第6話
そして4日後。僕は、天技の練習を始めるために、担当になったアイテムコーディネーターを、設楽実継と一緒に、天技支部で待っていた。
「
「どうなんだろう。そろそろ来てもおかしくないんじゃないかな」
「なら、もう少しだけ待ってみます」
僕は苛立ちを感じていた。集合時刻は過ぎ去り、既に練習開始の予定時間に入っている。一体いつになったら来るんだろう。あと数分待って来なければ、別の人に交代してもらうように、設楽実継にお願いしようか。そんなことを考えていると、開いた扉の向こうから、誰かが天技支部の建物内に入ってきた。
「
「解語さん、どうして到着が遅れたんですか?」
設楽実継が詰め寄るように、低く冷たい声を、解語ナオトに向けて発する。しかし解語ナオトは、顔色1つ変えなかった。
「準備に思っていた以上の時間がかかっただけです。心配はいりません」
「心配はいらない?遅れて来たことを反省してくださいよ」
「反省なら充分にしてます」
瞬きすることなく、解語ナオトが平然と返す。
「分かりました。解語さん自身、反省をしているようなので、今日はこれ以上、言いませんが、次は無いですからね?」
釘を刺すような言い方で念を押した設楽実継が、いつもの表情に戻る。
「それで今日はどんな練習、景上少年にしてあげるんですか?」
「まずは、空中での感覚を掴んでもらいます」
「グラウィンでですか?」
「いえ、違います」
すると解語ナオトは、背中に背負っていた物を下ろし、それを広げて見せた。釣り竿のようで、そうではない細長い1本の棒。その先端からは、さらに細い糸のようなものが、頼り無さそうに地面に向かって垂れ下がっている。
「グラウィンではなく、これでやります」
「流石に危ないんじゃないかな?上手くできなければ、落ちて怪我する」
だが、設楽実継の懸念を聞いても、解語ナオトは何も動じず、自分の主張を淡々とした声で言った。
「グラウィンの方が明らかに危険です。これなら、事故があっても軽い怪我で済みますが、グラウィンの場合、最悪、命を落としますよ」
「確かにそうですが、どう見ても……」
支えきれるとは思えないと、設楽実継は言いたいんだろう。実際、僕の目から観察しても、人間の体重に耐えられるほどの強度があるとは考えにくい。
「折れそうだという心配は分かります。ですが、短時間であれば壊れませんし、振り回すわけではないので大丈夫です。下にマットも敷きますし」
「分かりました。それではトレーニングルームに」
「是非お願いします」
表情の変化に乏しい解語ナオトが、設楽実継とのやり取りを終えて、トレーニングルームに行く直前、前触れもなく僕の方に、両目を向けた。顔写真の時と同じで、瞳の奥に悲しみが混じっている。
「練習を始めるので、来てください」
「はい、今すぐ」
僕の返事を最後まで聞かずに、解語ナオトが、勝手に前へ歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って」
言おうとしていた言葉を浴びせても無駄だと悟った僕は、出し切りかけた言葉を飲み込み、トレーニングルームへと歩を進めることにした。
「さあ、2人とも中に入ってくれるかな?」
設楽実継の手招きにより、解語ナオトと一緒に、トレーニングルームに足を踏み入れた僕は、室内をぐるりと見渡した。
「結構広いですね」
「室内トレーニングであれば、基本全部ここで出来ると思いますよ」
「それなら、色々な練習法をここで試せそうです」
僕の感想に設楽実継が答え、それに乗じるかのように、解語ナオトが反応する。僕のアイテムコーディネーターは、どんな練習法を考えているんだろう。
「色々な練習法?」
「はい。景上くん専用の練習メニューを考えてきました」
「それはとても興味深いですね」
「ですが、景上くん本人の調子もあるので、変更は柔軟にしていく予定です」
「妙案です。では分厚いマットを数枚、床の上に敷きましょうか」
