第4話

 すると、解語ナオトの顔写真をまじまじと見つめた設楽実継が、意外そうな声を出して答えた。


「本当に、この人で良いのかい?いや……、君の選択を尊重しよう」


 僕の表情から、確かな意思を感じ取った設楽実継は、解語ナオトさんのものを残し、テーブルの上に並べていた全ての人の顔写真とプロフィールを、指先で捲り上げ、元あった場所へとしまった。


「それじゃ、そこで待っててくれるかな?」

「はい、待ちます」


 僕の返事を聞き終え、設楽実継が席を立ち上がる。そうして、奥の方の部屋に入っていった設楽実継は、左側の脇に書類を抱えて戻ってきた。僕は、それを見てすぐに分かった。天技をするには、僕だけでなく、親の同意も必要なのだ。


「天技は魅力的なスポーツだけど、同時に危険も伴う。だから、最終的には、君と、君のご両親の許可も要るんだ。難しいことかもしれないけれど、家族でよく話し合って、天技をやるのかどうか判断してね」


 渡された書類には、天技の概要や、危険性、保険加入の義務などが、5~6ページにわたって、細かく書かれている。そう考えてみれば、天技が始まって約20年経った今でも、競技人口が少ない理由が、僕にも理解できる気がした。


「分かりました。帰って、家族と相談してみます」


 僕はそう言って、渡された書類を折り畳んでから、カバンの中に入れた。設楽実継が腕時計に目を落とし、時刻の確認をする。


「思ったより早いね。さて、景上少年は、何か聞きたいことはあるかい?」

「今のところ無さそうです。ありがとうございます」

「それならどうする?技術指導が終わるまで、魅空ちゃんを待つのもアリだよ」

「そうですね……」


 天羽魅空とは、クラスメイトというだけで、それ以上の関係性はない。それに、一緒に帰る約束もしていないので、1人で帰っても問題はないだろう。


「今日は待たずに帰ろうかなと思います」

「魅空ちゃんには言っておくから、気をつけて帰れよ」


 描天島支部の代表に見送られ、天技協会の建物から外に出る。上を見上げれば、空がほんのり茜色に染まりつつあった。家に到着する頃には、僕の影も色濃く映るようになっているに違いない。そして僕は、自身から離れない影の存在を認め、競争するように走り出した。なぜかは考えても、一向に分からなかった。


「ただいま~」

「遊翔、おかえりなさい。いつもより、少し遅い時間ね」

「今日は、クラスメイトから新しいことを教えてもらったんだよ」

「へえ、どんなこと?」

「天技っていうスポーツ。詳しい説明は、父さんが帰って来たら話すから」

「天技ねえ……。やっている人あまりいないと思うけど、まあいいわ。お父さんが帰宅した後で、じっくり聞かせてちょうだい」

「そうする。じゃ、また後でね」


 僕は、自分の母親である景上邦子かげじょうくにこにそう言い残し、自室がある2階に、階段を使って登った。真っすぐな渡り廊下の先に見える3つの扉。僕の部屋は、そのうちの1番手前の扉を開いた先にある。


「ただいま」


 返事は返ってこない。それはそうだ。自分の部屋に向かって挨拶しただけなのに、その部屋から何かしらの反応があったら、逆に怖い。僕は、置時計で現在時刻を確かめ、自分の父親が帰宅するまで、まだ余裕があることを認めた。


「父さんが帰るまで、時間があるか……」


 僕は、室内をぐるりと見渡した。汚くはないが、物が少し散らかっている。しばらく、部屋の整理をしながら、時間を有効に使っていこう。僕はそう思い、散らかった部屋の片づけと、掃除を始めた。


 どれくらいの時間が、あれから経過していたんだろうか。僕は、自分の父親が、家の玄関のかぎを開ける音に気が付き、顔を上げた。


「もうこんな時間……」


 何かに夢中になっていると、時間が過ぎ去るのはあっという間だ。僕は、自室の整理を途中で切り上げ、階段を下りた。見れば、父親がいつも通りの仕草で、靴を脱いでいる。


「遊翔じゃないか。いつもは帰宅しても出迎えないのに、珍しいな」

「うん、おかえり。父さん」


 少し低めのトーンで、僕は、父親である景上匠かげじょうたくみに挨拶した。何か別にまずいことを隠しているわけではない。そうではないのに、いつも通りのトーンを出せなかったのは、緊張しているからに他ならなかった。


