庭に飛び出してきました。ところが広場は騒ぎを聞きつけた兵士で埋まっていたのです。逃げ場を求めて突進する猫の道が盾でふさがれ、進路を変えると、そこにも盾が現れます。猫はいつの間にか盾の壁に追い込まれていったのです。
兵士たちは楽しむように猫を追い詰めていきました。その輪の中に網を投げ込む者がいました。二投、三投と猫は辛うじて網から抜け出しました。そのたびに兵士たちがゲームを見るように歓声を上げるのです。そして四投目の網が覆いかぶさってきたとき、猫の足が地面に落ちている網に引っかかってしまいました。無慈悲にも猫は網に捕らえられたのです。バカ騒ぎする兵士の輪の中で動けなくなった猫が悲鳴を上げました。
その時だったのです。ふいに黒いものが空から猛スピードで落ちてきました。大きな黒いかたまりが猫をめがけて一直線に落下してきたのです。黒いものは地面に衝突すると思ったその寸前、大きな羽根を横に広げ、爪をむき出しにして網をつかみ、猫ごと空に持ち去ったのでした。あっけにとられた兵士たちがこぶしを上げて悔しがった時にはもう矢も届かない空を悠々と旋回し、森の方へ飛び去って行ったのです。
「一体何事だチュ。」
「猫が一匹潜り込んだようですポン。」
「猫、いやな言葉だチュな、まさか銀色の猫チュうのじゃないだチュな。」
「いえいえ金色だったらしいポンポン。」
「だろうな。奴はわたチュが仕留めた。奴がいるはずないだチュな。」
「もう少しで捕まえられたのにポン、大タカが横取りしていったのですポン。」
「猫などどうでもいいだチュ!まだ衛兵ひとり捕まえられないのだチュか。」
チュウスケの号令で大規模な山狩りが始まっていたのです。山を焼き、軍を奥へ奥へと進めて行きます。しかしそこに王がいるとは限らないのです。まだ王宮のどこかにいるかも知れない。そのために兵を備えているのに、その兵が猫を追いかけている。戦いが長引くにつれてチュウスケの苛立ちは隠せません。
そこにカンスケが喜び勇んで飛び込んできました。その後ろに三人の兵が付き従っていました。一人が綱を持ち、二人が両手を持って倒れた男を引きずっているのです。
「カウカウ、親分!」
「またか、今度は何だチュのだ。」
「親分!見てください。城に隠れていたこいつをつかまえましたよカウカウ。」
「衛兵をつかまえたチュのか。それはでかしたカンスケ。すぐここに連れてくるだチュ。」
「おい、こっちだカウカウ。」
カンスケが胸を張って三人の兵に命令しました。そのまま三人は衛兵をチュウスケの前に引きずっていきました。衛兵は足を射抜かれて動けないのです。逃げ遅れて外宮の物置小屋に潜んでいたところをカンスケに見つかってしまったのでした。服は固まった血と泥にまみれ、何日も水だけで生き延びていた様子がぼろくずのように憔悴した姿に現れています。
「名は何というだチュ?」
チュウスケが膝をついて顔を覗き込みながら聞きました。
衛兵は口を利く力もないのか、目をつむったまま死んだように動きません。
「この傷でよく生きていただチュな。足は半分腐っている。わたチュに見つかってよかった危うく死ぬところだったぞ。もう心配いらないだチュ。わたチュが治してあげよう。安心するんだ。」
チュウスケは猫なで声で話し、子分たちに湯と粥を持ってこさせました。もちろん薬草を煮詰めた鍋もです。
湯に黒い丸薬を入れて飲ませ、体の汚れを拭いてやると、土の汚れの中からまだ若い肌が見えました。チュウスケは黙って傷口の治療を始めました。固まった血のりをきれいにふき取り、鍋の中のどろりとした液体をかき混ぜ始めました。暗緑色の泥の中に、腐肉の匂いがする紫色の粉をふりかけ、色が整うまでゆっくりかき混ぜるのです。そのドロドロの鍋の中から柄杓に汲みとった液体を傷口にたらたらと回しかけました。するとその液体から白い煙が立ち上がり、衛兵は身体を硬直させてうめきました。
「これで傷は治るだチュ。」
チュウスケは反り返った衛兵の身体を押さえて、さらに二度三度と、傷口から液体を流し込んでいったのです。
「それに親分カウカウ、敵が緑の穴と言い合っているのを聞いたものがいました。」
「緑の穴だチュか、なんだそれは。」
チュウスケは作業の手を止めてカンスケを見上げました。
「敵同士が暗号のように呼び合うのを聞いたものがいるのです。きっとカウカウカウ、これは隠れ家のことだと思いますカウ。」
「ついに運が向いてきたチュだな。」
「運が向いてきましたポンポン」
調子のいいポンスケがお腹をたたいて景気付けます。
そのうちに床に転がった衛兵の傷口から立ち上がる煙が静かに消えて行きました。見ると太ももを貫いた大きな傷は完全に消えてなくなっていたのです。同時に衛兵の意識も戻ったようでした。
「さあ、もう大丈夫だ。起き上がってみるだチュ。」
チュウスケは衛兵の肩に手を添え、ゆっくり身を起させたのです。
「自分の足を見るだチュ。」
「これは・・」
「完全に治してやった。感謝してもらうだチュよ。さあ、これを食べるだチュ。」
チュウスケは粥を差し出しました。
「ゆっくりゆっくり食べるが良い。」
衛兵は椀の粥をしばらく眺めていましたが、一口食べると、堰を切ったように掻きこみはじめました。
「何杯でもあるのだチュ。ゆっくり食べるんだ。よほど腹を空かせていたのだチュな。よく生きていたぞ。」
なぜか衛兵は涙を流しているのです。
「なぜ泣いているチュのだ?ダニール君。」
「!・・・・」
ダニールと呼ばれた衛兵はびっくりしてチュウスケを見ました。
「なぜ名を知っているのかと聞きたいのだチュな、ダニール君。わたチュは何でも分かるのだよ。君の考えとわたチュの考えは今一つになっているのだチュ。」
「知らない、私は何も知らない。」
「ほら、ダニール君、わたチュがまだ何も言っていないのに、君はもうわたチュの質問に答えているじゃないか。」
チュウスケはにやりと笑ってダニールを見ました。
「声を出してもう一度同じことをきいてみたいのかダニール。君は緑の穴のことを知っているのだな。」
「知らない、私は何も知らない。」
「ダニール君、君は同じことを二度言いましたよ。そうだチュか、王はそこにいるのだチュな。」
「違う!私はそんなことは知らないぞ。」
「そうだチュ、ダニール君、君は知らない。王が逃げたことも知らない。それは当然だチュ。王は君たちを捨ててこっそり逃げたのだチュからな。」
「嘘だ、そんなことは信じないぞ!」
「そうむきになることはないぞ、ダニール君。むきになればなるだけ、気持ちの裏側にある怒りがわたチュに伝わってくるぞ。憎いだろうな。ダニール君、わたチュが君に嘘をつくために助けたと思うのか?わたチュがいなければ、君はあのままみじめに死んでいたのだよ。君はこのまま死んではダメなのだチュ。死ねばみじめしか残らない。誰も知られずほったらかしにされてゴミのように捨てられたのだチュ。ダニール君思い出せ。君の忠誠心は王によってつくられたものだチュ。王は今頃ぬくぬくとしたベッドの中で幸せに寝ているだろう。君のみじめさなどひとかけらもないし思い出しもしない。君は道具だったのだチュ。」
「王様は本当に逃げたのか。仲間は、親衛隊の仲間は・・・」
「ダニール君、君の知っている通りだ。この城に転がっている屍骸を見るがよい。まるでごみだめだ。王にしたら、君たち親衛隊など役に立たなければゴミなのだチュ。これが現実なんだよダニール君。」
「そんな、それはあんまりだ。」
「ダニール君、見せかけの皮を脱ぎ捨てるのだチュ。本物のダニールに生まれ変わるのだチュ。君の本物の怒りがわたチュに痛いほど伝わってくる。ダニール君、立ちなさい。立って自分の足をみるのだチュ。」
言われてダニールは立ち上がりました。傷などなかったように体の中から湧き上がってくる力でスクッと立ち上がったのです。膝から下の腐った足が生き返ったように動くのです。ダニールはチュウスケに促されて自分の足を見ました。濁った紫色の皮膚に 緑の蔦が巻きついたような亀裂が入っているではありませんか。痛みは在りませんが、その亀裂からじわじわ赤黒いものが滲み出ているのです。
「これを飲むだチュ。」
チュウスケは黒い丸薬を4粒ダニールに手渡しました。
「これは・・・」
「君は先ほどすでに1粒飲んでいるだチュ。しかしそれではその足はすぐに腐ってしまうだチュ。足を治したければ、あと4粒飲むのだチュ。」
ダニールはチュウスケに勧められて、迷いながら1粒飲みました。すると足の亀裂から滲み出している赤黒い体液の流れが止まったのです。
「さあもう一粒飲むだチュ。」
次に一粒飲むと足の亀裂がくるぶしから上に向かって閉じていくではありませんか。そしてもう一粒飲むと緑のあざが消えたのです。ダニールはもう迷うことなく最後の一粒を飲み干しました。するとダニールの足は元の足の色に変ったのでした。
「ダニール君、おめでとう。君はこれで私に忠誠を尽くす勇敢な戦士となっただチュ。醜いサナギから美しい蝶が誕生したチュのだ。素晴らしいことだ。ダニール君。わたチュのことは親分と呼ぶがいいだチュ。言ってみるがいいチュ。親分ありがとうございましたと。」
「あ、ありがとうございました。・・・ぉ、おやぶん。」
「言っておくがダニール君。君の忠誠が消えたら、その場で足は砂のように崩れるだろう。それより共に王を倒すのだ。君を王討伐の将軍にするだチュ。」
「忠誠を誓います。親分。」
ダニールは足を曲げてチュウスケに敬礼を捧げたのです。
(22)
「待ってくれ、今はまずい。」エルがきっぱり言いました。
「どうしてだ。」博士の余裕のない声です。
「猫で見つかったら、猫のままでいいのです。猫のままで切り抜けましょう。大きさで逃げるのは最後の最後です。」
ここで大きさを変えて逃げるのは簡単ですが、それでは隠密の意味がないというのです。このことがネズミに知られたら、姫様が危険だ。エルはそう言って、博士の考えに反対したのでした。何ものかに攻撃を受けていると感づかれたら、そうでなくても、何かおかしいと思われるだけでネズミがどんな手に出るか分からない。すべて思い通りに進んでいると思わせなければ、ずるがしこい奴のことだ、姫様を亡き者にして暴走を始めるかも知れないのです。
今のところ、姫様は大丈夫。ネズミの欲しいものを何も与えていない。だから殺さないし、やみくもに森を焼いて進軍させているのだ。まず逃げて、作戦を練ってもう一度忍び込む。今日のことで少し分かったことがある。エルは皆の前で真剣に話をしました。
かわいそうなのはスケール号です。自動操縦に切り替えられ、大勢の兵士たちに追われて逃げ回るしかありません。乗組員たちはスケール号に任せっぱなしで、そんな会議を続けているのです。もてあそばれるように追いかけられ、あげくの果てに盾の壁に取り囲まれてしまいました。網が投げられ、ついにスケール号はその投網に捕えられてしまったのです。
「ギャーオーン」
スケール号が悲鳴を上げた時、事態は更なる危機に見舞われました。突然舞い降りてきたオオタカの餌食となってスケール号は空高く連れ去られたのです。この時ばかりはスケール号の慣性装置が働きません。中にいた乗組員たちは、操縦室の中で左右前後に転げまわることになったのです。無事なのは艦長の揺りかごだけでした。
悲鳴と、おもちゃ箱をひっくり返すような音がしばらく続いたのです。
「皆、大丈夫か?」額から血を流した博士が、棚の下から這い上がってきました。見ると大変なのは博士だけでした。ぴょんたも、もこりんもぐうすかも慣れたものですし、バリオンの王様は杖が床にくっついて動きませんでした。エルは若い戦士ですからこんなことで怪我をすることはありません。
「あッ、博士が怪我してるでヤすよ。」
もこりんの声で、ぴょんたが駆け寄りました。そして薬箱を取り出そうとしたら不思議な事が起こったのです。博士の額から流れている血がうすれて来たのです。えっ!と見ているうちに額に白いものがぼんやり浮かんできたました。白いものが次第に濃くなってそれはばってんの万能絆創膏になったのです。
「あ~ッ、あーッ、ほら、あの時の、スケール号の背中とおんなじでヤすよ。」
「そうダす!おんなじダすよ。」
「すると、これは艦長が・・・」
みんなは一斉に宙に浮かんだ揺りかごの中を覗き込みました。北斗艦長は両手を自分の目の前で合わせて、互いにつかみ合おうともごもごしているではありませんか。人形のように小さな指をおぼつかない動作でつかもうとしているのです。まるで天使が祈りをしているようです。
「艦長が両手を合わせているでヤす。すごいでヤすよ。」
まずもこりんが驚きました。北斗の腕はまだ短くて、どうしても両手を合わせることが出来なかったのです。出来るようになったんだ、艦長。もこりんは大喜びです。
「北斗が貼ってくれたんだね。」
博士は知らぬ間にジイジに戻って北斗を見ていました。北斗がキャッキャッと笑うと博士は思わず抱き上げて頬ずりをするのでした。
「ありがとう。」
そう言うと博士は北斗を揺りかごに戻しました。のんきなことを言っていられないのです。スケール号はオオタカにがっしりとつかまれたまま空を飛んでいるのです。現実に帰って皆は緊張を隠せません。オオタカがいつしか大空を旋回し始めたのです。
眼下は緑の絨毯です。木の枝が丸く見えて連なり、遠くまで広がっているのです。その一画に赤い帯が煙を立ち上げていました。赤い帯はくねくねと森を這う火の龍のようにうねり、火炎を吐いているのでした。反乱軍の山焼きに違いありません。じわじわと緑の絨毯が黒こげになっているのを見ると、誰もが言葉を失いました。
