最終話 守りきって、この先へ歩み出す。
ミュールがいなくなった翌日。
私は、ルーカハイト家の資料室を訪ねていました。
ルーカハイト家やこの領地に関する様々な文献がありますから、ここに入ることができる人は限られています。
次期当主の婚約者という立場だから、グラジオ様の許可を得て立ち入ることができました。
「メリル・ルーカハイト……」
ミュールが話してくれた、人間だったころの名前。それが、メリル・ルーカハイトです。
私は、この名を知っていました。この領地の人なら、一度は聞いたことがあるほどに有名な人物です。
「メリル……。メリル様。あった……」
メリル様ついて記された文献は、あっさりと見つかりました。
メリル・ルーカハイトは、100年以上前に実在した女性。
ルーカハイト家がこの辺境を治めるようになった頃の、当主の奥様です。
当時は他の国々との争いが絶えず、この場所は争いと悲しみで満ちていました。
当主は悲しみの歴史を終わらせようと奔走していましたが……。
あるとき、次期当主でもあった第一子が暗殺されてしまいます。
子を愛する優しい人で、身体も弱かったメリル様は心身共に調子を崩し、亡くなった子の後を追うように他界。
それでも、当主は和平の道を諦めませんでした。
相当な恨みや悲しみを背負っているはずなのに、争いをおさめる道を探る当主と、残された子供たち。
そんな姿に人々は胸をうたれ、いがみ合っていた者同士が手を取り合うきっかけとなりました。
メリル・ルーカハイトは、悲劇の人でもあり、犠牲となることでこの地に平和をもたらした人でもあります。
そして……彼女は、グラジオ様の直系のご先祖様。
悪魔になる前のことを、ミュールが思い出したのはいつのことだったのでしょう。
子孫のグラジオ様とその婚約者の私を、どんな気持ちで見ていたのでしょうか。
逆行の代償に彼女に取り憑かれた頃。
私は、ミュールを殴って殴って殴りまくっていました。
そうしなければ身体が乗っ取られ、グラジオ様やフォルビア様、この領地が危険に晒されるからです。
悪魔を祓うようになって少し経ち、ミュールが黒猫の姿で顕現するようになり。私たちの関係は変わり始めました。
ミュールとの「契約」から3年経った今では、彼女がそばにいることが当たり前になっていました。
ある種のパートナーのように……。私は感じていたのです。
それなのに、ミュールは。
「私を騙して、勝手なことをして、自分の好きなことだけ話して、おいていくなんて……。ひどいです。ミュールのバカ……!」
『バカとはなんじゃ』
「ひょわっ!?」
『おお、阿呆のような声を出したの』
感心したようにそう言いながら、私の背後からひょこっと現れたのは……。
「ミュール……?」
『いかにも、ミュール様じゃ! 探したぞリリィ。寂しさで引きこもって泣いておると思ったのに、ルーカハイト家におるとはな』
見慣れた空飛ぶ黒猫。羽の色や形は変わっていますが……。確かにミュールです。
「え、え? ミュール? どうしてです? メフィーと相打ちになったと……」
『わからん』
「え」
『我にもわからんのじゃよ……。よくわからないが、悪魔とは別の存在になって生まれ直した。そうとしか言いようがない。それしかわからぬ』
「ええ……?」
『まあ、そうじゃの……。守護精霊とでも呼ぶがいい』
「はあ……」
私たちの間に、なんともいえない沈黙が流れます。
消えてしまった彼女が。もう戻ってこないと思った彼女が。戻ってきた。
本人にわからないのなら、私も何もわかりませんが――確かに、戻ってきたのです。守護精霊、などと名乗って。
「ふ、ふふ」
『おん?』
「あはは……! もう! 悲しんで損しました! あなたは本当に勝手ですね。本当に…………」
これまで堪えてきた感情が、私の瞳から溢れだします。
ぽたぽたと落っこちたそれは、私の服を濡らしました。
私は、笑顔を作れているでしょうか。
「おかえりなさい、ミュール」
『……おお。ただいま、リリィ』
ただいま、と返す彼女の声は、今まで聞いたことがないぐらいに穏やかなものでした。
ここから、ミュールは献上されたおやつの量でやる気が変わる、気ままな守護精霊としてこの地を守り続けていくのですが……。
それは、先のお話です。
***
時は過ぎ、20歳となった私はグラジオ様と結婚式を挙げました。
守護精霊のミュール様に見守られての、盛大な式です。
私とセット扱いだからか、ミュールへの捧げもの置き場まで作られていました。
フォルビア様はもちろん、彼女の婚約者のヘレス様も出席しています。
……ヘレス様のお目当ては、主役の私たちではなく、愛しのフォルビア様のようですが。
ドレスアップした婚約者にデレデレしすぎです。ヘレス様。
「グラジオ様。リリィ。ご結婚、おめでとうございます」
逆行前の世界では、このタイミングでフォルビア様に刺されました。
けれど、今回は。彼女の笑顔も、祝福も、心からのものに見えます。
今宵の彼女が握ったのは、凶器ではなく――
「私たちも、いい夫婦になりましょうね」
「ああ」
婚約者である、ヘレス様の手でした。
フォルビア様が凶行に走ることはなく。グラジオ様の片腕も無事なまま。
領民たちが、処刑台に向かって殺せ殺せと叫ぶこともない。
消えてしまったと思われたミュールも、私たちの結婚式を見守っている。
私は、やりきったのです。大事なものを、みんな守ることができました。
安堵から漏れた、長い長い溜息。
式の最中だったものですから、グラジオ様に「疲れたか?」と心配されてしまいました。
「ええ。少し。少しだけ……疲れました。でも、この時を迎えることができて、本当によかったです。グラジオ様、この先も、一緒に頑張りましょうね」
「もちろんだ。リリィ」
グラジオ様が左手で――逆行前には動かなくなった方の手です――私の手をとり、ぎゅっと握ってくれました。
その力強さと温もりを感じられることが、どれほど嬉しいことか。
静かに目を閉じ、私からも彼の手を握り返します。
逆行の代償に悪魔と契約してしまった子爵家生まれの私、リリィベル・リーシャンは、リリィベル・ルーカハイトとなって、新たな時へ踏み出します。
この先も、私の大事な人たちを、傷つけさせはしません。
逆行の代償に悪魔と契約してしまった子爵令嬢、悪魔に殴り勝ってハッピーエンドを目指します。 婚約者も親友も救ってみせますとも! はづも @hadumo
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