天国と地獄
海沈生物
第1話
ある寒い冬の日のことだ。路地裏で素っ裸のまま倒れている女を見つけた。この町には変な人が多かったので、そういう「性癖」の人なのかなと思った。目を合わせないようにしてその場から早急に立ち去ろうとしたが、私の中にある「優しさ」がそうすることを許してくれなかった。
私は倒れている女の元へ駆け寄らされると、「無意識」の内に自分の着ていた上下のジャージを脱いで女に着せてあげていた。今は肌で感じるぐらいの寒さで正直服を脱ぐなんて行為をしたくなかったが、私の中の「優しさ」は何も尽くさないことを許さなかった。私の身体は「無意識」のまま女を肩で担ぐと、下着姿のまま、ちょうど近くにある自分の部屋まで連れて行ってあげることにした。
# # #
部屋のベッドの上で寝かせて数分後、女は
「もしかして、貴女って本物の人間さんなんですか!?」
段々とこねくり回す勢いが激しくなってくると、不意に舌を噛んでしまった。反射的に苦痛の声を漏らすと、女は「ご、ごめんなさい!」と謝ってきた。ただの反射的に漏れた声なので「だ、大丈夫だから」と笑みを浮かべて否定すると、女はまだ申し訳なさそうな感情を隠せていないながらも、反省の意味を込めてか、ベッドの上で正座をしてくれた。私も彼女に合わせて正座をすると、ベッドの上で座る彼女を見上げながら、コホンと咳払いをする。
「えっと……まず確認させて欲しいんだけど、私は別に貴女を誘拐したわけじゃない。路地裏で倒れていたのを助けただけ、っていうのは大丈夫?」
「は、はい! 路地裏で倒れていたあたりの記憶はあまりないのですが、貴女の目を見る限りだと、誘拐したわけじゃないのは分かります。むしろ、助けてくれたのかなーってことも」
「”助けてくれた”なんて大層なことはしていないけど、とにかく誘拐でないことを理解してもらえたのは良かったよ。……それで、ここから本題なんだけど。差し支えがなければ、貴女がどうして倒れていたかについて教えてくれないかな。無理に、とは言わないんだけど、その……ね? 貴女が犯罪者とかだったら、色々とこっちも”手続き”があるから……さ」
もう直球で「貴女が犯罪者なら、今すぐ通報して警察に身柄を確保してもらう」と言いたかったのだが、私の中の「優しさ」はそんな「優しくないこと」をすることを許してくれなかった。私は苦笑いしながら女の反応を見ていると、彼女は数秒して「違います、違いますよー!」と
「私が倒れていたのは、単に座標転送地点のミスですね。本当はこの町の地下にある宇宙人用の施設に転送される予定だったんですが、ちょうど真上の地点に転送されてしまって。それで、あんな場所で気絶する羽目になったというわけですねー」
「え……えっと……転送とか外星人用の施設とか……その……貴女って、もしかして宇宙人なんですか?」
「あっ。……これ、他の方には秘密ですよ? あとで施設の人から”まだ宇宙人の存在はバラすべきではない!”って怒られちゃうので。それでなんですが、私は仰る通りの宇宙人ですね。ここより遠い星……おとめ座とうみへび座の間から観光目的で来た宇宙人なんです! どうですか? 驚きました?」
自慢げな表情で言われたが、本当にこの女は本当に宇宙人なのだろうかという疑問は若干拭えなかった。この2XXX年となった今でもなお、宇宙人はまだオカルトの域を脱していないものであった。だからこそ、それらしい器官——額から生える二本の緑の触覚や、足の代わりに生えた無数の触手の足——が見受けられないような存在を「宇宙人である」と思うことはちょっとだけ難しかった。
それでも、私の心の中にある「優しさ」はそれをわざわざ公言することを許してくれなかった。私が気になっていても、私の中に埋め込まれた「呪い」のような「優しさ」がそんなことを許すことはなかった。その代わり、私は宇宙人に対して苦笑いを浮かべる。
「うん、とても驚いたよ。宇宙人なんて存在、まさか実在するとは思ってもみなかった。それで……この後はどうするの? 少なくとも、この町で観光するのはちょっと……オススメできない、けど」
「そうなんですか? 観光案内に”日本という国はとても安全な国である”って載っていたと思うのですが。実際、貴女は私にとても”優しく”してくれましたし!」
「そう思ってくれるのは、私はとても嬉しいよ? でも、この町はね……特に治安が、その、ちょっと」
そう言っている間に、不意に表からクラクションの音と共にガラスが割れる音が聞こえてきた。あまり地球に来てくれた宇宙人を失望させたくないのだが、この町の「事実」を教えないでいる方が「優しくない」と、私の「優しさ」が命令してきた。……仕方ない。カーテンを開けると、少しだけ宇宙人に外を見せてあげた。
そこに見えたのは、まさに「地獄」であった。まぁ、車と車が衝突するまではさっきの音から察することができる光景だった。しかし、この町の「地獄」はそれだけで終わらなかった。
なんとか衝突した車から脱出することができた運転手がホッと生き延びたことに対して息をついていると、不意に背後からやってきた盗人面の男が、運転手の首筋を切り付けて殺した。「あぁ!」という絶命する瞬間の断末魔は何度聞いても慣れる気がしなかった。盗人面の男は運転手のポケットから彼の財布をひったくると、そのまま逃げようとする。しかし、「地獄」の連鎖はまだ終わらなかった。