旋回していたオオタカが高度を落とし始めました。そして木の枝が目前に迫ったとき、スケール号は無造作に投げ出されたのです。枝が切れて地面が見えたと思ったらそこは黒い湖でした。スケール号は頭から湖に突っ込みました。絡んだ網を解きほぐしてスケール号はやっとの思いで水面から顔を出しました。岸まで必死で泳ぐしかありません。するとその岸辺に白い鹿が立っていたのです。鹿の背中にはフクロウがとまっています。
驚いたことに、岸に上がったスケール号の金色の毛並みはすっかり黒色に染まっていました。渾身の力で身震いしても舐めてみても黒色はとれません。スケール号の悲しそうな泣き声が可愛そうに聞こえるのでした。
チュウスケの山焼き作戦は、動物たちに甚大な被害をもたらしていました。棲みかを失い、移動することが出来ないものたちは皆煙と炎に巻き込まれて死んでしまいました。森の王フケに再び会ったスケール号とその乗組員たちは、避難して来た動物たちと一緒に輪を作って座っていました。中には毛が焼けて丸裸になった猿もいます。
「手荒なことをして申し訳なかった。」
森の王フケは、まず謝りました。それはオオタカによる救出と合わせて、意図的に黒い湖に落としたことに対してなのでした。黒い色は数日すれば消えてしまう。夜陰の行動に黒はきっと役に立つ。フケはきっぱりと言いました。今更どうしようもないので、スケール号はしぶしぶ黒猫を受け入れました。ちょっと我慢すればまた金色になる。スケール号は太陽の紋章に染められた黄金色がとてもお気にいりだったのです。
「我々は全面的に姫様救出と、チュウスケ討伐に協力する。」
森の王フケが岩の上に立って森に響き渡るように宣言しました。
「ありがとうフケ、私だ。」
「おう親衛隊の若頭、無事だったか。よかった。」
「この方たちは、・・・」
「お前より先に知っておる。それより姫様は?消息は分かったのか。」エルの言葉をさえぎってフケが言いました。
エルはこれまでのことをかいつまんで話しました。順を追って話しているうちに、気になってエルの心に引っかかっていた問題がすっかりまとまって来たのです。エルはフケに向けていた顔を博士とバリオンの王に向けました。
「姫様の残した最後のマーキングですが、波型についた血痕です。よく見ると、引きずられて出来た跡にしては少し不自然なのです。引きずられたまま付けたマーキングなら自然に進む先に向かって余韻が残るものですが、あの波型の血痕にはそれがありませんでした。つまりそこで止める意志が働いているのです。そう気付いたら分かりました。最初にあのマーキングを見つけた時から、どこかに不穏な違和感を感じていたのです。なにかは分からないのですが、どうも心がピタッとしない。そんな気分が今日もありました。それがなぜなのか、マーキングが教えてくれたのです。」
「それはどういうことだ。」
皆がエルの話しに釘付けになりました。
「もっと早く気が付くべきでした。あのマーキングが付いた廊下の壁です。あそこは来賓の間の入り口があったのです。間違いありません。」
直線の廊下の左右に6室ずつ、向かい合わせで12室の来賓の間が設けられていました。そのうちの一室の入り口が壁に変っているというのです。
「つまり魔法で入り口が閉ざされている?」
「間違いありません。」
エルは王宮の見取り図に来賓の間を描き足して、12ある部屋の一つにバツ印を付けました。
「姫様はここに捕えられているに違いありません。」
「しかし魔法で消されているとなると、どうすればいいのだ。」
「スケール号なら壁を抜けることが出来る。」バリオンの王様に博士が応じました。
「しかしそれはうまくいくまい。壁の隙間が魔法によって捻じ曲げられているとすると、スケール号は隙間で惑わされてしまうだろう。」
「魔法は地下まで届いておらぬ。」
森のフクロウがフケの肩に乗ったまま言いました。それを聞いたフケがヒューッと喉笛を鳴らして森に告げました。そしてエルの顔が希望で輝いたのです。
「やりましょう。もう一度穴掘りだ。」
エルは動物たちと地下道を掘って隠れ城を作った時のことを言っているのです。エルのまわりに穴掘り名手の動物たちがやってきました。モグラは元よりアナグマやウッドチャック、ウサギ、イノブタもいます。かつて姫様を慕って集まってくれた仲間達です。穴掘りの出来ない動物はほぼいないのです。
「オイラもやるでヤす。」
もこりんがツルハシを取り出して空に突き上げました。動物たちがつられて歓声を上げました。まるでもこりんが総大将のようです。ぴょんたも決心しました。でもぐうすかだけがもじもじしています。
「わたスはスケール号の中で留守番ダすね。」
「何を言ってるんでヤすか、ぐうすか。オイラ達はいつも三人組でヤすよ。」
「でも枕は穴掘りの役に立たないダすからね。」
「その大きな爪は穴掘りに最適だよ、ぐうすか。」
ぴょんたにも言われて、ぐうすかはしぶしぶ腰を上げたのです。
こうしてその日の夜更けを待たず、動物たちの穴掘り大作戦が始まりました。小さな動物たちは枝と蔦で編んだかごに乗って、オオタカやオオワシが空輸することになりました。大きな動物たちは自力で、スケール号と共に森を駆け抜けて行きました。どこをどう掘り進めて行ったらいいのか、その指揮者にもこりんが選ばれたのです。その補助役に親衛隊のエルがあたりました。ぐうすかは枕の代わりに博士から肩掛けのナビゲーターを持たされました。ぴょんたは誰もが認める救護役です。なにしろ森の王フケの命を救った実績がものを言ったのです。
(23)
豊かな森をイメージさせる彫りもので埋め尽くされた豪華なベッドがありました。中天に黄金色の太陽を模した天蓋が付けられ、白いレースのカーテンがベッドを覆っていました。別の部屋には落ち着いた色調の調度品がおかれ、花柄の絨毯が敷き詰められています。壁には暖炉があって、その上にアーチ状の飾り鏡がはめ込まれているのです。テーブルとソファーはそれだけで和やかな会話が交わされているように見えました。そんな迎賓の間は廊下を挟んで12室ありました。四季ごとに招く来賓をもてなすために設けられた部屋なのです。
ところがその中の一室が、今まで焚かれたことのない香が立ち込めていたのです。香というべきか、爪を焼くような、硫黄とも腐臭ともつかない臭気なのです。テーブルやソファーは部屋の隅に押しやられ、煤のこびりついた鍋と、かまどが持ち込まれていました。火が焚かれ、その周囲の絨毯は茶褐色に変色しています。胸を突く臭気はそこから出ているのです。その横にはそっけない革張りのベンチが置かれていました。
天蓋から垂れ下がるレースのカーテンが古びてくすみ、所々に赤黒い斑点が飛び散っています。そのカーテンに透けて見える人影がありました。カーテンをくぐると、ベッドに横たわっている者がいました。苦痛に耐えているのでしょうか。ときおり顔がゆがむのです。やつれて乾燥した肌が逆立っています。けれどもよく見ればまだ少女なのです。
その少女こそ、エルが必死で探し求めていた人、ストレンジのお姫様フェルミンでした。フェルミンは王を逃がした後自ら渦中に戻りました。それは地下道を消すためばかりではありません。王を守るために戦っている衛兵たちを王宮から脱出させなければならなかったのです。
「王は無事脱出した。生きて緑の穴に逃げ延びよ。」
フェルミンは衛兵に伝えながら自らも脱出を図ったのです。しかし逃げきれず反乱軍に取り押さえられてしまいました。その時遠くにエルの姿が見えました。エルは敵を押しのけ必死でこちらにやってこようとしていたのです。フェルミンはそれを制し、取押さえられる寸前に誰にも分からない隠語を叫んで王を託したのです。
エルなら分かる。自分にそう言い聞かせました。連行される間にも隙を見ては自分の意思を示そうと試みました。決してあきらめない。必ず意思はつながると信じていたのです。
しかし監禁されて一体どれだけの時間が経つのかも分かりませんでした。ここが迎賓の間だということは一目で分かりました。しかしチュウスケの魔法で似ても似つかぬ異空間に変えられているのです。出入り口は無く何度試してみても脱出は無理だと分かったのです。そればかりか、チュウスケによる尋問は過酷なものでした。様々な責め苦を受け、王の居場所を聞かれるのです。ずるがしこいチュウスケの懐柔策には危うく心を動かされることもありました。けれどもフェルミンはこの部屋に踏み込んでくるエルの姿を思い描いて自ら励ましてきたのでした。
いつものように部下がやってくるとフェルミンはベッドから連れ出され、鍋を煮詰めている部屋の黒革のベンチに座らされました。
「心配するな、姫。もうお前を責めはしないチュ。王の居場所を聞く必要はないチュのだ。」
「・・・・」
「よく今まで耐えてきた。褒めてやるチュ。しかしお前は無駄なことをした。悔しがるがいいだチュ。お前に会いたがっている者がいる。」
チュウスケが手を挙げて合図を送ると、頭巾をかぶった男が入ってきました。その男がチュウスケの横に立つとゆっくり頭巾を外したのです。
「ダニール!」
「フェルミン、無事でよかった。あなたを助けるためにやって来た。」
「どうしてここに。」
「私は一度死んだ。王に捨てられてな。そしてこのチュウスケ親分に新しい命をいただいたのだ。」
「ダニール、何を馬鹿なことを言っているの。」
「王政はもう古いのだ。王のためにあなたが死ぬことはない。」
「緑の穴を知らないとは言えないだろうフェルミン。この男はわが軍の司令官だチュ。まもなく王のいる隠し城総攻撃が始まる。もうお前に用はないチュうことだ。」
「フェルミン、私はあなたを助けたい。これを飲むだけで楽になれる。私と一緒にきてくれ。」
「馬鹿なことを言わないで。眼を覚ましなさい。ダニール。」
フェルミンは立ち上がってダニールの腕をつかもうとしました。すかさず取り押さえられ無理やりベンチに座らされると、ダニールは片膝をついて丸薬を差し出しました。
「いや!」
「エルならいいのか。」
「ダニール、お願いだからやめて。自分の言ってることがわかっているの。」
「いやだというなら、力ずくでも飲ましてやる。」
「やめなさい。」
フェルミンの叫んだ口をふさぐようにダニールの手が素早く動きました。丸薬を押し込んだままその手がフェルミンの口を押さえつけてしまったのです。もがく身体を数人がベンチに抑え込みました。やがて抵抗する力が消えました。押さえつける手が緩んだ瞬間、フェルミンは手を跳ね上げて立ち上がったのです。そして丸薬を吐き出しました。しかし出てきたのは黒ずんだ唾液だけでした。
「チュはは、もう遅い。これでお前の身体はわたチュの黒に染まっていくだチュ。」
「フェルミン、私のもとに来るのだ。」
「馬鹿なことを言わないで。」
フェルミンは口から垂れた黒い液を腕で拭いながらダニールを睨みつけました。
その時でした、床の絨毯が山のように盛り上がったのです。
その山が破裂して黒猫が飛び出してきました。そしてエルが姿を見せました。もこりんとぐうすか、そしてぴょんたが飛び出しました。次々と動物たちが穴から出てくるのです。
「フェルミン、遅れてすまない。」
フェルミンの顔に光が差しました。けれどもエルがフェルミンに駆け寄ろうとしたとき、ダニールがその前に立ちはだかったのです。
「もう遅い。」
「ダニール、どうしてここにいるのだ。」
「フェルミンは渡さん。私のものだ。」ダニールが剣を抜いてエルをにらみました。
「ダニールお前、魂を売ったのか。」エルも剣を抜きました。
「やめて、二人とも。殺し合ってはダメ。ダニールは薬に侵されているの。このチュウスケネズミの魔法なのよ。」
フェルミンが力を振り絞って叫びました。
「チュははは、お前もなフェルミン。じわじわ効いてくるぞ。わたチュの分身になるのだチュ。」
チュウスケの勝ち誇った笑い声が部屋に響き渡りました。
「そうはいかない。お前の思い通りにはならない。エル、ダニール、魔法に打ち勝つのよ。」
フェルミンは最後の力を振り絞って叫んだと思うと、咄嗟にダニールの身構えている剣に抱き着いたのです。
ダニールの剣がフェルミンの胸を貫きました。
「フェルミン!何をするんだ!」
「私は負けない。思い通りにはならないわ。魔法は打ち勝てるのよ。ダニール。」
エルとダニールはぐったりしたフェルミンに寄り添うしかありませんでした。けれども流れ出る鮮血が次第に黒ずんでいくのです。
「フェルミン、しっかりしろ。」
エルがフェルミンを抱き起こしました。
「勝てるものなら勝ってみるだチュ。ダニール、何をしている。そのエルを血祭りにするだチュ。」
ダニールはのろのろと立ち上がり、そしてエルに剣を向けました。激しい二人の打ち合いが始まりました。そのすきにぴょんた達がフェルミンに駆け寄りました。スケール号から帰還の指令があったのです。
「大丈夫、きっと助かるからね。」ぴょんたは手際よく血止めをして万能絆創膏を貼りました。
「フェルミン姫様、頑張るでヤスよ。」
「チュウスケを必ずやっつけるダすからね。」
そう言い残して乗組員たちがスケール号に帰って行ったのです。
「よくやったもこりん。ぴょんたもぐうすかもよくやった。」
「博士、姫様の傷が思ったより重いです。」
「大丈夫だ、姫は強い気を持っている。必ず生きて戻ってくる。」バリオンの王様が言いました。
「王様と話をしたのだ。いつもやられていたが今度はチュウスケをおびき出してやろうということになったのだ。皆でしっかりチュウスケの動きを見張ってほしいのだ。」
「どうするのでヤすか。」