設楽実継は会話を継続しながら、トレーニングルームの端に積んであったマットを5枚、解語ナオトと協力して、隙間なく床に並べた。縦に3枚、横に2枚で、ちょうど正方形のような形になっている。
「この配置なら、安心して練習を行えます」
「ではですね、練習を始めてみてください。私は途中で退出するので」
「分かりました。景上くん、心の準備は良いですか?」
「いつでも大丈夫です」
僕の返事に解語ナオトが頷き、糸のような部分の長さを、慣れた手つきで調整していく。あれをどこに巻き付けるんだろうか。僕は不思議に思った。
「それなら少しの間、後ろを向いてください」
僕は、解語ナオトの指示に従って、身体を反転させた。背後で、何かに糸状のものを何重にも巻き付けている音がする。
「出来ました。次は、マットの上でうつ伏せの姿勢に……。良さそうですね。全身の力を抜いて……、抜いて~……、リラ~ックス。それではいきます」
解語ナオトがそう言って、僕の身体をゆっくりと上に上げた。高さは約30~40㎝の宙の上。けれど不快ではない。宙を浮かぶ感覚を何となくではあるものの、掴めたという確かな嬉しさが、僕の心の中にはあった。
「景上くん、どうですか?」
「意外と楽しいです。でも、気になることがありまして……」
「どんなことでも言ってみてください」
「この糸みたいな物でどうやって、僕の体重を支えているんでしょうか?」
僕が疑問を口にすると、解語ナオトは独り言のように、
「ああ、これのことですか……」
と言葉を漏らした。僕の視線はすぐ下のマットに注がれていて、その視界の中にアイテムコーディネーターは居ないため、解語ナオトの反応は分からない。だけど、僕の声はしっかりと伝わったようだった。
「これはヘルプ・ピックアッパーと呼ばれていて、重たい物を持ち上げる時に使われる道具です。この道具から出された反重力粒子が、糸状の定柱という部分を伝わり対象全体を包み込むことで、持ち上げる時の負担を軽減してくれます」
ヘルプ・ピックアッパー。定柱。どちらも初めて聞く言葉だ。しかし、解語ナオトの説明により、僕はスッキリすることが出来ていた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
「どういたしまして」
「それで――」
続きを言いかけた瞬間。何かが切れたことで、宙に浮かぶ疑似体験をしていた僕の身体は、下に置かれたマットの上にまっすぐと落ちた。それでも、マットに当たった時の衝撃は驚くほど軽かっひとまずたため、痛みなどは何も感じない。
「何か言おうとしてましたが、ひとまず大丈夫ですか?」
「特に怪我は無いので、問題はないです」
「それなら良かったです。このヘルプ・ピックアッパーというのは、長く持ち上げ続ける様には作られていないので」
「そうなんですね」
僕は返事した後に立ち上がり、身体の後ろの方に手を回した。それなら定柱が、どこかに巻き付けられて残っていてもおかしくはない。手触りで分かる違和感。あった。ここは。この場所は。
「ベルト通しに巻き付けていたんですね」
「そうです。支点を少なくすれば、空を飛ぶ感覚に近くなりますから」
僕は納得した。でも、定柱が切れてしまった以上、新しい定柱を用意するか、別の練習法を行わなければならない。だけど、解語ナオトは慌てる素振りもなく、ヘルプ・ピックアッパーを片付け、僕に向き直った。
「心配は不要です。始めから想定していたことだったので」
「次は何を行うんですか?」
僕の発した問いに、解語ナオトが、ジェスチャーを交えながら答える。
「体力強化が目的の陸上トレーニングです。ですので、結構きつくなります。それでも良いですか?景上くんに、その覚悟はありますか?」
天技のためなら、何だってやりたい。だから、僕の答えはーー。
「もちろんあります!」
Sky Expressers ~天空の表現者たち~ 刻堂元記 @wolfstandard
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