まるで盗人面の男がひったくりすることを予期していたかのように、その盗んだタイミングで、突然男は背後からやってきた猛スピードの車に
そうして車の中からいかにもヤクザらしい黒服の男たちが出てくると、盗人面の男を殺せたことを入念に確かめ、男が身につけていたありとあらゆるものを剝ぎ取った。「『羅生門』の下人でも、もう少し人の心があるのではないか?」と思うぐらいに「冷酷」に脱がしていくと、最後にはパンツ一枚すら残す「優しさ」を見せず、死んだ盗人面の男を素っ裸にした。そこまで剝ぎ取り終えると黒服の男たちは車に戻って、どこかへと走り去っていった。
私はカーテンを閉めると絶句している宇宙人に対して、静かに頭を縦に振った。宇宙人は「これは……治安が悪いね」と苦笑いを浮かべた。私も非常に同感だった。
「……でも、こんないつ殺されるか分からない地域で、貴女はどうして生きているんですか? というか、引っ越さないんですか? お金の問題?」
「そう……そうだね。引っ越すことができるのなら、今すぐにでもしたいんだけど。その……私は”監視対象”だから、引っ越すことが許されていないんだよね」
「監視対象……って。この部屋にも監視カメラとか付いているんですか?」
「いや、そういうのはないよ。私、政府から”マイクロチップによる人格改変”の被験者なんだよね。毎月一定のお金を貰える代わりに、一カ月に一度、政府からやってきた監視委員会の人たちによる訪問があるんだよ。でも、その一カ月一度の訪問を逃れるために引っ越したり脱走したりすると、私の中に埋め込まれた”優しさを発生させるマイクロチップ”を暴走させられて、地球上のどこにいても、自害させられるの。だから、引っ越すことができないってわけ」
「うーん……よく分からないんですが、それって地球上だから問題があるんですよね? それって、貴女が地球上じゃない私の星に引っ越しきたら、そのよく分からない影響を受けないーみたいな」
宇宙人の星に引っ越す。それは毎日強制された「優しさ」に悩まされてこの星で生きていくことよりも、とても「救い」があることのように思えた。宇宙人の星のことを「天国」のように思えた。
おそらく、宇宙人が住む星までいけば、マイクロチップの影響だって受けないかもしれない。私は「行きたい!」と思った。しかし、そう思った時、不意に強烈な「不安感」が胸を襲い込んだ。
私は生まれてすぐにマイクロチップを埋め込まれた。だから、一時もマイクロチップの影響下じゃない環境で生きたことがない。「優しい」人間でなかったことはない。しかし、マイクロチップの影響下を受けない環境に逃げることができたのなら。その時、私は「優しくない」人間になってしまうのだろうか。二十年以上も生きてきた「私」が崩壊して、別の「何か」になってしまうのではないか。そのことが怖くなった。
「この案、名案ですよね?」と自慢げな顔をする宇宙人の顔を見て、私は唇をきゅっと噛んだ。こんな「地獄」みたいな町を逃げ出して、宇宙人と一緒に「天国」へ行きたかった。でも、それは二十年以上もの間積み重ねてきた「私」を崩壊させてまで行く価値はあるのだろうか。このまま一人、ここで暮らしていった方が安定が保障されていて、とても素晴らしい生活なのではないか。どっちを、どっちを選ぶのが良いのか。どっちが「許される」べきことなのか。考えれば考えるほど、私は分からなくなってきた。
そんな悩む私を察してくれたのか、宇宙人は私の両親にまた手を置いてきた。またこねくり回してくるのかと思ったが、今度はただ見つめてくるだけで、何もしてくることはなかった。
「えっと……どうか、した?」
「別にどうもしないんですが、その……もしかして、怖いんですか? ここじゃない場所に行くことが怖いんですか? 割とメリットしかないお誘いだと思うんですが」
「で、でもさ! その……もしもだよ? 私がマイクロチップの影響下を離れて、今みたいな”優しさ”を喪失して、今とは違う、”冷酷”な人間になってしまったらさ。そんな時になっても……貴女は、その時の私を今の私と同じ存在だって思ってくれる?」
「うーん、難しいことを考えるのは苦手なんですが……思いませんね。今の貴女と未来の貴女は別の存在だと思います。でも、それで良いんじゃないんですかね? あらゆるものは変化から逃れられないものですし、なにより……私の手に余る存在になったら殺してあげるので、そんなこと気にしてなくて大丈夫ですよ!」
「殺す」という言葉は今まで「冷酷」なイメージしかなかった。それなのに今その言葉を投げかけられて、なぜかその彼女の言葉から全く真逆の感覚である「優しさ」を感じた。そうして、その言葉に対して私はとても胸が熱くなってきて、背筋がゾクゾクしてきた。マイクロチップなんて無機質で息苦しい「支配」ではない、もっと熱くてゾワゾワするような「支配」。
「ほら、行くんですか? 行かないんですか? さっさと決めてください!」
そう言って、宇宙人は手を差し出してきた。私は新たな「性癖」が自分の中で目覚めるのを感じながら、差し出された熱い彼女の手を掴んだ。
天国と地獄 海沈生物 @sweetmaron1
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