博士は簡単に説明しました。それは姫の体内に潜って、かけられた魔法を解くというものでした。ぴょんたはその時、急にピピちゃんのことを思い出したのです。ピピちゃんを助けるために、スケール号はおばあさんの額から潜り、おばあさんの原子宇宙にある心の海まで行ったのでした。そこでぴょんたは自分の身を犠牲にしてピピちゃんを助けたのです。
「今度はフェルミン姫様の心の中に行くのですね。」
「そうだ、ぴょんた、思い出してくれたかい。」
「チュウスケをおびき出すってどうやるのダすか、博士。」
「どうすることもないよぐうすか。我々が姫様の心の世界に行けば、必ず後を追ってくるはずだ。」
「その前にスケール号を奴に気づかせなければならないがね。」
バリオンの王様がおどけた笑いを見せて言いました。
フェルミンのまわりに動物たちが集まって身を守る壁を作っていました。
エルとダニールが互いに譲らず激しく戦っています。
チュウスケと子分たちは大きな動物たちに取り囲まれていましたが、そこに新たな兵がなだれ込んできたのです。形勢が一気に変わりました。その時スケール号が巨大黒猫に変身したのです。驚き、腰の引けた兵たちを猫パンチで蹴散らしていきました。追っかけまわされた恨みを晴らすようにスケール号は牙をむいてシャーーと威嚇するのです。兵士たちは我先に逃げ出しました。部屋に残っている兵士を叩きのめすと、雄たけびを上げたのです。
「ゴロにゃーン」
スケール号が体を縮めながら宙返りをすると、ハエの大きさになってしまいました。スケール号はそのまま部屋の中を飛び、チュウスケの鼻頭を蹴ってフェルミンの額に止りました。スケール号はさらに縮小を続け、ついにフェルミンの汗腺から体内に入り込んで行ったのです。
「おのれ、スケール号め、生きていたか。今度こそ決着をつけてやるチュのだ。」
チュウスケがあっという間に煙になってスケール号を追うようにフェルミンの中に消えたのです。
(24)
黒いスケール号がフェルミンの額に止ると本当のハエのように見えました。ところがスケール号の窓から眺めるフェルミンの姿は大きな丘に見えるのです。のぞみ赤ちゃんの額に止ったときは何もない湿地のような平原に見えましたのに、フェルミンの額は乾燥地帯でした。地面はひび割れ、枯れた泉が点在するばかりでした。スケール号はその枯れた泉の水脈をたどりながら縮小を続けていきました。
「どうだ、チュウスケはついてきているか。」
スケール号のモニターには自分の位置を示す緑の点が画面の中心で点滅いていました。そこから離れて点滅するもう一つの点が赤く光っていました。それがチュウスケの位置を示しているのです。スケール号がチュウスケの鼻を蹴とばして飛び立ったとき、チュウスケの鼻頭に目に見えない小さな発信機を注入していたのです。
「はい、発信機をうまく捕えているでヤす。」
「しっかり付いてきているダすよ。」
「しかしどうするつもりなのだ、それであのネズミの魔法を打ち破れるのか?」
「まずは相手を知るだけですね。」
博士は腕組みをしてスケール号の窓から移り変わっていく風景を見ていました。
スケール号がどんどん小さくなっていくと、まわりの風景はどんどん大きくなるのです。フェルミンの枯れた汗腺も巨大な空洞となり、そこを通り抜ける頃には、スケール号はたった一つの細胞の大きさになっていました。自分と同じ大きさに見えるようになった細胞は透明のゼリーに包まれているように見えます。それがいくつも並んで田園の風景に見えるのです。
「博士、この細胞地帯はちょっと変ダすね。」
「どうしたぐうすか。」
「よく見ると、なんだか黒っぽくないダすか。」
「黒く変色している途中のものもあるでヤすよ。ほらあそこ。」
もこりんの指さした周辺の細胞は確かにじわじわと黒く変色が進んでいるのです。
「博士、これは姫様が飲まされた薬のせいではないでしょうか。」
ぴょんたも話に加わってきました。よく見ると、細胞の中を泳いでいるミトコンドリアがしきりに黒い墨を吐いているではありませんか。
「艦長、あの細胞の中に入ってみよう。」
博士が艦長に言うと、艦長は揺りかごの中で手足をバタバタさせました。
「うっキャーうっきゃー」
「ゴロニャーン」
スケール号が進路を変えて変色し始めている細胞の中に潜り込んでいきました。ミトコンドリアが象のような巨大動物に見えます。その背中にある口からモクモクと黒墨を吐いているのです。スケール号はその墨に一口かぶりつきました。
「フンギャオーン」
あまりの不味さにスケール号は悲鳴を上げたのです。けれどもそのおかげで黒墨の正体を調べることが出来るのです。スケール号が食べたものは自動的にサンプル採取されて操縦室にデーターが送られてきます。
「どうだ、何か分かったか。」
「特に毒性のものは在りませんねぇ。」
「では何なのだ。分かるかぴょんた。」
「おそらくこれは、ミトコンドリアのストレス物質だと思います。」
「細胞の中に住んでいる動物でも、ストレスがあるのダすか。」
「ストレスの無いのって、ぐうすかだけでヤすよ。」
「言ったダすな、わ、わたスだって、眠れない時はストレスダすよ。」
「はいはい二人ともストップ・・。博士、これはきっと間接的な薬のせいだと思います。今姫様の心に妄想が生まれていて、薬はその妄想を生むきっかけを作る道具だったのかもしれません。」
「やはりそうか。ぴょんたありがとう。薬で死ぬことはないということだね。」
「はい。姫様の妄想がミトコンドリアにストレスを与えているのでしょう。」
「つまり、・・フェルミン姫の妄想を取り除いてやればいいということかな。」
「そうです王様、王様の力ならそれが出来るのではないでしょうか。」
「そなたたちのおかげで、少し見えてきた気がする。やってみよう、試してみる価値がある。」
バリオンの王様がおもむろに床に坐り、手を組んで瞑想をはじめました。心を鎮め、空に心を預けると、心のエネルギーが浄化され自然のままの純粋な波となって王様の手からとびだしてきました。見える訳ではありませんが、その柔らかな安心感がみなの心にも広がってくるのでそれが分かるのです。
王様はその波動を象ほどもあるミトコンドリアに向けて発射しました。すると吐き出されていた黒墨がいつの間にか薄れ、きれいな青空のような色に変って行くではありませんか。やがて紫色に変色していた身体そのものが次第に若木色に変って行ったのです。
「やったでヤす王様、このミトなんとかいう動物が元気になったでヤすよ。」
「ぴょんたの診断が正しかったということだ。王様、ありがとうございます。」
博士は瞑想を解いて坐っている王様に手を差し伸べたのです。
元気になったミトコンドリアの腹をかいくぐっていくつもの壁を越えると、スケール号は血管に入りました。赤いクラゲが押し合いながら流れているその中に紛れて進んでいくと、光の点滅する森の中に投げ出されました。
「艦長、あの森を抜けてさらにもっともっと小さくなって行こう。その先に銀河があるんだ。」
「ハブハブ」
北斗艦長は機嫌よく手を振り上げています。
スケール号は今、のぞみ赤ちゃんの原子の世界から、さらにさらに小さな世界に向かって進んでいるのです。
のぞみ赤ちゃんの身体の中にある原子の世界。その原子の世界を象徴するストレンジ星。そのストレンジ星の住人がフェルミン姫なのです。人間のスケールで見たら、ストレンジ星は素粒子です。その素粒子の上にフェルミン姫は住んでいることになります。そしてそのフェルミン姫の中にもまたさらに小さな原子の世界があるというのです。
スケール号はそのフェルミンの原子の世界に行こうとしているのです。原子に棲む姫フェルミンの中にもさらに小さな銀河があって、その銀河はフェルミンンの心を作っているのです。この世界は艦長は元より、博士自身が初めて見る超ミクロの世界なのです。どんな小さなものでも見逃さないでおきたい。そんな思いで博士はスケール号から見えて来る世界を胸に刻もうとしているのでした。
「一体、これはどういうわけだ。」
バリオンの王様が茫然として立っています。その目前に無数の銀河が姿を現したのです。
「フェルミン姫の体内銀河です。王様。」
「姫はこの星で出来ているというのか。」
「王様、生きるものは皆そうなのです。」
「信じられぬ光景だ。」
「王様、先にのぞみ赤ちゃんに会って頂きましたね。王様はのぞみ赤ちゃんが生まれる「最初の一滴」を支配しておられるのです。そして今見ている銀河は、フェルミンが生まれた「最初の一滴」が集まっている風景なのですよ。この一滴が無数に集まってフェルミンを作っているのです。」
「まるで入り小箱のような世界なのだな。」
「まさにその通りですね。そして王様、この中のどこかにフェルミンの心を作っている銀河があるのです。チュウスケの魔法を解くにはそこに行かなくてはならないのです。」
「分かるのかそこが。」
「スケール号が覚えてくれています。それより王様、これより先、王様の力を借りなければなりません。」
「私の力だと。」
「王様の呪術です。先ほどのこともそうですし、私たちは真っ先にその力の洗礼を受けました。」
「あれか。」
「あの時私達はスケール号の中で、これ以上ない幸せを感じました。まるでとろけるような喜びであふれたのです。王様は私達を攻撃する前に、いえ、幸せを武器にスケール号を攻撃されたのです。」
「武器とは聞き捨てならないが、無益な戦いはしない主義だ。」
「言葉足らずで申し訳ありません。ただチュウスケにはそれが武器になると申し上げたかったのです。王様の呪術は、良い心のエネルギーを何万キロ先まで伝える力を持っておられるのです。」
「それが武器になるだと?」
「スケール号には、良い心をエネルギーに変えて発射するビーム砲があるのです。ところがそのエネルギーは限られていて、我が隊員たちの良い心を集めるしかなかったのです。思いつくのはせいぜい家のお手伝いぐらいのものだったのです。分かって頂けますか。王様の呪術をスケール号のビーム砲につないで頂ければ王様の良い心のエネルギー波がさらに増幅されてより強力な武器になるということなのです。」
「私の呪術を武器などと考えたことはなかったが。しかしスケール号のビーム砲のことは分かった。タウ将軍と同じ働きをするのだろう。」
バリオンの王様は、ふとタウ将軍のことを思い出しました。呪術を行うときはいつもタウ将軍と共にあったのです。今頃反乱軍と向かい合って、戦いたくてうずうずしているに違いない。そう思うと、握っている杖に力が入りました。タウ将軍の持っている軍杖とつながっているのです。「無益な戦いをするでない。」その意志は瞬時にタウ将軍に伝わるのでした。
「王様の力は、チュウスケの魔法に対する強力な反対魔法となるのです。」
「よく分からぬが、そなたたちに従おう。私の瞑想があのネズミにも役に立てばいいのだがな。」
「ありがとうございます。王様は自覚されていませんが、のぞみ赤ちゃんが、あのような状態でも命をつないでいられるのは、王様のその力が及んでいるからだと私は思っているのです。太陽族を統べる王様の力をお借りできればこの上の幸せは在りません。」
「たいそうな言い回しだ。」
バリオンの王様はまんだらでもない顔をして笑いました。
全天に銀河の光が散らばって見えます。これがフェルミン姫の身体の中だと思うと不思議な気分になるのでした。
「われら太陽族はさらに深くこの世に存在しているということなのか・・・。」
(25)
カキーン、カキーン、カキーン
剣の打ち合う音がくすんで汚された迎賓の間に響いています。一人は頭巾を肩に垂らした黒ずくめの男で、もう一人は衛兵の軍服を着た男でした。黒ずくめの男は流れるように剣を使い、あたかも鳥が舞うように見えました。一方軍服の男はまっすぐ敵の急所を突いていく剣なのです。柔と剛、二人を眺めれば虎と燕が戯れているようにも見えるのです。
エルとダニール、二人はともに親衛隊の同期で、良きライバルでした。共に山野を駆け巡り腕を磨きました。戦い方は対照的でした。ダニールは、風と地を知り、機を見て剣の動きに逆らわない剣法を編み出し、エルは目前の敵を一気に断ち切る気力を鍛えました。二人はすべての面で拮抗した力を持っていたのです。
二人の間でたった一つ違ったものがありました。それはエルが親衛隊長の息子だということでした。そこにダニールがいつも二番手に甘んじている原因があったのです。エルが父を病で亡くしたとき、ダニールは最後の一撃で手を抜いて勝を譲ってしまいました。それ以来、エルに集まる人望も若頭という地位にも、ダニールは無意識のうちに己を押さえて受け入れる癖が付いたのかもしれません。しかしその無意識のところには、最後まで打ち合えば必ず勝つというふつふつとした思いもあったのです。
一方フェルミンは幼馴染のエルに連れられて親衛隊に出入りするようになりました。そこに不思議な事が起こったのです。フェルミンがいるだけで、男たちは普段の何倍も働くようになったのです。エルとダニールの剣の修行も実はそこに原動力があったのかもしれません。その力がストレンジ王宮の秘密通路と隠れ城をつくり上げたのでしょう。それはエルを頭にした若い親衛隊のシンボルとなったのでした。
ところがある時ダニールは自分の気持に気づいてしまったのでした。それはフェルミンとエルが交わす何気ない言葉としぐさを見たときです。その二人の「近さ」を意識した時、ダニールは、自分ではどうにもならない気持ちが勝手に渦巻いていくのを感じたのでした。そのたびに痛む胸は二番手という嫉妬とは違う耐えがたいものだったのです。
その「近さ」を一体どうすることができたでしょう。ダニールはチュウスケの魔法とはいえ、自分の心を開放する快感を覚えました。「近さ」でさえ魔法は役に立つ。そう思えたのです。