「どうした?なんか今日、やけに表情が暗くないか?」

「話さなければいけないことがあるから」


 僕がそう返すと、景上匠の顔つきが、急に真剣なものに変化した。


「学校でいじめられているのか?まさか、犯罪をしたんじゃないだろうな?」

「違うよ。僕、この島で天技を始めたいんだ」


 強い決意を胸に、静かな調子で、僕がゆっくりと言葉を喋る。すると、景上匠は意外な表情を浮かべた。


「天技?スポーツなら、他にもたくさんあるだろう?」

「無いよ。空を飛べるスポーツは、僕にとっては天技しか無いんだよ!」

「パラグライダーだって空は飛べるぞ?」

「でも自由がない。僕は何にも縛られずに、空を飛び回りたい」


 景上匠が、突然、僕の目を間近で見つめてきた。何も喋ろうとしない。僕の発言の真意や、本気度を測っているのかもしれない。そうして少し経ってから、父親は、僕から視線を逸らし、冷静な口調でこう話した。


「お前の気持ちはよく分かった。とりあえず、こっちで話を聞こう」


 景上匠が指さしているのは、キッチンに隣接しているダイニングルーム。僕と、父親は、ダイニングチェアに向かい合うようにして座った。キッチンでは、母親が夕食準備のため、忙しそうに動いている。


「それで率直に聞くが、遊翔は、天技を通じて何がしたい?」

「手を伸ばしても届かなかった空に、自由があることを伝えていきたい。空を飛ぶ楽しさを知る。そのきっかけになれたら良いなって」

「やっぱり、昔よくやっていた野鳥観察も、理由には影響しているのか」

「うん。鳥になりたいってずっと思ってた」


 僕が正直な気持ちを打ち明けると、景上匠は緩んだ笑顔になった。


「そうか、そうだったのか……」

「鳥のように空を飛びたいっていうのが、より正確な表現なんだろうけど、その気持ちは、今も変わらない」

「自分の子どもながら、その気持ちについては理解できていない部分があった。でも、また1つ、お前のことを知れた気がしたよ」


 影上匠が昔の事を思い出すような語り口で、優しく僕に語り掛ける。そして、景上邦子が振り返るように体を後ろに回し、僕に質問を投げかけた。


「遊翔が天技を始めたいことも、その理由も分かったわ。それで、私たちには、何をしてほしいの?」

「天技をするにあたって、母さんと、父さんの許可が要るんだ。だから、ちょっと待って。今、書類を持ってくるから」


 と言って急いで部屋に戻り、カバンの中に入れていた書類を引き出した。そうして、書類を片手に持ったまま、すぐに階段を駆け下りる。


「あったか?」

「うん、これが書類。色々と書かれているから、読んだうえで、僕が天技をしても良いということなら、最後のページにある同意書にサインを書いて」

「なるほど、読んでみよう」


 景上匠が頷き、目をしきりに動かしながら、紙を捲る。その間は無言で、誰も言葉を発さない。僕は、この空気感に圧され、再び、緊張してしまった。


「俺は良いよ、許可する。後は、邦子の気持ち次第だから」

「そうね。それ、私にも読ませてくれない?」


 景上匠から書類を渡された景上邦子は、集中した目つきで素早く読むと、それをテーブルの上に静かに置いて、キッチンまで歩いていく。


「私もいいわ。今はこっちで忙しいから、後でサインさせて」


 そうして、強い気持ちを言葉に込めつつ、景上邦子がさらに話を続ける。


「それと、遊翔が自分でやるって言い出したことなんだから、中途半端に投げ出さないで、やれるとこまで頑張りなさい」

「2人ともありがとう!僕、誰よりも上手くなってみせるから」


 両親から直筆のサインをもらった僕は、夕食後、自分の部屋の窓を開けて、空に流れる星の結晶たちを目にした。その中には、ひときわ輝く1等星もある。誰もが美しさを追い求める空の中で、誰もが憧れを抱くスターになりたい。僕は、そんなふうに思いながら、この夜を過ごしていた。

 

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