第5話

 それから数日経ったある日、蒼い空に浮かんだ雲を羨ましく思いながら、僕は、整備された道路の上を歩いていた。するとどこからか、僕の存在に気が付いたらしい天羽魅空が、手を振りながらこちらに向かって走ってくる。


「おーい、どこ行くの~?」

「天技支部に、書類を出しに行くんだ」

「書類?あ、そういうことか。家族の許可を正式に得られたんだね?」

「うん。僕はこれから、たくさんの練習に励むことになる」

「そうだね。そしたらいつか」

「他の選手を追い越せる日が来るかもしれない」


 2人で風に吹かれながら、並んで歩き、それぞれの想いを口にする。それは思い返しても不思議なほど、悪くない体験だった。


「景上くんが大会に出るようになったら、私たちライバルだね」

「それはあるね。でも、まずは自分自身に勝ちたい」

「昨日より今日、今日より明日って感じ?」

「そう。だからなのかな?今は、目の前の目標から逃げたくないって思ってる」


 僕の発した言葉に何かを感じたのか、天羽魅空が髪をかき上げ、控えめな笑顔を浮かべて視線を逸らす。照れ隠しなんだろうか。僕は、その気持ちの正体がよく分からないまま、天羽魅空と同じ視線の先に見える海と空を捉えた。


「私、最初は、天技が好きじゃなくて」

「意外だね。好きになったきっかけは何だったの?」


 天羽魅空がゆっくりと足を止め、立ち止まった僕に聞き返す。


「なんだと思う?」

「それまで出来なかった技に成功したこと?」

「違うよ。私はね、天技を始めて間もない頃、失敗ばかりだったの。だから、満足いく演技構成には中々ならなかったんだ。でもある時に、頭に入れていた演技構成の順番を緊張で忘れちゃってね。仕方ないから、即興で競技を続けることにしたら、すごく楽しく感じて。あ、これが天技の魅力なんだって気づいたんだよ」


 その後、僕たちは、何事もなかったかのように再び歩き出し、学校などの身近な話題に触れながら移動しているうち、天技支部に到着した。


「勝手についてきちゃってごめんね」

「大丈夫だよ。むしろ、お互いのことを知る良い機会になったと思う」

「なら良かった。じゃあ私、用事があるから」

「うん、それじゃまた」


 別れの挨拶を交わし、遠ざかっていく天羽魅空の背中を見届ける。そして、彼女の姿が見えなくなったことを確かめてから、僕は、目立つ色合いをした天技支部の建物内へと通じる茶色の扉を開けた。


「景上少年だね?」

「はい、書類に両親のサインをもらって来ました」

「どれどれ、見せてごらん」


 僕は、書類を設楽実継へと渡した。そうして確認を行い、書類を正式に受理した設楽実継が、顔を上げる。


「それじゃ、書類は受け取ったからね」

「ありがとうございます。天技の練習は、いつから出来るのでしょうか?」

「う~ん……。目安としては大体、3~5日後くらいかな」

「分かりました。では、また後日、ここに来ることにします」

「いや、待ってくれないかな?その前に、案内したい所があるんだ。一緒に来てくれないかい?」


 設楽実継に誘われ、天技支部を出て、別の場所に向かう。そして着いた先は、ソラ・クローゼット・ミヨシという中規模店。僕は、そこの看板を見て、天羽魅空がしてくれた天技の説明を思い出した。


「今日は、グラウィンついて詳しく教えるよ。さ、中に入って」


 僕は設楽実継に促されるがまま、店の中へと入った。入り口付近には、季節の服や、旬のデザインの服が特売品として売られている。


「いろんな洋服があるんですね」

「そうさ。むしろ、全体の8割は日常的に着る服じゃないかな」

「残りの2割は?」

「天技関連の衣装だよ。基本的には試合用だね」

「試合で使った後は、普段着として着用することも出来るんですか?」

「できる。ただ、私としてはあまりお勧めしてないんだ」


 僕はその理由を考えてみた。試合で使われる衣装は、グラウィンと同様に美しさを追求したものが多く、だからこそ、普段着として着用した際、汚れやシミが付くと、衣装が持つ芸術性が損なわれるからではないだろうか。僕がその推測を口にしかけたところ、店の奥から誰かが顔を出した。