ところが力で引き寄せたとたん、あろうことかダニール自身の剣で、フェルミンは己の身を刺したのです。
エルは果敢に剣を繰り出してきます。いつもの訓練と違って、エルの剣は一線を越えた踏み込みで迫ってくるのです。己を捨てたものにしかできない間合いにダニールは次第に追い詰められていきました。ひらりとかわしたダニールの浮いた足にエルの剣が追いついたのです。
ダニールは膝を薙ぎ払われ、床に転がりました。二人の乱舞が一瞬で終わったのです。ダニールは顔をゆがめたまま動きません。
ところがエルが剣を下げてダニールに近づいた一瞬でした。ダニールが跳ね起きエルの腹を突いたのです。エルが崩れ落ちました。ダニールは片足で立ち、エルに馬乗りになると、とどめを刺そうと剣を振り上げました。
「ダニール、もうやめて!」
ダニールの後ろでフェルミンの悲痛な叫びが聞こえました。
「私を好きにしたらいいでしょう!」
そこまで言うとフェルミンは動物たちの背に寄り掛かるように崩れ落ちました。ダニールはフェルミンの姿を見ると、振り上げた剣を納め、足を引きずりながら部屋を出て行ったのです。
「お願い、エルのところに連れて行って・・」
動物たちは静かにフェルミンの身体を運んでいきました。
「エル、大丈夫?」
「なに、たいしたことはない。わき腹をやられただけだ。それより姫様の方が心配だ。長い間助けにこれずに済まなかった。」
「私はもうだめかもしれない。エル、私が堕ちたら、あなたが私を殺すのよ。」
「馬鹿なことを言わないでくれ、フェルミン。どんなことをしても俺が助ける。」
「もうあなたの手には届かないの。」
「死ぬなんてことを言うな。姫様はこの国を背負って生きるお人だ。簡単に死ぬなんて言うな。」
「エル、お願い。緑の穴の戦いをやめさせて。もう私にはそれが出来ない・・・」
フェルミンはやっと言い終えると、胸を搔むしり、頭を床に打ち付けるのでした。
「いやぁ!」
フェルミンは髪を振り乱し宙をにらんで叫びました。虚空をつかんで身体を震わせているのです。
「しっかりしろ、フェルミン!・・姫様~!!」
少女が大きな黒い龍に巻きとられてもがいています。その龍の胴体が緊張してきしみました。
「いやぁ!」
少女は空に手のひらを向けて叫びました。その空の向こうに黒龍の真っ赤な口が闇を割くように開いて、今にも呑み込もうとしているのです。
無数の銀河が輝いている宇宙空間をスケール号は飛び続けていました。北斗艦長は揺りかごでスヤスヤ眠っています。スケール号は自動操縦に切り替えられているのです。もちろんチュウスケの監視は怠りません。今のところ変わった動きはないのです。そのスケール号の前にようやくピンクに輝く銀河が姿を現しました。
「ここ見たことあるダすよ。」
まずぐうすかが言いました。
「そういえばそんな感じがするでヤす。」
「博士、ここですよね!」
「そうだよぴょんた。君には忘れられないところだ。」
「ここにピピちゃんがいたのです。」
スケール号の目前には闇の中にピンクの銀河が窓一杯に広がっていました。空間がピリピリと跳ねるような響きを伝えてきます。スケール号はそのピンクの銀河を遡りながら飛んでいるのです。
「なんとも見事な光景だな。」
バリオンの王様がため息交じりに言いました。
「ここがフェルミンの心の銀河なのです。健康な心はみなこのような色をしているのです。中でもこのような美しい銀河を私も初めて見ました。」
「しかし健康な心とは何なのだ。」
「宇宙の流れそのもののことです。」
「宇宙の流れとは?」
「この空のことです。」
博士は銀河を取り巻いている空間を指さして言いました。
「あの闇のことか。」
「闇からあのような美しい光が生まれているのです、王様。」
ピンクの銀河、その一角に点滅している光が見えます。そう気づいたら、点滅する場所が次々と見つかりました。何かに興奮しているのかもしれません。博士がそんなことを考えていると、突然その点滅が銀河全体に広がるように始まったのです。
「もこりん、艦長にミルクを頼む。そろそろ飲む時間だ。」
「分かったでヤす」
もこりんは嬉しそうにキッチンに走っていきました。すぐに取って返したもこりんの手には人肌に温められたほ乳瓶が握られていました。半透明の容器の中で白いミルクが揺れています。艦長は眠りながら時々口をもごもごしているのです。もこりんはそれを見計らってもごもごしている口に乳頭をそっと差し込んでやるのです。すると艦長はぐんぐんミルクを飲み始めました。
「げっぷを出させるのはわたスの役目ダすよ。」
ぐうすかが走ってきて、ミルクを飲み終えた艦長を抱き上げました。
「お前の爪で艦長を傷つけちゃだめでヤすよ。」
げっぷが出た艦長はついでにおむつも変えてもらって、上機嫌です。
その間にも銀河の点滅が激しくなってくるではありませんか。
「一体これはどうしたことなんだ。」
「銀河がびっくりしているのダすかね。」
「なんだか気分が悪くなりそうでヤす。」
その時突飛なぴょんたの声が響きました。
「博士!あれ、あそこです。あそこにピピちゃんがいたのです。」
ぴょんたの指さす上流にくすんで黒ずんだ場所が見えました。
「北斗艦長、宇宙語がないと言ったね。あれかな。」
博士が北斗艦長を抱っこして、しっかり目を見ながら問いかけました。艦長が見つめ返してきます。まるで吸い込まれるような目に点滅するピンクの銀河が写っているのです。
「わぐわぐ、ほぐわぐ、ほえっほえっ」
艦長は落ち着いた静かな声で、丁寧に話そうとしているのが分かります。
「分かったありがとう艦長。これから忙しくなるぞ。」
博士はそっと艦長を揺りかごに戻すと、皆に戦闘準備の号令をかけました。バリオンの王様は頭の飾り物を外してビーム砲につながっているヘッドギアを付けました。かねての打ち合わせ通りです。
「行くぞ、艦長。」
「キャッキャ、キャッキャ、」
艦長が覚えたての高い声で応じました。
「ゴロにゃーン」
スケール号がスピードを上げて銀河を遡り始めました。
上空から見るピンクの銀河は延々と続いていきます。しかしそのうちに紫色に変色し始め、それは真っ黒なかたまりから浸食されていることが分かるようになってきたのです。
「艦長、チュウスケが動き始めたでヤす。」
もこりんが興奮して報告しました。
「近づいて来ているのか。」
「すごいスピードでヤすよ。このままではスケール号が追いつかれそうでヤす。」
「よし、このまま気づかないふりをしてして進もう。全員気を付けるのだぞ。」
「奴の槍に気を付けるのだ。今度は金色ではないぞ。本物がやってくる。」
王様が念を押して言いました。
「ラジャー!」
皆の緊張が一気に高まりました。
「いやぁ!」
その時悲鳴のような声がスケール号に届きました。
目の前にとぐろを巻いた巨大な龍が現れたのです。
「女の子が龍に捕らえられているでヤすよ!」
龍は女の子を巻き取り高々と鎌首を持ちあげているではありませんか。
「このままでは喰われるダす。」
「私が行きます。」
「お前では無理だ、ぴょんた。」
「でもそれじゃ、フェルミンは死んでしまいます。」
「博士、チュウスケが急接近でヤす!」
「あ、あれはなんダすか!」
皆がぐうすかの指さす方を見ました。
鎌首を持ち上げた黒龍の頭上に、白い剣士が剣を天にかざして立っているではありませんか。
(26)
タウ将軍がストレンジの王に謁見を求めたのはチュウスケの山焼きが始められてからでした。森を這う火の龍を発見した時、タウ将軍がついに動き出したのです。
バリオン軍の総司令官として、タウ将軍はすぐにでも軍を動かし、反乱軍を打つべしと考えていました。しかしバリオンの王様はストレンジの姫の救出を優先させ、あろうことか、本人自らその救出作戦に参加しているのです。王のやり方は、軍人からすれば理解しがたいというべきでしょう。
地上に配備したバリオン軍をどう使うのか。上空の兵をいつまで待機させるのか。先を見通すのは司令官として当然の使命でもありました。しかしいつまでも王からの封印が解けない軍杖を握りしめてタウ将軍はいら立っていたのです。
そんな時異変が起こりました。ストレンジの森に生じたかすかな赤い点、その赤い点がじわじわ体躯を伸ばし、龍と化していくのです。
「よくぞ、お越しいただけた、タウ将軍。バリオンの王様より伺っている通りの凛々しいお姿。嬉しゅうございますぞ。」
ストレンジの王は身仕舞を正して坐っていました。洞窟の空気にいくらかなじんできたのかもしれません。フェルミンのことを思うと、自分が寝ている訳にもいかないという思いもあったのでしょう。反乱軍に対しても正面から目を向ける余裕が感じられるのです。
「森が焼けている。仔細をお聞かせ願いたい。それが気になりはせ参じました。」
「こちらの居場所が分からないためにやみくもに火を放っているようじゃ。」
「国軍が反乱軍に染められるとは、恐ろしき魔法、何か策はおありか。」
「国軍が全て反乱軍になったとは言え、まとめる指揮官がいない烏合の衆のようなもの、戦力としては弱いのです。今は分隊で動いている反乱軍の頭をたたくためにゲリラ戦で応戦していますのじゃ。」
「頭をたたいてどうにかなるのですか。」
「魔法に侵された者はともかく、軍規に縛られたものを解放してやれば、喜んで家に帰るものもいるだろう。そう呼びかけながら戦っておるのです。」
「反乱軍とはいえ、この国の民ということですか。」
「左様。国軍の兵は軍規で動いている。当たり前のことだがそれを魔法の力と思わせるのが巧妙なネズミの手口だと気付いたのです。」
「なるほど。」
我が王の考えそうなことだと、そこは口に出さず頷きました。
「実際に頭をたたけば、ほとんどのものは武装解除して逃げ出す。少しでも意志あるものはわが軍に帰ってきますのじゃ。この戦い、決して暗いままではない。そう思えるようになりました。これもバリオン王のおかげですのじゃ。その王自ら、フェルミン救出に向かわれた。こんなことがあるだろうか。のう、タウ殿。バリオン王の御心はこの宇宙そのものじゃ。」
タウ将軍は君主を褒められて悪い気はしませんでした。焦りの気持ちがいくらか和らいだと言ったらいいのかもしれません。
「森の火が心配です。どんどん広がって行くようですが。」
「幾日もしないうちに雨が消してくれるだろう。この森は雨が多いのです、タウ殿。」
それにしても、フェルミン姫は無事なのだろうか。軍杖を握ると、王様の無事だけは分かる。
「無益な戦いをするでない。」戦いの進言にいつも帰ってくる返事です。タウ将軍にとって聞き飽きた王の口癖ですが、その真意が少し分かったような気がしました。それが吾ながら不思議な気分だったのです。
呪術に無理やり引き込まれていやいや従っていたのが実際ですが、タウ将軍はその呪術を武術に活かすことで何とかそこに意味を見出そうとしていました。二人の思考は若いころから文武二極の両端から意見がぶつかることが多かったのです。今思えば、その二人を中間で受け止めていたのが呪術だったのかと、はたと気付いたのが今この時でした。
そう気づいて思い返せば、王様に従って呪術を受け流している時、あの瞬間だけは無心であったような気がするのです。王の発するエネルギーの波、それは見ることも触ることも出来ないのですが、間違いなく心を振動させるのです。その振動を無心に眺めていると、この波を押しあげたいと思う時と引き下げたいと思う時が交互にやってくるのです。押しあげたいときに波に合わせて身を持ち上げると世界がバラ色に輝きます。逆に引き下げたいときに波を自分の心の中に引きこむと、そのタイミングがうまく合えば心が黄金色で満たされるのです。そうなるともはや王の波か、自分の波かなど意味をなしません。それは宇宙そのもののように思えるのです。増幅された2つの波はその瞬間たった一つの波となるのですからよく考えれば当然のことだったのです。
タウ将軍には王に無理やりやらされているという思いがどこかにありましたが、今思えば、二人で呪術を行っている瞬間が一番幸せだったのではないかと思いました。なんだかんだ言っても、結局王の手のひらだったのか。そう考えると、悔しい思いが少しだけバラ色に見えるのでした。
「王様、急使がやってまいりました。」
衛兵が緊張した声で報告しました。
「すぐに通せ。」
吉報か、凶報か。それはタウ将軍も同じ思いでした。やってきた急使は隻眼で血染めの包帯を額からはすかいに巻いているではありませんか。
「どうしたのじゃ、申せ。」
「ダニールが、」
「ダニール!生きておったのか。そうだろう、ダニール程の使い手がむだ無駄殺されるはずがないのじゃ。すぐ連れてまいれ。」
「敵の手に堕ちたのでございます。」
「何だと。」
「黒い騎士が現われて、それが強いのです。烏合の集と見くびっていたのも敗因ですが、黒い騎士の軍は今までの動きとは違うのです。木の枝や茂みのあちこちから兵が飛び出し、まるで森全体が敵になったように思いました。我々では歯が立たず、さんざん討たれて逃げ伸びるのがやっとだったのです。」
「黒い騎士がダニールだったというのか。」
「はい。誰の目にも、ダニールだと分かりました。間違いなくダニールは反乱軍の指揮をとっています。反乱軍がダニールの下で組織され始めていると見ていいでしょう。」
「そんな馬鹿なことが、なぜそんなことに・・」
「王様、すぐさまここを引き払わなければなりません。ダニールなら、緑の穴に至る道で知らないところは在りません。すぐに大軍が押し寄せて来るでしょう。猶予は在りませんすぐにご用意を。」
急使の衛兵が蒼白な顔をして言いました。
「なりませんぞ。」
タウ将軍の力強い声が響きました。
「このまま、ここを捨てたら敵の思うつぼです。」
「しかしそうしなければ、ここで全滅です、王様。逃げ延びればまだ望みがあるのです。」包帯の衛兵がタウ将軍の言葉をさえぎって叫びました。
「何か良い策は在りますか、タウ殿。」
「ここを守り切るしかないでしょう。話が本当だと、そのダニールという者、地の利を知った戦いをするようです。ここを出たら、敵の手のひらで戦をするようなもの。勝ち目はありますまい。」
「・・・・」
「それより王様、この者を捕えるのです。」
「何だと。」
「この者は、ダニールの回し者でしょう。どうせ王様をここからおびき出すためにやってきたのでしょう。そうだな。・・・何ならその血染めの包帯をひきはがしてやろうか。」
タウ将軍は俯いている衛兵に向かって言いました。
「本当なのか。」
「フハハハ・・・」
衛兵が俯いたまま笑っているのです。
「こんなものいつでも取ってやる。」
そう言いながら衛兵は目を覆っている血染めの包帯をなげ捨て、剣を抜きました。両眼がぎらぎらと光り、腰を落として身構えたのです。
「もう遅い、すでに将軍はここを包囲している。もう逃げられぬぞ。天誅だ、喰らえ!」
跳躍して衛兵は王様に切りつけたのです。その刹那、タウ将軍の軍杖が弧を描きました。宙の衛兵がまるでハエのように叩き落されたのです。
「この者を捕らえよ。」
王の一声に数人が群がり縄をかけて連れ去りました。
「かたじけない。おかげで助かり申した。礼を申す。」
「たいしたことではござらぬ。それより王様、あのものの申したこと、嘘とは思えませぬ。」
「包囲されているということか。」
タウ将軍は無言で肯きました。
「幸いここは自然の要害、速やかに籠城の準備を。」
「あらゆる入り口を固めよ。敵はどんな隙間でも見つけて入ってくる。ぬかるでない。洞窟の探査隊は奥の調査を急ぐのだ。有利に使える場所を探せ。奥に退路もあるはずだ。水と食料の確保。そのルートも探りだせ。皆の者、決して諦めるな。これはストレンジ存亡の戦いぞ。」
「おう!」
洞窟の中で勝鬨の声が異様な音響となって響き、その余韻がこだまして奥へ奥へと消えて行きました。
ストレンジ王は矢継ぎ早に命令を出しました。おそらくダニールは送り込んだ刺客が出て来なければ総攻撃をかけるだろう。時間は限られている。ストレンジの王もタウ将軍も同じことを考えていたに違いありません。
タウ将軍は軍杖を握りしめ、宇宙の母船と、森で待機する五艘の軍船に戦闘準備を命令したのです。バリオンの王からはいまだ攻撃の意志が伝わってきませんが、これは防衛戦なのです。躊躇は許されません。
緑の穴の隠れ城は天然の鍾乳洞でした。その中は未知の広がりがあるのです。しかしそのことも含め知り尽くしているダニールです。そこに逃げ込んだ王討伐のシナリオは簡単に描くことが出来るのでした。攻め入る入り口。火を使い、煙でいぶすために有効な穴の存在。穴から逃げ出してくる出口までダニールには分かりました。そればかりではありません。洞窟の王の待機場所までは灯りがなくても進んでいくことが出来るのです。ダニールが知らなかったことは、鍾乳洞の奥の奥と、バリオン軍の存在でした。
そしてついに、反乱軍となった国軍の総勢力が緑の穴を囲んで軍旗を上げたのです。ストレンジの隠れ城は王軍の旗を黒い水で染め上げた黒旗で埋め尽くされたのでした。
(27)
「親分、あれは本当にスケール号ですかねポンポン」
「スケール号は銀色だったはずカウカウ?」
「色が違っても、あんな芸当が出来るのはスケール号しかいないだチュ。」
「親分の槍で確かに仕留めたポン。どうして生きているのだポンポン?」
「ええい、うるさいだチュ。あ奴は生きているだチュ。前にいる黒猫はスケール号だチュうのだ。忌々しい奴だ。」
「親分、スケール号は何処に行くつもりですカウね?」
「魔法の芯に決まってるだチュ。バカかお前たちは!」
「その前にポン、今度こそやっつけましょうポンポン。」
「ポンポンうるさいだチュ。たまには悪知慧でも働かせてみろチュウのだ。」
「へいポンポン。」
「悪知恵ならカウカウ、任せて親分、カ,カ,カ,カ,カウカウ。」
「まったく、お前達はわたチュの最大の失敗作だチュ!」
どうしたわけか、心がざわつくのです。魔法使チュウスケがこんなにも自分の心に迷いを見せるのは珍しいことです。それを認めたくはなかったのですが、否定しても、無視しても、どこかに湧き上がってくる不安を感じないわけにはいきませんでした。それがチュウスケの機嫌を損ねているのです。ポンスケもカンスケも、宇宙の塵をこねて作りだした子分たちですが、可愛そうに今日はチュウスケの八つ当たりの相手役です。
チュウスケの機嫌が悪いのは魔法の芯に踏み込まれているという居心地の悪い思いが原因だったのかもしれません。自分の心のどこかに気持ちの悪いものが生まれていると言うのに、それが払拭できない苛立ちとスッキリしない残尿感のようなものと言えばいいのでしょうか。それがスケール号だったのです。
魔法は、己の心が完全に優位に立っていなければなりません。自分の心には踏み込ませず、常に相手の心の中でエネルギーを変質させる。これが魔法の本質だったのです。ですから相手の心がなければ魔法は成り立たないですし、その心が無明、無知でなければ魔法自体が存在しません。つまりこちらの心が見透かされていては魔法は成立しないのです。なぜなら魔法というのは、自分のエネルギーを使って相手を打ち負かす武術とは正反対の、相手のエネルギーを使って相手を打ち負かすものなのですから。というのも魔法をかけられた者は、一から十まで自分の心のエネルギーを使った自作自演に、知らないうちに誘導させられているのです。つまり魔法使の暗示によって、作られた恐怖と転倒した夢想に、自分自身が恐れ苦悩しているというのが魔法の正体だと言えるのですね。
ところが、スケール号はやっつけても、やっつけても復活してくるのです。無明、無知を通り越した機械のようです。そのくせチュウスケの心にずけずけ迫ってくる厄介者なのです。人の心を手玉に取る筈のチュウスケが逆に自分の心に踊らされる、それは魔法使にとって最大の恥であり、危険な敵と言えるでしょう。
そのスケール号が目の前を飛んでいく。迷いなく目指している場所がある。おそらくその場所にチュウスケの不安と不機嫌の原因があるというべきなのです。
スケール号がフェルミンの心の空間に向かっている。これは自分の仕掛けた魔法の芯に行こうとしているに違いないのです。何もしないで見ている訳にはいきません。このまま行けば、己が仕掛けた魔法の中に己自身が入って行くことになるのです。それがどういう意味を持ってくるのか分かりませんし、どのように攻撃したらいいのか、妙案が浮かばないままスケール号の後を追うしかないこともまた苛立ちの原因なのです。今、背後から槍で攻撃するのは簡単です。しかし、それではまた復活してくるのは目に見えているのです。ここにきて子分どもは全く役に立たないのが腹立たしい。そう思えばまたいっそう腹立たしくなる。チュウスケは自分が自分の魔法にかかっていくようで、少しずつ冷静さを失っているのです。
「チュくしょう、今に見ていろ、スケール号め。」
結局チュウスケは、スケール号に手を出せないまま、その後を追って、己の作った魔法の芯に向かうしかなかったのです。
チュースケの作った魔法の芯。それは闇の中に横たわる鏡のような湖でした。石を投げて波紋でも見ない限り、それが湖だとは分からないのです。その空間が与えられたシナリオに従って無限に変化する。まさに心の舞台と言っていいでしょう。
その湖面で人知れず長い戦いが行われていました。それは自分以外には知るものさえいない心の中に巻き起こっている、嵐のようなものでした。
そうです。そこにピンクのローブを着た女の子が髪を振り乱して湖面を走り回っていたのです。
湖面には這うように靄が立ち込め、女の子の足元を隠しています。女の子は何かを探しているのです。その度に霧が舞い上がり足にまとわりつきます。よく見るとピンクのローブは胸のあたりから黒い血が滲み出ているのです。女の子は肩で息をして、屈めた腰も次第に力が抜けて膝が湖面についてしまいます。けれども眼だけは鋭い光を放って、足元に立ち込める霧の揺らぎを見つめているのです。
「負けはしないぞ!やってくるがよい!やってこい!!」
女の子は剣を腰に構えて身をかがめているのです。剣も同じローブの色です。
霧の根元がかすかに黒ずみました。女の子の目はその変化を決して見逃しません。とっさにその黒ずみに向かって跳躍しました。同時に水面が盛り上がり大きな水しぶきを上げて黒龍が頭をもたげたのです。女の子の剣がちょうどその瞬間に向かって突き出だされました。
「ぎゃおーー!」
黒龍が悲鳴とも雄たけびともつかない声を響かせてそのまま大空に舞い上がったのです。女の子の剣は黒龍の首筋にあるウロコの隙間に食い込み、剣もろとも空に舞い上がりました。黒龍の首は女の子が三人がかりで一周できるほどの大きさで、上空に舞い上がった姿は、手足の生えた大蛇そのものだったのです。風に逆らいながら女の子は大蛇のたてがみをわしづかみにして身を立て直し、剣を再び黒龍の首に突き立てました。
黒龍は真っ赤な口を開けて火を吐き、暴れまわって女の子を振り落とそうと空をうねるのです。ところが女の子は龍のたてがみを手綱にして、暴れ馬を制するように身をこなし、龍の首に第三の太刀を深々と首に突き刺したのです。
「ぐぐぐおーー」
黒龍は突然頭を下にして急降下を始めました。そして一直線に頭から湖に突っ込んでいったのです。
大きな水の音が響き湖面が揺れ、そして再び鏡の水面に還っとき、湖面に丸く霧の穴が出来ました。
「ピユー」
その丸い穴の中央から女の子の顔が浮かび上がりました。女の子が高い喉笛を鳴らしたのです。その水面下には真っ赤な口を開いた黒龍の顔がぐんぐん近づいてきます。女の子はとっさに身をよじって龍の口から逃れ、顔を出した黒龍の角をつかみました。
ザザザザッと再び天に上る龍にしがみついて女の子は黒龍のたてがみを伝いながら首に刺さった剣を取ろうとしました。
しかしその時、龍の身体が大きくうねったのです。長い龍のしっぽがうねりに合わせてしなり、首筋にしがみつている女の子の身体を薙ぎ払ってしまいました。
まっすぐ落ちる女の子を追って、龍が再び急降下し始めました。龍は渦巻きになって推力をつけると、女の子はついに空中で黒龍の爪に捕らえられてしまったのです。
黒龍は霧の湖面にとぐろを巻いてその中に女の子を巻き取り雄たけびを上げました。そして歓喜のためか怒りのためなのか、中空に向かって勢いよく炎を噴き上げるのでした。
鎌首を持ち上げ、勝ち誇ったように女の子を見下すと、ぎりぎりと体躯を締め上げました。口が真っ赤に裂け、女の子を呑み込もうと頭を下げたのです。
「いやぁー!」
女の子は虚空に手を伸ばし、最後まで戦う意志を持って抵抗の姿勢を崩しませんでした。
まさにその時だったのです。
突然黒龍の頭上が白く輝き始めました。そしてその光と共に白い剣士が姿を現わしたではありませんか。剣士の頭上に差し上げられた白い剣が切っ先から光を放っているのです。
真っ白なローブで全身を包んだその剣士は黒龍の頭上に仁王立ちになって、天上に剣をかざしているのです。天に向けた切っ先からエネルギーがほとばしるように白いオーラが立ち上がりました。
白い剣士はその剣を逆手に持ち替えると、黒龍の頭上めがけて渾身の力を込めて突き刺したのです。
「ぐぐぐぐぐおーーー」
黒竜の身体が激しく揺れました。剣の白い光が黒龍の頭に吸い込まれるように消えると体を痙攣させてもがき始めました。女の子を巻き取っていた胴体が緩み長々と脈打ち身もだえすると、湖に身を隠しました。とっさに白い剣士は跳躍して首筋に突き立っているピンクの剣を引き抜くと両手に剣を持って黒龍の背中を切り裂いたのです。
黒龍の消えた湖面に、投げ出された女の子が横たわっていました。
白い剣士は女の子に駆け寄り助け起こすと、黒龍の消えた湖面を睨み据えました。しばらくして剣士は剣を納め、ピンクンの剣を横に置くと、女の子の胸に手を置いたのです。するとピンクのローブに沁みた黒い血が少しずつ消えて行くのでした。
「あ、あなたは?」
女の子が白い剣士の腕の中で気を取り戻したのです。
「龍は、龍はどうなりました。」
白い剣士は無言で湖面を指さしました。
「逃げたのですね。また来ます。戦わねば。」
女の子はそう言うと身を起こして自分の手を見、腰を探って、探す目を周囲に向けました。白い剣士がそんな女の子の前にピンクの剣を差し出しました。
「あ、ありがとう。これを探していたの。」
そう言って剣を受け取ると、女の子が真顔で言いました。
「どうして私を助けてくれたの?あなたは誰なのです?」
「はぶはぶ、うきゃー」
「ええっ・・・」
「うーばぶー、うばうばハブばぶ」
そう言って白い剣士は女の子に手を差し伸べたのです。二人は肩を並べて湖面に立ちました。さらに濃くなった霧が毛嵐となって二人の腰まで隠して漂っています。その毛嵐を通して湖面に二つの赤い色が見えました。その赤い光が左右に動き、二人をとり囲むようにゆっくりと大きな弧を描き始めたのです。二人は手を取り合ったまま背中合わせになって立ち、互いの剣を天にささげました。二人を中心にした大きな二重円が毛嵐の湖面に描かれました。二重の赤い円がゆっくりと、呼吸を合わせるように点滅し始めたのです。
(28)