「いらっしゃい。お、設楽さん、珍しいですね。今日はどうされたんです?」

「この少年に、グラウィンを学んでもらおうと思って」

「あ、そうだったんですか。場所を変えたので、良ければ、また案内しますよ」

「では念のため」


 ソラ・クローゼット・ミヨシで働くお店の男性に誘導され、僕と設楽実継は、グラウィンや衣装がズラリと並ぶコーナーに案内された。そうして、案内を終えた男性が軽く声を掛け、歩き去っていく。


「あの人は……?」

「店長の美好一作みよしいちさくだよ。この島に移住して、もう10年は経つ」


 設楽実継がそう答え、棚に飾られていた2つのグラウィンを手に取る。その後、設楽実継は僕に対して、唐突に質問をぶつけた。


「この2つのグラウィンを見比べて、何か感じることはないかい?」

「翼の大きさが違います」

「そうだね。どうして、翼の大きさが違うと思う?」

「分かりません。正解は何でしょうか?」

「競技者によって、競技のスタイルが全然違うからだよ。小さい翼にも、大きい翼にも利点と欠点があって、その上で両方使う人もいれば、片方しか使わない人もいる」


 僕は、頭の中が疑問でいっぱいになった。小さい翼を使うメリットや、デメリットは何か。大きい翼を使うメリットや、デメリットは何か。また、両方の翼を使い分ける人、あるいは小さい翼しか使わない人、それか大きい翼しか使用しない人には、それぞれどんな人がいるのか。


「気になっている顔をしているね。説明すると、小さい翼は、細かい動きを取り入れられる半面、風の影響を受けやすく飛行が不安定になりやすいんだ。逆に、大きな翼は滞空しやすいけど、その分だけ消耗が激しく疲れやすい」


 つまり、天技には、小技をたくさん出しながら演技するタイプと、大技を出しながらゆったりと演技するタイプ、それに加えて、小技と大技を組み合わせて使うタイプの3種類が存在するのかもしれない。


「だから、君が望む競技スタイルによって、使う翼が変わってくるんだ。景上少年は、どんな風に飛びながら、自分を表現したい?」


 設楽実継に聞かれた僕は、自らが抱く思いを正直に打ち明けた。


「僕は、澄み渡る空の中を、優雅に飛ぶことで、自由のシンボルになりたい」

「とてもいい夢だね。君には、大きな翼が似合いそうだ」

「そうかもしれません」

「でも、買うときはよく選んでね。値段によっても軽さや、着け心地は違ってくるから、不安であれば、店員に言って、実際に装着してみるのも有効だよ」


 僕は、設楽実継の助言に耳を傾けながら、奥まで陳列されているグラウィンに目を遣った。全てのグラウィンが洗練された白で統一されている。


「グラウィンの翼の色は、白だけなんですね」

「その通りだよ。天技は、美しさをどうやって魅せるかに拘る競技なんだ。それだから競技中は、演技構成と衣装を中心に見てもらいたい」


 設楽実継が発した言葉。それは、単なる説明というより、思い入れや情熱が込められたセリフであるように、僕は思えた。


「設楽実継さんは、天技を競技者としてやったことはあるんでしょうか?」

「少しだけならね。でも、詳しい話はまた今度にしよう」


 そう言われて、僕はそれ以上、同じ質問することをやめた。きっと今は話しにくいのだろう。時が経てば、いつか分かる日が来たとしてもおかしくない。代わりに違うことを聞こう。僕は、衣装の装飾品の種類や、着脱の方法を設楽実継に尋ねた。


「それは、アイテムコーディネーターに聞いた方が良いだろうね」

「どうしてでしょう?」

「彼らは、アイテムコーディネーターになるために、天技の衣装を自分なりに学んで、君が持つような疑問に対する答えを自分で持っているからさ」

「初めて知りました。機会があればそうします」


 僕はそのように返事した後、設楽実継と店内を回り、店を出たところで解散を告げられた。


「今日はこれで終わりだよ。後日また、支部の建物に来てくれるかな?」

「もちろんです。それでは、今日はこの辺で失礼します」

「待っているからね」


 そうして僕は、設楽実継と別れ、帰路についた。その足取りは、今にでも本当に空を飛べるんじゃないと思うくらい、僕にとっては軽いものだった。

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