白い剣士が黒龍の頭上に現われ、剣を頭に突き刺しました。龍は身体を痙攣させて湖に沈んだのです。
「ちくしょう!」
一部始終を見ていたチュウスケは思わず叫んで黒い槍を全弾スケール号に向けて発射しました。槍は空中に網の目のように拡がりスケール号を包み込むように襲いかかりました。逃げ場がないのです。
「博士!チュウスケの攻撃です。空いっぱいに槍が飛んでくるでヤす!!」
「ついに来たか。艦長、身体を小さくして槍を避けるぞ。王様、ビーム砲の準備を!」
ところがスケール号が動かないのです。
「スケール号をもっと小さくするのだ、ハエのように。艦長!・・艦長??」
「博士、艦長は寝ているでヤす!」
「艦長が起きないダすよ。」
艦長は揺りかごの中でスヤスヤ寝息を立てているのです。もこりんがほっぺたをつんつんしても起きません。ぐっすり寝込んでいるのです。
「なんとか起こすのだ。」
「駄目でヤすよ博士。いつもならこれくらいで起きてくれるのでヤすが。」
「やって見よう。」
バリオンの王様が手荒く頬をパチパチして、背中から全身にマッサージをしました。ところが北斗艦長は背伸びをして足を踏ん張り腕を突き上げたかと思うと、また動かなくなるのです。
「艦長、起きて!」ぴょんたが叫びましたが起きそうにありません。
「だめダすよ、博士!」
「仕方がない。」
博士はそう言うと、艦長がかぶっている赤い帽子を自分の頭に載せて操縦席に座りました。自分が艦長だった60年前の感覚は、スケール号が金の槍に襲われたときの経験で取り戻していました。博士に迷いはありません。
「博士、もうダメでヤす。」
もこりんがモニターの画面を見ながら目を覆いました。無数の黒い槍が雨のように降ってきたのです。
「スケール号、ハエの大きさになれ!」
「ゴロニャーン」
鋭い槍先がスケール号の背中とお尻と頭を直撃しました。胴体を襲った槍がハエになったスケール号の真横をすり抜けて闇に消えて行きました。
「反転して、チュウスケに向かうんだ。ビーム砲発射準備!」
マントに覆われたチュウスケの黒い姿が見えました。槍を構えて身構えています。バリオンの王様は床に坐臥のポーズを取り仏様のように動きません。
「スケール号が、元に戻ったときが勝負だ。砲手、しっかり照準を合わせろ。」
「アイアイサー!」
ビーム砲のエネルギーが今まで見たことの無い高さになって、メータが振り切れてしまいました。操作盤が振動して所々にスパークが起こります。
「元の大きさに戻れ。スケール号。」
「ゴロニャーーン」
待ち構えていたチュウスケは、槍をスクリュウのように回転させて黒い竜巻攻撃をしかけて来ました。
「発射!」同時にスケール号がビーム砲を発射しました。
スケール号の目から発射されたビームがチュウスケの竜巻と中央でぶつかりました。二つの力が激しく押し合います。
しかし王様の瞑想によって高められたビーム砲は、竜巻の中心に集まりドリルのように竜巻の芯をくり抜いて進んで行ったのです。竜巻の回転する無風の中心を通ってビームが一本の光になったではありませんか。
チュウスケの身体に、良い心のエネルギーが達すると黒い竜巻はビームのまわりをゆっくり回りながら消えて行きました。
「ギャー」「グワワーー」「カウカウ」「ポンポコリン」
チュウスケは、煙を上げて崩れ始めました。本体が煙と化すとマントだけがひらひらと湖面に堕ちて行きました。ところがその黒い煙が上空でチュウスケの姿に変わったのです。
煙のチュウスケは一瞬震えるように見えましたが、そのまま逃げるように湖面に飛び込んだのです。湖面に浮かんだマントは水に浸食されて消えてなくなりました。
その湖面から女の子を探すと、白い剣士が優しく介抱していました。
「助かったんだ!」ぴょんたが言いました。
「よかったでヤす。」
「でも博士、あの白い剣士は何者ダすかね。」
「女の子を助けてくれたのだ。少なくとも我らの見方だろう。」バリオンの王様が言いました。
「はぶはぶ、うきゃー」
その時揺りかごの中から艦長の声が聞こえました。
「あれ、寝言でヤすよ。もう!肝心な時に寝てしまって、いい気なものでヤすよ艦長は。」
「うーばぶー、うばうばハブばぶ」
しきりに寝言を言いながら、艦長は手を前に出すしぐさをするのです。
「博士!もしかして、これって、・・・・・」
「ぴょんた、気が付いたんだね。」
「信じられないです。」
「どうしたんでヤすか、ぴょんた。」
「あれをご覧。白い剣士の方だ。」
博士が湖面の二人に目をやりました。白い剣士が手を差し伸べ、女の子を引き起こしているのです。その姿が寝言を言っている艦長のしぐさとそっくりだったのです。
「えっ、まさかそんなことないでヤすよね。」
「何がどうしたダすか?分かるように教えてほしいダす。」
「白い剣士でヤす。艦長と同じ動きをしているでヤすよ、ぐうすか。」
「もしかしたら艦長の夢があそこで現実になっているのダすか。」
「さすがぐうすかは夢の専門家だ。」博士が感心したように言いました。
「ならば私が役に立つ。」
バリオンの王様が言いました。そして揺りかごに歩み寄ると眠っている艦長の胸に手をかざしたのです。
北斗艦長の身体が青白く輝き始めました。すると湖面の剣士が掲げる剣の切っ先に青いオーラが立ちのぼり始めたではありませんか。
毛嵐の揺らぐ湖面に女の子と白い剣士が背中合わせに立っています。二人の剣はそろって天に掲げられているのです。その二人のまわりを取り囲むように赤い光が二つゆっくり巡っていました。一つは手負いの龍。ところがもう一つの赤い光は何なのでしょう。
女の子が意識を取り戻したとき、目の前に白い剣士がいました。助けられた。それが分かると、再び戦う気力が湧き上がってきたのです。敵が動く前の一瞬を突く。考えるのはそれだけでした。
ところが黒龍は跳躍しても届かないところから頭をもたげました。そしていきなり火を吐いてきたのです。二人が転げながら逃れると、今度はさらに巨大な龍が頭をもたげたのです。それは黒龍をはるかに超えた高さから口を開け、溶岩をよだれのようにしたたり落としているのです。そして倒れた二人に襲いかかりました。
とっさに二人は左右に飛んで巨大龍の首筋を狙いました。しかし硬い鱗が刃を跳ね返してしまうのです。巨大龍はそのまま湖に潜り込みました。ところがその一瞬しっぽが湖面を這うように霧をなぎ倒して二人を襲ったのです。その瞬間、白い剣士が湖面を蹴って宙に舞い上がりました。女の子の手を取って空を飛んだのです。そこに待ち構えていた黒龍が首を振って二人を追いました。
手を結んだ二人はまるで鳥のように空を飛びます。白い剣士がそっと手を放すと、あわてて女の子が落下する手足をばたつかせました。するとそれだけで飛ぶ技を覚たのです。再び手をつないで黒龍に正面から迫って行くのです。
黒龍が火を吐くと二人は手を放し火炎の左右を飛行して龍の顎の下に潜り込みました。女の子が龍の首に一撃を与えると、剣士がその傷をめがけて剣を大きく振り払ったのです。すると一閃の青白い光が黒龍の首を胴体から切り離し、首は湖面に堕ちました。その後を追うように首のない胴体が崩れ落ちたのです。
その水しぶきと同時に巨大龍が再び現れ空に駆け上がりました。全身に火炎のバリアを張り巡らし、雷鳴が全天に轟きます。至る所から稲妻が槍となって二人を襲いました。どう逃げても目標に向かう稲妻です。
「剣を湖に!」女の子が叫んで急降下すると、剣士も後を追いました。無数の稲妻がその後を追います。二人が湖に突っ込むと稲妻が湖面で大きな音を立ててはねかえりもうもうと水蒸気の柱が立ちました。
その時巨大龍の真下から黒猫が駆け上がったのです。その目が金色に光ると白いビームが飛び出して来ました。
「ぐぐぐおーん」
巨大龍が悲鳴を上げました。腹の鱗がビームで丸く焼け焦げているのです。驚いたことに黒猫はそのまま突進して黒焦げの鱗を突き破って龍の中に消えたのです。しばらくすると龍の身体が光の網で覆われたように見えました。鱗の隙間から白い光が漏れているのです。巨大龍は体躯をくねらせ、ギリギリと身をねじりました。不気味な粘液が絞り出されると同時に身体をおおっていた火炎のバリアが消えたのです。
「今よ!」
白い剣士と女の子が湖面から飛び出し、上空でのた打ち回る龍の背中に飛び乗りました。そして女の子が深々と首に剣を突き刺したのです。剣士が跳躍して剣を振り下ろしました。すると龍の首がぐらりとねじ曲がりました。女の子が剣を引き抜き、首に残った皮を断ち切るとそのまま首が湖面に堕ちて行きました。頭を失った龍は尻尾から先に湖面に吸い込まれて行ったのです。
湖の中に、黒い体液が流れ続けている龍の首がありました。その切り口から黒猫が飛び出してきたのです。黒猫が青白く輝くと、黒に染まった湖が次第に青くなって行きました。深くゆったりとした宇宙のリズムがよみがえったのです。
龍が堕ちた湖面でネズミが溺れていました。しっぽが切れてうまく泳げないのです。
「チュウチュウチュウ」
憐れに鳴いているネズミに白い剣士がとどめを刺そうとしました。
「だめ!」
「アブバブ?」
「私がここで育てます。殺したら同じ繰り返しなの。」
そう言うと女の子は震えているネズミを自分のふところに入れてやりました。
「ありがとう、北斗。私の名はフク。」
毛嵐がはれて湖があらわになると、そこは一面の花畑でした。それと同時に、白い剣士がゆらゆらと陽炎になって消えたのです。
(29)
「緑の穴」の周辺が大火に見舞われたのは、黒旗を掲げる反乱軍が突然現れたその夜のことでした。ダニールの指揮によって烏合の衆と思われていた反乱軍が強固な軍に変りました。
「緑の穴」は天然の要害で、洞窟はどこまで広いのか分からない鍾乳洞でした。奥に逃げられたら長期戦を覚悟しなければなりません。ダニールは中で戦うことを諦め、あぶり出し作戦をとったのです。
全員に油を持たせ、穴を取り囲むように木の幹や枯れ柴が山のように積もっている場所など、至る所に油をしみこませて行きました。そして一斉に火を放ったのです。瞬く間に森は火の海になりました。
煙の匂いと木のはじける音を見張りの兵が気付いたときには、もう辺りは火の海になっていました。洞窟に煙が流れ込んできてこのままでは全員窒息死かと思われました。洞窟の中は大騒ぎです。統制がとれず外に飛び出した兵士たちは、炎に道を塞がれ、身を隠す場所もなく敵の矢の餌食になってしまったのです。
「王様!このままでは煙にまかれるか、焼け死ぬのを待つだけです。」
「すぐに討って出ましょう。」
「あわてるでない。外に出たら終わりだ。頭を下げて煙を避けよ。皆よく聴け、この洞窟の大きさは計り知れない。こんな如きの煙で窒息することはない。これは敵の搖動作戦じゃ。それよりこの火では敵も攻めては来れぬ。この機を利用して守りを固めるのじゃ。」
ストレンジ王の一喝で、浮足立った兵たちはようやく落ち着きを取戻しました。王の言葉通り、煙が充満していたのは洞窟の入り口に築いた城門付近ばかりで、それが奥に向かってくることはありませんでした。兵士たちは城門の防御壁に土嚢を積み始めたのです。
ダニールの火攻めは思った成果を上げることが出来ませんでした。けれども森は焦土となってしまいました。燃え残った立木が黒こげになってなお赤い舌を出してくすぶり続けていました。繁った植物が焼かれ、踏みしだかれて隠れていた岩の裂け目がいくつも現れたのです。中でも巨大な穴が、切り立った崖の麓にぽっかり口を開いていました。そこに築かれた隠れ城の城門がむき出しになってしまっているのです。そこからなだらかな丘陵地が広がっていて巨大な白い岩が至る所で焼け焦げて転がっているのでした。
ダニールはその一番大きな岩山の上に立って指揮をしていました。手を上げると、遠まきにいた兵が進軍をはじめたのです。軍靴の音が地響きのように聞こえます。黒旗を掲げた反乱軍は勝ち誇ったように鐘や太鼓をたたき足を踏み鳴らしました。こうして隠れ城の城門は反乱軍に埋め尽くされたのです。
「皆の者、今こそ王を打ち倒す時が来た!自由を我らに!」
「自由を我らに!!」
「自由を我らに!!」
ダニールの天に向けられた手が大きく前に倒されました。歓声が起こり、全軍の兵士たちが城門に突進しました。人が波のように見えました。壁に当たっては崩れ、崩れては押し寄せるのです。そして積み上げられた土嚢を少しづつ押し崩していくのでした。
その時だったのです、上空から五艘の飛行船が現われたのは。その異様な光景が兵士たちを大そう驚かせました。城門に群がった兵士たちの足が止まり、兵士たちは皆上空に目を奪われました。驚いたことにその飛行船の上には大きな黒猫が立っているではありませんか。しかもその背には人が乗っていました。
「何だあれは!」
兵士たちは口々にささやき声を上げています。すると今度は黒猫が日の光を浴びて、見る見るうちに黄金色に輝き始めたのです。その神々しさに息をのんでいると、すっかり黄金色に染まった猫は空を蹴って飛びあがりました。そして驚きの目を向けている兵士たちの上を飛んでまっすぐダニールの立っている岩山にやって来たのです。
「ダニール!争いをやめさせなさい。」
「もう遅い!」
「ここは私に任せて、姫様は門の戦いをやめさせてください。」
エルはそう言ってスケール号の背中から飛び降り、ダニールに向き合いました。
「分かった。」
フェルミンはスケール号の首を洞窟の城門に向けました。
「願い、あそこに連れて行って。」
「ゴロニャーーン」
人が乗る大きさでも、スケール号は猫なのです。嫌だった黒い色が消えて大好きな黄金色に戻った嬉しさも手伝って、返事も軽快です。スケール号はフェルミン姫を背中に乗せて兵士の間をすり抜けながら走り、城門に向かいました。
「姫様!」
兵士の中にフェルミン姫の姿に気付いて叫ぶものがいます。
「皆、戦いをやめなさい!どこにも敵はいない。目を覚ましなさい!」
フェルミンは兵士たちに武装解除を告げながら走り続けました。その先々から兵の驚く声が聞えるのでした。
「姫様!姫様が生きておられる!」
「家に帰りなさい、妻や子のために。あなたを必要とする者のもとへ!」
「姫様だ、姫様が返ってこられた!」
「軍を離れても誰も罰せられない。軍規無効だ。皆、武器を捨てて帰りなさい!」
「姫様!」
「戦う相手はどこにもいないの。戦う必要はないのよ!」
反乱軍の兵の中をスケール号は疾風のごとく駆け抜け、焼け出されてあらわになったいくつもの岩の裂け目を見ながら、城門にたどり着きました。
そこはまだ激しい交戦が続いていました。兵たちは何重にも肩車を組んで城門にへばりつき、人を梯子にして次々と兵が城門を越えて行きます。そしてついに城門が内側からひらいたのです。次々と兵が門をくぐり、薄暗い洞窟の中が戦場となっているのでした。スケール号は城門を飛び越えて中に入ると、高台のような石筍の上に乗りました。そして煌々と黄金の身体を輝かせ始めたのです。洞窟の中が昼間のようになりました。
戦いに気をとられていた者たちも皆、石筍の上にいるスケール号に気付かないものは有りませんでした。スケール号から発する光は、いきり立った兵士たちの心を少しづつ鎮めてくれる作用があるのでしょうか、兵士たちは互いに剣をひいて、突然現れた黄金の猫を見上げているのです。
「姫様!」
「おお姫様が帰られたぞ!」
「御無事だったんだ、姫様!」
金色のスケール号に乗っている者が、フェルミンと分かった時、兵士たちはどよめき、口々に姫を讃えるのです。それは反乱軍の兵たちも同じでした。洞窟の中に太陽が昇って来たと誰もが思いました。そして太陽に乗るフェルミンを神様と思わなかった者はいなかったでしょう。誰かがフェルミンに向かって跪き、手を合わせると、それは瞬く間に広がって行くのです。
「無益な戦いはやめるのです。」
フェルミンの静かな声は、洞窟の中の隅々まで響き渡りました。
「敵も味方も無い。皆同じ仲間なのです。互いに武器を捨てなさい。」
「姫様!」「姫様が生きておられる。」
「誰も罰せられない。悪魔に身を任せた者たちも同じです。今それに気付けばいいのです。」
洞窟はフェルミンのどんな小さな声もよく通しました、その息づかいまで聞こえるのです。王軍も反乱軍もありません。ただ民に向かって語りかけているように思えました。
「私達は皆、悪魔に心を踊らされたのです。悪魔のささやきのせいで不安と恐れを心に植えつけられたのです。笑いを奪われ、憎しみが偽造された。罪もないものたちが非難され、戦い以外の道を閉ざされた。でももう大丈夫。悪魔は滅びました。」
「おお!」
「国をここまで破壊した悪魔を、皆はさも恐ろしいものと思うことだろう。だが覚えておいて欲しい、悪魔の正体はちっぽけで憐れなネズミ一匹だったのです。」
兵士たちからどよめきが起こりました。
「自分を見失った人々の国は、ネズミ一匹にさえ、国を滅ぼされるのだ。私達のように。危うい所だった。だからこそ忘れてはなりません、各々の本当の自分を。愛するものたちのことを。」
「姫様!!」
「今ここで、武装解除する。武器を捨てて家に帰りなさい。家族のもとにあって、共に笑い合い、辛いこともまた共に生きる。見失ってはならない自分は必ずそこにあるのです。」
「姫様!!」「姫様、万歳」「万歳!万歳!」
洞窟の中に歓声がこもって響き合い、言葉が入り乱れた音の塊りとなって巨大な鍾乳洞を振動させるのでした。
兵士たちは手を取り合い、負傷者にさえ笑顔が戻りました。兵士たちはまるでピクニックに行くようにのびやかになって城門を出て行くのです。
スケール号が再びフェルミンを乗せると城門を飛び越えて行きました。城の外にいる反乱軍が気になっているのです。武装解除の意志がどこまで通じているのか、広い外気のもとではフェルミンの声とて遠くまで届かないのです。
ところが城門の前は兵士で埋め尽くされていたのです。無数の黒旗は山積みにされて火がつけられていました。その横には武器が絨毯のように並べられていたのです。武器を持っているものはいませんでした。フェルミン姫が生きているという情報は風のように伝わって、兵士たちは武器を捨て、一目姫様を見ようと城門を埋め尽くしていたのです。城内に進撃した兵士たちが武装解除して城門から出てくると、その話は歓喜の嵐となって群衆に伝わりました。
黄金の猫に乗ったフェルミンが姿を現すと、群衆の歓喜ははちきれました。
「万歳!万歳!」「姫様!万歳!」「よくぞ御無事で!」
フェルミン姫の姿を見て涙を流すものは数知れずあったのです。
スケール号に乗ったフェルミンは、ダニールのいる白い岩山を指さしました。遠目にエルがダニールを抱えているのが分かります。あっという間にスケール号はフェルミンを岩の上に連れて行きました。フェルミンはスケール号が岩に足を付ける前に飛び降りて駆け寄りました。
「ダニールは?」
「自ら胸を突いてしまったのだ。」
「なんて早まったことを、すべては解決したのよ。しっかりしなさい。ダニール。」
「間に合ったか、フェルミン。」ダニールが目を開けました。
「私が知らないと思っているの。あなたがストレンジを救ってくれたことを。」
「姫様・・・」
「本気で勝とうとしたら、あなたは黄色い穴に火をつけたはず。でも黄色い穴に続く入り口は塞がれていた。あなたがやったのでしょう。万が一にも火が届かないように。あなたは安全な山焼きをするように誘導してくれたのよね、ダニール。」
「何もかもお見通しか、姫様には・・」
「死んではだめ、ダニール生きるのよ。ストレンジは再生するの。」
スケール号からぴょんたが飛び出してきました。
「傷を見せてください。」
ぴょんたがダニールの身体を見て息をのみました。胸から流れる血は真っ黒に染まり、足がサラサラと砂になって崩れて行くのです。
「私の身体は、チュウスケの作ったもの。親分の死を知った時から運命は動いて行くのだ。生きる価値もない。」
「ダニール、しっかりして。」
「せめてあなたを傷つけたこの剣で逝けるのが幸せというもの・・」
「ダニール、死ぬな!」
ダニールの足の砂漠化は腰に達して止まりましたが、同時に再び目を開けることは無かったのです。
(30)
「王様、よくご無事で。」
「おおフェルミン、お前こそ。」
「フェルミン、無事で本当によかった。」
フェルミンは喜びとともに王のもとに帰りました。父母に抱かれると、フェルミンがまだ少女だったことが分かります。
バリオンの王様とタウ将軍、そしてスケール号の面々、エルも並び立って喜びの意を伝えあいました。
フェルミンにはスケール号の面々は初めてでした。黄金の猫がスケール号という宇宙船だと知ったのもつい今しがたでした。そのスケール号はすっかりフェルミンになついてしまって離れません。足元にすり寄ってはだっこをせがむのです。この猫の中にこの人たちがいて、宇宙を旅しているなんてとても信じがたいことでした。フェルミンはもう一度足元からスケール号をすくい上げて抱いてやると、スケール号はぺろぺろとフェルミンの顔を舐めるのです。
「あなたがいなかったら、この国は終わっていたかもしれない。神様の使いだと思っていましたよ。」
フェルミンはスケール号の喉を優しく撫ぜながら言いました。
「ゴロごろゴロ」
スケール号は気持ちよさそうに目を閉じて喉を鳴らしています。フェルミンはスケール号をそっと下ろして、可愛い三人組と目を合わせました。
もこりん、ぐうすか、ぴょんたには何となく会った気がしましたが、話を聞いて改めて助けてもらった時のことを思い出しました。
「あの時はありがとう。おかげで傷もよくなりました。」
ぴょんたは嬉しくなって、パタパタ耳をはばたかせて足が地につきません。
博士がフェルミンに挨拶をして、そして揺りかごの艦長を抱き上げました。
「見てやって下さい、姫様。この子がスケール号の艦長です。」
博士がフェルミンの前に跪いて北斗を見せました。
「ばぶ―はぶはぶ」
「なんて可愛い艦長さんでしょう。」
フェルミンは赤ちゃん言葉で言いました。
「名はなんというのです?」
「北斗と言います。」
「北斗?」
どこかで聞いたような気がする。そう思いながらフェルミンはしみじみと艦長の顔を覗き込みました。
北斗艦長が小さな指をもごもご動かしています。自分の手のひらをつまもうとしているのです。五本の指が勝手に動いてまだしっかり持てないのですが、よく見ると手のひらに何かを握りしめているらしいのです。そのうち艦長はつまむのを諦めて握った手をまっすぐ伸ばしました。それがちょうどフェルミンの手に届きました。
「これを私に?」北斗の声が聞えたように思ったのです。
フェルミンが北斗艦長の手を覗き込みました。そして北斗のもごもご動いている手を自分の手のひらに乗せました。すると北斗の手がふわりと開いたのです。その小さな手のひらにピンクの布の切れ端が乗っていました。
「うっキャー、ばぶ―」
北斗艦長が上機嫌で手を振り、足を蹴上げました。すると小さな布切れがフェルミンの手のひらに落ちたのです。
「これは・・・」
「フクからのプレゼントだそうです。」博士が言いました。
「フク?・・私の好きな色だった?・・・」
「そう、あなたはこの色しか着なかったのよ。どうしてこの子があなたの幼名を知っているの?それに確かにこれはフクのローブに使っていた布だわ。織り目で分かるの。」
王妃も布を覗き込んで不思議そうに言いました。
「そう言えば魔法に負けそうになって諦めかけた時、そうあの時、不思議に力が湧き上がって来たの。あれはあなただったのね。あなたは白い勇者だった。そんな気がするの。いえ、確かにあの勇者は北斗と名乗ったのよ。幻想だと思ったけれど、あなたはこうして現実を届けてくれたのですね。」
「ぅあー、ㇷあー、ㇺあー」
フェルミンは北斗艦長を抱き取りました。懐かしいとてもいい香りがするのです。
「ありがとう北斗。フクの代わりに心からお礼を言います。あなたは私とフクを助けて下さった勇者だわ。本当にありがとう。」
フェルミンはゆっくりと北斗艦長を抱きしめるのでした。
なだらかな丘陵に白い一枚岩の山がありました。その麓にたくさんの土盛りが整然と並んでいました。この戦いの犠牲者が集められ、ようやく埋葬されたのです。もこりんの穴掘りの技は大変役に立ちました。まず王宮に横たわっている戦士たちとの約束が果たせて、心は晴れやかでした。
フェルミンは休む間もなく働きました。戦没者たちを弔う聖地を、ダニールの終焉の地と決め、白い岩山の麓にすべての戦没者を埋葬したのです。この白い岩山全体を削り歴史を刻んだモニュメントを築いて、この悲劇を二度と繰り返さないための心の糧にしよう。フェルミンはダニールと心の中でそう約束したのです。
もちろんフェルミンは動物たちのことも忘れませんでした。犠牲になった森の無数の動物たちを弔う碑には、助け合う動物たちの群像が刻まれ、森の王フケの横にはなんとスケール号も刻まれるはずです。スケール号の背中にはフェルミンが乗っていて、虚空を指さしている構図が職工たちの意匠をこらした最大の計画でした。
そしてスケール号がストレンジを去る時が来ました。先だってタウ将軍がバリオン軍を引き揚げ、それを追うようにスケール号が飛び立ちました。
ストレンジの王様と妃に並んで、正装したフェルミン姫が並び立ち、エルの率いる親衛隊が整列し、民衆も集まりました。白い鹿、森の王フケと動物たちも姿を見せてスケール号を見送ったのです。
スケール号の中が急にひっそりとなりました。バリオン王との別れが待っているのです。宇宙空間を飛んでいくスケール号はまもなくバリオン星につくことでしょう。博士はその間にどうしてもバリオン王と話しておきたいことがありました。
博士が艦長だったころ、「神人様」を探す旅をしたことがありました。そんな経験から博士の先生だったのしてんてん博士に託されたことがあったのです。それが「もとひと様」でした。
「もとひと様に会って、ひと族の系図を確かめるのじゃ。」
大陽の紋章の光のなかに現れた、のしてんてん博士は確かにそう言ったのです。「この旅で必ず会えるはずじゃ」と。
人が生まれるための最初の一滴。
博士は今も覚えています。のしてんてん博士が、順番に前の人より大きなものを言い合うゲームを始めて「神人様」を教えてくれたのです。それが太陽や地球を最初の一滴として生まれている人だと知ったのです。それを確かめるために旅に出たのが博士が艦長だった最後の冒険でした。
今その艦長は博士になって、のぞみ赤ちゃんを救うために原子の世界にやって来ました。すると、この原子の世界にはバリオン星があって、しかもそのバリオンの王様が今ここにいるのです。
この原子の世界はのぞみ赤ちゃんの最初の一滴に違いありません。「のぞみ赤ちゃんに宇宙語がない」北斗がそう言った時、博士はそう確信したのです。のぞみ赤ちゃんの最初の一滴に何かが起こっている。
太陽族の王バリオンが統治するバリオン系宇宙。そのバリオン星を巡る惑星は六個あって、三番目の惑星ストレンジはオレンジ色に輝いていました。宇宙語がないと言った北斗の言葉通り、ストレンジ星はチュウスケ魔法によって笑いが封じ込まれていたのです。フェルミン姫の復活でその危機を乗り越えましたが、もしかすると、フェルミン姫の心の中にいたフク。フクのいたピンクの銀河こそ、フェルミンの最初の一滴ではなかったでしょうか。
そう考えると見事にこの宇宙のつながっている姿が見えるではありませんか。フェルミンの最初の一滴の上にフクがいてフェルミンの心を支えている。すると同じように、人間、のぞみ赤ちゃんの最初の一滴の上にフェルミン達がいるのです。フェルミン達に笑いが戻って、宇宙語が正しく働き出したら、のぞみ赤ちゃんもきっと健やかに育ってくれるはずです。そしてこの連鎖は永遠に続くのでしょう。神ひと様の最初の一滴の上には人間がいて、おそらく神ひと様の心を支えているに違いありません。実際、博士が艦長時代に神ひと様の赤ちゃん星を助けて喜ばれたことがあったのですから。
博士はようやくのしてんてん博士の言った「もとひと様」に気づいたのです。
「王様、私たちはのぞみ赤ちゃんを救うために原子の世界にやってまいりました。その一方でこの旅によって、私たちは もとひと様に出会うとも言われていたのです。」
「もとひと様だと?それで出会えたのかな、そのお人に?」
「はい」
「私に言う以上、私も知っている者なのか。」
「はい、それは他でもない王様ご自身のことだったのです。」
「わたしだと?私は太陽族の王だ。」
「王様、人はみな最初の一滴を持って生まれてきます。その一滴を守るのが太陽族の務めだと聞きました。その務めを果たすものが人、つまり王様のことなのです。」
太陽系を最初の一滴にして生まれた人を神人様。
原子を最初の一滴にして生まれた人が我ら人間。
フェルミンのピンクの銀河を最初の一滴にして生まれた人がもとひと様、つまりフェルミンや王様、バリオンやストレンジ星の人々のことだったのです。
「太陽族が最初の一滴を司るとしたら、ひと族とは最後の一滴が満ちて生まれたもの、我々のことなのです王様。神人様の中に我ら人間がいて、人間の中には王様やストレンジの民がいるのです。そして王様やフェルミンのなかにはフクと並ぶたくさんの人が住んでいる。そんな世界がこの空間に共存しているのですね。」
「一期一会とは言え、のぞみ赤ちゃんの姿を見ることが出来た。フェルミン姫の快復も見た。我々がひと族というのなら、こうしてそなた達と話しているのもあながち不思議な事ではないのかもしれぬ。ならばまた会えるのだろうか。」
「スケール号がそれを証明しました、王様。スケール号がどこにでも飛んで行けます。その空間はただ一つなのです。私達の間には何の隔たりもありません。」
「空か、・・・我が呪術もその空につながっているのだが、そこまで考えたことはなかった。どうすればそれが分かるのだ。」
「空の思想です。」
「空の思想とは何だ?」
「空を現実のものとしてみればいいのです。」
「何もないものをどう見ればいいのだ。」
「波動を操る王様はご存じのはずです。波動はスケールで測れます。つまりスケールで見ることが出来るのです。」
「空の思想は物の思想とは違うということだけは分かるが。」
「王様、物の思想は時間で測るのです。知るのは表面の変化だけです。ところが空の思想は時間では考えないのです。今あるこの存在を大きなスケールで見る世界もあれば、小さなスケールでみる世界もあるという考え方です。空の思想は内を見、心と出遭うのです」
「空間をスケールで見たら、我々は互いに会うことが出来るということなのか。」
「こうしてお話が出来るのです。」
「空の思想、面白いものだな。」
例のごとく、ぐうすかは枕を抱えて大いびきをかいています。難しい話はぐうすかには子守唄なのかもしれません。もこりんとぴょんたは揺りかごの艦長の寝顔を見ています。スケール号はすっかり道を覚えましたので、艦長が眠っていても大丈夫なのです。バリオン星は黄金の光芒を放射して目前に迫っています。
「それにしてもスケール号には随分世話になった。素晴らしい宇宙船だ、礼を言わねばな。」
「自在に大きさを変えられるのです。我々の大きさを太陽にでも原子にでも変えて、空の世界を見せてくれるのです。そればかりか実際にその世界に連れて行ってくれるのですからね。」
「ゴロニャーン」
スケール号は嬉しそうに鳴声を上げました。
こうしてスケール号はバリオンの王宮に着いたのです。
(31)
バリオンの王宮では、スケール号とお別れの大宴会が催されていました。いまさらですがバリオンの王様はどうやら派手好みのようです。それは歓迎パーティの比ではありませんでした。国中がお祝いムードのお祭りです。巨大な天空のドームの下に設けられた、円形の舞台では様々な種類の楽団が明るい音楽を披露し、華やかな衣装を身に着けた舞踊集団が競うように踊りだしました。鳴りものの音が絶えず、盆踊りのような国民ダンスが三日三晩続いたのです。外では見たことの無いパフォーマンスや光の祭典がもこりん達を夢中にさせましたし、テーブルに並べられた毎回の料理は日毎ぐうすかの眠りを妨げました。
「王様、ありがとうございました。おかげでのぞみ赤ちゃんの憂いは消えました。一刻も早くその健やかな姿を見たいと思いますので、出発いたします。」
「そうか、礼を云うのはこちらの方だ。スケール号の力がなかったら、バリオンの宇宙はどうなっていたか分からぬ。助けられたのは我々の方だ。」
「王様、これもみな、宇宙語の力だと思います。」
「そなたたちのおかげで、なんとなくその宇宙語というものが分かった気がする。我々は空でつながっているということだな。ひと族として。」
「はい、空は波動で満ちています。そして私達には共有する命の波動があるのです。宇宙語が。」
王様が無言で頷きました。
「呪術の奥義はの、冷たい波動の中から心地よい波動を選別して増幅させることなのだが、なぜ心地よい波動があるのか、なぜそれを心地よいと思うのか。おかげでその正体が見えたのだ。」
「おうそれは良かったです。それは何か、お聞かせ願えますか王様。」
「心地い波動とはこの命の連鎖のことだったのだ。まさに命の波動。この波に乗れば、心は最初の一滴から最後の一滴が満ちるまで、くまなくいきわたって宇宙そのものになる。つまりの、この宇宙は心地よいということなのだ。」
「宇宙は心地よい、それは命そのものを体感しているからだというのですか。つまり心地よいというのは命そのものが持っている波の味わいだと?」
「そうじゃ、たとえ辛い波動に出逢っても、それは心地よい波動に変えられるという大いなる保障でもあるのだ。」
「どんな心でも、必ず心地よい波動に合成することができると?」
王様は無言で肯きました。
「呪術を行う時、選別して辛い波動を捨ててきた。しかしそうではないと分かったのだ。これは大事な気づきであった。」
「それは?」
「辛い波動こそ逃がしてはならぬ。それをつかまえ、心地よい波動に変える力こそ、よき力を増幅させる真の力なのだ。嫌がるだろうがタウにも教えねばな。」
「今回は嫌がりません。王様。」
「何だ、いたのか。」
「王様の人の悪いのは変わりませぬな。私が後ろにいるのはご存じだったのでしょう。」
「まあそう言うな、それより今回は見事な働きであったぞ。タウ将軍。」
「将軍としてほぼ何もしておりません。しかしそれでよかったと思えるようになりました。」
「ならばもう少し、呪術に力を入れてもよかろう。」
バリオンの王様とタウ将軍の話しが熱を帯びて来たので、博士はそっと二人のもとを離れました。
博士は王様の呪術の話しにだんだん付いて行けなくなって、話を打ち切る思案を始めたところでした。そのタイミングで出してくれた王様とタウ将軍の助け舟だったのかもしれません。二人の話を聞きながら、ふと博士は「宇宙は心地よい」という王様の言葉だけがしっかり心に刻まれているのに気付いたのです。
次の日、スケール号はバリオンの王宮を飛び立ちました。
物見の塔には王様とタウ将軍を先頭に主なる重鎮がスケール号を見送ってくれたのです。
出発間際に、王様がやってきて揺りかごを覗き込みました。
「うっキャー、バブバブ」
北斗艦長は手足を勢いよく振ってとろけるような笑顔になりました。
「北斗、見事な笑顔だの。そなたのことはいつまでも忘れぬぞ。」
「あぶー、ばぶー」
「これを持っていくと良い。」
そう言ってバリオンの王様が二枚の短冊を取り出したのです。
太陽の紋章を刺繍したオレンジ色の小さな短冊でした。
「さあ、これがそなたの分だ。」
王様は北斗の右手に短冊を一枚握らせました。
「そしてこれが、のぞみ赤ちゃんのお守りだ。」
左手にもう一枚の短冊を渡すと、北斗はぎこちない指を動かしてそれを受け取ったのです。
「だめ!」もこりんが思わず声を上げそうになりましたが、思いとどまりました。というのも北斗艦長はとってもいい笑顔で短冊を受け取り、その両手を自分の胸の上に合わせて乗せたからです。いつもなら、手に持ったものはみな、しゃぶしゃぶしてべとべとにしてしまうのですが、もこりんの心配は取り越し苦労だったのです。
のぞみ赤ちゃんに戻って行く道筋はスケール号のお手のものです。艦長が眠っていても道を間違うことはありません。
のぞみ赤ちゃんが生まれる最初の一滴となった原子の世界。そのバリオン系宇宙を出発すると、その原子がどのように結び合って命を紡いでいるのかがスケール号の窓から見えるのです。その結び合う空の力が一つのうねりとなって大きな波となり、のぞみ赤ちゃんの身体に達するのです。それらはすべて空の中で起こっている事であり、空だからこそ存在出来る波動と言わねばなりません。次々に一滴一滴と積み上がって行く過程は、やって来た道のりとは明らかに違った、心地よいリズムの満ちた風景でした。
「宇宙は心地よい。」バリオンの王様の言葉が響きました。
北斗が握りしめている短冊は、のぞみ赤ちゃんの最後の一滴が無事に積み上がることを願っているのでしょう。あたたかく柔らかく、そうです。まさに心地よい光を放っていました。
細胞の世界は、青々として瑞々しい潤いを持っていましたし、ミトコンドリアは悠々と細胞の海を泳いでいます。大きな鼓動が聞こえ。赤い道に入ったスケール号はグングン運ばれていくのです。どす黒い体液はすでに浄化されたのでしょう。きれいな流れに乗って、身体を造る一滴一滴が気持ちよさそうに流れて行きます。
のぞみ赤ちゃんの赤黒い、今にも破れそうだった皮膚はどうなったのだろう。
スケール号は正確にもと来た道を帰って来たのです。枯れた泉だった汗腺はまるでオアシスのようになっていました。その水面に顔を出したスケール号が見た光景は、イチゴの上にミルクをかけたようなつややかな皮膚の草原でした。
「やったー、こんなにきれいになっているなんて、」
ぴょんたはもうそれ以上言葉が出ませんでした。カメラが部分から全体に画面を引くように、スケール号が大きくなると、のぞみ赤ちゃんはスヤスヤ眠っているところでした。それも赤ちゃん用のベッドの中だったのです。
スケール号帰還の知らせを受けて、元気な赤ちゃん院の院長先生が両親を連れて駆けつけてきました。
「院長先生、すべてうまくいきました。のぞみ赤ちゃんはもう大丈夫です。」
「ありがとうございます。急に体重が増え始めまして、呼吸も血流も正常になりました。昨日からNICU卒業でこの部屋に変りました。元気すぎて、この分だと平均体重をすぐに超えてしまいそうです。こんなうれしいことはありません。なにが原因だったのでしょうか。」
「見込んだ通り原子レベルの不具合でした。しかしすべてうまくいきました。のぞみ赤ちゃんは誰よりも強く育つでしょう。」
「何とお礼を言ったいいのか・・」
母親は涙を流して言いました。
「これを、」
博士はそう言って抱っこした北斗の左手を母親の手に乗せました。
「かわいい子ですね。」
母親が涙を拭きながら言いました。北斗が手を緩めると、母親の手に短冊が残ったのです。
「これは?」
「のぞみ赤ちゃんのお守りです。どうかいつまでも肌身離さず持たせてあげて下さい。それが必ずこの子を守ってくれるでしょう。」
「ありがとございます。」
母親は短冊を押し頂き、父親は手を合わせて頭を下げたのです。
世界探査同盟の白いビルが見えてきました。
もこりんもぐうすかも、それにぴょんたも、食堂のおばさんのことを急に思い出しました。
きっと今日は、皆が大好きなシュークリーム!・・だったらいいな。おばさん、艦長のミルク忘れてないかな。みな同じことを考えたのです。
こうしてスケール号の冒険は終わりました。
「おじいちゃん、おばあちゃん、用意できたから北斗もお願い。」
お母さんの声がしました。
テーブルにケーキが飾られていました。今日はお父さんのお誕生日なのです。お祝いカードには、お母さんに助けてもらって北斗もしっかりありがとうと書きました。もちろん宇宙語でね。
みんながおいしそうにケーキを食べるのを不思議そうに見ている北斗でしたが、
「北斗はこっちですよ。」
そう言ってお母さんが離乳食を用意してくれました。
スプーンで運んでくれる重湯は大好きでしたが、他に緑のものがありました。
冒険は、まだ始まったばかりです。
はじめての緑のものはほうれん草だと分かりました。
口に入れてもごもごしている北斗を見てジイジは、ほうれん草が好きになってくれたらいいなと思いました。
そして北斗の短冊を、とても大切なお守りだからと言って、ケーキを食べ終わったお父さんとお母さんに手渡しました。
短冊を持った二人がいつか出逢うことがあったらいいのにな。
ジイジはときおりそんなことを思ったりするのです。
ー完ー
ジイジと北斗(新スケール号の冒険) @nositenten
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